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#77
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「ところでエミリちゃんはどうしたの?」
真っ赤な顔のままイルマを見上げた萌衣にそう問われると、彼はポケットの中の姉の左手の薬指を握った。
村戸家のリビングに現れた姉のエミリは、その両目が抉られていた。
その頭部はきれいな髪がバリカンか何かで刈られており、頭蓋骨は丁寧に切り取られ、中にあるはずの脳もなかった。まるで機械のような正確さで頭蓋骨は切り取られていた。
もちろん姉は完全に事切れていた。
「エミリちゃん……?」
その変わり果てた姿を見た萌衣は、ふらふらと倒れてしまった。イルマは慌てて彼女を受け止めた。
「そんな……俺はただ、エミリさんを悲しませたくなかっただけなのに……エミリさんがこんなことになってたなんて……」
恭介も呆然としていた。
本当に何も聞かされていなかったのだろう。
姉を悲しませたくなかっただけ。その言葉がすべてだった。萌衣にしてみたら何のことかすらわからないし、本来聞かせてはいけないものだった。萌衣は卒倒してくれていたほうがよかった。
おそらく鵜山京一郎ですら、拉致監禁したあとの姉がどういう目に遇うか知らなかっただろう。
イルマも姉は無事だと思い込んでいたが、よくよく考えてみれば、素雲教が欲しいのは『神の目』や『ラプラスの悪魔』としての姉なのだ。
肉体など必要なかったのかもしれない。
脳を取り出す前に、病や怪我を治す力を持つ姫織星彦という男のギフトで作り出したチョコレートを食べさせていれば、姉の若年性認知症も治っていただろう。
素雲教には、姉の『神の目』と脳さえあれば、『ラプラスの悪魔』として観測した結果をアウトプット可能な装置のようなものがあるのだ。
この事態を想定しておくべきだった。
姉の奥の手である左手の薬指は、ずっとイルマのポケットの中にあった。
姉が拉致されたと知ったときにさっさと握っておくべきだった。
だが、姉の死体を見ても、イルマは後悔はしても、萌衣や恭介のように動じることはなかった。
「恭介も萌衣さんも気にしなくていい。『姉さんのようなもの』は作れるから」
そんな風に淡々と言えてしまう自分がイルマは少し怖かった。
「イルマくん、『姉さんのようなもの』って何?」
「ぼくのギフトで、たぶん姉さんは蘇らせられるんだよ。鞍馬葉子が昔したのとはちょっと違うやり方だけどね」
たぶんとつけたのは、すでに萌衣で実験済みということを彼女に悟られないようにするためだった。
イルマは神になるつもりもなかったし、悪魔になるつもりもなかった。
「イルマ、お前、何言って……」
「萌衣さんや恭介が死んじゃったとしても、ぼくが蘇らせてあげるよ」
だが、『萌衣のようなもの』を一度作り出したことで、死者を再生することに対する「たが」のようなものが外れてしまったのかもしれなかった。
イルマの中で命の重さが軽くなってしまっていることは、彼が一番感じていた。
「恭介、お前は萌衣さんのことだけ心配しててくれ。あとはぼくと姉さんにまかせてくれ」
イルマはふたりに足切神社の社務所に避難するように言った。
「だが……」
「大丈夫だよ。あぁ、でも恭介が知ってる限りの情報を教えてほしいかな。素雲教の教祖、ラース様っていうのは誰のことかわかる?」
「素雲教?」
萌衣の記憶から素雲教についての記憶は消えていた。
「萌衣姉ちゃんには関係ないことだよ。親父からは羅臼ユズリハって人だって聞いてる」
やはりそうかと思った。K病院でイルマの担当看護師だったあの女だ。
「羅臼ユズリハはT藩の藩主だった出井素雲の子孫らしい。苗字は違うけどな」
出井素雲とは、江戸時代に自分が極楽浄土に行くためだけに罪人の斬首を足切りに変えるよう命じ、さらに労働力としてその手先を使うために足切村に罪人を集め、その子孫の足まで切り落とすよう兵頭家の先祖に命じた男だ。
T藩は明治を迎えたときにその役目を終え、足切村も市町村合併によってその名が消えた。
それでもいまだに足切村が足切村であり続けるように、出井素雲の子孫と足切村はその関係を断ち切ることはできてはいなかったのだ。
「ラース様はアマテラスの化身、現人神を自称してるってさ。馬鹿馬鹿しいだろ?」
素雲教は、邪馬台国は伊勢にあったと主張しており、それを証明可能な古文書『異世文書(いせもんじょ)』を持っているという。
今は伊勢神宮がある場所には、かつて卑弥呼と壱与、ふたりの女王が住んでた屋敷があったとも主張しているらしい。
