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#05
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正式名称を気にしたこともないものなど世の中にはたくさんある。
たとえば、食パンの袋を閉じるプラスチックなどだ。
あれの名前は、何度テレビのクイズ番組や情報番組で見聞きしても、しばらく経てば忘れてしまう。
だが、姉の昨夜の晩御飯か夜食だろうか、床頭台にあった菓子パンがいくつか入っている袋を見ると、
ーーバッグ・クロージャー。
その名前はすぐにわかった。
イルマは、それらの名前が自分には見えているからわかったのだと、そのときようやく気づいた。
まるでテレビドラマや映画のテロップのように、視界に名前が表示されていたのだ。
寝ている姉を見ると「狐野エミリ」というテロップが出た。ご丁寧に「きつねの」とルビが振られていた。
「なんで狐野?村戸じゃなくて?」
なぜ、姉の苗字が自分と異なっているのかわからなかった。
姉はまだ結婚はしていない。恋人はいるが、狐野という苗字については聞いたことがなかった。
だが、その名前こそが姉の本名なのだろう。
イルマには自分の記憶よりも、目の前にある情報の方が正しい気がした。
両親がお互いに再婚であり、連れ子がいた、それだけではなく、婚姻届を出しておらず内縁関係だったのかもしれない。
そんな話は聞いたことがなかったが、たぶんそんなところなのだろうと思った。
イルマは、視界の端に「E.O.P.レベル1」という表示を見つけた。
ーーこのレンズを、E.O.P.レンズと私たちは呼んでいる。
夢かうつつかわからないあの手術での台詞を思い出す。
E.O.P.レベル。
E.O.P.レンズ。
レベルかレンズかの違いこそはあったが、同じE.O.P.だ。
ーーEyes of Providence、プロビデンスの目、神の全能の目。
どうやらこの奇妙な目にはレベルが存在するらしい。
レンズ自体にメガネの度のようにあらかじめ定められたレベルがあるのか、レベルが上がっていくものなのかはわからない。
仮にレベルが上がるのだとすれば、今は名前しかわからないこの目は、レベルが上がる度にさらに深く情報を得られるようになるのかもしれなかった。
「お目覚めになられたようですね」
看護師が扉を開けて入ってきた。
本物の看護士であるはずなのに、コスプレしているようにしか見えない、ピンク色でミニスカートのナース服、姉曰くラブホのコスプレレンタルみたいなナース服、ツインテールの髪型の上にナースキャップを載せているのか被っているのかよくわからない、イルマの担当看護士。
羅臼ユズリハだ。
一泊するだけの手術であったから、看護師の名前なんていちいち覚えてはいなかったが、テロップがイルマにその名を思い出させてくれた。
「目のかすみはとれましたか?」
羅臼の言葉にイルマは黙って頷いた。
「わたしの名前、見えますか?」
彼女はネームプレートを手で隠しながらそう訊ねた。
「おかしなことを聞くんですね。ネームプレートを隠されてたら見えないじゃないですか。それに、普通は」
「覚えていますかと訊ねるもの。昨日わたしはあなたとお姉さんに名前を名乗ったから。言いたいのはそういうことですね」
またイルマは黙って頷く。
「でも、あなたはわたしの名前なんて覚えてはいないはずです。1日や2日入院するだけの患者さんは、普通は看護師の名前なんて覚えませんからね」
「覚える人もいるんじゃないですか?羅臼さん、かわいいし」
口にしてからしまったと思った。
「やはり、見えているみたいですね」
「覚えていたとは思わないんですか?」
「わたしがかわいいからですか?確かによく言われますけど」
「あんまり自分でそういうことは言わない方がいいと思いますよ」
「こんなかわいらしいお姉さんがいる男の子は、看護師がいくらかわいくても名前なんて覚えませんよ」
「姉がいくらかわいくても恋愛対象にはなりません」
「そういうものなんですか?でも、この方は、あなたのお姉さんじゃないんですよね」
羅臼にも、イルマとは苗字の違う姉の名前が見えているのだろう。
たとえ本当の姉弟でなかったとしても、姉は姉だ。今さら恋愛対象として見ることはない。
「この目は何なんですか?ぼくの目に何を入れたんです?」
「E.O.P.レンズ。全能の神が持つ目を人為的に再現するために作られた眼内レンズです」
「ぼくの姉も同じ目を持っているんですね」
「どうしてそう思うんですか?」
「姉も、7年前にぼくと同じ手術を受けているからですよ。この病院で。父や母もね」
両親が旧・足切村に移住しようと言い出さなければこんなことにはならなかった。
両親は、姉と同時期に白目病にかかり、手術を受けたあと、すぐに失踪し行方不明になっていた。それからは姉がずっと親代わりをしてくれていた。
本当にろくなことをしない両親だった。
だが、姉が同じ目を持っていると思ったのはそれだけが理由ではなかった。
ーーあなたのお姉さんも同じ目を持っている。
夢だと思っていた白杖とフード付きローブの老人たちによる手術の中で、姿は見えなかったが、羅臼の声が聞こえた気がしたからだ。
ーーようこそ、情報迷宮都市アルゴリアへ。
