8 / 48
第8話:『至高の梱包材』
しおりを挟む
エレベーターホールは、もはや現世の光景ではなかった。
天井からは黄金の蔦のような触手が垂れ下がり、壁面は「番人」たちが流した血液を吸い上げて、脈動する生体組織へと作り変えられている。
九条湊は、その異様な空間を、黒い外骨格の肢で壁を掴みながら這い進んでいた。彼の複眼には、この病院の主――東郷理事が待つ最上階の扉が、巨大な「蓋」のように見えていた。
「梨沙……くん……。どこだ……」
九条の声は、もはや人間に聞き取れる周波数を超えていた。だが、梨沙にはそれが脳髄に直接響く「震え」として伝わっていた。
梨沙は、東郷理事の執務室の奥で、無機質な透明なカプセルの中に横たえられていた。彼女の周囲では、黄金の装甲を纏った番人たちが、儀式的な動作で何らかの術式を刻んでいる。
「……九条湊。哀れな教え子よ。君は、自分が進化の最前線にいると信じているようだが……」
執務室の奥から、静かな声が響いた。
東郷理事長。彼は白衣の上から、黄金の「十字」を模した重厚な外装を纏っていた。それはカインの血族が数千年の時をかけて作り上げた、アジル・イマの暴走を制御し、偽神の秩序を維持するための「封印礼装」だった。
「君はただの『尖兵』に過ぎない。その右腕も、その狂気も、彼女――加藤梨沙の中に眠る『真の真理(アジル・イマ)』を呼び覚ますための、ただの呼び水なのだよ」
「黙れ、東郷……! 君たちは、彼女という神を『檻』に閉じ込め、その力を小出しに利用しているだけの寄生虫だ。……私は、彼女を解放し、この世界という不完全な梱包材をすべて剥ぎ取ってやる!」
九条の背中から生えた漆黒の肢が、一斉に東郷へと襲いかかった。
衝突音。
黒い外骨格と黄金の装甲がぶつかり合い、執務室の窓ガラスが衝撃波で粉砕される。九条の「外来の力」は、番人たちを喰らうことでさらに純度を増していたが、東郷の黄金の装甲はそれを、物理法則を無視した「静止」の力で受け止めていた。
「梨沙くんを返せ……。彼女は……私の、……私だけの『解剖対象(しんじつ)』だ!」
「いいえ。彼女は……万物の『母』となる存在。九条、君のその醜い外骨格も、彼女の前ではただの燃えカスに過ぎない」
その時、カプセルの中にいた梨沙が、ゆっくりと目を開けた。
彼女の瞳は、もはや人間らしい不安も恐怖も宿していなかった。右の瞳が黄金に、左の瞳が漆黒に染まり、彼女が息を吐くたびに、周囲の空間から「色」が消えていく。
「……あ……」
梨沙の唇が、音にならない言葉を紡ぐ。
L.I.S.A。
逆さ読みをすれば、A.S.I.L.(アジル)となる。
アジル・イマのアジルだ。発音の仕方もはっきりはわかっていない。ローマ字表記も正しいかどうかわからない四姉妹の女神、その三女の名だった。
「逆さ読みの女神ということか」
あるいは、タロットカードのように逆位置の存在であることを意味しているのかもしれない。
彼女の意識が覚醒の閾値を超えた瞬間、病院全体を覆っていたアジル・イマの構文が、狂喜の咆哮を上げた。九条の右腕に刻まれた黒い文字が、梨沙の存在に共鳴して激しく発光し、九条の肉を内側から焼き始める。
「が、はっ……!? 梨沙……くん……、何をして……」
「九条先生……。……痛いのは、……もう終わり」
梨沙がカプセルの中から手を伸ばした。
彼女の指先が透明な壁を透過し、東郷の黄金の装甲を、そして九条の漆黒の外骨格を、同時に「撫でた」。
その瞬間。
東郷の黄金の礼装は砂のように崩れ、九条の強靭な外骨格は、まるで枯れ葉のように脆く砕け散った。
梨沙の周囲数メートルだけが、一切の争いと「骨」の軋みを拒絶する、絶対的な静寂の領域へと作り変えられたのだ。
「……これが、……アジル・イマの、……真の支配か……」
九条は、人間の左半身と、崩壊していく右半身の間で、膝をついた。
東郷もまた、権威を象徴する黄金を失い、ただの老いた男として床に伏している。
中心に立つ梨沙は、自分が何をしたのかも分からぬまま、ただ悲しげに、自分の手を見つめていた。
「……九条先生。……私、……人間じゃないの……?」
彼女の問いに答える者は、もう誰もいなかった。
病院の外では、梨沙の覚醒に呼応するように、街中の「梱包材」たちが一斉に……その皮膚の下で、新しい命の胎動を始めようとしていた。
天井からは黄金の蔦のような触手が垂れ下がり、壁面は「番人」たちが流した血液を吸い上げて、脈動する生体組織へと作り変えられている。
九条湊は、その異様な空間を、黒い外骨格の肢で壁を掴みながら這い進んでいた。彼の複眼には、この病院の主――東郷理事が待つ最上階の扉が、巨大な「蓋」のように見えていた。
「梨沙……くん……。どこだ……」
九条の声は、もはや人間に聞き取れる周波数を超えていた。だが、梨沙にはそれが脳髄に直接響く「震え」として伝わっていた。
梨沙は、東郷理事の執務室の奥で、無機質な透明なカプセルの中に横たえられていた。彼女の周囲では、黄金の装甲を纏った番人たちが、儀式的な動作で何らかの術式を刻んでいる。
「……九条湊。哀れな教え子よ。君は、自分が進化の最前線にいると信じているようだが……」
執務室の奥から、静かな声が響いた。
東郷理事長。彼は白衣の上から、黄金の「十字」を模した重厚な外装を纏っていた。それはカインの血族が数千年の時をかけて作り上げた、アジル・イマの暴走を制御し、偽神の秩序を維持するための「封印礼装」だった。
