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第16話
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病室で目が覚めた。
大切そうに箱を抱いたドリーが心配そうにぼくを見ていた。
手を握っていてくれた。
「持っててくれたんだね、ありがとう」
鼻と口の中が痛い。
喋ると、口の中に血の味が広がった。
「お兄ちゃんの大切なものは、麻衣にとっても大切なものだから」
大切なものというのはちょっと違うな、とぼくは思った。
ドリーワンで手に入れたものに、大切なものなんてひとつもない。
あるとすれば、ドリー、君だけだ。
ドリーの頬には、涙が乾いた跡があった。
頭を撫でてあげようと、腕を伸ばすと、点滴の管が腕から伸びているのがわかった。
体は、思うように動かなかった。
図書館から帰るバスを待つ間に鼻と歯茎から血を流して倒れたのだ、とドリーが教えてくれた。
潰瘍性大腸炎の症状ではなかった。
咳払い。
「おはよう」
榊先生が壁にもたれてぼくをにらみつけていた。
「調子はどう?」
古戦場跡病院。
「そこの彼女から聞いたわ。
もう二週間も下痢が続いてるんだって?
お父さんもお母さんもなくなってたんですってね。
家もなくなったっていうじゃない?
今どこに住んでるの?
ちゃんとご飯は食べてるの?
睡眠はしっかりとれてる?
どうして先生に相談してくれなかったの?」
先生はぼくに返事を返す時間さえ与えてはくれなかった。
白衣を振り乱しながら、目に涙を貯めて、
「あの女は何? 妹さん、じゃないわよね?」
最後にそう聞いた。
ぼくの手を握るドリーの手がこわばった。悲しい顔をしていた。
「妹ですよ」
「麻衣ちゃんは、あんな人形みたいな子じゃなかった」
「妹です」
ドリーは、ぼくの妹だ。
自分に言い聞かせるように、「妹です、妹です」ぼくは繰り返した。
「もう、いいわ」
先生は、大粒の涙をこぼす顔を手でおさえて、
「ここは病院だから、病気の話をしましょう」
持っていたカルテを開き、診察の結果をぼくに伝える。
「まず、潰瘍性大腸炎の方、再燃しかけてるわ。
これは薬を処方しなかったわたしの診断ミス。ごめんなさい」
もういい。
「それから、今回倒れた方」
ぼくのために泣いてくれる人が、ドリーの他にまだいる。
しょっちゅう急患の患者を死なせては泣いているような医者だけれど、ぼくのために泣いてくれている。
大切に思ってくれている。
ぼくもこの人が大切だ。
だから、もういい。
もういいんだ。
「学くんが眠っている間に、一通り検査をさせてもらったわ。今結果を待っているところ。でもたぶん」
「ぼくに関わらないでください」
夢を見なければ、大切なものを失う。
「消えたいんですか?」
テレビでは、たてこもり事件の犠牲になったSAT隊員をはじめ愛知県警の警察官たちの警察葬の模様が生中継されていた。遺影の数は23にのぼる。
事件発生からまもなく二ヶ月が経過しようとしている。
たてこもり事件はまだ解決していない。
「佐野にも」
犯人逮捕に向けて全力を尽す、その士気を高める、警察関係者によればこの警察葬にはそういった意味合いが強いらしい。
近々SATによる突入が行われるらしい。
あさま山荘事件で使った鉄球を使うという計画もあるそうだ。
まるで興味がなかった。
ぼくは本日四本目の点滴の滴が落ちるのをぼんやりと眺めていた。
「佐野にもドリーみたいなやつがいるのかな」
ぼくにドリーがいるように、棗にチドリがいたように、宮崎にねずみ顔の男が、酒鬼薔薇にバモイドオキ神がいたように、佐野がドリーワンの契約者なら、いるはずだ。
契約者が犯罪に手を染めてしまった今、共犯者と呼ぶべきかもしれない。
犠牲者はまだまだ増えそうだ。
「ねえ、ドリー?」
ドリーはぼくの手を握ったまま眠っていた。
カーテンが開いた。
「こんにちは」
榊先生だ。
回診の時間らしい。
ぼくは昨日先生にひどいことを言ってしまった。
謝らなくちゃ。とぼくは思った。
でも一体どんな顔をして謝ったらいいのかわからなかった。
「…こんにちは」
挨拶を返すのがやっとだった。
「何その顔」
先生は早速ご立腹だ。
「死んだ人を懐かしむような顔して」
そんな顔をした覚えはなかったけど、先生に怒られるのは好きだから悪い気はしなかった。
「寝てるの?」
ドリーを指さして言った。
