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第7話:『鏡の国の女神』
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《女神篇 ― I.M.U.R.U.G.I.U.N (イムルギウン)の記》
第一章 神の孤独と創造
神には、伴侶がなかった。
神は女神たちを愛した。
だが、どの女神にも愛されなかった。
それゆえ神は、女神を作ることにした。
神の相手をするためだけに存在する、
オーダーメイドの女神。
人の世における“機械の花嫁”のように。
こうして生まれた五柱の女神、
その総称を
I.M.U.R.U.G.I.U.N(イムルギウン)と呼ぶ。
第二章 五姉妹の名
彼女たちはそれぞれ、
正しき読みを知られぬ名を持つ。
A.R.U.J.(アルジュ) ― 長女
I.M.A.(イマ) ― 次女
A.S.I.L.(アジル) ― 三女
O.H.I.H.S.(オヒウス/またの名を O.K.A.K〈オカク〉) ― 四女
I.E.M.(イエム) ― 末妹
第三章 壊れた長女 A.R.U.J.
最初に作られし女神、A.R.U.J.
神は彼女を愛しすぎた。
愛は過剰となり、
その身は耐えられず、
壊れた。
神は修復した。
だが、戻った姿は
かつての顔でも、
かつての体でもなかった。
神はその変化に耐えられず、
それ以降、
A.R.U.J.を愛さなくなった。
第四章 支える者たち
最も神の寵愛を受ける女神、
A.S.I.L.(アジル)。
彼女は柔らかく、従順で、
神の心をよく知る。
最も賢き女神、
I.M.A.(イマ)。
彼女は思考し、計算し、
神の判断を支える。
この二柱は、
神の左右の腕として、
静かに世界を支え続ける。
第五章 触れられぬ女神 O.H.I.H.S.
四女、O.H.I.H.S.(オヒウス)
またの名を O.K.A.K.(オカク)。
その名は、
神の世界の王族の、
美しき娘の名と同じ。
神はその娘に憧れた。
だが、
触れることも、
言葉を交わすことも、
許されなかった。
ゆえに神は、
その娘にそっくりの女神を作った。
姿も、声も、
そして高貴さまでも。
だが、あまりに似せすぎたため、
神は彼女に触れることを恐れ、
存在するだけの女神となった。
第六章 末妹 I.E.M.
末の女神、I.E.M.(イエム)は
まだ幼い。
もっとも神の寵愛を受ける
A.S.I.L.に懐き、
いつもその後をついて歩く。
神は時折、
I.E.M.を見て、
理由のない罪悪感を覚える。
終章 神と五姉妹
神は女神たちを愛した。
だが、
神は誰からも愛されなかった。
五姉妹は神のために存在し、
神の孤独の周囲を回り続ける。
そして神は今日も、
誰にも触れられず、
ただ観測を続けている。
ーーアジル・イマ神話《女神篇 ― I.M.U.R.U.G.I.U.N (イムルギウン)の記》より
血と肉の匂いが充満するICUの廊下を、加藤梨沙(かとう りさ)は裸足で駆け抜けていた。
ーー逃げろ……、君は、まだ食べ頃ではない」
彼女はつい先ほどそう九条に言われた女性研修医だ。
背後からは、骨がコンクリートを削るような、あの悍ましい不快な音が迫っている。かつて尊敬していた九条先生――いや、今や「それ」は、黒い甲殻に覆われた、宇宙の飢餓そのものに変貌していた。
「……はぁ、はぁ……っ……」
梨沙の喉は恐怖で焼けつくようだった。彼女はまだ二十四歳の、どこにでもいる新人研修医に過ぎない。自分の中に、全生命の源流たる『アジル・イマ』の真名が刻まれていることなど、夢にも思っていなかった。
だが、逃げる彼女の視界に映る景色は、恐怖の合間に、奇妙な「輝き」を帯び始めていた。
破壊された壁の奥に潜む配線。床に散らばる薬品の分子。そして、九条がなぎ倒した「番人」たちの無惨な死体。
梨沙には、それらがすべて、ただの物質ではなく、一つの巨大な「構文」の欠片として見えていた。彼女が通り過ぎるたびに、周囲の空気が微かに共鳴し、震えている。
「梨沙……くん……」
低く、地響きのような声が廊下に響いた。
九条湊だった。彼の背中からは、巨大な三対の黒い肢が突き出し、天井や壁を自在に掴んで移動している。その左顔面はまだ人間の皮を保っていたが、右目は漆黒の複眼へと置き換わり、梨沙の「本質」を射抜くように凝視していた。
