悪辣執事のなげやり人生 小話集

江本マシメサ

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番外編  ◇◆◇  大劇場にて  A good beginning makes a good ending――よい始まりがよい終わりとなる

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 ヴィクターは机の上にある二枚のチケットを前に、苦悶の表情を浮かべている。
 紙面にはわかりやすく、印刷がなされていた。

 女王主催慈善興業招待券。劇団・海 演目:『借り暮らしのご令嬢』 上演時間:二時間半

 つい先日、女王陛下より直筆の手紙が届いていたのだ。当然ながら、断ることなど許されない。人混みに自ら向かわなければならないことを、酷く憂鬱に思うヴィクター。
 それ以外にも、問題があった。
 正式な社交場なので、同伴者は必須。彼は、誰を誘えばいいものかと、悩んでいた。
 一緒に行けたらいいなと思う相手は一人しかいない。――アルベルタ・フラン・ド・キャスティーヌ。
 けれども、彼女は自らに利益がないと動かない悪辣な執事である。ヴィクターが願ったとしても、頷いてはくれないだろうと思った。
 イザドラは社交界デビュー前なので連れて行けない。口うるさい母親とは行きたくなかった。
 最後に頭の中に浮かんだのは、先日お見合いをした侯爵令嬢アン・ウイズリー・アングルシィ。四ヵ国の言語を習得した天才的な頭脳を持っているが、どうしてか自国語が一番片言である風変わりな娘だ。
 美人だが、絶望的なまでに気が合わなかったことを思い出し、即座に候補から外した。

 一向に問題は解決せず、はぁと大きな溜息を吐く。
 家の事情や、思うようにいかなかった人生に悲観し、長年自棄になっていたヴィクターであったが、アルベルタとの出会いを経て、真面目に生きようと思い直していた。
 最近は社交界での付き合いもこなしつつある。まっとうな貴族としての一歩を踏み出していたのだ。
 そんな中で立ちはだかる女王からの招待状。彼にとって大きな試練となった。
 こうなれば、男らしく誘おう。断られたら、諦めもつくと、腹を括る。
 ちょうどアルベルタが紅茶を運びにやってきた。勇気を振り絞って、話を持ちかける。
「おい、話がある」
「はい、なんでしょうか?」
 柔和な笑みを浮かべていたアルベルタであったが、ヴィクターが思いつめた顔で話しかけるので、一瞬で真顔となり、警戒するような様子を見せていた。
 その態度を見て、余計に言いにくくなる。
 ぎゅっと膝の上で拳を握り、自らを奮い立たせると、用件を口にした。
「頼みがあるのだが、叶えてもらえるだろうか?」
「内容にもよりますが、九割の確率で断ると思います」
「お前……!」
 身も蓋もない返事をするアルベルタ。ヴィクターは心の中で盛大に落ち込む。
 誘う意味はあるのかと思ったが、どちらにせよ、先のスケジュールとして伝えなければならないので、事情を説明することにした。
「女王陛下主催の慈善興業に行かなければならない。お前に同行を頼みたかったのだが……」
「女王様は、どのような興業を?」
「劇を上演するらしい」
 チケットをアルベルタの目の前に差し出せば、興味があるのか、食い入るように見つめていた。
「これは」
「どうした?」
「いえ、知っている作品でしたので」
 『借り暮らしのご令嬢』――それは最近アルベルタがイザドラから借りた本だった。
「本の貸し借りをするほど仲が良いとは、意外だな」
「光栄なお話です」
 ヴィクターも背後の本棚を顎で示し、何か貸そうかと冗談めかして言ったが、アルベルタは「いいえ、結構です」と笑顔で返す。今日もつれない執事であった。
「イザドラお嬢様は、休日に私が飲んだくれてばかりいると思い込んでいて、本でも読んで過ごすようにと貸してくださったのです」
 しれっとした顔で「飲酒は嗜む程度なのですが」と話すアルベルタであったが、それに疑いの目を向けるヴィクター。
「それよりも、個人的には気になりますね、演劇版の『借り暮らしのご令嬢』。原作の内容がとても好みだったもので」
「どういう物語なんだ?」
「没落貴族令嬢が、貴族の家で労働をするお話です」
「どこかで聞いたことのある話だな」
「よくある話でしょう」
「まあ、時代が時代だからな」
 反応が良かったので、ヴィクターは再度アルベルタを誘ってみる。すると、彼女は喜んでと返事をした。
「良いのか?」
「同じお言葉をお返ししますが。本来ならば、親しい女性を誘うのが礼儀ですが」
「親しい女はいない」
「左様でございましたか、残念です」
 今日も三件のお見合いを断ったばかりなので、最後の一言はどこか棘のある物であったが、とりあえずは行ってくれることになった。
 ヴィクターはアルベルタが去ったあとで、ホッと胸を撫で下ろす。