ぼくはうなづいた。
よかった、と先生は胸をなでおろした。
途端に笑みがこぼれる。
「わたしね、この子苦手なの。
麻衣ちゃんはお兄ちゃんが大好きな妹って感じだったけど、この子はなんか違うもの。
わたしをね、まるで女狐か何かを見る目をして見るのよ。いやになっちゃう」
その目なら見たことがある。ドリーは昼ドラを毎日見ているから。
ぼくは笑った。
先生はドリーが抱いて眠る箱に目を向けた。
「昨日から気になってたけど、なあにこの箱?」
「開けない方がいいですよ。たぶん開かないと思いますけど」
「この子にもらったの?」
開けたら、ドカンでは済まされない。
小さなキノコ雲が、この街を覆い、あとには黒い雨を降らせるだろう。
ぼくたちの遺体など残らない。
窓の下の中庭で遊ぶ、入院患者のこどもたちも、肉片ひとつ残らないだろう。
有名な写真のように、壁に黒い人影だけを残すだろう。
「いつ退院できそうですか?」
ぼくは無理矢理話題を変えた。
「さあ、放射能に汚染された子を看るのははじめてだから」
さらりとそう言った。
そうじゃないかと思っていたから驚きはしなかった。
ただ、随分進行が早い。
ドリーワン製だからかもしれない。
ぼくらの常識はドリーワンには通用しない。
「行くところなんてないんでしょ? ずっとここにいたっていいのよ」
先生の言葉にぼくは曖昧に笑った。
箱はあまり人目につかない場所に隠しておく必要がある。
ドリーが起きたら、テレビの下の冷蔵庫に隠してもらおう。
ここへ着て、もう二度も夢を見た。
まだ誰にも気付かれてはいないけれど、病室の天井には首を吊るためのロープがかかっている。
窓の下で遊ぶ車椅子の男の子には合成映像のような縁取りがある。
「つまんない子ね」
今夜病院を脱走しよう。
ドリーが起きたらその話をしよう。
真夜中、ぼくは妹の部屋をノックする。
「どうしたの?お兄ちゃん」
まぶたをこすりながら、眠たそうに妹がドアを開ける。
ぼくには繰り返し見る悪夢があった。
妹が誘拐される夢だ。
誘拐されて、ぼくの前からいなくなってしまう。
いつか見た夢は、その続きだ。
繰り返し、テレビドラマのように、妹の誘拐事件は夢の中で続いていく。
事件はまだ解決していない。
「またこわい夢を見たの?」
ぼくはうなづくことしかできない。
夢を見た後は、口も聞けないほどだった。
妹がいなくなった悲しみと、妹が目の前にいてくれる喜びを、ぼくの頭はいつも整理できなかった。
「麻衣もお兄ちゃんと同じ夢を見てあげられたらいいのに」
歯がゆそうに妹はいつもそう言った。
幼い頃は、ふたりでひとつの部屋を共有していた。
どこへ行くのも、お風呂に入るのもいっしょで、同じベッドでいつも寝ていた。
妹が幼稚園から小学校に上がる頃、妹に部屋が与えられた。
部屋を与えられても妹は毎晩ぼくのベッドに子犬のように転がり込んできた。
ふたりでいっしょに眠らなくなったのは、妹が中学校に上がる頃だ。
その頃から、ぼくは悪夢を見るようになった。
「お兄ちゃんが夢を見たらその夢から何か持ち帰ってこれたらいいのにね。
そしたら麻衣はお兄ちゃんと同じ夢を共有できるのに」
子守唄を歌うように、絵本を読み聞かせてくれるように、妹はそう言った。
「この世界にある形のあるものは見たり、触ったり、全部誰かと共有することができる。
形のないものだって友情とか恋とか誰かと共有できる。
お兄ちゃんの病気だって、同じ病気になれば痛みも苦しみも、大好きなからあげが食べられない悲しみだって麻衣は共有できるようになる」
ぼくが病気になってから、妹はときどき暴飲暴食を繰り返すようになった。
ぼくと同じ病気にかかろうとしていたのかもしれない。
「でも麻衣はお兄ちゃんと夢だけは共有してあげられない。
こわい夢を見て泣いてるお兄ちゃんをこうやって抱き締めてあげることしかできない」
妹はいつも優しかった。
ぼくはいつも妹に心配をかけて、困らせてばかりだ。
そして妹は、
「お兄ちゃんは、夢から何か持ち帰れるかわりに、夢を見なかったら大切なものをうしなっちゃうの」
物語を紡ぐように、妹はあのとき確かにそう言った。
ぼくはすべて思い出した。
これが契約だったのだ。
「お兄ちゃんが一番大切なものは何?」
「麻衣」
「じゃあ、麻衣はすぐにいなくなっちゃうかもしれないね」
「だけどお兄ちゃんはちゃんと麻衣を守ってくれるんだよね?」
守るよ、とぼくは約束した。
だけど何から?
