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第4話:『リネン室の聖遺物』
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病院の地下三階。そこは、日中の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
常用エレベーターは地下二階までしか通っておらず、九条は非常階段の奥に隠された、古びた錆びた手動式の昇降機を使うしかなかった。
ミシリ、ミシリ。
右腕の骨が、歩く振動に合わせて不快な音を立てる。白衣の下で、膨れ上がった右腕はもはや人間の体躯を無視していた。肘から先が、まるで巨大な甲虫の足でも接ぎ木されたかのように、不自然な角度でねじれ、硬質化している。
「……はぁ、はぁ……っ……」
九条は重い扉を押し開けた。そこは「リネン室」というプレートが掲げられてはいたが、内部は巨大な貯水槽のような空間だった。天井からは何本ものパイプが垂れ下がり、その先からは粘り気のある白濁した液体が、床のタイルへと絶え間なく滴り落ちている。
そして、その空間の中央に、彼らはいた。
「――遅かったですね、九条先生。……あなたの『外骨(がいこつ)』は、ずいぶんと威勢がいいようだ」
昨夜の老紳士が、パイプに囲まれた一画で、ある「作業」の手を止めて振り返った。
彼の周囲には、数人の男女がいた。中には、病院の事務長や、先ほど廊下で会った佐藤によく似た男もいたが、彼らの姿はもはや「人間」を保っていなかった。
ある者は背中から四本の黒い爪が突き出し、ある者は顔の半分が硬い外殻に覆われ、巨大な複眼がこちらをぎょろりと見つめている。彼らは、床に広げられたシーツの上で、何らかの「肉」を静かに、そして熱心に咀嚼していた。
「……君たちは、……ここで何を……っ……」
「食事ですよ、先生。……内骨という、不完全な檻から脱するために必要な、宇宙の成分を摂取しているのです。……さあ、あなたもこちらへ。……その右腕、……もう我慢の限界でしょう?」
老紳士が手招きした先には、ステンレスの台の上に、九条が昨夜解剖したあの「男」の、残された肉片と、剥ぎ取られた外殻の断片が置かれていた。
「……食べる、だと……? こんな、……同族の肉を……っ!」
「同族? ……ふふ、九条先生。……まだそんな『神のうそ』を信じているのですか? ……私たちは、人間という種ではない。……偶然、この星の泥に紛れ込み、……内骨という不気味な形を纏わされた、天の漂流者の末裔……。……肉は、ただの梱包材に過ぎない」
老紳士が九条の右腕に触れた。
その瞬間、九条の右腕の皮膚が、パンッ、と乾いた音を立てて弾け飛んだ。
悲鳴を上げる暇もなかった。
露出したのは、もはや筋肉でも血管でもない。漆黒の、鈍い輝きを放つ「アジル・イマの構文」が刻まれた、完璧な外骨格の腕だった。
「……ああ、……あ……ああ……っ!!」
激痛と共に、九条の脳内に奔流のような情報が流れ込んできた。
それは、数万年前、宇宙の彼方からこの地に降った流星の記憶。
私たちが「神」と呼び、崇めてきた存在は、ただアジル・イマの蔵を、あらかじめ書き込まれた構文に従って開けただけの「僭称者」に過ぎない。
真実の神などいない。あるのは、ただ増殖し、回帰し、殻を脱ぎ捨てようとする「命のプログラム」だけだ。
「……先生、……これ……うまいよ……」
這い寄ってきた佐藤らしきものが、九条の足元で、血に濡れたシーツを差し出した。
その上に載っている「肉」を見た瞬間、九条の胃が激しく収縮し、同時に……どうしようもない「飢え」が彼を襲った。
右腕の黒い外骨格が、自意識とは無関係に、シーツの上の肉を掴み取ろうと動く。
「……やめろ、……やめてくれ……! 私は、……私は解剖医だ! ……人間なんだ!」
「いいえ。……あなたは、……アジル・イマを『観測』してしまった。……観測した者は、……その構文の一部にならねばならない。……それが、この宇宙の……絶対の理なのですから」
九条は膝をついた。
右腕から生えた黒い爪が、肉を掴む。
口の中に運ばれる「真実」の味。
それは、これまで食べたどんな料理よりも甘美で、懐かしく、そして死ぬほど残酷な、宇宙の塵の味がした。
