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第5話:『梱包材の街』
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地下三階から戻った九条湊にとって、世界は一変していた。
かつて彼が「生命」と呼び、慈しんでいた人間たちは、今やただの「梱包材」にしか見えなかった。白衣を着てナースステーションを横切る看護師も、点滴棒を引いて歩く老人も、その柔らかな皮膚の下に「真実の種」を隠した、一時的な肉の容器に過ぎない。
「……九条先生? 昨夜からずっとお休みになっていないと聞きました。顔色が……いえ、肌の質感が、なんだか変ですよ?」
若手の女性研修医が、心配そうに九条の顔を覗き込んだ。九条は、彼女の透き通るような白い首筋を見た。以前なら、その若々しい生命力に医師としての義務感を感じただろう。だが今は違う。
彼の視界は、彼女の頸動脈を流れる血の音ではなく、その奥で「脱皮」を待ちわびているはずの外骨格の鼓動(リズム)を無意識に探していた。
「……何でもない。ただ、少し視界が変わっただけだ」
九条の声は、自分でも驚くほど低く、金属的な響きを帯びていた。
彼はそのまま、重篤な患者が収容されている集中治療室(ICU)へと向かった。そこには、内骨格の限界を迎え、生命維持装置に繋がれた「壊れかけた檻」がいくつも並んでいる。
ベッドに横たわる一人の男。交通事故で全身を骨折し、意識不明の状態だ。九条は、震える左手で男の胸元に触れた。一方で、黒く変質した右腕は、白衣の袖の中でミシリ、ミシリと、飢えた獣のように蠢いている。
(この男の中にも……「構文」は眠っているのか?)
九条が触れた瞬間、男のモニターが激しくアラームを鳴らした。
九条の指先から、目に見えない「アジル・イマの信号」が男の肉体に流れ込む。すると、男の砕けた肋骨が、生物学的な修復を無視して、鋭利な黒い「棘」へと変異し始めた。皮膚を内側から突き破り、鮮血がシーツに広がる。
「……ああ、そうだ。これでいい。苦しいだろう? その柔らかな肉を脱ぎ捨てて、天の塵に戻るんだ」
九条は恍惚とした表情で、その惨劇を見つめていた。周囲の看護師たちが悲鳴を上げて駆け寄ってくるが、九条にはそれが遠い国の音楽のようにしか聞こえない。
その時、九条の背後に冷たい気配が立ち昇った。
「――あまり派手にやりすぎないでください。九条先生。まだ、収穫(ハーベスト)の時期ではありません」
振り向くと、そこには清掃員の制服を着た男が立っていた。昨夜の老紳士の配下の一人だ。彼はモップを動かしながら、九条の右腕を冷ややかに見据えた。
「私たちは、ただの暴徒ではありません。アジル・イマを『管理』する者。……この病院には、あなたの知らない『カインの番人』たちも紛れ込んでいる。彼らは、私たちのような不規則な再誕を、最も忌み嫌っているのです」
「番人……? 偽神を信じる、あのアベルの末裔たちのことか?」
「ええ。彼らは、人間が人間であるという『うそ』を守るために、進化を始めた者を『異形』として処理する。……九条先生、あなたが次に解剖するのは、死体ではなく、……あなたを消そうとしている『刺客』になるかもしれませんよ」
清掃員の言葉が終わるより先に、ICUの自動ドアが開き、屈強な男たちが数人、無表情に九条を取り囲んだ。彼らの胸元には、アジル・イマの螺旋とは逆の、十字を刻んだ重厚なメダルが揺れていた。
九条は、白衣の右袖を自ら引きちぎった。
そこから現れたのは、もはや人間であることを完全に辞めた、漆黒の、美しくも悍ましい外骨格の「武器」だった。
「……解剖室へ連れて行く必要はない。……ここで、誰が本当の『支配者』か教えてやる」