ぼくにはわからなかった。
真夜中、ぼくたちは病院から脱走した。
再燃し、放射能にも蝕まれた体はすぐ息が切れた。
電柱が見えるたびに、ぼくは足を止め、もたれる。
ぼくは一年以上も前も妹と過ごした夜を思い出していた。
「ドリーワンから、だよ」
箱を抱いて、ドリーがぼくの心を読んだようにそう言った。
荒い息ひとつしていない。汗ひとつかいてはいなかった。
「お兄ちゃんは麻衣ちゃんを守るって約束したのに、守れなかった」
街灯がドリーを照らす。
「責めてるわけじゃないの。ドリーワンを与えられた人はみんな大切な人を失うの。これは決められたことなの」
光の下に集まった夏の虫たちが、ドリーを避けるように飛んでいく。
ドリーはきれいだった。
だけど、ドリーがここにいてはいけない気がした。
「お兄ちゃん、こんな力いらなかったって顔してるよ」
お兄ちゃんが麻衣を見るときはいつもその顔、そう言ってドリーは笑った。
「ドリーワンを与えられる資質を秘めた人が、大切な人を守ると約束したとき、ドリーワンは与えられる。
お兄ちゃんは麻衣ちゃんと契約したの。
お兄ちゃんひとりじゃドリーワンは手に入らなかった。
麻衣ちゃんがいたからお兄ちゃんはその力を手に入れることができたのよ」
お兄ちゃんがドリーワンを否定するってことは、麻衣ちゃんを否定することと同じなのよ。
ぼくはその場に座りこんだ。起き上がることができなかった。
麻衣、ぼくはどうしたらいい?
大切そうに箱を抱いたドリーが心配そうにぼくを見ていた。
手を握っていてくれた。
「持っててくれたんだね、ありがとう」
鼻と口の中が痛い。
喋ると、口の中に血の味が広がった。
「お兄ちゃんの大切なものは、麻衣にとっても大切なものだから」
大切なものというのはちょっと違うな、とぼくは思った。
ドリーワンで手に入れたものに、大切なものなんてひとつもない。
あるとすれば、ドリー、君だけだ。
ドリーの頬には、涙が乾いた跡があった。
頭を撫でてあげようと、腕を伸ばすと、点滴の管が腕から伸びているのがわかった。
体は、思うように動かなかった。
図書館から帰るバスを待つ間に鼻と歯茎から血を流して倒れたのだ、とドリーが教えてくれた。
潰瘍性大腸炎の症状ではなかった。
咳払い。
「おはよう」
榊先生が壁にもたれてぼくをにらみつけていた。
「調子はどう?」
古戦場跡病院。
「そこの彼女から聞いたわ。
もう二週間も下痢が続いてるんだって?
お父さんもお母さんもなくなってたんですってね。
家もなくなったっていうじゃない?
今どこに住んでるの?
ちゃんとご飯は食べてるの?
睡眠はしっかりとれてる?