 ◇◇◇

 興業日当日。
 アルベルタは美しく着飾った姿で現れた。人で混み合う会場内でも動きやすいよう、直線的なハイウエストのドレスを纏っている。深い青のドレスはアルベルタの魅力をさらに引き立てるものであった。
 ヴィクターはその姿に、しばし見惚れる。
「――旦那様、そろそろ出発のお時間です」
「ああ、そうだな」
 二人は揃って都の大劇場へと馬車で向かった。
 劇場の周辺は、以前行ったオペラの時と同様、大変な混雑していた。動く気配がまったくないので、途中で降りる。
 道も大劇場へと足を運ぶ男女で溢れていた。
 ヴィクターはアルベルタの手を取り、傍へと引き寄せる。
「あっ、旦那様」
「こうでもしないと逸れるから、仕方がないだろう」
 一度逸れたら、再会は絶望的。それほどまでに、道は混み合っていたのだ。
 アルベルタも同意したからか、それ以上何かを言ってくることはなかった。

 やっとのことで劇場まで辿り着いた。エントランスも大変な賑わいを見せている。
 幸い、ヴィクターとアルベルタを気にする人は、どこにもいなかった。受付でチケットを渡し、指定されている席に腰かける。
「やっとここまで来られた」
「ええ」
 二人して、安堵の息を吐き出す。席は一階の真ん中。舞台がほどよく見える席である。
「楽しみですね」
 珍しく、にこにこと笑顔で話しかけてくるアルベルタ。
 執事の時とは違い、着飾った時は女性らしい様子を見せてくれる。
 叶うならば、ずっとドレスを着て、隣で微笑んでいて欲しい――そんなことを考えていたら、辺りは暗くなり、演目が始まる合図である鐘が鳴り響く。
 アルベルタは居住まいを正し、上がっていく垂れ幕に期待の眼差しを向けていた。

 劇団・海による、演目『借り暮らしのご令嬢』の上演開始となる。

 物語は主人公、ベルナール・オルレリアンが宮廷舞踏会にて、『麗しの薔薇』と呼ばれていた絶世の美少女、アニエス・レーヴェルジュと出会うシーンから始まる。
 ベルナールは子爵家の五男で、騎士として身を立てていた。
 田舎町を領する親からの財産はほぼなく、慎ましい生活を送っていたのだ。そんな彼は、大貴族の娘であるアニエスとどうにかなりたいとはまったく考えておらず、挨拶をするだけだと思い、近づいた。
 一方、アニエスは思いがけない行動にでる。
 彼女はベルナールを、田舎者だと蔑むような目で、睨んできたのだ。
 出会いは最悪。
 双方はまともに会話を交わすこともないまま、別れることになった。
 それから五年後――アニエスの実家は没落をする。
 思いがけない場で再会したベルナールは、アニエスに自分の家で使用人として雇ってやると、意趣返しのつもりで提案をしたが、事態は思わぬ方向へと転がり――

 アルベルタは一度本で読んでいるにもかかわらず、劇に夢中になっているようだった。
 楽しんでいるような横顔を見ながら、勇気をだして誘ってよかったと、心の底から思う。

 終演後、知り合いなどに話しかけられたら面倒なので、ヴィクターとアルベルタは受付で寄付を済ませ、そそくさと会場をあとにする。
 帰りの馬車の中で、やっと一息吐くことができた。
 ヴィクターは、アルベルタに感想を聞いてみる。
「どうだったか?」
「演者も脚本も、素敵な内容でした。きて良かったです」
「そうか」
 アルベルタは逆境にもめげないヒロインの姿を見て、心を打たれたと話す。
「私も、前向きになって頑張ろうと思いました」
「お前は十分頑張っている」
「……ありがとうございます、旦那様」
 照れたような表情で微笑むアルベルタ。その可憐な表情を、ヴィクターは記憶に焼きつけていた。

 暗い夜道を馬車は走り、家路につく。
 二人にとって、充実した一日であった。
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