地下三階の沈黙の中で、クチャ、クチャという、咀嚼音が反響する。
九条湊の「人間」としての精神が、ゆっくりと、けれど確実に、黒い構文の渦に飲み込まれて消えていった。
常用エレベーターは地下二階までしか通っておらず、九条は非常階段の奥に隠された、古びた錆びた手動式の昇降機を使うしかなかった。
ミシリ、ミシリ。
右腕の骨が、歩く振動に合わせて不快な音を立てる。白衣の下で、膨れ上がった右腕はもはや人間の体躯を無視していた。肘から先が、まるで巨大な甲虫の足でも接ぎ木されたかのように、不自然な角度でねじれ、硬質化している。
「……はぁ、はぁ……っ……」
九条は重い扉を押し開けた。そこは「リネン室」というプレートが掲げられてはいたが、内部は巨大な貯水槽のような空間だった。天井からは何本ものパイプが垂れ下がり、その先からは粘り気のある白濁した液体が、床のタイルへと絶え間なく滴り落ちている。
そして、その空間の中央に、彼らはいた。
「――遅かったですね、九条先生。……あなたの『外骨(がいこつ)』は、ずいぶんと威勢がいいようだ」
昨夜の老紳士が、パイプに囲まれた一画で、ある「作業」の手を止めて振り返った。
彼の周囲には、数人の男女がいた。中には、病院の事務長や、先ほど廊下で会った佐藤によく似た男もいたが、彼らの姿はもはや「人間」を保っていなかった。
ある者は背中から四本の黒い爪が突き出し、ある者は顔の半分が硬い外殻に覆われ、巨大な複眼がこちらをぎょろりと見つめている。彼らは、床に広げられたシーツの上で、何らかの「肉」を静かに、そして熱心に咀嚼していた。
「……君たちは、……ここで何を……っ……」
「食事ですよ、先生。……内骨という、不完全な檻から脱するために必要な、宇宙の成分を摂取しているのです。……さあ、あなたもこちらへ。……その右腕、……もう我慢の限界でしょう?」
老紳士が手招きした先には、ステンレスの台の上に、九条が昨夜解剖したあの「男」の、残された肉片と、剥ぎ取られた外殻の断片が置かれていた。
「……食べる、だと……? こんな、……同族の肉を……っ!」
「同族? ……ふふ、九条先生。……まだそんな『神のうそ』を信じているのですか? ……私たちは、人間という種ではない。……偶然、この星の泥に紛れ込み、……内骨という不気味な形を纏わされた、天の漂流者の末裔……。……肉は、ただの梱包材に過ぎない」
老紳士が九条の右腕に触れた。
その瞬間、九条の右腕の皮膚が、パンッ、と乾いた音を立てて弾け飛んだ。
悲鳴を上げる暇もなかった。
露出したのは、もはや筋肉でも血管でもない。漆黒の、鈍い輝きを放つ「アジル・イマの構文」が刻まれた、完璧な外骨格の腕だった。
「……ああ、……あ……ああ……っ!!」
激痛と共に、九条の脳内に奔流のような情報が流れ込んできた。
それは、数万年前、宇宙の彼方からこの地に降った流星の記憶。
私たちが「神」と呼び、崇めてきた存在は、ただアジル・イマの蔵を、あらかじめ書き込まれた構文に従って開けただけの「僭称者」に過ぎない。
真実の神などいない。あるのは、ただ増殖し、回帰し、殻を脱ぎ捨てようとする「命のプログラム」だけだ。
「……先生、……これ……うまいよ……」
這い寄ってきた佐藤らしきものが、九条の足元で、血に濡れたシーツを差し出した。
その上に載っている「肉」を見た瞬間、九条の胃が激しく収縮し、同時に……どうしようもない「飢え」が彼を襲った。
右腕の黒い外骨格が、自意識とは無関係に、シーツの上の肉を掴み取ろうと動く。
「……やめろ、……やめてくれ……! 私は、……私は解剖医だ! ……人間なんだ!」
「いいえ。……あなたは、……アジル・イマを『観測』してしまった。……観測した者は、……その構文の一部にならねばならない。……それが、この宇宙の……絶対の理なのですから」
九条は膝をついた。
右腕から生えた黒い爪が、肉を掴む。
口の中に運ばれる「真実」の味。
それは、これまで食べたどんな料理よりも甘美で、懐かしく、そして死ぬほど残酷な、宇宙の塵の味がした。
地下三階の沈黙の中で、クチャ、クチャという、咀嚼音が反響する。
九条湊の「人間」としての精神が、ゆっくりと、けれど確実に、黒い構文の渦に飲み込まれて消えていった。
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