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第9話:亡霊の教官(ゴースト・インストラクター)
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春休み明けのA学院大学。
再履修の登録に追われる逢魔と甲斐の前に、その男は現れた。
漆黒のサングラス、剃刀のように鋭い目付き。そして、使い古されたドライビンググローブを腰に下げた初老の男。
「レプリカント」の安倍薫を従え、悠然と学食のテラスを歩くその姿には、周囲の学生を沈黙させる圧倒的な「威圧(プレッシャー)」があった。
「……久しぶりだな、刻賀逢魔。……いや、『欠陥品の104番』と呼んだ方がいいか?」
男の声が、逢魔の背筋に氷を這わせた。
間違いない。浜松の合宿免許教習所で、逢魔の左足を「ゴミ」だと断じた教官――安倍右京だ。
「……なぜ、あなたがここに」
「薫から面白い話を聞いてな。……私が教習所で引導を渡したクズが、名古屋で『公道オートマ最速』などという、反吐が出るような妄想に浸っていると」
安倍は、テーブルの上に置かれたミライースのキーを、汚物でも払うかのように指で弾いた。
「いいか。車とは、人間がその四肢を駆使し、鉄の塊と対話してねじ伏せるものだ。……それを、機械任せのイージー操作で『速い』だと? ……それは速いのではない。ただ『運ばれている』だけだ」
「……違う。俺とミライースは、対話している!」
逢魔が立ち上がるが、安倍は冷笑を浮かべるだけだった。
「対話だと? 片腹痛い。……ならば見せてみろ。……今夜、戸越峠のダウンヒル。……お前が信じるその『電子の虚構』と、私が積み上げた『アナログの真理』……どちらが本物か、教習(レッスン)してやろう」
安倍が用意したのは、かつての愛車であり、現在は保存状態も完璧な日産・スカイラインGT-R(BNR32)。
電子制御を極力排し、ドライバーの技術がそのままタイムに直結する、マニュアル至上主義の権化だ。
「……。……逢魔、行っちゃダメ」
影から見ていたれいんが、小声で制止した。
「……今のミライースは、まだ再構築(リビルド)の途中。……アビス・シフトも、安定していない。……今戦えば、確実に『死ぬ(ブローする)』わ」
「……それでも、行かなきゃいけないんだ、れいん。あの日、俺を否定したあの男を越えなければ、俺は一生、本当の『深淵』には辿り着けない」
逢魔の瞳には、かつての弱々しい光はなかった。
深夜。霧の立ち込める戸越峠。
並んだのは、現代の最先端(リミッター解除)を往くミライースと、伝説の怪物R32。
「……さあ、始めようか。……特別補習だ、刻賀」
安倍のR32が、猛烈な排気音とともに弾け飛ぶ。
3速、4速とシフトアップするたびに、大気を引き裂くような加速。
逢魔は必死に食らいつくが、安倍のライン取りは「完璧」を通り越して「予知」に近い。
コーナー進入。
安倍は神業のようなヒール・アンド・トウを決め、車体を斜めに滑らせながらクリッピングポイントを通過していく。
「……嘘だろ。あんな動き、人間ができるのか!?」
後方で見守っていた甲斐が叫ぶ。
逢魔のミライースは、れいんが仕込んだ「アビス・シフト」の試作マップで、限界までプーリー比を固定している。
だが、安倍のR32は、逢魔がラインを塞ごうとする隙間に、針の穴を通すような正確さで鼻先をねじ込んでくる。
「……どうした、機械の奴隷! ラインが揺れているぞ!」
無線の向こうから、安倍の嘲笑が響く。
「……くっ、まだだ……! 俺には、変速の隙がない……! そこだけは、負けてないはずだ!」
最後の中速コーナー。
逢魔はブレーキを限界まで遅らせ、CVTを「最強」の比率に叩き込んだ。
だが、その瞬間。
『――警告。プーリー内圧異常。油温、限界突破。』
車内にれいんの警告音が響く。
ミライースのボンネットから、嫌な色の煙が立ち上った。
一瞬の失速。
そのわずかな「澱み」を、安倍のR32は見逃さなかった。
猛烈なシフトダウンの音とともに、R32がミライースのインを抉り、完全に置き去りにした。
安倍のテールランプが、霧の中に溶けていく。
「……これが現実だ。……二度と、公道を走るなどと思うな」
敗北。
それも、完膚なきまでの、精神的な死。
逢魔は、動かなくなったミライースのハンドルを握りしめ、ただ震えていた。
機械に頼った加速は、人の手で極められた技術の前に、あまりにも脆く、儚かった。
「……あ、ああ……っ」
静寂の峠に、逢魔の絶望が響き渡る。
だが、その時。
後ろから近づいてきた足音があった。
「……逢魔。……まだ、終わってない」
れいんが、震える逢魔の肩に手を置いた。
その瞳には、今までになかった「静かな怒り」が宿っていた。
「……アナログの真理なんて、ただの『過去のデータ』。……私は、絶対に認めない。……逢魔、今夜から……寝る間も、再履修の勉強の時間も、すべて捨てるわよ」
れいんが、一台のノートPCをミライースに繋ぐ。
「……アビス・シフト、真の完成型へ。……『亡霊』を葬るための、禁断のプログラムを……書き込むわ」
