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第8話④ ラブとバトルは突然に

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 階段を登るのが好きだ。無機質な非常階段であればもっと良い。どこまでもどこまでも登っていく。踊るように登っていく。無限に続く階段があれば、いつかは天に届く。しかしこの世の階段はいつもどこかで最上階にたどり着いてしまう。それが嫌いだ。最上階では満足できない。その先に行きたいのに、この足では空を渡れない。小さなのぞき窓から光が漏れる。太陽の欠片が薄暗い階段に陰影をもたせる。やがて階段はなくなった。目の前には扉がある。またここで止まってしまう。屋上だ。いつもなら開けることを躊躇ってしまうけれど、今日は違う。
 理由がある。強い意志が手を動かした。この先で勝つそうすれば届かないものに少し近付く。どこまでも上り詰める。それが唯一できることであれば――。

 安っぽい金属の扉が開かれた時、その場に居た全員の視線が一気に引き寄せられた。

 なにか爆発したか……!? そう思うほどの轟音である。なんなら裏側のドアノブは吹き飛んで、小気味の良い音を立てながら足元に転がっている。なぜか上がった煙の中からは、頭を下げながら現れる長身の影がある。煙の内側から桜色に光っている……特撮かなにかだろうか。
 訝しむ視線の中、非常階段の中から声が響く。

「タノモーーーッ!」

 その声の主は、やたらデカい女だった。髪も合わせればイーグルとほぼ同じ身長になるだろうか。呆気に取られたまま、誰も動けない。唯一イーグルだけは彼女を見つめて観察しているが、正直あまりなにもわかっていない。非常階段からの圧が強すぎる、存在圧が怪獣並である。

「やあやあ我こそは古今無双のダンス・キラー! アクハブツア・ノーベル! 手前、生国は仏蘭西。イル・ド・フランス、パリ、ヴェルサイユ宮殿は吹き下ろし生家はノーベル城でござんす。稼業、縁持ちましてはオリンピアではノーベル家十三代目を継承いたします。お控えなすって、お控えなすって、いやいやそちらこそお控えなすって……」

 鎌倉武士めいた口上が始まったかと思ったら、今度は任侠映画である。しかも何を勘違いのか、仁義切りまで始めている。口上と共に前かがみになり、手のひらを上に向けてこちらに視線を向けたまま決してまばたき一つしない。そして口上をどこまでも進めていき、遂には終わり際、左に二、三歩、なにかタイミングを図るように進むと、すっくと立ち、宣言した。

「以後ざっくばらんにお頼み申す。すなわち後山田ゴッ太郎殿、貴殿と手合わせ願いたい!」
 ピンと張られた背中に、肉が弾ける。ゴッ太郎が男らしさを充満させる筋肉ならば、アクハブツア・ノーベルと名乗った彼女は女らしさを充満させる筋肉である。真っ赤に引かれたルージュの唇が、真夏の日差しに反射する。
「ぁ?」

 口を開けたまま、ゴッ太郎は動けなかった。何が起こったのかすらほぼわかっていない。少々勘違いもあるものの、彼女の方が日本語が段違いにうまかったのだ。ゴッ太郎は繰り出された名乗り口上も仁義切りも理解が出来ず、精神は宇宙であった。アゴがちょっとズレている。アホ面のまま動かないゴッ太郎のスネに、零春のキックが入る。

「ア!」
「呼ばれてるぞ」
「そっかぁ」

 温度差が酷い。

「つまり、俺と戦いたい……ってこと!?」
Exactement.イグザクテモンそのとおりよ! 御鈴波途次を賭けて戦いなさい!」
「エッ!? あんた俺の敵なの!?」
「飲み込みの悪いヒト。あなたみたいなポンコツは御鈴波に相応しくない。行くわよ」

 さぁッ――彼女が飛び上がった姿に、三人は白鳥の幻想を抱いた。武というよりも、舞である。そして彼女の跳躍は、。五メートルくらいは飛んでいる。

「エェーーーッ!!!」

 太陽を覆い隠すように飛ぶ彼女は、跳躍の頂点から、落ちてくる。自由落下と合わせて距離感がおかしくなるほど長い足で蹴りを繰り出しつつ、ゴッ太郎を狙っている。

「零春、こっちだ」

 イーグルは素早く零春の首根っこを引っ掴むと退避した。

「ちょ、俺もそっちいか――」
「ゴッ太郎、実戦だ。教えた通りにやれ」
「マジ!?」
「よそ見なんて、良いご身分ね」

 横を見ていたゴッ太郎の頬に、一撃、ビンタのような足甲蹴りが決まる。へぶっ、と情けない声を上げながらゴッ太郎はイーグル達が離れた逆側に蹴り飛ばされて転がった。ノーベルと言えば澄まし顔で着地すると、そのままニコリを微笑んでゴッ太郎を睥睨へいげいしている。

