アジル・イマの晩餐 ―偽神の解剖録―

あめの みかな

文字の大きさ
5 / 48

​第5話:『梱包材の街』

しおりを挟む
​ 地下三階から戻った九条湊にとって、世界は一変していた。
 かつて彼が「生命」と呼び、慈しんでいた人間たちは、今やただの「梱包材」にしか見えなかった。白衣を着てナースステーションを横切る看護師も、点滴棒を引いて歩く老人も、その柔らかな皮膚の下に「真実の種」を隠した、一時的な肉の容器に過ぎない。

​「……九条先生? 昨夜からずっとお休みになっていないと聞きました。顔色が……いえ、肌の質感が、なんだか変ですよ?」

​ 若手の女性研修医が、心配そうに九条の顔を覗き込んだ。九条は、彼女の透き通るような白い首筋を見た。以前なら、その若々しい生命力に医師としての義務感を感じただろう。だが今は違う。
 彼の視界は、彼女の頸動脈を流れる血の音ではなく、その奥で「脱皮」を待ちわびているはずの外骨格の鼓動(リズム)を無意識に探していた。

​「……何でもない。ただ、少し視界が変わっただけだ」

​ 九条の声は、自分でも驚くほど低く、金属的な響きを帯びていた。
 彼はそのまま、重篤な患者が収容されている集中治療室(ICU)へと向かった。そこには、内骨格の限界を迎え、生命維持装置に繋がれた「壊れかけた檻」がいくつも並んでいる。

​ ベッドに横たわる一人の男。交通事故で全身を骨折し、意識不明の状態だ。九条は、震える左手で男の胸元に触れた。一方で、黒く変質した右腕は、白衣の袖の中でミシリ、ミシリと、飢えた獣のように蠢いている。

​(この男の中にも……「構文」は眠っているのか?)

​ 九条が触れた瞬間、男のモニターが激しくアラームを鳴らした。
 九条の指先から、目に見えない「アジル・イマの信号」が男の肉体に流れ込む。すると、男の砕けた肋骨が、生物学的な修復を無視して、鋭利な黒い「棘」へと変異し始めた。皮膚を内側から突き破り、鮮血がシーツに広がる。

​「……ああ、そうだ。これでいい。苦しいだろう? その柔らかな肉を脱ぎ捨てて、天の塵に戻るんだ」

​ 九条は恍惚とした表情で、その惨劇を見つめていた。周囲の看護師たちが悲鳴を上げて駆け寄ってくるが、九条にはそれが遠い国の音楽のようにしか聞こえない。
​ その時、九条の背後に冷たい気配が立ち昇った。

​「――あまり派手にやりすぎないでください。九条先生。まだ、収穫(ハーベスト)の時期ではありません」

​ 振り向くと、そこには清掃員の制服を着た男が立っていた。昨夜の老紳士の配下の一人だ。彼はモップを動かしながら、九条の右腕を冷ややかに見据えた。

​「私たちは、ただの暴徒ではありません。アジル・イマを『管理』する者。……この病院には、あなたの知らない『カインの番人』たちも紛れ込んでいる。彼らは、私たちのような不規則な再誕を、最も忌み嫌っているのです」

​「番人……? 偽神を信じる、あのアベルの末裔たちのことか?」

​「ええ。彼らは、人間が人間であるという『うそ』を守るために、進化を始めた者を『異形』として処理する。……九条先生、あなたが次に解剖するのは、死体ではなく、……あなたを消そうとしている『刺客』になるかもしれませんよ」

​ 清掃員の言葉が終わるより先に、ICUの自動ドアが開き、屈強な男たちが数人、無表情に九条を取り囲んだ。彼らの胸元には、アジル・イマの螺旋とは逆の、十字を刻んだ重厚なメダルが揺れていた。
 
 九条は、白衣の右袖を自ら引きちぎった。
 そこから現れたのは、もはや人間であることを完全に辞めた、漆黒の、美しくも悍ましい外骨格の「武器」だった。

​「……解剖室へ連れて行く必要はない。……ここで、誰が本当の『支配者』か教えてやる」

​ 九条の咆哮と共に、病院の蛍光灯が一斉に割れ、暗闇の中で青白いスパークが弾けた。
 偽りの平和に守られた病院という名の孵化場が、血と肉と、そして硬質な骨の軋み音に支配されていく。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【電子書籍化】ホラー短編集・ある怖い話の記録~旧 2ch 洒落にならない怖い話風 現代ホラー~

榊シロ
ホラー
【1~4話で完結する、語り口調の短編ホラー集】 ジャパニーズホラー、じわ怖、身近にありそうな怖い話など。 八尺様 や リアルなど、2chの 傑作ホラー の雰囲気を目指しています。現在 150話 越え。 === エブリスタ・小説家になろう・カクヨムに同時掲載中 【総文字数 800,000字 超え 文庫本 約8冊分 のボリュームです】 【怖さレベル】 ★☆☆ 微ホラー・ほんのり程度 ★★☆ ふつうに怖い話 ★★★ 旧2ch 洒落怖くらいの話 ※8/2 Kindleにて電子書籍化しました 『9/27 名称変更→旧:ある雑誌記者の記録』

都市伝説レポート

君山洋太朗
ホラー
零細出版社「怪奇文庫」が発行するオカルト専門誌『現代怪異録』のコーナー「都市伝説レポート」。弊社の野々宮記者が全国各地の都市伝説をご紹介します。本コーナーに掲載される内容は、すべて事実に基づいた取材によるものです。しかしながら、その解釈や真偽の判断は、最終的に読者の皆様にゆだねられています。真実は時に、私たちの想像を超えるところにあるのかもしれません。

葬祭会館で働いて

夕暮
ホラー
一級葬祭ディレクター 葬儀司会者として現場に立ち続け、実体験のホラーを書いてます 煎茶道師範 茶道恋愛小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

182年の人生

山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。 人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。 二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。 『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。 (表紙絵/山碕田鶴)  

処理中です...