伊勢は元々は『異世』と書き、異世界、つまりは神の住まう高天原と繋がる土地でもあったという。
出井家は、邪馬台国の卑弥呼とその弟だった和多流(わたる)との間に生まれた子・壱与と、その兄・多卦留(たける)との間に生まれた子をルーツとしているという。
「日本神話のアマテラスの天岩戸の伝説は、卑弥呼と壱与の代替わりを元にしてるって説があるだろ?」
そういう説は確かに聞いたことがあった。
文字のなかった当時の日本が、邪馬台国の時代から口伝だけで古事記や日本書紀が編纂された時代まで、ふたりの女王の存在を伝承できるものなのか甚だ疑問ではあったが。
「だから、羅臼ユズリハはアマテラスの化身なんだね。ラース様はこの国の真の女王にでもなるつもりなのかな」
魏志倭人伝によれば、三國志の時代の日本は倭人の国と呼ばれており、多くの男王が統治していた小国が存在していたとされている。
2世紀後半に小国同士が抗争したために倭人の国は大いに乱れた。
そこで、男王ではなく女王として、「鬼道」に優れ、人々を惑わす力を持っていた卑弥呼を擁立した連合国家的組織をつくり安定したとある。
東国において、「鬼(き)」とは、死者の霊魂、霊的存在を意味する。「鬼道(きどう)」とは、倭国における自称ではなく、中国側からの呼称とも考えられている。
卑弥呼の「鬼道」については幾つかの解釈がある。
シャーマンであるという説。
後漢時代の初期道教と関係があるとする説。
神道であるとする説もある。
神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念であることから、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられているからだ。
シャーマニズム的な呪術という解釈以外にも、当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現していることから、呪術ではなく、単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈もある。
だが、卑弥呼の鬼道とはギフトのことだったのかもしれない。
彼女はシャーマンではなく、犠巫徒だったのかもしれない。
あぁ、そうか。卑弥呼と壱与は『神の目』を持つ『ラプラスの悪魔』だったのだ。ラース様にはその力がないために、姉の力を欲したのだ。
イルマはふとそう思った。
真っ赤な顔のままイルマを見上げた萌衣にそう問われると、彼はポケットの中の姉の左手の薬指を握った。
村戸家のリビングに現れた姉のエミリは、その両目が抉られていた。
その頭部はきれいな髪がバリカンか何かで刈られており、頭蓋骨は丁寧に切り取られ、中にあるはずの脳もなかった。まるで機械のような正確さで頭蓋骨は切り取られていた。
もちろん姉は完全に事切れていた。
「エミリちゃん……?」
その変わり果てた姿を見た萌衣は、ふらふらと倒れてしまった。イルマは慌てて彼女を受け止めた。
「そんな……俺はただ、エミリさんを悲しませたくなかっただけなのに……エミリさんがこんなことになってたなんて……」
恭介も呆然としていた。
本当に何も聞かされていなかったのだろう。
姉を悲しませたくなかっただけ。その言葉がすべてだった。萌衣にしてみたら何のことかすらわからないし、本来聞かせてはいけないものだった。萌衣は卒倒してくれていたほうがよかった。
おそらく鵜山京一郎ですら、拉致監禁したあとの姉がどういう目に遇うか知らなかっただろう。
イルマも姉は無事だと思い込んでいたが、よくよく考えてみれば、素雲教が欲しいのは『神の目』や『ラプラスの悪魔』としての姉なのだ。
肉体など必要なかったのかもしれない。
脳を取り出す前に、病や怪我を治す力を持つ姫織星彦という男のギフトで作り出したチョコレートを食べさせていれば、姉の若年性認知症も治っていただろう。
素雲教には、姉の『神の目』と脳さえあれば、『ラプラスの悪魔』として観測した結果をアウトプット可能な装置のようなものがあるのだ。
この事態を想定しておくべきだった。
姉の奥の手である左手の薬指は、ずっとイルマのポケットの中にあった。
姉が拉致されたと知ったときにさっさと握っておくべきだった。
だが、姉の死体を見ても、イルマは後悔はしても、萌衣や恭介のように動じることはなかった。
「恭介も萌衣さんも気にしなくていい。『姉さんのようなもの』は作れるから」
そんな風に淡々と言えてしまう自分がイルマは少し怖かった。
「イルマくん、『姉さんのようなもの』って何?」
「ぼくのギフトで、たぶん姉さんは蘇らせられるんだよ。鞍馬葉子が昔したのとはちょっと違うやり方だけどね」