「どうかしら、わたしのキックは」
「結構効くけど、御鈴波に蹴られた方がいてーかも」
「あら、わたしもそう思うわ」
「あ、やっぱり? そうだよな~」

 彼女の笑顔の種類が変わる。今度は子どものような屈託のない笑みだ。ひょっとしてノロケとかされてますか? ゴッ太郎はそう口から出そうになったが、割とがんばって飲み込んだ。

「ほいじゃ、やらせてもらうぜ! 筋肉、全開ぃいいいいいい」

 ゴッ太郎はこめかみを血走らせながら、筋肉を爆発的に肥大化させた。本日三度目になる為、全力に比べればややサイズは劣る。いくらゴッ太郎の筋肉とはいえ、筋疲労は感じるのである。こんなサイズの筋肉であれば、普段ならゴッ太郎はやや自分の筋肉が心配になるのだが、今日は違う。新しいおもちゃを手に入れた子どものように、ノーベルと変わらない楽しそうな笑みで相対している。

「行くぜッ」

 ゴッ太郎は低姿勢に走り出す。近寄らなければ当てられない以上、まずは近寄らなければ始まらない。どす、どす、重戦車の歩みのような重い音が天井を叩く。それに対して、ノーベルは。手を緩やかに動かし、体中に力を漲らせ、力の差異が生まれれば、それを流れさせ循環するように動くのである。その動きには流体のような自由さと、見えない秩序があった。一定の素早さで動いている。そしてゴッ太郎に向かって手を伸ばすとその姿勢で遂に止まった。

「アナタ、どうやら寄らないとどうしようもないみたいね」
「そうです!」
「素直なのね、わたしもなの!」

 威勢よく返事したゴッ太郎に呼応しながら、ノーベルの手のひらは緩やかに光を纏った。周りの空気が螺旋を描くようにノーベルの手に集まってくる。やがて彼女の手には小さな光を放つ弾が現れた。やがてバスケットボール大に膨張すると、ゴッ太郎に向かって放たれた。

「これはっ……」
「なにっ!?」

 零春もまた驚いた。イーグルが放つソニックレインと同じ形だが、違う。カミソリのような鋭さのあるそれと比べて、これは球体だ。それに、遅い。ゆっくりと進んでいる。ゴッ太郎は迷わず跳んだ。地上は弾があっても上は空いている――上から叩けば問題ない。だが、それだけではなかった。ゴッ太郎にはまだ跳んだ理由があった。この数日間のイーグルとの鍛錬で鍛え上げたもの、それを試すための跳びである。

「ふっ――」

 ノーベルは笑った。これは嘲笑である。引っかかったわね――この弾は囮なのだ。地上を制限して、跳ばせたのだ。ノーベルの狙いはその先にある。跳んだ相手は攻撃の機会を得たと思って無防備になる。そこまでわかっているならば、ノーベルのやることは一つだ。すっ……静かに彼女は姿勢を下げた。彼をよく見よう、そのような構えである。姿勢を下げればゴッ太郎が地上に到達するまでの時間は長くなる。見極めるまでの時間を稼げるのだ。

「……!」

 ノーベルは観察する。上から落ちてくるゴッ太郎に、攻撃の意志があればそこを撃ち落とす。待つ――動かない。まだ待つ――ゴッ太郎が迫ってくる。ゴッ太郎は、こちらを見ている。動かない。

「くっ」

 徐々に落ちてくるゴッ太郎に動きはない。ノーベルには焦りが現れた。額につつ、と汗が流れた瞬間、ノーベルの身体は焦れて練習通りに動いた。すなわち、落ちてくる人間を迎撃するための技を放つ姿勢になったのである。ノーベルは、空中のゴッ太郎を迎撃する為に飛び上がった。長い足を天に突き出して、回転しながら相手を空へ押し戻す。当たれば相手は空中で姿勢を崩し、後方に向かって吹き飛んでいく――何人もの格闘家で試した技だ。名付けて昇天脚。これを破った人間はいない。飛び上がる足に当たった手応え――いや、足応えがあった。
 当たった……! ノーベルはそのままの勢いで足を回転させて蹴り上げていく。

