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スピンオフ 二代目花房ルリヲ「イモウトパラレル」

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「加藤さん、わたしの彼…、わたしの彼オタクかもしれないんです!」 

 ぼくの部屋を訪ねてきた佳苗貴子から、ぼくはそんな相談を受けることになってしまった。 

 ぼくは彼女を部屋に招きいれ、妹にお茶を出させた。 

 妹が差し出したお茶に一口だけ口をつけると、 

「加藤さんは、えっと、その、エヴァンゲリオンって好き、ですか?」 

 彼女は、口にするのもためらうように、そう言った。 

 彼女の話によると、先日彼の部屋に遊びに行くと、ヱヴァンゲリヲン新劇場版のDVDを観せられた、とのことである。 

 その前のデートではヱヴァ特集が組まれた雑誌を手渡されて予習をさせられた、とのこと。 

 DVDを見終わった後は十三年前のテレビ版との違いを、延々彼女に語ったそうなのである。 

 しかし、彼はこれまで一度もそんなそぶりを見せたことがなかったのだそうである。


「本当に? 一度も?」 

 佳苗貴子が彼が付き合い始めてもう2年になるそうだ。 

 テレビ版との違いを語れる男が、今まで一度もそんなそぶりを見せなかった、そんなことがあるはずがない、とぼくは思ったのだ。 


「あった……ふたりでコンビニで買い物するとき、いつも一個100円もするシールつきのウェハース買ってた……」 

「それ間違いないよ、オタクだよ。ぼくでも集めてないよ」 


「親友が声優オタクだって話してたことがあった……。
 その人は10年くらい続いてるラジオを今でも録音し続けてるって……」 

「それ友達の話じゃないよ、自分の話だよ。ぼくでも録音してないよ」 


 佳苗貴子は泣きそうな顔をした。 


「わたし嫌なんです! 彼氏がオタクだなんて! 絶対嫌なんです! 加藤さん、彼がオタクかどうか確かめるいい方法ってないですか!?」 


 彼氏がオタクだなんて絶対に嫌なんです。 

 たぶんオタクの部類に入るだろうぼくはその言葉に少し抵抗を覚えたが、彼女はぼくのかわいい後輩だ。ぼくは彼がオタクかどうか確かめる12の方法を彼女に伝授することにした。 



① アニメキャラを「君」「さん」付けで呼ぶ。 


「彼、最後に出てきた男の子のこと、カヲルくんって呼んでた…」 

「それ間違いないよ、オタクだよ。ぼくも呼んでるよ」 


② アニメが好きなだけじゃなく、好きなアニメキャラがいる。 

「彼、シール付きのウェハース、シークレットの綾波が出るまで集めるんだって……」

「それ間違いないよ、オタクだよ。ぼくはオークションに出したら7万円の値がつくアスカの限定テレカとか持ってるよ」 


③ アニメキャラの声が別のアニメキャラと同じことがわかる。 

「彼、綾波レイの声が、らんまと同じだって…」 

「それ間違いないよ、オタクだよ。東京ブギーナイト録音してるんだよ」 


④ 声優の名前が言える。ちょっとしたプロフィール的なこともわかる。 

「彼、綾波レイは林原めぐみだって…。看護婦さんの免許もってるって……」 

「それ間違いないよ、オタクだよ。明日があるさとか読んでるよ」 


⑤ ふと口ずさむ歌がアニメソ…… 



「もういいです!やめてください!」 

 佳苗貴子は泣き叫ぶように言った。 

「加藤さんがものすごいオタクだってこと、もうわかりましたから……」 

 ぼくは彼女の肩を両手でぐいとつかみ、揺さぶった。 


「わからなきゃいけないのはそこじゃないだろう!!?」 





 佳苗貴子の相談に乗った後、彼女は大学の文芸誌に寄稿する短編小説を、寄稿する前にぼくに読んでもらいたい、と玄関口でぼくに言った。 

 なぜ彼女がぼくの部屋を知っているのかと言えば、大学に近いぼくの部屋は部員たちの溜り場になっていたことが一時期あったからだった。

 花柳たちがお酒を飲んで夜中に大騒ぎをしたことがあり、隣の部屋の経済学部生から苦情が未亡人の管理人さんの耳に届き、ぼくはこっぴどく叱られて部屋を部員たちの溜り場にすることを禁止されてしまっていた。 

 文芸誌に寄稿された小説は、部内で批評されることになるが、部長や今では滅多に顔を出すことのない先輩たちは、批評というよりは悪意しか感じられないような酷評をしてくれる。 

 プロの作家でも編集者でもない、中小企業に営業職で就職するか地方公務員になるのが関の山のただの読書好きの素人が酷評なんておこがましいとぼくは思うけれど。

 よりによってその悪しき伝統は酒の席で行われるから質が悪い。 


 小説を書きはじめたばかりの後輩たちの中には、それがきっかけで小説を書かなくなった者も多く、書き続ける者も寄稿する前にぼくに一度読ませて何を言われることになるかをぼくから聞き、あらかじめ心の準備をしておく、という暗黙の了解が部内で出来上がっていた。 