どうして先生に相談してくれなかったの?」
先生はぼくに返事を返す時間さえ与えてはくれなかった。
白衣を振り乱しながら、目に涙を貯めて、
「あの女は何? 妹さん、じゃないわよね?」
最後にそう聞いた。
ぼくの手を握るドリーの手がこわばった。悲しい顔をしていた。
「妹ですよ」
「麻衣ちゃんは、あんな人形みたいな子じゃなかった」
「妹です」
ドリーは、ぼくの妹だ。
自分に言い聞かせるように、「妹です、妹です」ぼくは繰り返した。
「もう、いいわ」
先生は、大粒の涙をこぼす顔を手でおさえて、
「ここは病院だから、病気の話をしましょう」
持っていたカルテを開き、診察の結果をぼくに伝える。
「まず、潰瘍性大腸炎の方、再燃しかけてるわ。
これは薬を処方しなかったわたしの診断ミス。ごめんなさい」
もういい。
「それから、今回倒れた方」
ぼくのために泣いてくれる人が、ドリーの他にまだいる。
しょっちゅう急患の患者を死なせては泣いているような医者だけれど、ぼくのために泣いてくれている。
大切に思ってくれている。
ぼくもこの人が大切だ。
だから、もういい。
もういいんだ。
「学くんが眠っている間に、一通り検査をさせてもらったわ。今結果を待っているところ。でもたぶん」
「ぼくに関わらないでください」
夢を見なければ、大切なものを失う。
「消えたいんですか?」
テレビでは、たてこもり事件の犠牲になったSAT隊員をはじめ愛知県警の警察官たちの警察葬の模様が生中継されていた。遺影の数は23にのぼる。
事件発生からまもなく二ヶ月が経過しようとしている。
たてこもり事件はまだ解決していない。
「佐野にも」
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近々SATによる突入が行われるらしい。
あさま山荘事件で使った鉄球を使うという計画もあるそうだ。
まるで興味がなかった。
ぼくは本日四本目の点滴の滴が落ちるのをぼんやりと眺めていた。
「佐野にもドリーみたいなやつがいるのかな」
ぼくにドリーがいるように、棗にチドリがいたように、宮崎にねずみ顔の男が、酒鬼薔薇にバモイドオキ神がいたように、佐野がドリーワンの契約者なら、いるはずだ。
契約者が犯罪に手を染めてしまった今、共犯者と呼ぶべきかもしれない。
犠牲者はまだまだ増えそうだ。
「ねえ、ドリー?」
ドリーはぼくの手を握ったまま眠っていた。
カーテンが開いた。
「こんにちは」
榊先生だ。
回診の時間らしい。
ぼくは昨日先生にひどいことを言ってしまった。
謝らなくちゃ。とぼくは思った。
でも一体どんな顔をして謝ったらいいのかわからなかった。
「…こんにちは」
挨拶を返すのがやっとだった。
「何その顔」
先生は早速ご立腹だ。
「死んだ人を懐かしむような顔して」
そんな顔をした覚えはなかったけど、先生に怒られるのは好きだから悪い気はしなかった。
「寝てるの?」
ドリーを指さして言った。
ぼくはうなづいた。
よかった、と先生は胸をなでおろした。
途端に笑みがこぼれる。
「わたしね、この子苦手なの。
麻衣ちゃんはお兄ちゃんが大好きな妹って感じだったけど、この子はなんか違うもの。
わたしをね、まるで女狐か何かを見る目をして見るのよ。いやになっちゃう」
その目なら見たことがある。ドリーは昼ドラを毎日見ているから。
ぼくは笑った。
先生はドリーが抱いて眠る箱に目を向けた。
「昨日から気になってたけど、なあにこの箱?」
「開けない方がいいですよ。たぶん開かないと思いますけど」
「この子にもらったの?」
開けたら、ドカンでは済まされない。
小さなキノコ雲が、この街を覆い、あとには黒い雨を降らせるだろう。
ぼくたちの遺体など残らない。
窓の下の中庭で遊ぶ、入院患者のこどもたちも、肉片ひとつ残らないだろう。
有名な写真のように、壁に黒い人影だけを残すだろう。
「いつ退院できそうですか?」
ぼくは無理矢理話題を変えた。
「さあ、放射能に汚染された子を看るのははじめてだから」
さらりとそう言った。
そうじゃないかと思っていたから驚きはしなかった。
ただ、随分進行が早い。
ドリーワン製だからかもしれない。
ぼくらの常識はドリーワンには通用しない。
「行くところなんてないんでしょ? ずっとここにいたっていいのよ」
先生の言葉にぼくは曖昧に笑った。
箱はあまり人目につかない場所に隠しておく必要がある。