ミライースの沈黙は、次なる爆発のための序曲に過ぎなかった。
再履修の登録に追われる逢魔と甲斐の前に、その男は現れた。
漆黒のサングラス、剃刀のように鋭い目付き。そして、使い古されたドライビンググローブを腰に下げた初老の男。
「レプリカント」の安倍薫を従え、悠然と学食のテラスを歩くその姿には、周囲の学生を沈黙させる圧倒的な「威圧(プレッシャー)」があった。
「……久しぶりだな、刻賀逢魔。……いや、『欠陥品の104番』と呼んだ方がいいか?」
男の声が、逢魔の背筋に氷を這わせた。
間違いない。浜松の合宿免許教習所で、逢魔の左足を「ゴミ」だと断じた教官――安倍右京だ。
「……なぜ、あなたがここに」
「薫から面白い話を聞いてな。……私が教習所で引導を渡したクズが、名古屋で『公道オートマ最速』などという、反吐が出るような妄想に浸っていると」
安倍は、テーブルの上に置かれたミライースのキーを、汚物でも払うかのように指で弾いた。
「いいか。車とは、人間がその四肢を駆使し、鉄の塊と対話してねじ伏せるものだ。……それを、機械任せのイージー操作で『速い』だと? ……それは速いのではない。ただ『運ばれている』だけだ」
「……違う。俺とミライースは、対話している!」
逢魔が立ち上がるが、安倍は冷笑を浮かべるだけだった。
「対話だと? 片腹痛い。……ならば見せてみろ。……今夜、戸越峠のダウンヒル。……お前が信じるその『電子の虚構』と、私が積み上げた『アナログの真理』……どちらが本物か、教習(レッスン)してやろう」
安倍が用意したのは、かつての愛車であり、現在は保存状態も完璧な日産・スカイラインGT-R(BNR32)。
電子制御を極力排し、ドライバーの技術がそのままタイムに直結する、マニュアル至上主義の権化だ。
「……。……逢魔、行っちゃダメ」
影から見ていたれいんが、小声で制止した。
「……今のミライースは、まだ再構築(リビルド)の途中。……アビス・シフトも、安定していない。……今戦えば、確実に『死ぬ(ブローする)』わ」
「……それでも、行かなきゃいけないんだ、れいん。あの日、俺を否定したあの男を越えなければ、俺は一生、本当の『深淵』には辿り着けない」
逢魔の瞳には、かつての弱々しい光はなかった。
深夜。霧の立ち込める戸越峠。
並んだのは、現代の最先端(リミッター解除)を往くミライースと、伝説の怪物R32。
「……さあ、始めようか。……特別補習だ、刻賀」
安倍のR32が、猛烈な排気音とともに弾け飛ぶ。
3速、4速とシフトアップするたびに、大気を引き裂くような加速。
逢魔は必死に食らいつくが、安倍のライン取りは「完璧」を通り越して「予知」に近い。
コーナー進入。
安倍は神業のようなヒール・アンド・トウを決め、車体を斜めに滑らせながらクリッピングポイントを通過していく。
「……嘘だろ。あんな動き、人間ができるのか!?」
後方で見守っていた甲斐が叫ぶ。
逢魔のミライースは、れいんが仕込んだ「アビス・シフト」の試作マップで、限界までプーリー比を固定している。
だが、安倍のR32は、逢魔がラインを塞ごうとする隙間に、針の穴を通すような正確さで鼻先をねじ込んでくる。
「……どうした、機械の奴隷! ラインが揺れているぞ!」
無線の向こうから、安倍の嘲笑が響く。
「……くっ、まだだ……! 俺には、変速の隙がない……! そこだけは、負けてないはずだ!」
最後の中速コーナー。
逢魔はブレーキを限界まで遅らせ、CVTを「最強」の比率に叩き込んだ。
だが、その瞬間。
『――警告。プーリー内圧異常。油温、限界突破。』
車内にれいんの警告音が響く。
ミライースのボンネットから、嫌な色の煙が立ち上った。
一瞬の失速。
そのわずかな「澱み」を、安倍のR32は見逃さなかった。
猛烈なシフトダウンの音とともに、R32がミライースのインを抉り、完全に置き去りにした。
安倍のテールランプが、霧の中に溶けていく。
「……これが現実だ。……二度と、公道を走るなどと思うな」
敗北。
それも、完膚なきまでの、精神的な死。
逢魔は、動かなくなったミライースのハンドルを握りしめ、ただ震えていた。
機械に頼った加速は、人の手で極められた技術の前に、あまりにも脆く、儚かった。
「……あ、ああ……っ」
静寂の峠に、逢魔の絶望が響き渡る。
だが、その時。
後ろから近づいてきた足音があった。
「……逢魔。……まだ、終わってない」
れいんが、震える逢魔の肩に手を置いた。
その瞳には、今までになかった「静かな怒り」が宿っていた。
「……アナログの真理なんて、ただの『過去のデータ』。……私は、絶対に認めない。……逢魔、今夜から……寝る間も、再履修の勉強の時間も、すべて捨てるわよ」
れいんが、一台のノートPCをミライースに繋ぐ。
「……アビス・シフト、真の完成型へ。……『亡霊』を葬るための、禁断のプログラムを……書き込むわ」
ミライースの沈黙は、次なる爆発のための序曲に過ぎなかった。
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