その殺人鬼、『星喰いの凶星(ステラ・ディヴォアラー)』につき。

あめの みかな

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第五話『死神の調合』

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​ 深夜の科学捜査研究所。
 最新の分析機器が並ぶ静寂な実験室で、布津 誠一(ふつ せいいち)は一人、ピペットを握っていた。
 遠心分離機が低い唸りを上げ、試験管の中では毒々しいほどに澄んだ液体が、層を成して分離していく。

​「……ふむ。揮発速度、浸透率。どちらも計算通りだ」

​ 布津は、無機質な眼鏡の奥で、その鋭い瞳を細めた。
 彼は鑑定のプロだ。世の中のあらゆる毒、あらゆる犯行の痕跡を「無効化」する方法を誰よりも知っている。だからこそ、彼は「絶対に検出されない死」を造り出すことができる。

​ 彼にとって、この実験室は神聖なる鍛冶場だった。
 かつて日本神話における神フツヌシが邪神を斬るための剣を鍛えたように、彼は今、警察という腐った巨人を切り裂くための「見えない刃」を精製している。

​「お待たせ。武御(たけみ)くん。……いや、今は『雷(らい)』と呼ぶべきかな?」

​ 影の中から現れた武御 雷に、布津は一滴の液体が封じられたアンプルを差し出した。

「まさか、あんたが天城と繋がっていたなんてな。大河内や佐伯を殺す際に使った『極めて揮発性の高い毒素』や『特殊な液体窒素の圧力容器』は、あんたが作ってたんだろ?」

「無名毒《アノニマ》と白棺《アルベド》のことか」

「アノニマ? アルベド?」

 雷はその名を初めて知った。

「アノニマは、君の言う『極めて揮発性の高い毒素』のことだ。Anonymous(無名)を由来としている。成分も履歴も残らず、死因すら『不明』になる毒だよ。名前を持たないこと自体がこの毒の本質なんだ。そして、アルベドは、錬金術用語であるAlbedo(白化)を由来とする。極低温で対象を死に至るまで純化する白い棺。科学的でありながら、どこか儀式的だろう?」

 これが「科捜研の漢(おとこ)」と呼ばれる布津 誠一という男の正体か。雷はひどく落胆した。彼は捜査一課の刑事たちを差し置いて難事件を何度も解決に導いたという伝説の科捜研所員だったからだ。

​「ふむ。君の趣味ではなかったか。まぁいい。今回の標的、氷室(ひむろ)女史は大層潔癖症だそうだね。……この薬品を、彼女がお気に入りのアロマディフューザーに混ぜるといい。特定の除菌剤と反応した瞬間、それは神経を直接麻痺させる無臭のガスに変わる」

 その毒は「サニタス」というらしい。ラテン語で「健康・清潔」という意味だという。
 守るはずの清潔が、命を奪う。
 もっとも正しい言葉が、もっとも“間違った”結果を生む毒ということなのだろう。

「皮肉だがね。彼女はサニタスで死ぬ。清潔の名の下に……彼女は自分が呼吸を止めたことさえ気づかずに、清潔な部屋の中で窒息するだろう」

​ 布津の言葉は、まるで数式を解くように淡々としていた。
 雷は、その冷たいアンプルを受け取る。布津の手は、驚くほど乾燥していて、生きている人間の温もりが希薄だった。

​「……布津さん。あんたは、怖くないのか。自分の知識で、人がモノに変わっていくのが」

​「怖い? まさか。……私はただ、不純物を取り除いているだけだよ。この組織にこびりついた、落ちない汚れをね。……さあ、行きなさい。君の『剣』は、私が研いでおいたよ」

​ 布津は再び、顕微鏡の世界へと没頭していった。
 その後ろ姿は、まるで自らも無機質な実験器具の一部になってしまったかのように、冷徹で、そして美しかった。


 生活安全課の「マザー・テレサ」――氷室(ひむろ)の自宅マンションは、主の気質を反映して、病的なまでに白く、清潔だった。
 未成年保護を掲げながら、その裏では少女たちの名簿を「商品」として闇ルートへ流し、彼女たちの絶望を金に変える。その指先には、常に高級な消毒液の香りが漂っている。

 武御 雷は、布津から預かったアンプルをポケットに入れ、深夜の廊下を音もなく進んでいた。
 このマンションのセキュリティは鉄壁だが、織葉 紬(おりは つむぎ)の指先にかかれば、電子ロックはただの「開いた扉」に過ぎない。
 だが、いくら優秀なハッカーとはいえ、ハッキングは魔法ではない。本来そこまでの力はないはずだった。まるで彼女は世界そのものをハッキングしているかのようだった。

「――お疲れ、雷さん。今、マンション全体の監視カメラを5分間だけループ再生に書き換えたよ。安心して『お掃除』してきなよ」

 耳元の超小型通信機から、紬の軽薄な声が届く。
 雷は「わかった」とだけ返事をすると、氷室の寝室へと侵入した。

 微かに聞こえる寝息。そして、枕元で青白く光る高級なアロマディフューザー。

 氷室は重度の潔癖症だ。
 空気が「汚れる」ことを極端に嫌い、寝ている間も空気清浄機とディフューザーをフル稼働させている。雷は布津の指示通り、ディフューザーのタンクへ、あのアンプルの中身ーーサニタスを静かに流し込んだ。

 無臭の液体が、超音波によって微細なミストへと変わる。
 それは部屋を漂う強力な「除菌用薬剤」の粒子と、空中で静かに結合を始めた。

「……っ……」

 眠っていた氷室が、微かに身じろぎをした。
 彼女の肺に、見えない死神が入り込む。
 布津が調合したガスは、肺の受容体を麻痺させ、「息苦しさ」という警告音すら脳に伝えない。

 雷は、暗闇の中でじっとその光景を見つめていた。

 氷室の顔から少しずつ生気が失われ、陶器のような白さが、死人の蒼白へと変わっていく。
 少女たちを売り飛ばし、その金で築き上げたこの「清潔な城」で、彼女は最も皮肉な形で、自らの執着に殺されていくのだ。

「……任務、完了だ」

 雷はアンプルを回収し、音もなく部屋を後にした。

 背後でディフューザーが奏でる「プシュッ」という規則正しい音が、まるで死を祝う拍手のように聞こえた。

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