 ぼくが他人が書いた小説の良いところしか誉めない。

 酷評はぼくには性格的に向いていないのだ。

 だが部長や先輩たちが言いそうなことを指摘するくらいのことはできる。

 自分にも甘いかわりに他人に甘いということを後輩たちは知っているのだ。

 そう言えば花柳や氷山からもメールで小説が送られてきてい た。 

 ぼくは小説が印刷された数枚のA4の紙を受けとると、妹といっしょに大学へ行く佳苗を送り、大学前のバス停で彼女と別れた。 



 バスを待つ間にぼくは佳苗の小説を読み、まず良かったと思う点を、次に部長や先輩たちが言いそうなことを携帯のメールに打ち込み、彼女に送信した。 

 今回の文芸誌は全員参加ということだから、部員たちは佳苗や花柳や氷山のようにぼくに一番に小説を読ませる気だろう。

 面倒な役回りだなとぼくは思うが、こういう風にしか生きられないのがぼくなのだと諦めた。 


 ぼくたちはバスに乗り、藤が丘の駅に向かう。地下鉄藤が丘駅は地下鉄のくせに地上にあり、三つほどの駅を越えるまで地上を走る。

 名古屋駅のひとつ手前の伏見で乗り換えだ。乗り換えた後は一駅で大須観音駅につく。 


 大須は、以前書いたことがあったけれど、名古屋の秋葉原といった街であり、あちら側では「ぼく」と妹の実家兼父の事務所のマンションがある街だ。 

 妹に案内されてあちら側にある「ぼく」たちの家を訪ねると、確かにそこに、マンション「ぴゅあハウスれもん樹」はあった。 


「なんて恥ずかしい名前なんだ……」 


 正気のさたとは思えなかった。 


「でしょー。だから麻衣、住所書くときいつも恥ずかしくて困ってるんだー」 


 妹は言葉とは裏腹にうれしそうに、「ぼく」たちの実家は815号室だと話し、ぼくをマンションの入り口に手招きする。妹の持つカードで入り口のドアは開いてしまった。 

 当然だがこちら側の815号室には妹の知らない別の誰かが入居している。 


 ぼくは不法侵入を試みる妹の首ねっこを捕まえてマンションから引きずりだした。 


「エーン、エーン」 

 と、嘘泣きをする妹に、 

「演技そんなに下手だっけ?」 

 と、ぼくは妹の女優魂に火をつけてしまい、マンションのある通りを抜けて商店街のある大通りで思いきり泣かれてしまった。 

 いや、ちがうんです、この子ほんとに泣いてるわけでも、ぼくが泣かせたわけでもなくて、この子女優なんです、まだ売れてないから、いつでも泣けるように練習してるだけで、と、ちらちらとぼくたちを見る通行人たちにぼくはそんな言い訳をしていた。 


 妹はぼくを困らせるのを楽しんでいる節があり、 

「で、これからどこ行くの?」 

 と、涙をあっという間にどこかにやって、ぼくの腕に抱きついてきた。 


 妹の、小さな胸が、ぼくの腕にあたった。 


「ゲーマーズか、まんだらけか、――ちょっと遠いけど、とらのあなかな。コスパも一応見ないとな」 

 妹は一単語もわからない、という顔をした。 


「何買うの?」 

「朝比奈みくるのフィギュア」 

「誰それ」 

「凉宮ハルヒの憂鬱ってアニメに出てくる、未来人?」 


 だったと思う。

 後輩に勧められて一通り見たけれど、一年もまえの話で、あまり内容を覚えてはいなかった。 


「凉宮ハルヒって誰?」 

「凉宮ハルヒは凉宮ハルヒだよ。主人公」 


 いや、主人公はキョンだっけか。 


「なんで凉宮ハルヒさんは憂鬱なの?」 

 そんなことは作者に聞いてくれ。 


 ぼくは、三日前に妹の生徒手帳が本物であるかどうかを確かめるために電話をしたのが知り合いの探偵で、その探偵が依頼の報酬に美少女フィギュアを所望したことなどを話した。 

 妹は、探偵ってほんとにいるんだね、と興味深そうに目を輝かせて聞いていた。

 小説や漫画の中だけの職業だと思っていたらしい。ぼくは探偵になるための学校が(探偵学園ではなくガルエージェンシーとかいう名前だった)あることなどを妹に話した。 

 ぼくは二軒目のまんだらけでようやく朝比奈みくるのフィギュアを見つけた。

 ゲーマーズでは見付からず、途方にくれていたところだったから見つけたときの感慨深さといったらなかった。 


 朝比奈みくるはかわいい。 

 朝比奈みくるのフィギュアの入った赤い箱を宝物のように抱き締めて、レジへ向かうぼくに妹が言った。 


「お兄ちゃん、もてないでしょ?」 


 ぼくの腕の中には探偵用と自分用のふたつのフィギュアが抱き締められていた。

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