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アメノホヒ編
第七話『偽りの父』
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警察庁長官表彰の式典を翌週に控え、警視正・国木田の執務室は、厳かな静寂に包まれていた。
壁に掲げられた「正義」の額。その下で、国木田は穏やかな微笑みを浮かべ、かつての教え子である武御 雷(たけみ らい)を見つめていた。
「武御、最近の君の活躍は耳に入っているよ。……佐伯や氷室のことは残念だったが、君のような若い力が、今の警察には必要なんだ」
国木田のその温かな声。かつての雷なら、その言葉に涙が出るほど救われただろう。だが、今の雷の耳には、それが腐敗した肉から漏れ出す、不快なガスのようにしか聞こえなかった。
この男が……天城星哉の家族を殺した……。
天城に見せられた証拠。そして、紬(つむぎ)が暴き出した、過去の揉み消し工作の隠しログ。国木田が築き上げた輝かしい功績の裏には、文字通り死体の山が築かれていたのだ。
「……ありがとうございます。国木田先生。……あなたに教わった『正義』、今も忘れていません」
雷は、自分でも驚くほど冷徹な声で答えた。
そのポケットには、布津(ふつ)が数日かけて精製した、極めて特殊な「毒薬」が忍ばされている。
それは、飲ませる必要も、嗅がせる必要もない。
ただ、皮膚の一部に触れるだけで浸透し、数時間後に、心臓を動かす電気信号だけを「消去」する、科学の粋を尽くした『沈黙の刃』だった。
ーーシレンティウム。ラテン語で「沈黙」を意味する名前だ。痛みも、抵抗もなく、心臓も壊れない。ただ、もう何も語らなくなる。心臓の会話だけが止まるんだ。異名は、そうだな、「沈黙の刃」といったところかな。
布津はその毒にそう名付けていた。
「先生。式典の前に……これを。あなたの大好きな、故郷の銘茶です」
雷は、丁寧に淹れた茶器を国木田の前に置いた。
茶筒の縁に、極薄の膜として塗布された布津の毒。国木田が自らの手で茶を淹れようと、その蓋に触れた瞬間、執行のカウントダウンは始まる。
「ああ、すまないね。……君のような教え子を持てて、私は幸せだよ」
国木田が、何のためらいもなく茶筒に手を伸ばした。
指先が、死の膜に触れる。
雷はその光景を、瞬きもせずに見つめていた。
彼の脳内では、通信機越しの紬が「ターゲット、接触(タッチ)完了。……ねえ雷さん、今、どんな気分? 父親殺しの気分は?」と、残酷な囃子を歌っていた。
「……先生。……さようなら」
雷は、深く、深く一礼した。
それが、一人の刑事として最後の挨拶であり、一人の殺人者としての最初の「宣戦布告」でもあった。
雷は茶器を置き、そっと国木田の手元へ茶筒を差し出そうとした。指先は微かに震え、布津が研ぎ澄ませた『沈黙の刃』が、国木田の肌を切り裂くその瞬間を待っていた。
だが、国木田の手が茶筒に触れる寸前。
彼は動かなかった。ただ、慈愛に満ちた、しかし全てを射抜くような瞳で雷を見つめた。
「……武御。君は、自分の淹れた茶に、毒が入っていないか確認したか?」
雷の心臓が、一瞬で凍りついた。
「な……何を、仰っているんですか」
「大河内、佐伯、氷室……あとの者たちはだれだったかな……まぁ、いい。彼らは死ぬべき人間だった。警察官になるべきではなかった。だが、君という『剣』を振るったのは……天城星哉(あまぎ せいや)だな?」
国木田の口から出たその名に、雷は息をすることさえ忘れた。
次の瞬間、執務室の隠し扉から、三人の男女が音もなく姿を現した。
「……遅かったな、タケミカヅチ。いや、武御だったか」
中央に立つ、線の細い美貌の男。捜査一課のエリート、若井照彦(わかい てるひこ)だった。
「タケミカヅチ? お前は何を言ってるんだ?」
タケミカヅチとは、日本神話に登場する剣と雷の神のことだ。武勇・勝利・雷の神として知られる。イザナギが火神カグツチを斬った際に剣の血から生まれた神であり、国譲りや神武東征で活躍し、地震を鎮める神でもある。
「そうか、お前はまだ知らなかったか」
「なんの話だ?」
「気にするな」
若井はそれ以上話す気はないようだった。
そして、彼の両脇には、署内でも拳銃の名手として名が知られる双子の姉妹ーー雉名麻迦(きぎし まか)と雉名羽矢(きぎし はや)がいた。
その表情は冷徹な射手そのものであり、ふたりは拳銃を構えたまま若井と国木田の前に立つと、雷の急所を正確に捉える位置で立ち塞がった。
「彼らは私の忠実な部下でね。若井くんの魂はアメノワカヒコという神なんだよ。武御、君の魂がタケミカヅチであるようにだ」
国木田までがおかしなことを言い始め、雷は困惑した。神などいるわけがない。魂など存在しない。死後の世界も輪廻転生もない。死の先にあるのは無。それが彼の持論であったからだ。
「天若日子(アメノワカヒコ)は、日本神話の国譲り神話に登場する神だ。高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)平定のため遣わされるたが、大国主(オオクニヌシ)の娘・下照姫(したてるひめ)と結婚して出雲に留まり、使者として来た雉(きじ)を射殺し、その返り矢で自身も死んだ美男子の神。その神名には『天上の若い男』という意味があり、後に『宇津保物語』などで天人の通称としても使われている」
国木田はまるで授業をするかのように雷にそう話すと、