そのとき、姉のエミリの声も聞こえた。
おそらく、あの手術の場に、羅臼と姉はいたのだ。
たとえば、食パンの袋を閉じるプラスチックなどだ。
あれの名前は、何度テレビのクイズ番組や情報番組で見聞きしても、しばらく経てば忘れてしまう。
だが、姉の昨夜の晩御飯か夜食だろうか、床頭台にあった菓子パンがいくつか入っている袋を見ると、
ーーバッグ・クロージャー。
その名前はすぐにわかった。
イルマは、それらの名前が自分には見えているからわかったのだと、そのときようやく気づいた。
まるでテレビドラマや映画のテロップのように、視界に名前が表示されていたのだ。
寝ている姉を見ると「狐野エミリ」というテロップが出た。ご丁寧に「きつねの」とルビが振られていた。
「なんで狐野?村戸じゃなくて?」
なぜ、姉の苗字が自分と異なっているのかわからなかった。
姉はまだ結婚はしていない。恋人はいるが、狐野という苗字については聞いたことがなかった。
だが、その名前こそが姉の本名なのだろう。
イルマには自分の記憶よりも、目の前にある情報の方が正しい気がした。
両親がお互いに再婚であり、連れ子がいた、それだけではなく、婚姻届を出しておらず内縁関係だったのかもしれない。
そんな話は聞いたことがなかったが、たぶんそんなところなのだろうと思った。
イルマは、視界の端に「E.O.P.レベル1」という表示を見つけた。
ーーこのレンズを、E.O.P.レンズと私たちは呼んでいる。
夢かうつつかわからないあの手術での台詞を思い出す。
E.O.P.レベル。
E.O.P.レンズ。
レベルかレンズかの違いこそはあったが、同じE.O.P.だ。
ーーEyes of Providence、プロビデンスの目、神の全能の目。
どうやらこの奇妙な目にはレベルが存在するらしい。
レンズ自体にメガネの度のようにあらかじめ定められたレベルがあるのか、レベルが上がっていくものなのかはわからない。
仮にレベルが上がるのだとすれば、今は名前しかわからないこの目は、レベルが上がる度にさらに深く情報を得られるようになるのかもしれなかった。
「お目覚めになられたようですね」
看護師が扉を開けて入ってきた。
本物の看護士であるはずなのに、コスプレしているようにしか見えない、ピンク色でミニスカートのナース服、姉曰くラブホのコスプレレンタルみたいなナース服、ツインテールの髪型の上にナースキャップを載せているのか被っているのかよくわからない、イルマの担当看護士。
羅臼ユズリハだ。
一泊するだけの手術であったから、看護師の名前なんていちいち覚えてはいなかったが、テロップがイルマにその名を思い出させてくれた。
「目のかすみはとれましたか?」
羅臼の言葉にイルマは黙って頷いた。
「わたしの名前、見えますか?」
彼女はネームプレートを手で隠しながらそう訊ねた。
「おかしなことを聞くんですね。ネームプレートを隠されてたら見えないじゃないですか。それに、普通は」
「覚えていますかと訊ねるもの。昨日わたしはあなたとお姉さんに名前を名乗ったから。言いたいのはそういうことですね」
またイルマは黙って頷く。
「でも、あなたはわたしの名前なんて覚えてはいないはずです。1日や2日入院するだけの患者さんは、普通は看護師の名前なんて覚えませんからね」
「覚える人もいるんじゃないですか?羅臼さん、かわいいし」
口にしてからしまったと思った。
「やはり、見えているみたいですね」
「覚えていたとは思わないんですか?」
「わたしがかわいいからですか?確かによく言われますけど」
「あんまり自分でそういうことは言わない方がいいと思いますよ」
「こんなかわいらしいお姉さんがいる男の子は、看護師がいくらかわいくても名前なんて覚えませんよ」
「姉がいくらかわいくても恋愛対象にはなりません」
「そういうものなんですか?でも、この方は、あなたのお姉さんじゃないんですよね」
羅臼にも、イルマとは苗字の違う姉の名前が見えているのだろう。
たとえ本当の姉弟でなかったとしても、姉は姉だ。今さら恋愛対象として見ることはない。
「この目は何なんですか?ぼくの目に何を入れたんです?」
「E.O.P.レンズ。全能の神が持つ目を人為的に再現するために作られた眼内レンズです」
「ぼくの姉も同じ目を持っているんですね」
「どうしてそう思うんですか?」
「姉も、7年前にぼくと同じ手術を受けているからですよ。この病院で。父や母もね」
両親が旧・足切村に移住しようと言い出さなければこんなことにはならなかった。
両親は、姉と同時期に白目病にかかり、手術を受けたあと、すぐに失踪し行方不明になっていた。それからは姉がずっと親代わりをしてくれていた。
本当にろくなことをしない両親だった。
だが、姉が同じ目を持っていると思ったのはそれだけが理由ではなかった。
ーーあなたのお姉さんも同じ目を持っている。
夢だと思っていた白杖とフード付きローブの老人たちによる手術の中で、姿は見えなかったが、羅臼の声が聞こえた気がしたからだ。
ーーようこそ、情報迷宮都市アルゴリアへ。
そのとき、姉のエミリの声も聞こえた。
おそらく、あの手術の場に、羅臼と姉はいたのだ。
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