ドリーが起きたら、テレビの下の冷蔵庫に隠してもらおう。
ここへ着て、もう二度も夢を見た。
まだ誰にも気付かれてはいないけれど、病室の天井には首を吊るためのロープがかかっている。
窓の下で遊ぶ車椅子の男の子には合成映像のような縁取りがある。
「つまんない子ね」
今夜病院を脱走しよう。
ドリーが起きたらその話をしよう。
真夜中、ぼくは妹の部屋をノックする。
「どうしたの?お兄ちゃん」
まぶたをこすりながら、眠たそうに妹がドアを開ける。
ぼくには繰り返し見る悪夢があった。
妹が誘拐される夢だ。
誘拐されて、ぼくの前からいなくなってしまう。
いつか見た夢は、その続きだ。
繰り返し、テレビドラマのように、妹の誘拐事件は夢の中で続いていく。
事件はまだ解決していない。
「またこわい夢を見たの?」
ぼくはうなづくことしかできない。
夢を見た後は、口も聞けないほどだった。
妹がいなくなった悲しみと、妹が目の前にいてくれる喜びを、ぼくの頭はいつも整理できなかった。
「麻衣もお兄ちゃんと同じ夢を見てあげられたらいいのに」
歯がゆそうに妹はいつもそう言った。
幼い頃は、ふたりでひとつの部屋を共有していた。
どこへ行くのも、お風呂に入るのもいっしょで、同じベッドでいつも寝ていた。
妹が幼稚園から小学校に上がる頃、妹に部屋が与えられた。
部屋を与えられても妹は毎晩ぼくのベッドに子犬のように転がり込んできた。
ふたりでいっしょに眠らなくなったのは、妹が中学校に上がる頃だ。
その頃から、ぼくは悪夢を見るようになった。
「お兄ちゃんが夢を見たらその夢から何か持ち帰ってこれたらいいのにね。
そしたら麻衣はお兄ちゃんと同じ夢を共有できるのに」
子守唄を歌うように、絵本を読み聞かせてくれるように、妹はそう言った。
「この世界にある形のあるものは見たり、触ったり、全部誰かと共有することができる。
形のないものだって友情とか恋とか誰かと共有できる。
お兄ちゃんの病気だって、同じ病気になれば痛みも苦しみも、大好きなからあげが食べられない悲しみだって麻衣は共有できるようになる」
ぼくが病気になってから、妹はときどき暴飲暴食を繰り返すようになった。
ぼくと同じ病気にかかろうとしていたのかもしれない。
「でも麻衣はお兄ちゃんと夢だけは共有してあげられない。
こわい夢を見て泣いてるお兄ちゃんをこうやって抱き締めてあげることしかできない」
妹はいつも優しかった。
ぼくはいつも妹に心配をかけて、困らせてばかりだ。
そして妹は、
「お兄ちゃんは、夢から何か持ち帰れるかわりに、夢を見なかったら大切なものをうしなっちゃうの」
物語を紡ぐように、妹はあのとき確かにそう言った。
ぼくはすべて思い出した。
これが契約だったのだ。
「お兄ちゃんが一番大切なものは何?」
「麻衣」
「じゃあ、麻衣はすぐにいなくなっちゃうかもしれないね」
「だけどお兄ちゃんはちゃんと麻衣を守ってくれるんだよね?」
守るよ、とぼくは約束した。
だけど何から?
ぼくにはわからなかった。
真夜中、ぼくたちは病院から脱走した。
再燃し、放射能にも蝕まれた体はすぐ息が切れた。
電柱が見えるたびに、ぼくは足を止め、もたれる。
ぼくは一年以上も前も妹と過ごした夜を思い出していた。
「ドリーワンから、だよ」
箱を抱いて、ドリーがぼくの心を読んだようにそう言った。
荒い息ひとつしていない。汗ひとつかいてはいなかった。
「お兄ちゃんは麻衣ちゃんを守るって約束したのに、守れなかった」
街灯がドリーを照らす。
「責めてるわけじゃないの。ドリーワンを与えられた人はみんな大切な人を失うの。これは決められたことなの」
光の下に集まった夏の虫たちが、ドリーを避けるように飛んでいく。
ドリーはきれいだった。
だけど、ドリーがここにいてはいけない気がした。
「お兄ちゃん、こんな力いらなかったって顔してるよ」
お兄ちゃんが麻衣を見るときはいつもその顔、そう言ってドリーは笑った。
「ドリーワンを与えられる資質を秘めた人が、大切な人を守ると約束したとき、ドリーワンは与えられる。
お兄ちゃんは麻衣ちゃんと契約したの。
お兄ちゃんひとりじゃドリーワンは手に入らなかった。
麻衣ちゃんがいたからお兄ちゃんはその力を手に入れることができたのよ」
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