アジル・イマの晩餐 ―偽神の解剖録―

あめの みかな

文字の大きさ
9 / 48

​第9話:『無名の時代の胎動』

しおりを挟む
​ 非常階段から外へ出た瞬間、夜気は九条湊の剥き出しの神経を容赦なく叩いた。
 砕かれた右腕。かつて最強の武器であった漆黒の外骨格は、梨沙の「慈悲」という名の波動に触れただけで、灰のような粒子となって崩れ去っていた。残されたのは、骨が粉砕され、肉が裂けた、無惨な「人間の腕」の残骸。
 だが、九条は痛みに叫ぶことすら忘れていた。

​「……九条先生。……外、……おかしいよ……」

​ 隣を歩く加藤梨沙が、震える声で呟いた。
 病院を脱出した二人の前に広がっていたのは、彼らが知る「街」ではなかった。

​ 梨沙が一歩、アスファルトを踏みしめるたびに、その足跡から「黄金の鱗」を宿した未知の植物が、コンクリートを割って急成長していく。病院の周囲に配置されていたパトカーや救急車は、梨沙が放つ余波にさらされ、金属が有機的にねじれ、巨大な昆虫の抜け殻のようなオブジェへと変質していた。

​ 梨沙の中に眠る真名、A.S.I.L.(アジル・イマ)。
 彼女の覚醒は、この星の「梱包材」を強制的に解体し、あらかじめ定められた『外来起源記』の終章へと、世界を加速させていた。

​「梨沙くん、前を見るんだ。……振り返ってはいけない」

​ 九条は残された左手で、梨沙の細い肩を抱き寄せた。彼の右腕からは絶えず血が滴り、地面に落ちるたびに、その血さえもが「黒い這う虫」へと変わり、闇に消えていく。
 彼は気づいていた。梨沙の力で砕かれたはずの右腕の深奥で、さらに禍々しい、そしてさらに「純粋な」何かが、彼女の放つ神性に呼応して再編(リビルド)を開始していることに。

​「……九条先生。……私、……みんなを壊しちゃうの? ……私の周りで、……全部、……変わっちゃう……」

​ 梨沙の瞳から、黄金の涙が零れ落ちる。その雫が触れた路上の雑草が、瞬時に巨大な鎌のような葉を広げ、月を仰いで咆哮した。
 彼女は創造主ではない。ただ、宇宙から来た「命の蔵」の鍵を握る者。彼女が歩くことは、この星に構築された「偽神の秩序」を、無名の、剥き出しの宇宙へと還すことに等しかった。

​「――止まれ! それ以上、女神を連れ去ることは許さん!」

​ 街路樹が異形の触手へと変わる街角で、数台の黒い車両が二人を阻んだ。
 降りてきたのは、病院にいた「番人」たちとは毛色の違う、重武装の集団。カインの末裔の中でも、実戦を司る『執行部』の者たちだ。彼らは梨沙が放つ変異の影響を最小限に抑えるため、全身を銀色の防護服――宇宙の塵を弾く「真空仕様」の装甲――で固めていた。

​「九条湊。貴様はもはや解剖医ではない。……アジル・イマの毒を撒き散らす、汚染源だ。……女神を返せば、……楽に死なせてやる」

​ 数十本の銃口が九条に向けられる。その銃弾は、神の構文を物理的に切断する、アベルの血族が隠し持っていた禁忌の兵器。

​「……楽に死なせてやる、だと?」

​ 九条は低く笑った。その左目が、ゆっくりと漆黒に沈んでいく。
 砕かれてぶら下がっていた右腕が、梨沙の涙を吸い込み、不気味な脈動を始めた。

​「私は、……彼女を『梱包材』から取り出すと決めた。……この世界の皮膚をすべて剥ぎ取り、……真実を白日の下に晒すと……!」

​ 九条の右腕から、かつての「棘」を遥かに凌駕する、黄金の光を纏った漆黒の「大鎌」が、爆発的な勢いで芽吹いた。
 梨沙の神性に触れ、砕かれ、再構築されたその腕は、もはや「外骨格」という言葉では形容できない、宇宙の法そのものを切断する「処刑道具」へと進化していた。

​「梨沙くん、……目を閉じていてくれ」

​ 九条が地面を蹴る。
 アスファルトが巨大なクレーターとなって爆ぜ、銀色の番人たちの首が、一瞬で宙に舞った。
 銃弾は九条の身体をかすめることもできない。彼の周囲では、梨沙の影響で時間が、空間が、因果が狂い始めていたからだ。

​「……これが、……万物が等しく呼吸する『無名の時代』の始まりか」

​ 九条は、血の雨の中で、美しく輝く梨沙の手を握り直した。
 背後では、巨大な「命の蔵」となった病院が、空に向かって黒い触手を伸ばし、街を丸ごと飲み込もうとしていた。

​ 解剖医・九条湊と、偽神・梨沙。
 二人の逃避行は、そのまま人類という種の終焉を刻む、血塗られたパレードへと変わっていく。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【電子書籍化】ホラー短編集・ある怖い話の記録~旧 2ch 洒落にならない怖い話風 現代ホラー~

榊シロ
ホラー
【1~4話で完結する、語り口調の短編ホラー集】 ジャパニーズホラー、じわ怖、身近にありそうな怖い話など。 八尺様 や リアルなど、2chの 傑作ホラー の雰囲気を目指しています。現在 150話 越え。 === エブリスタ・小説家になろう・カクヨムに同時掲載中 【総文字数 800,000字 超え 文庫本 約8冊分 のボリュームです】 【怖さレベル】 ★☆☆ 微ホラー・ほんのり程度 ★★☆ ふつうに怖い話 ★★★ 旧2ch 洒落怖くらいの話 ※8/2 Kindleにて電子書籍化しました 『9/27 名称変更→旧:ある雑誌記者の記録』

都市伝説レポート

君山洋太朗
ホラー
零細出版社「怪奇文庫」が発行するオカルト専門誌『現代怪異録』のコーナー「都市伝説レポート」。弊社の野々宮記者が全国各地の都市伝説をご紹介します。本コーナーに掲載される内容は、すべて事実に基づいた取材によるものです。しかしながら、その解釈や真偽の判断は、最終的に読者の皆様にゆだねられています。真実は時に、私たちの想像を超えるところにあるのかもしれません。

葬祭会館で働いて

夕暮
ホラー
一級葬祭ディレクター 葬儀司会者として現場に立ち続け、実体験のホラーを書いてます 煎茶道師範 茶道恋愛小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

182年の人生

山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。 人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。 二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。 『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。 (表紙絵/山碕田鶴)  

処理中です...