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第8話:再履修の十字架
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春。
A学院大学のキャンパスは、新入生たちの希望に満ちた声で溢れていた。
だが、その華やかな喧騒から離れた地下の「備品倉庫」には、冬の終わりのような重苦しい空気が停滞していた。
「……終わった。俺の『憲法』と『統計学』が、春の塵となって消えた……」
甲斐尊が、机に突っ伏して呻いている。
その横で、逢魔もまた、真っ赤な文字で「不可」と刻まれた成績表を見つめ、石のように固まっていた。
東谷山での勝利。レプリカントとゲシュタルトを退けたあの夜の栄光は、今やたった数枚の紙切れによって、無慈悲な「留年の足音」へと書き換えられていた。
「……計算通りね。バトルの興奮(アドレナリン)は、記憶の定着を阻害する。……二人の脳は、試験内容よりも路面のμ(ミュー)を優先したわ」
れいんが、無機質な声で告げる。彼女の周りには、もはや戦場を終えた後の残骸のように、分解されたミライースのCVTユニットが転がっていた。
「……それより、逢魔。見て」
れいんが指し示したのは、プーリーの表面に刻まれた、深い傷跡だった。
「……寿命を削った代償。……ベルトが滑り、金属が摩耗している。……この子はもう、普通に走ることもままならない。……死を待つだけの機械人形」
「……そんな。俺を、あんなに速く走らせてくれたのに……」
逢魔が震える手で、傷ついた金属パーツに触れる。
自分の単位と、相棒の命。その両方を失い、彼は深い喪失感に包まれた。
「……ふん、情けない顔をするんじゃないよ。これだから素人は」
不意に、派手なブランド物のヒールを鳴らして、ロリコが現れた。
彼女の手には、分厚い札束が握られている。
「……ほら、これ。おじ……いえ、私の『熱心なサポーター』から調達してきた支援金。……これで最高級のCVTフルードと、強化強化ベルトを買いなさい。……ただし、利息は高いわよ?」
「……ロリコ」
「勘違いしないでよね。あなたが走らなくなったら、私の賭け(パパ活のネタ)が成立しなくなるんだから」
ロリコが冷たく言い放つ。だが、その瞳の奥には、自分と同じように「真っ当な人生」をドロップアウトした者への、奇妙な仲間意識が宿っているようにも見えた。
「……よし、資金は確保した。……逢魔、甲斐。……次は、修理(リペア)じゃない。……再構築(リビルド)よ」
れいんが、新しい設計図をモニターに映し出した。
「……マニュアル車には真似できない、オートマだけの『第2形態』。……油圧制御を電子制御から完全に独立させ、ドライバーの意思をダイレクトにプーリーへ伝える……。……名付けて、『深淵の自動変速(アビス・シフト)』」
「……アビス・シフト……」
逢魔はその言葉を反芻した。
単位を落とし、親からも見放されかけ、もはや後に引けない。
ならば、この「深淵」の底まで突き進むしかない。
「……やる。れいん、俺のミライースを……もう一度、牙を持つ狼に変えてくれ」
その時だった。
地下室の重い扉が開き、夜行百鬼が静かに入ってきた。
「……良い覚悟だ、逢魔。……だが、その前に一つ、君たちに伝えておかねばならないことがある」
百鬼の表情は、いつになく険しかった。
「……『レプリカント』の安倍と、『ゲシュタルト』の瀬戸。……彼らは東谷山の敗北を認めていない。……それどころか、彼らは手を組み、ある人物を名古屋に呼び寄せた」
「……ある人物?」
「……『亡霊』だよ。……かつてこの名古屋で、マニュアル車こそが神だと信じ、オートマをゴミのように扱った伝説の走り屋……。……名を、安倍右京(あべ うきょう)という」
百鬼の言葉に、逢魔は地下室の温度が数度下がったような気がした。
「……彼は今、浜松の自動車学校で教官をしているという噂だが……」
「……ッ!! まさかっ!?」
逢魔の脳裏に、あの雨の日の教習所の記憶が蘇る。
「あの男の……名前は確か……」
「君に運転の才能はない」と切り捨てた、冷酷な瞳。
そうだ、確か安倍という名前だった。
「『レプリカント』の安倍 薫の叔父であり、逢魔……君を、免許合宿で突き放した男だよ」
逢魔は百鬼がなぜそんなことまで知っているのか不思議に思った。ロリコの情報網か、あるいは、れいんのネットを使った情報収集だろうか。
だが、そんなことはどうでもいいことだった。
「……亡霊の教官が、公道に戻ってくる。……君たちの『オートマタ』を、根底から否定するために」
春の風が、地下室の隙間から冷たく吹き込んできた。
