上 下
61 / 123

第7章 第6話

しおりを挟む
 遣田ハオトはまだ生きている。

 朝倉レインは、雨野タカミと大和ショウゴからそう聞かされた。

 アンナを殺し、一条というふたりの知り合いの元刑事の身体を奪い、アンナと自分を迎えに来た教団のヘリを奪った男の名だ。

 遣田は、10万年前に異世界から転移してきたアリステラ王国の英雄の弟子のひとりだと聞いた。

 レインの父は生前、この世界や人類を創造した劣悪で傲慢な神とは異なり、正しき千の宇宙を創造した至高神が存在すると主張していた。
 自らをその至高神の化身だとも自称した。
 幼い頃はそんな父の言葉を信じていたこともあった。
 だが、彼女が7歳のときに父が逮捕され、14歳のときに裁判で死刑判決を受けたとき、父はそんな存在ではなかったのだと気づいた。

 レインは父を心から嫌悪していた。

 父もまた遣田に操られていただけであり、テロや教団内でのリンチ殺人、信者の自殺などについて、冤罪であったことを知らされても尚、父が数十人の女性信者とイニシエーション=儀式の名の元に性行為を行い、子どもを孕ませ産ませていたこと、そんな風にして自分や異母姉であるアンナが産まれたという事実は変わらない。
 娘として、女として、父への嫌悪は変わらなかった。

 だからレインはこの世界以外に別の宇宙など存在するはずがないと思っていた。
 父の言葉には、父が信者たちに信じさせたい真実はあっても、事実は何一つ存在しないと。

 だがどうやら別の宇宙、異世界というものは存在するようだった。
 その点についてだけは父は正しかったのだと思った。

 遣田は元々はネアンデルタール人をはじめとする、ホモサピエンスに滅ぼされた人類の別の可能性のひとつの生き残りだったという。
「野蛮なホモサピエンス」とアリステラの女王が呼ぶ人類の祖先によって、ネアンデルタール人らの殺戮が行われていた10万年前、異世界から転移してきたアリステラは人類の襲撃を受けたことをきっかけに、ネアンデルタール人らを仲間に引き入れ、彼らにエーテルという万能物質の扱い方を教えた。
 遣田は、その生き残りであり、それゆえに他者の肉体への憑依能力を持ち、アリステラの滅亡後も10万年もの間、憑依を繰り返して生き延びてきたのだと。
 タカミの調べでは、警視庁公安部に所属していたこともあり、身体を奪われた一条の元部下であったこともあるのだという。

 アリステラに属していた過去はあるが、その目的は新生アリステラとは異なり、新生アリステラもこの世界も滅ぼして、自分だけの王国を作ろうとしているらしい。

 到底信じられる話ではなかったが、監視カメラの映像を見せてもらうと信じるしかなくなってしまった。

 遣田なら、それが可能だった。
 アリステラ人の末裔や女王の身体に憑依し、同士討ちを行わせることが可能だった。憑依した肉体が使い物にならなくなれば、新たな肉体に憑依するだけだ。
 憑依した肉体を自害させ、死の間際に別の肉体への憑依を繰り返していくだけでも、時間はかかるが新生アリステラも、残された30億あまりの人類も、彼ひとりで滅ぼすことが可能だった。

 人類を疫病や天変地異によって滅ぼそうとする新生アリステラに対し、現状それに対抗する手段を持たないない人類は、滅亡するのを指をくわえて待つことしかできない。
 唯一の希望は、アリステラの女王がショウゴの恋人であった雨野ユワであるかもしれないということだけだった。

 彼女が本当にユワという女性であれば、タカミやショウゴの説得に応じてくれるかもしれない。あらゆる災厄を止めてくれるかもしれない。
 人類はもはや、そんな奇跡が重なり合わなければ滅亡を免れることはできない。

 だからタカミやショウゴは新生アリステラがある中東の小国ヤルダバの首都アルコンに向かおうとしていたが、飛行機やヘリコプターなどの移動手段を未だに手に入れられずにいた。
 レインとアンナを迎えにやってきていた教団のヘリは遣田に奪われてしまっていたし、雨野市周辺のプライベートジェット機を持つ企業や個人は全滅だったそうだ。

 新生アリステラも人類もひとりで滅ぼせるだけの力を持つ遣田がヤルダバにたどり着いてしまったら、すぐに殺戮が始まってしまうだろう。
 血塗られた歴史でしかなかったかもしれないが、有史以前から20万年続いてきた人類の歴史は、何もかもが無に帰すことになってしまう。

 遣田にヘリを奪われてから、すでに7日が過ぎていた。
 彼は数日前にはヤルダバに着いていており、すでに殺戮が始まっている違いないと思われた。
 だが、タカミが入手した気象衛星の映像から、どうやらまだヤルダバには到着できていないことがわかった。

 ヤルダバ周辺には、数日前から観測史上最大規模の台風が存在し、首都アルコンは台風の目の中にあった。

 台風は移動することなく日に日にその勢力を拡大しており、中東全域だけでなく、ヨーロッパやロシア、中国、アフリカ大陸の一部までが、今はその台風の中にあった。

 新生アリステラはその災厄を操る力によって遣田を拒んでいた。

 それは同時に人類の軍事兵器への対策でもあり、遣田だけではなくタカミやショウゴもまた拒まれているということを意味していた。

 人類が生き残れるかどうかは、遣田ハオトとは別の方法で新生アリステラにたどり着く必要があった。

 そして、その方法をタカミは思い付いてくれていた。

 すべてはレインに託されていた。
しおりを挟む

処理中です...