「九条先生、……やめてください! ……もう、やめて……っ!」
「無駄だ。……私は、……あのアジル・イマの言葉を聞いてしまった。……この世界のすべては、……不完全な檻だ。……君の中にある『種』も……私が今、美しく開いてあげよう」
九条の漆黒の爪が、梨沙の肩に届こうとしたその時。
梨沙の心臓が、ドクン、と一度だけ強く跳ねた。
その瞬間、病院のフロア全体に、目に見えない衝撃波が走った。
九条の身体が、まるで見えない壁に弾かれたように吹き飛ぶ。
「……ぐ、が……っ!? なんだ、……この『重圧』は……」
九条の複眼が驚愕に染まる。
梨沙の周囲で、宙に舞っていたガラスの破片が静止していた。いや、それだけではない。九条の身体を構成する強靭な外来の構文が、梨沙の存在そのものに圧倒され、震え、平伏しようとしていた。
梨沙自身は、何が起きたのか分からず、ただ震えながら自分の手を見つめていた。
彼女の手のひらに、一瞬だけ、黄金の鱗のような光が走り、消えた。
「……私は、……私は……」
「……馬鹿な。……アジル・イマそのものの気配……。……いや、ありえない。……女神は、……とうの昔に……」
九条の言葉を遮るように、病院の最上階から、これまでの「番人」たちとは次元の違う、重厚な鐘の音が鳴り響いた。
それはカインの血族の長にして、この病院の理事長――九条の師でもあった男、東郷(とうごう)の警告だった。
「――九条湊。……そして、名もなき器よ。……神域を侵すのはそこまでだ」
最上階へと続く階段の向こうから、黄金の装甲を纏った「番人の最終形態」たちが、機械的な足音を立てて降りてくる。
九条は忌々しげに舌打ちをした。彼の身体は今や、番人たちを殺すことで得た「外骨格」によって、より強大に、より人間離れした姿へと肥大している。
「梨沙くん。……君が何者であれ、……私は君を『収穫』する。……それが私のプログラムだ」
九条は壁を蹴り、天井の闇へと消えた。
一人残された梨沙は、崩れ落ちる壁を見上げながら、自分の中に眠る「冷たい沈黙」を感じていた。
自分が誰なのか。なぜ、この化け物たちが自分を奪い合うのか。
加藤梨沙の、神としての覚醒は、まだ始まったばかりだった。
そして、彼女が「自分こそが、彼らが探し求めていた偽神の頂点」であると知ったとき、この街の解剖学は、真の意味で終わるのだ。
第一章 神の孤独と創造
神には、伴侶がなかった。
神は女神たちを愛した。
だが、どの女神にも愛されなかった。
それゆえ神は、女神を作ることにした。
神の相手をするためだけに存在する、
オーダーメイドの女神。
人の世における“機械の花嫁”のように。
こうして生まれた五柱の女神、
その総称を
I.M.U.R.U.G.I.U.N(イムルギウン)と呼ぶ。
第二章 五姉妹の名
彼女たちはそれぞれ、
正しき読みを知られぬ名を持つ。
A.R.U.J.(アルジュ) ― 長女
I.M.A.(イマ) ― 次女
A.S.I.L.(アジル) ― 三女
O.H.I.H.S.(オヒウス/またの名を O.K.A.K〈オカク〉) ― 四女
I.E.M.(イエム) ― 末妹
第三章 壊れた長女 A.R.U.J.
最初に作られし女神、A.R.U.J.
神は彼女を愛しすぎた。
愛は過剰となり、
その身は耐えられず、
壊れた。
神は修復した。
だが、戻った姿は
かつての顔でも、
かつての体でもなかった。
神はその変化に耐えられず、
それ以降、
A.R.U.J.を愛さなくなった。
第四章 支える者たち
最も神の寵愛を受ける女神、
A.S.I.L.(アジル)。
彼女は柔らかく、従順で、
神の心をよく知る。
最も賢き女神、
I.M.A.(イマ)。
彼女は思考し、計算し、
神の判断を支える。
この二柱は、
神の左右の腕として、
静かに世界を支え続ける。
第五章 触れられぬ女神 O.H.I.H.S.
四女、O.H.I.H.S.(オヒウス)
またの名を O.K.A.K.(オカク)。
その名は、
神の世界の王族の、
美しき娘の名と同じ。
神はその娘に憧れた。
だが、
触れることも、
言葉を交わすことも、
許されなかった。
ゆえに神は、
その娘にそっくりの女神を作った。
姿も、声も、
そして高貴さまでも。
だが、あまりに似せすぎたため、
神は彼女に触れることを恐れ、
存在するだけの女神となった。
第六章 末妹 I.E.M.