新たな戦いの予感。
それは、過去の自分という「最大の敵」との対峙でもあった。
A学院大学のキャンパスは、新入生たちの希望に満ちた声で溢れていた。
だが、その華やかな喧騒から離れた地下の「備品倉庫」には、冬の終わりのような重苦しい空気が停滞していた。
「……終わった。俺の『憲法』と『統計学』が、春の塵となって消えた……」
甲斐尊が、机に突っ伏して呻いている。
その横で、逢魔もまた、真っ赤な文字で「不可」と刻まれた成績表を見つめ、石のように固まっていた。
東谷山での勝利。レプリカントとゲシュタルトを退けたあの夜の栄光は、今やたった数枚の紙切れによって、無慈悲な「留年の足音」へと書き換えられていた。
「……計算通りね。バトルの興奮(アドレナリン)は、記憶の定着を阻害する。……二人の脳は、試験内容よりも路面のμ(ミュー)を優先したわ」
れいんが、無機質な声で告げる。彼女の周りには、もはや戦場を終えた後の残骸のように、分解されたミライースのCVTユニットが転がっていた。
「……それより、逢魔。見て」
れいんが指し示したのは、プーリーの表面に刻まれた、深い傷跡だった。
「……寿命を削った代償。……ベルトが滑り、金属が摩耗している。……この子はもう、普通に走ることもままならない。……死を待つだけの機械人形」
「……そんな。俺を、あんなに速く走らせてくれたのに……」
逢魔が震える手で、傷ついた金属パーツに触れる。
自分の単位と、相棒の命。その両方を失い、彼は深い喪失感に包まれた。
「……ふん、情けない顔をするんじゃないよ。これだから素人は」
不意に、派手なブランド物のヒールを鳴らして、ロリコが現れた。
彼女の手には、分厚い札束が握られている。
「……ほら、これ。おじ……いえ、私の『熱心なサポーター』から調達してきた支援金。……これで最高級のCVTフルードと、強化強化ベルトを買いなさい。……ただし、利息は高いわよ?」
「……ロリコ」
「勘違いしないでよね。あなたが走らなくなったら、私の賭け(パパ活のネタ)が成立しなくなるんだから」
ロリコが冷たく言い放つ。だが、その瞳の奥には、自分と同じように「真っ当な人生」をドロップアウトした者への、奇妙な仲間意識が宿っているようにも見えた。
「……よし、資金は確保した。……逢魔、甲斐。……次は、修理(リペア)じゃない。……再構築(リビルド)よ」
れいんが、新しい設計図をモニターに映し出した。
「……マニュアル車には真似できない、オートマだけの『第2形態』。……油圧制御を電子制御から完全に独立させ、ドライバーの意思をダイレクトにプーリーへ伝える……。……名付けて、『深淵の自動変速(アビス・シフト)』」
「……アビス・シフト……」
逢魔はその言葉を反芻した。
単位を落とし、親からも見放されかけ、もはや後に引けない。
ならば、この「深淵」の底まで突き進むしかない。
「……やる。れいん、俺のミライースを……もう一度、牙を持つ狼に変えてくれ」
その時だった。
地下室の重い扉が開き、夜行百鬼が静かに入ってきた。
「……良い覚悟だ、逢魔。……だが、その前に一つ、君たちに伝えておかねばならないことがある」
百鬼の表情は、いつになく険しかった。
「……『レプリカント』の安倍と、『ゲシュタルト』の瀬戸。……彼らは東谷山の敗北を認めていない。……それどころか、彼らは手を組み、ある人物を名古屋に呼び寄せた」
「……ある人物?」
「……『亡霊』だよ。……かつてこの名古屋で、マニュアル車こそが神だと信じ、オートマをゴミのように扱った伝説の走り屋……。……名を、安倍右京(あべ うきょう)という」
百鬼の言葉に、逢魔は地下室の温度が数度下がったような気がした。
「……彼は今、浜松の自動車学校で教官をしているという噂だが……」
「……ッ!! まさかっ!?」
逢魔の脳裏に、あの雨の日の教習所の記憶が蘇る。
「あの男の……名前は確か……」
「君に運転の才能はない」と切り捨てた、冷酷な瞳。
そうだ、確か安倍という名前だった。
「『レプリカント』の安倍 薫の叔父であり、逢魔……君を、免許合宿で突き放した男だよ」
逢魔は百鬼がなぜそんなことまで知っているのか不思議に思った。ロリコの情報網か、あるいは、れいんのネットを使った情報収集だろうか。
だが、そんなことはどうでもいいことだった。
「……亡霊の教官が、公道に戻ってくる。……君たちの『オートマタ』を、根底から否定するために」
春の風が、地下室の隙間から冷たく吹き込んできた。
新たな戦いの予感。
それは、過去の自分という「最大の敵」との対峙でもあった。
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