ひとりの少女を守るために70億の命を犠牲になんてできないから、ひとりの少女を犠牲にしてみた結果、事態がさらに悪化した件。

あめの みかな

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第1章 第1話

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 数年が過ぎ、少年は成人し18歳になっていた。

 成人こそしたものの、青年と呼ぶにはまだ少年の顔には幼さが残っていた。
 まるで時間が止まってしまったかのように、身長も当時の164センチのままで、これ以上伸びる気配はない。
 学生服を着ていなくても、中学生にしか見えなかった。

 朝起きて、顔を洗い、歯を磨く。
 そのときに必ず、鏡に写る自分を見ることになる。
 自分はあの頃のまま変わっていないのに、なぜ少女は自分のそばにいないのか。
 ふと、そんなことを考えてしまう。

 そして、すぐに気づく。
 自分がこの手で首を絞めたのだ、と。

 途端に胃液が逆流し、吐瀉物で洗面台を汚してしまう。
 そんな朝を、少年は1000日以上繰り返していた。

 少年はこの数年間を、少女を手にかけた雨野市で過ごした。
 かつては違う名前で呼ばれていたが、少女が死んだその日から一年中雨が降り続けるようになり、いつしかそう呼ばれるようになっていた。

 汚してしまった洗面台を掃除し、少年がリビングに向かうと、

「おはよう。今日も雨だね」

 窓の外を眺めながら、長身の青年が少年に言った。

 長い前髪でいつも顔が隠れ、その表情を伺い知ることはできなかったが、その声は優しく、だがどこか悲しそうだった。
 青年の名は、雨野タカミという。
 少年が手にかけた少女の、血の繋がらない兄だった。
 雨野市の由来は、一年中雨が降り続けるだけではなく、少女の苗字でもあった。

 彼が着用するオーバーサイズのシャツジャケットとワイドパンツのセットアップは、彼のお気に入りだ。
 背が高く華奢な体の彼にはよく似合っていた。
 クローゼットの中には何色も色違いのものがあり、少年も同じものを借りてはたまに着ていた。

 はじめは少女からの誕生日プレゼントだったらしい。
 それを気に入った彼が、ネット通販で色ちがいのものをすべて揃えた時、少女は呆れ返ったそうだ。

 数年前まで大量生産されていたものだが、今ではもう正規なルートでは販売も生産もされていない、入手困難な災厄前の時代の遺物だった。
 都市部にあるという闇市でなら、もしかしたら手に入るかもしれない。
 だが、雨野市から都市部に出るには半日はかかる。
 自動車に必要なガソリンはもう手に入らないからだ。国内すべての発電所が停止したため、電気自動車の充電もままならない。当然、公共交通機関も動いていなかった。

 マンションの屋上や壁面に設置されたソーラーパネルが生活に必要な最低限の電力は確保してくれていたし、水も降り続ける雨をろ過して使用できているが、少年が生まれ育った家に今も住んでいたなら、電気にも水にも困っていたことだろう。
 そんな戦時中や戦後間もない時代よりはるかにひどい暮らしを送る人々が、この国の9割以上を占めており、少年の環境は非常に恵まれていた。

 タカミといっしょに窓の外を眺める気にはならず、少年はソファーに腰を下ろすことにした。
 雨が降り続ける街には、食糧を求め暴徒化した人々が今日も暴れまわっているのだろう。
 スーパーやコンビニなどには、もうとっくに食糧はない。
 暴徒が狙っているのは、同じ人間だ。殺して、喰らうのだ。

 災厄が訪れる前は、さまざまな企業がいつか訪れるだろう食糧危機に備え昆虫を素材とした食品を作っては売り出していたが、当時散々嫌悪されたそれらももはや手に入らない。
店頭からはあっという間に消え、加工する工場はもはや動いておらず、昆虫を食するには自分で捕まえて調理をするしかない。
 だが、昆虫で腹を満たすには、相当な労力が必要だ。
 人をひとり殺す方が食材の確保としてははるかに効率的であり、カニバリズムはもはや現代人にとって生きるために必要な行為になっていた。

 暴徒の中で、最も危険なのは暴力団でも半グレ集団でもなかった。彼らは拳銃や日本刀をはじめ、さまざまな武器を持ってはいるが、所詮は戦闘訓練を受けていない素人の集まりだからだ。
 最も恐ろしいのは、元警察官や元自衛隊員といった所謂プロの連中だった。

 法律など、とうに機能していない。
 皆、自分が生きることだけを考えていた。
 たった数年で70億いた人口は半分にまで減ってしまった。

 世界は本当に変わってしまった。

 ほんの数年前まで、引きこもりは社会問題とされていた。
 しかし、今では家の外に一歩出れば疫病に感染し、隣人に命を狙われる。
 何が正しくて何がいけないことなのか、そんなことは簡単に覆ってしまう。

 それが少年が嫌悪する世界というものだった。


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