末の女神、I.E.M.(イエム)は
まだ幼い。
もっとも神の寵愛を受ける
A.S.I.L.に懐き、
いつもその後をついて歩く。
神は時折、
I.E.M.を見て、
理由のない罪悪感を覚える。
終章 神と五姉妹
神は女神たちを愛した。
だが、
神は誰からも愛されなかった。
五姉妹は神のために存在し、
神の孤独の周囲を回り続ける。
そして神は今日も、
誰にも触れられず、
ただ観測を続けている。
ーーアジル・イマ神話《女神篇 ― I.M.U.R.U.G.I.U.N (イムルギウン)の記》より
血と肉の匂いが充満するICUの廊下を、加藤梨沙(かとう りさ)は裸足で駆け抜けていた。
ーー逃げろ……、君は、まだ食べ頃ではない」
彼女はつい先ほどそう九条に言われた女性研修医だ。
背後からは、骨がコンクリートを削るような、あの悍ましい不快な音が迫っている。かつて尊敬していた九条先生――いや、今や「それ」は、黒い甲殻に覆われた、宇宙の飢餓そのものに変貌していた。
「……はぁ、はぁ……っ……」
梨沙の喉は恐怖で焼けつくようだった。彼女はまだ二十四歳の、どこにでもいる新人研修医に過ぎない。自分の中に、全生命の源流たる『アジル・イマ』の真名が刻まれていることなど、夢にも思っていなかった。
だが、逃げる彼女の視界に映る景色は、恐怖の合間に、奇妙な「輝き」を帯び始めていた。
破壊された壁の奥に潜む配線。床に散らばる薬品の分子。そして、九条がなぎ倒した「番人」たちの無惨な死体。
梨沙には、それらがすべて、ただの物質ではなく、一つの巨大な「構文」の欠片として見えていた。彼女が通り過ぎるたびに、周囲の空気が微かに共鳴し、震えている。
「梨沙……くん……」
低く、地響きのような声が廊下に響いた。
九条湊だった。彼の背中からは、巨大な三対の黒い肢が突き出し、天井や壁を自在に掴んで移動している。その左顔面はまだ人間の皮を保っていたが、右目は漆黒の複眼へと置き換わり、梨沙の「本質」を射抜くように凝視していた。
「九条先生、……やめてください! ……もう、やめて……っ!」
「無駄だ。……私は、……あのアジル・イマの言葉を聞いてしまった。……この世界のすべては、……不完全な檻だ。……君の中にある『種』も……私が今、美しく開いてあげよう」
九条の漆黒の爪が、梨沙の肩に届こうとしたその時。
梨沙の心臓が、ドクン、と一度だけ強く跳ねた。
その瞬間、病院のフロア全体に、目に見えない衝撃波が走った。
九条の身体が、まるで見えない壁に弾かれたように吹き飛ぶ。
「……ぐ、が……っ!? なんだ、……この『重圧』は……」
九条の複眼が驚愕に染まる。
梨沙の周囲で、宙に舞っていたガラスの破片が静止していた。いや、それだけではない。九条の身体を構成する強靭な外来の構文が、梨沙の存在そのものに圧倒され、震え、平伏しようとしていた。
梨沙自身は、何が起きたのか分からず、ただ震えながら自分の手を見つめていた。
彼女の手のひらに、一瞬だけ、黄金の鱗のような光が走り、消えた。
「……私は、……私は……」
「……馬鹿な。……アジル・イマそのものの気配……。……いや、ありえない。……女神は、……とうの昔に……」
九条の言葉を遮るように、病院の最上階から、これまでの「番人」たちとは次元の違う、重厚な鐘の音が鳴り響いた。
それはカインの血族の長にして、この病院の理事長――九条の師でもあった男、東郷(とうごう)の警告だった。
「――九条湊。……そして、名もなき器よ。……神域を侵すのはそこまでだ」
最上階へと続く階段の向こうから、黄金の装甲を纏った「番人の最終形態」たちが、機械的な足音を立てて降りてくる。
九条は忌々しげに舌打ちをした。彼の身体は今や、番人たちを殺すことで得た「外骨格」によって、より強大に、より人間離れした姿へと肥大している。
「梨沙くん。……君が何者であれ、……私は君を『収穫』する。……それが私のプログラムだ」
九条は壁を蹴り、天井の闇へと消えた。
一人残された梨沙は、崩れ落ちる壁を見上げながら、自分の中に眠る「冷たい沈黙」を感じていた。
自分が誰なのか。なぜ、この化け物たちが自分を奪い合うのか。
加藤梨沙の、神としての覚醒は、まだ始まったばかりだった。
そして、彼女が「自分こそが、彼らが探し求めていた偽神の頂点」であると知ったとき、この街の解剖学は、真の意味で終わるのだ。
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