九条の咆哮と共に、病院の蛍光灯が一斉に割れ、暗闇の中で青白いスパークが弾けた。
偽りの平和に守られた病院という名の孵化場が、血と肉と、そして硬質な骨の軋み音に支配されていく。
かつて彼が「生命」と呼び、慈しんでいた人間たちは、今やただの「梱包材」にしか見えなかった。白衣を着てナースステーションを横切る看護師も、点滴棒を引いて歩く老人も、その柔らかな皮膚の下に「真実の種」を隠した、一時的な肉の容器に過ぎない。
「……九条先生? 昨夜からずっとお休みになっていないと聞きました。顔色が……いえ、肌の質感が、なんだか変ですよ?」
若手の女性研修医が、心配そうに九条の顔を覗き込んだ。九条は、彼女の透き通るような白い首筋を見た。以前なら、その若々しい生命力に医師としての義務感を感じただろう。だが今は違う。
彼の視界は、彼女の頸動脈を流れる血の音ではなく、その奥で「脱皮」を待ちわびているはずの外骨格の鼓動(リズム)を無意識に探していた。
「……何でもない。ただ、少し視界が変わっただけだ」
九条の声は、自分でも驚くほど低く、金属的な響きを帯びていた。
彼はそのまま、重篤な患者が収容されている集中治療室(ICU)へと向かった。そこには、内骨格の限界を迎え、生命維持装置に繋がれた「壊れかけた檻」がいくつも並んでいる。
ベッドに横たわる一人の男。交通事故で全身を骨折し、意識不明の状態だ。九条は、震える左手で男の胸元に触れた。一方で、黒く変質した右腕は、白衣の袖の中でミシリ、ミシリと、飢えた獣のように蠢いている。
(この男の中にも……「構文」は眠っているのか?)
九条が触れた瞬間、男のモニターが激しくアラームを鳴らした。
九条の指先から、目に見えない「アジル・イマの信号」が男の肉体に流れ込む。すると、男の砕けた肋骨が、生物学的な修復を無視して、鋭利な黒い「棘」へと変異し始めた。皮膚を内側から突き破り、鮮血がシーツに広がる。
「……ああ、そうだ。これでいい。苦しいだろう? その柔らかな肉を脱ぎ捨てて、天の塵に戻るんだ」
九条は恍惚とした表情で、その惨劇を見つめていた。周囲の看護師たちが悲鳴を上げて駆け寄ってくるが、九条にはそれが遠い国の音楽のようにしか聞こえない。
その時、九条の背後に冷たい気配が立ち昇った。
「――あまり派手にやりすぎないでください。九条先生。まだ、収穫(ハーベスト)の時期ではありません」
振り向くと、そこには清掃員の制服を着た男が立っていた。昨夜の老紳士の配下の一人だ。彼はモップを動かしながら、九条の右腕を冷ややかに見据えた。
「私たちは、ただの暴徒ではありません。アジル・イマを『管理』する者。……この病院には、あなたの知らない『カインの番人』たちも紛れ込んでいる。彼らは、私たちのような不規則な再誕を、最も忌み嫌っているのです」
「番人……? 偽神を信じる、あのアベルの末裔たちのことか?」
「ええ。彼らは、人間が人間であるという『うそ』を守るために、進化を始めた者を『異形』として処理する。……九条先生、あなたが次に解剖するのは、死体ではなく、……あなたを消そうとしている『刺客』になるかもしれませんよ」
清掃員の言葉が終わるより先に、ICUの自動ドアが開き、屈強な男たちが数人、無表情に九条を取り囲んだ。彼らの胸元には、アジル・イマの螺旋とは逆の、十字を刻んだ重厚なメダルが揺れていた。
九条は、白衣の右袖を自ら引きちぎった。
そこから現れたのは、もはや人間であることを完全に辞めた、漆黒の、美しくも悍ましい外骨格の「武器」だった。
「……解剖室へ連れて行く必要はない。……ここで、誰が本当の『支配者』か教えてやる」
九条の咆哮と共に、病院の蛍光灯が一斉に割れ、暗闇の中で青白いスパークが弾けた。
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