たぶんとつけたのは、すでに萌衣で実験済みということを彼女に悟られないようにするためだった。
イルマは神になるつもりもなかったし、悪魔になるつもりもなかった。
「イルマ、お前、何言って……」
「萌衣さんや恭介が死んじゃったとしても、ぼくが蘇らせてあげるよ」
だが、『萌衣のようなもの』を一度作り出したことで、死者を再生することに対する「たが」のようなものが外れてしまったのかもしれなかった。
イルマの中で命の重さが軽くなってしまっていることは、彼が一番感じていた。
「恭介、お前は萌衣さんのことだけ心配しててくれ。あとはぼくと姉さんにまかせてくれ」
イルマはふたりに足切神社の社務所に避難するように言った。
「だが……」
「大丈夫だよ。あぁ、でも恭介が知ってる限りの情報を教えてほしいかな。素雲教の教祖、ラース様っていうのは誰のことかわかる?」
「素雲教?」
萌衣の記憶から素雲教についての記憶は消えていた。
「萌衣姉ちゃんには関係ないことだよ。親父からは羅臼ユズリハって人だって聞いてる」
やはりそうかと思った。K病院でイルマの担当看護師だったあの女だ。
「羅臼ユズリハはT藩の藩主だった出井素雲の子孫らしい。苗字は違うけどな」
出井素雲とは、江戸時代に自分が極楽浄土に行くためだけに罪人の斬首を足切りに変えるよう命じ、さらに労働力としてその手先を使うために足切村に罪人を集め、その子孫の足まで切り落とすよう兵頭家の先祖に命じた男だ。
T藩は明治を迎えたときにその役目を終え、足切村も市町村合併によってその名が消えた。
それでもいまだに足切村が足切村であり続けるように、出井素雲の子孫と足切村はその関係を断ち切ることはできてはいなかったのだ。
「ラース様はアマテラスの化身、現人神を自称してるってさ。馬鹿馬鹿しいだろ?」
素雲教は、邪馬台国は伊勢にあったと主張しており、それを証明可能な古文書『異世文書(いせもんじょ)』を持っているという。
今は伊勢神宮がある場所には、かつて卑弥呼と壱与、ふたりの女王が住んでた屋敷があったとも主張しているらしい。
伊勢は元々は『異世』と書き、異世界、つまりは神の住まう高天原と繋がる土地でもあったという。
出井家は、邪馬台国の卑弥呼とその弟だった和多流(わたる)との間に生まれた子・壱与と、その兄・多卦留(たける)との間に生まれた子をルーツとしているという。
「日本神話のアマテラスの天岩戸の伝説は、卑弥呼と壱与の代替わりを元にしてるって説があるだろ?」
そういう説は確かに聞いたことがあった。
文字のなかった当時の日本が、邪馬台国の時代から口伝だけで古事記や日本書紀が編纂された時代まで、ふたりの女王の存在を伝承できるものなのか甚だ疑問ではあったが。
「だから、羅臼ユズリハはアマテラスの化身なんだね。ラース様はこの国の真の女王にでもなるつもりなのかな」
魏志倭人伝によれば、三國志の時代の日本は倭人の国と呼ばれており、多くの男王が統治していた小国が存在していたとされている。
2世紀後半に小国同士が抗争したために倭人の国は大いに乱れた。
そこで、男王ではなく女王として、「鬼道」に優れ、人々を惑わす力を持っていた卑弥呼を擁立した連合国家的組織をつくり安定したとある。
東国において、「鬼(き)」とは、死者の霊魂、霊的存在を意味する。「鬼道(きどう)」とは、倭国における自称ではなく、中国側からの呼称とも考えられている。
卑弥呼の「鬼道」については幾つかの解釈がある。
シャーマンであるという説。
後漢時代の初期道教と関係があるとする説。
神道であるとする説もある。
神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念であることから、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられているからだ。
シャーマニズム的な呪術という解釈以外にも、当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現していることから、呪術ではなく、単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈もある。
だが、卑弥呼の鬼道とはギフトのことだったのかもしれない。
彼女はシャーマンではなく、犠巫徒だったのかもしれない。
あぁ、そうか。卑弥呼と壱与は『神の目』を持つ『ラプラスの悪魔』だったのだ。ラース様にはその力がないために、姉の力を欲したのだ。
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