「君はただの『尖兵』に過ぎない。その右腕も、その狂気も、彼女――加藤梨沙の中に眠る『真の真理(アジル・イマ)』を呼び覚ますための、ただの呼び水なのだよ」
「黙れ、東郷……! 君たちは、彼女という神を『檻』に閉じ込め、その力を小出しに利用しているだけの寄生虫だ。……私は、彼女を解放し、この世界という不完全な梱包材をすべて剥ぎ取ってやる!」
九条の背中から生えた漆黒の肢が、一斉に東郷へと襲いかかった。
衝突音。
黒い外骨格と黄金の装甲がぶつかり合い、執務室の窓ガラスが衝撃波で粉砕される。九条の「外来の力」は、番人たちを喰らうことでさらに純度を増していたが、東郷の黄金の装甲はそれを、物理法則を無視した「静止」の力で受け止めていた。
「梨沙くんを返せ……。彼女は……私の、……私だけの『解剖対象(しんじつ)』だ!」
「いいえ。彼女は……万物の『母』となる存在。九条、君のその醜い外骨格も、彼女の前ではただの燃えカスに過ぎない」
その時、カプセルの中にいた梨沙が、ゆっくりと目を開けた。
彼女の瞳は、もはや人間らしい不安も恐怖も宿していなかった。右の瞳が黄金に、左の瞳が漆黒に染まり、彼女が息を吐くたびに、周囲の空間から「色」が消えていく。
「……あ……」
梨沙の唇が、音にならない言葉を紡ぐ。
L.I.S.A。
逆さ読みをすれば、A.S.I.L.(アジル)となる。
アジル・イマのアジルだ。発音の仕方もはっきりはわかっていない。ローマ字表記も正しいかどうかわからない四姉妹の女神、その三女の名だった。
「逆さ読みの女神ということか」
あるいは、タロットカードのように逆位置の存在であることを意味しているのかもしれない。
彼女の意識が覚醒の閾値を超えた瞬間、病院全体を覆っていたアジル・イマの構文が、狂喜の咆哮を上げた。九条の右腕に刻まれた黒い文字が、梨沙の存在に共鳴して激しく発光し、九条の肉を内側から焼き始める。
「が、はっ……!? 梨沙……くん……、何をして……」
「九条先生……。……痛いのは、……もう終わり」
梨沙がカプセルの中から手を伸ばした。
彼女の指先が透明な壁を透過し、東郷の黄金の装甲を、そして九条の漆黒の外骨格を、同時に「撫でた」。
その瞬間。
東郷の黄金の礼装は砂のように崩れ、九条の強靭な外骨格は、まるで枯れ葉のように脆く砕け散った。
梨沙の周囲数メートルだけが、一切の争いと「骨」の軋みを拒絶する、絶対的な静寂の領域へと作り変えられたのだ。
「……これが、……アジル・イマの、……真の支配か……」
九条は、人間の左半身と、崩壊していく右半身の間で、膝をついた。
東郷もまた、権威を象徴する黄金を失い、ただの老いた男として床に伏している。
中心に立つ梨沙は、自分が何をしたのかも分からぬまま、ただ悲しげに、自分の手を見つめていた。
「……九条先生。……私、……人間じゃないの……?」
彼女の問いに答える者は、もう誰もいなかった。
病院の外では、梨沙の覚醒に呼応するように、街中の「梱包材」たちが一斉に……その皮膚の下で、新しい命の胎動を始めようとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【電子書籍化】ホラー短編集・ある怖い話の記録~旧 2ch 洒落にならない怖い話風 現代ホラー~
榊シロ
ホラー
【1~4話で完結する、語り口調の短編ホラー集】
ジャパニーズホラー、じわ怖、身近にありそうな怖い話など。
八尺様 や リアルなど、2chの 傑作ホラー の雰囲気を目指しています。現在 150話 越え。
===
エブリスタ・小説家になろう・カクヨムに同時掲載中
【総文字数 800,000字 超え 文庫本 約8冊分 のボリュームです】
【怖さレベル】
★☆☆ 微ホラー・ほんのり程度
★★☆ ふつうに怖い話
★★★ 旧2ch 洒落怖くらいの話
※8/2 Kindleにて電子書籍化しました
『9/27 名称変更→旧:ある雑誌記者の記録』
都市伝説レポート
君山洋太朗
ホラー
零細出版社「怪奇文庫」が発行するオカルト専門誌『現代怪異録』のコーナー「都市伝説レポート」。弊社の野々宮記者が全国各地の都市伝説をご紹介します。本コーナーに掲載される内容は、すべて事実に基づいた取材によるものです。しかしながら、その解釈や真偽の判断は、最終的に読者の皆様にゆだねられています。真実は時に、私たちの想像を超えるところにあるのかもしれません。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
182年の人生
山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。
人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。
二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。
『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。
(表紙絵/山碕田鶴)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる