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第9話:『無名の時代の胎動』
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非常階段から外へ出た瞬間、夜気は九条湊の剥き出しの神経を容赦なく叩いた。
砕かれた右腕。かつて最強の武器であった漆黒の外骨格は、梨沙の「慈悲」という名の波動に触れただけで、灰のような粒子となって崩れ去っていた。残されたのは、骨が粉砕され、肉が裂けた、無惨な「人間の腕」の残骸。
だが、九条は痛みに叫ぶことすら忘れていた。
「……九条先生。……外、……おかしいよ……」
隣を歩く加藤梨沙が、震える声で呟いた。
病院を脱出した二人の前に広がっていたのは、彼らが知る「街」ではなかった。
梨沙が一歩、アスファルトを踏みしめるたびに、その足跡から「黄金の鱗」を宿した未知の植物が、コンクリートを割って急成長していく。病院の周囲に配置されていたパトカーや救急車は、梨沙が放つ余波にさらされ、金属が有機的にねじれ、巨大な昆虫の抜け殻のようなオブジェへと変質していた。
梨沙の中に眠る真名、A.S.I.L.(アジル・イマ)。
彼女の覚醒は、この星の「梱包材」を強制的に解体し、あらかじめ定められた『外来起源記』の終章へと、世界を加速させていた。
「梨沙くん、前を見るんだ。……振り返ってはいけない」
九条は残された左手で、梨沙の細い肩を抱き寄せた。彼の右腕からは絶えず血が滴り、地面に落ちるたびに、その血さえもが「黒い這う虫」へと変わり、闇に消えていく。
彼は気づいていた。梨沙の力で砕かれたはずの右腕の深奥で、さらに禍々しい、そしてさらに「純粋な」何かが、彼女の放つ神性に呼応して再編(リビルド)を開始していることに。
「……九条先生。……私、……みんなを壊しちゃうの? ……私の周りで、……全部、……変わっちゃう……」
梨沙の瞳から、黄金の涙が零れ落ちる。その雫が触れた路上の雑草が、瞬時に巨大な鎌のような葉を広げ、月を仰いで咆哮した。
彼女は創造主ではない。ただ、宇宙から来た「命の蔵」の鍵を握る者。彼女が歩くことは、この星に構築された「偽神の秩序」を、無名の、剥き出しの宇宙へと還すことに等しかった。
「――止まれ! それ以上、女神を連れ去ることは許さん!」
街路樹が異形の触手へと変わる街角で、数台の黒い車両が二人を阻んだ。
降りてきたのは、病院にいた「番人」たちとは毛色の違う、重武装の集団。カインの末裔の中でも、実戦を司る『執行部』の者たちだ。彼らは梨沙が放つ変異の影響を最小限に抑えるため、全身を銀色の防護服――宇宙の塵を弾く「真空仕様」の装甲――で固めていた。
「九条湊。貴様はもはや解剖医ではない。……アジル・イマの毒を撒き散らす、汚染源だ。……女神を返せば、……楽に死なせてやる」
数十本の銃口が九条に向けられる。その銃弾は、神の構文を物理的に切断する、アベルの血族が隠し持っていた禁忌の兵器。
「……楽に死なせてやる、だと?」
九条は低く笑った。その左目が、ゆっくりと漆黒に沈んでいく。
砕かれてぶら下がっていた右腕が、梨沙の涙を吸い込み、不気味な脈動を始めた。
「私は、……彼女を『梱包材』から取り出すと決めた。……この世界の皮膚をすべて剥ぎ取り、……真実を白日の下に晒すと……!」
九条の右腕から、かつての「棘」を遥かに凌駕する、黄金の光を纏った漆黒の「大鎌」が、爆発的な勢いで芽吹いた。
梨沙の神性に触れ、砕かれ、再構築されたその腕は、もはや「外骨格」という言葉では形容できない、宇宙の法そのものを切断する「処刑道具」へと進化していた。
「梨沙くん、……目を閉じていてくれ」
九条が地面を蹴る。
アスファルトが巨大なクレーターとなって爆ぜ、銀色の番人たちの首が、一瞬で宙に舞った。
銃弾は九条の身体をかすめることもできない。彼の周囲では、梨沙の影響で時間が、空間が、因果が狂い始めていたからだ。
「……これが、……万物が等しく呼吸する『無名の時代』の始まりか」
九条は、血の雨の中で、美しく輝く梨沙の手を握り直した。
背後では、巨大な「命の蔵」となった病院が、空に向かって黒い触手を伸ばし、街を丸ごと飲み込もうとしていた。
解剖医・九条湊と、偽神・梨沙。
二人の逃避行は、そのまま人類という種の終焉を刻む、血塗られたパレードへと変わっていく。
砕かれた右腕。かつて最強の武器であった漆黒の外骨格は、梨沙の「慈悲」という名の波動に触れただけで、灰のような粒子となって崩れ去っていた。残されたのは、骨が粉砕され、肉が裂けた、無惨な「人間の腕」の残骸。
だが、九条は痛みに叫ぶことすら忘れていた。
「……九条先生。……外、……おかしいよ……」
隣を歩く加藤梨沙が、震える声で呟いた。
病院を脱出した二人の前に広がっていたのは、彼らが知る「街」ではなかった。
梨沙が一歩、アスファルトを踏みしめるたびに、その足跡から「黄金の鱗」を宿した未知の植物が、コンクリートを割って急成長していく。病院の周囲に配置されていたパトカーや救急車は、梨沙が放つ余波にさらされ、金属が有機的にねじれ、巨大な昆虫の抜け殻のようなオブジェへと変質していた。
梨沙の中に眠る真名、A.S.I.L.(アジル・イマ)。
彼女の覚醒は、この星の「梱包材」を強制的に解体し、あらかじめ定められた『外来起源記』の終章へと、世界を加速させていた。
「梨沙くん、前を見るんだ。……振り返ってはいけない」
九条は残された左手で、梨沙の細い肩を抱き寄せた。彼の右腕からは絶えず血が滴り、地面に落ちるたびに、その血さえもが「黒い這う虫」へと変わり、闇に消えていく。
彼は気づいていた。梨沙の力で砕かれたはずの右腕の深奥で、さらに禍々しい、そしてさらに「純粋な」何かが、彼女の放つ神性に呼応して再編(リビルド)を開始していることに。
「……九条先生。……私、……みんなを壊しちゃうの? ……私の周りで、……全部、……変わっちゃう……」
梨沙の瞳から、黄金の涙が零れ落ちる。その雫が触れた路上の雑草が、瞬時に巨大な鎌のような葉を広げ、月を仰いで咆哮した。
彼女は創造主ではない。ただ、宇宙から来た「命の蔵」の鍵を握る者。彼女が歩くことは、この星に構築された「偽神の秩序」を、無名の、剥き出しの宇宙へと還すことに等しかった。
「――止まれ! それ以上、女神を連れ去ることは許さん!」
街路樹が異形の触手へと変わる街角で、数台の黒い車両が二人を阻んだ。
降りてきたのは、病院にいた「番人」たちとは毛色の違う、重武装の集団。カインの末裔の中でも、実戦を司る『執行部』の者たちだ。彼らは梨沙が放つ変異の影響を最小限に抑えるため、全身を銀色の防護服――宇宙の塵を弾く「真空仕様」の装甲――で固めていた。
「九条湊。貴様はもはや解剖医ではない。……アジル・イマの毒を撒き散らす、汚染源だ。……女神を返せば、……楽に死なせてやる」
数十本の銃口が九条に向けられる。その銃弾は、神の構文を物理的に切断する、アベルの血族が隠し持っていた禁忌の兵器。
「……楽に死なせてやる、だと?」
九条は低く笑った。その左目が、ゆっくりと漆黒に沈んでいく。
砕かれてぶら下がっていた右腕が、梨沙の涙を吸い込み、不気味な脈動を始めた。
「私は、……彼女を『梱包材』から取り出すと決めた。……この世界の皮膚をすべて剥ぎ取り、……真実を白日の下に晒すと……!」
九条の右腕から、かつての「棘」を遥かに凌駕する、黄金の光を纏った漆黒の「大鎌」が、爆発的な勢いで芽吹いた。
梨沙の神性に触れ、砕かれ、再構築されたその腕は、もはや「外骨格」という言葉では形容できない、宇宙の法そのものを切断する「処刑道具」へと進化していた。
「梨沙くん、……目を閉じていてくれ」
九条が地面を蹴る。
アスファルトが巨大なクレーターとなって爆ぜ、銀色の番人たちの首が、一瞬で宙に舞った。
銃弾は九条の身体をかすめることもできない。彼の周囲では、梨沙の影響で時間が、空間が、因果が狂い始めていたからだ。
「……これが、……万物が等しく呼吸する『無名の時代』の始まりか」
九条は、血の雨の中で、美しく輝く梨沙の手を握り直した。
背後では、巨大な「命の蔵」となった病院が、空に向かって黒い触手を伸ばし、街を丸ごと飲み込もうとしていた。
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