「高天原の神々に従わなかったために死んだアメノワカヒコと、従ったが葦原中国平定をアマツミカボシに阻まれたタケミカヅチがここにいる。面白い構図だとは思わんか?」
下卑た笑いを浮かべた。
「そして、彼女たちは『弓』と『矢』だ。天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之羽々矢(あめのははや)というな……」
国木田は、今度は雉名麻迦と雉名羽矢姉妹を、雷に紹介するように言う。
その弓矢は、アメノワカヒコが神命を帯びて地へ降りた際に持っていたものだという。 使いの雉を射た矢は返り矢となって主に返り、命を奪ったと国木田がつい先程説明した弓矢のことだった。
「天城が北斗七星にまつわる名を持つ7人の女たちを殺し、君を招き入れたことも……そして、君の背後にいる科捜研の裏切り者や、あの小娘の存在も。…私はすべてを知っている」
国木田はゆっくりと立ち上がった。
目の前にいる男がただの人間ではないことを、雷の中にいるといるタケミカヅチの魂が彼に教えた。
「あんたはアメノホヒの化身ということか……」
天菩比命(アメノホヒ)。
天照大御神の命を受けて出雲へ行き、そのまま帰順してしまった謎多き神の名だった。
壁に掲げられた「正義」の額。その下で、国木田は穏やかな微笑みを浮かべ、かつての教え子である武御 雷(たけみ らい)を見つめていた。
「武御、最近の君の活躍は耳に入っているよ。……佐伯や氷室のことは残念だったが、君のような若い力が、今の警察には必要なんだ」
国木田のその温かな声。かつての雷なら、その言葉に涙が出るほど救われただろう。だが、今の雷の耳には、それが腐敗した肉から漏れ出す、不快なガスのようにしか聞こえなかった。
この男が……天城星哉の家族を殺した……。
天城に見せられた証拠。そして、紬(つむぎ)が暴き出した、過去の揉み消し工作の隠しログ。国木田が築き上げた輝かしい功績の裏には、文字通り死体の山が築かれていたのだ。
「……ありがとうございます。国木田先生。……あなたに教わった『正義』、今も忘れていません」
雷は、自分でも驚くほど冷徹な声で答えた。
そのポケットには、布津(ふつ)が数日かけて精製した、極めて特殊な「毒薬」が忍ばされている。
それは、飲ませる必要も、嗅がせる必要もない。
ただ、皮膚の一部に触れるだけで浸透し、数時間後に、心臓を動かす電気信号だけを「消去」する、科学の粋を尽くした『沈黙の刃』だった。
ーーシレンティウム。ラテン語で「沈黙」を意味する名前だ。痛みも、抵抗もなく、心臓も壊れない。ただ、もう何も語らなくなる。心臓の会話だけが止まるんだ。異名は、そうだな、「沈黙の刃」といったところかな。
布津はその毒にそう名付けていた。
「先生。式典の前に……これを。あなたの大好きな、故郷の銘茶です」
雷は、丁寧に淹れた茶器を国木田の前に置いた。
茶筒の縁に、極薄の膜として塗布された布津の毒。国木田が自らの手で茶を淹れようと、その蓋に触れた瞬間、執行のカウントダウンは始まる。
「ああ、すまないね。……君のような教え子を持てて、私は幸せだよ」
国木田が、何のためらいもなく茶筒に手を伸ばした。
指先が、死の膜に触れる。
雷はその光景を、瞬きもせずに見つめていた。
彼の脳内では、通信機越しの紬が「ターゲット、接触(タッチ)完了。……ねえ雷さん、今、どんな気分? 父親殺しの気分は?」と、残酷な囃子を歌っていた。
「……先生。……さようなら」
雷は、深く、深く一礼した。
それが、一人の刑事として最後の挨拶であり、一人の殺人者としての最初の「宣戦布告」でもあった。
雷は茶器を置き、そっと国木田の手元へ茶筒を差し出そうとした。指先は微かに震え、布津が研ぎ澄ませた『沈黙の刃』が、国木田の肌を切り裂くその瞬間を待っていた。
だが、国木田の手が茶筒に触れる寸前。
彼は動かなかった。ただ、慈愛に満ちた、しかし全てを射抜くような瞳で雷を見つめた。
「……武御。君は、自分の淹れた茶に、毒が入っていないか確認したか?」
雷の心臓が、一瞬で凍りついた。
「な……何を、仰っているんですか」
「大河内、佐伯、氷室……あとの者たちはだれだったかな……まぁ、いい。彼らは死ぬべき人間だった。警察官になるべきではなかった。だが、君という『剣』を振るったのは……天城星哉(あまぎ せいや)だな?」
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次の瞬間、執務室の隠し扉から、三人の男女が音もなく姿を現した。
「……遅かったな、タケミカヅチ。いや、武御だったか」
中央に立つ、線の細い美貌の男。捜査一課のエリート、若井照彦(わかい てるひこ)だった。
「タケミカヅチ? お前は何を言ってるんだ?」
タケミカヅチとは、日本神話に登場する剣と雷の神のことだ。武勇・勝利・雷の神として知られる。イザナギが火神カグツチを斬った際に剣の血から生まれた神であり、国譲りや神武東征で活躍し、地震を鎮める神でもある。
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「彼らは私の忠実な部下でね。若井くんの魂はアメノワカヒコという神なんだよ。武御、君の魂がタケミカヅチであるようにだ」
国木田までがおかしなことを言い始め、雷は困惑した。神などいるわけがない。魂など存在しない。死後の世界も輪廻転生もない。死の先にあるのは無。それが彼の持論であったからだ。
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