「あ、れ」

 二段目からの、足応えがない。ノーベルは混乱する。なぜ……視線を足元に寄せる。

「――っ!?」

 蹴り上げたはずのゴッ太郎は、地上にいた。そこでノーベルはハッとする。一段目の蹴り上げは、ゴッ太郎が地上についてから当たったのだ。
 まさか、わたしの狙いを見透かされた――!?

「成果、出たぜえええええええーーーーーーッッッ!!!」

 下卑た笑みを浮かべるのはゴッ太郎である。美しい顔を歪めたまま、ノーベルは明後日の方向へ吹き飛んでいく。ゴッ太郎は結局最後まで攻撃しなかったのだ、だからこそ様子見で時間を浪費したノーベルはゴッ太郎に蹴りを当て、空中で当たったと錯覚して蹴り上げてしまったのだ。飛び上がったノーベルは、ゴッ太郎の背中側に向かって蹴り抜けた。空中ではこれ以上軌道を変えられない。

「ひひひ、試してやるぜェ! へとへとになるまで絞られて、ようやく安定してきたこのをよぉおおおおおおオッ!!!」

 ゴッ太郎はノーベルの着地点から二メートルほど離れた場所まで歩いていく。そして、重心を回すと、足を付けたまま両腕を振り上げた。ノーベルは着地する。

「なにかが来る――」

 鈍器を振り上げたような分厚い圧力に耐えきれずノーベルは、すぐに振り返ろうとした、その刹那である。骨盤の辺りには分厚いゴムで出来たシートベルトのような筋肉の腕が絡みついていた。

「くっ、なにをし――」

 腕を振り払おうと抵抗するが、決してゴッ太郎の腕は離れない。

「行くぞォ゙! 筋肉が! 翼を授けるゥ゛~~~!!!」

 ゴッ太郎は真横に遠心分離機の如く回転を加えながら高く高く飛び上がった。始めに見せられたノーベルの飛翔と負けないくらい、真夏の太陽が昇る速度に負けないくらい高く跳んだ。ゴッ太郎には物理がわからぬ。数学がわからぬ。国語と英語と化学と世界史と日本史がわからぬ。しかし人一倍ラ行変格活用動詞、ありおりはべりいまそがりには敏感であった。

「第一問……俺の得意教科はなんでしょう……ッ!」
「え、え? いきなりな、なにを……」

 がっちりと身体を押さえられたまま、空を飛んでいる――初めての人間にとってはどこまでも混乱する情報を脳に叩きつけられながらの意味のわからない質問に、さしものノーベルも脳がパンクしそうだった。というか、していた。

「ヒントは……日本の歴史に深く関わりますッ」
「えっ……日本史、かしら」

 天気は快晴である。空を飛ぶにはちょうどいい天気だ。フライト時間は10秒ほどだろうか。ノーベルの目にも白い壁の中の整然とした美しい街並みが広がる。

「ブーッ! 更にヒント、国語と関係あります!」
 月並みすぎたか……! 眉間を顰めるノーベルだが、流石にここまでヒントが出れば誰だってわかる。だってそこまで言われたらもう答えだもん。

「わかったわ! 古文……!」

 ニコ――ゴッ太郎は微笑む。満面の笑みである。降下が始まった。

「えっ……違うの? うそ、他に、なにが――」

 ノーベルは首を振り、いやいやと髪を振り乱す。地面が近付いてくるのは恐怖だ。こんな、こんなパワーで地面に叩きつけられたら――わたし、わたし……! 壊れちゃ――

「パイルゥーーーーーーーッッッ!!!!!!!! バンカァーーーーーーッ!!!!」
「ひ、い、いやァあああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 爆音を立てながら着地したゴッ太郎の腕の中では、ノーベルが白目を剥いて意識を失っていた。
 ノーベルをそっと優しく地面に下ろすと、ゴッ太郎は宣言する。勝鬨かちどきである。

「正解は、漢文でしたッ!!! 残念ッ!!!!!!!」

 ゴッ太郎の完全勝利である。
 
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