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今の兄のことを、僕はあまり知らない。大学で建築を専攻して、卒業後は設計の仕事をしているはずだが、詳しいことは分からない。
進学のため家を出た兄と顔を合わせるのは盆正月くらいで、両親が海外に移ってからはそれさえもなくなった。就職で地元に戻り、同じ県に住んでいることは知っている。電話で何度か話したりはしてきたが、実際に会うのは数年振りだ。
兄からメールが来てから約束の日までの一週間、いろんなことが手につかなかった。仕事中は割り切ることができたが、それ以外の時間は大体ぼんやりしていた。
佐藤君は先週同様、大学の合間に家事を受け持ってくれていて、僕よりずっと普通に見えた。そのことがより僕を落ち着かなくさせた。
彼にとって今の生活はあくまで一時的なもので、兄が父親かどうかがはっきりすれば、通常の生活に戻っていく。本当に佐藤君は兄の子なのかどうかということより僕は、佐藤君がくれたこのほんわかした時間がなくなることを気にしているのだった。
「……村上さん、何か、緊張してます?」
兄が来る予定の時間まで、もうあと一時間もない。僕は息を大きく吸い込んだ。
「何かごめん。僕が焦る場面じゃないですよね」
本当なら、自分が彼のフォローに回るべきなのに。申し訳ない気持ちになりながらそう言うと。
「そんなことないです。俺だけ緊張してるよりは、よっぽどましです」
「佐藤君、緊張してるの?」
「それは、しますよ。どんなひとかなって気になるし。相手が何て言うのか、考えたら……」
見た目にはあまり表れていないが、彼も相当ドキドキしているらしい。よく見ると、指先が微かに震えていた。
自分の本当の父親。僕はもう会うことが叶わないけれど。もし、会うことができるとしたら。
過ごした時間の長さが、家族だと思っていた。いちばん側にいて、同じものを見て。そういう、ひとつひとつの積み重ねが、家族だと。でも、それだけではないかもしれない。血が繋がっているという、ただそれだけで通じ合う、そういうことももしかしたらあるかもしれない。
約束の時間通りにチャイムの音がして、僕と佐藤君は互いの顔を見合わせた。唾を飲み込む音さえ明瞭に聞こえてしまう。
「僕が、出るね」
はい、と答える彼の声は掠れていた。僕を父親だと勘違いしていた夜の方が、いくらか余裕があったような気がした。
「ちょっと待ってて」
彼をリビングに残し、玄関へと向かう。玄関先で深く息を吸って、吐いて。ゆっくりと、扉を開けた。
「瑞希」
電話で聞いていたときよりも幾分低い声だった。百八十を越える長身は、見上げないと視線が合わない。切れ長の瞳が、記憶に違わぬ笑顔を見せる。
「久しぶり」
なかなか年相応に見られない自分とは違い、三十代半ばの兄は落ち着いた大人の男になっていた。こどものひとりやふたりいてもおかしくはない年だが、十八歳のこどもがいるようにはもちろん見えない。僕は早鐘を打つ自分の心臓の音を聞きながら、兄を連れてリビングのドアを開いた。
佐藤君が、弾かれたようにソファーから立ち上がる。
「佐藤君……。兄です」
複雑な空気の中、僕は必要なことだけ言葉にした。佐藤君は少し早口で。
「佐藤大地です」と兄に言った。
静寂の音を背景に、僕は兄の方を見た。瞳がわずかに揺れている。驚きか、あるいはそれ以外の何かによって。
「村上雅紀です。座って、話そうか」
兄が、佐藤君の正面に座る。僕は少し考えてから、佐藤君の隣のスペースに腰を下ろした。
「早速、本題なんだけど」
騒がしくなる鼓動を抑えるべく、僕は胸元に手をやった。
「結論から言うと、俺が君の父親である可能性は極めて高いと思う」
やっぱり、という気持ちと、疎外感にも似た寂しさが胸の奥で交錯した。
「俺にはその覚えがあるし、彼女が俺以外の誰かと同時期に付き合っていたとは思えない」
言葉の響きに、確信があった。各々の思いを包括した沈黙。必要なら、と兄は言った。
「調べてもいい」
「いえ、……結構です」
佐藤君は兄が来てから初めて、笑った。
「母が言ったことをあなたは否定しなかった。それで、十分です」
「そうか」
人は、言葉なしに解り合えることがある。真実よりも、確かなことがある。僕は静かにその空気の中にいた。
進学のため家を出た兄と顔を合わせるのは盆正月くらいで、両親が海外に移ってからはそれさえもなくなった。就職で地元に戻り、同じ県に住んでいることは知っている。電話で何度か話したりはしてきたが、実際に会うのは数年振りだ。
兄からメールが来てから約束の日までの一週間、いろんなことが手につかなかった。仕事中は割り切ることができたが、それ以外の時間は大体ぼんやりしていた。
佐藤君は先週同様、大学の合間に家事を受け持ってくれていて、僕よりずっと普通に見えた。そのことがより僕を落ち着かなくさせた。
彼にとって今の生活はあくまで一時的なもので、兄が父親かどうかがはっきりすれば、通常の生活に戻っていく。本当に佐藤君は兄の子なのかどうかということより僕は、佐藤君がくれたこのほんわかした時間がなくなることを気にしているのだった。
「……村上さん、何か、緊張してます?」
兄が来る予定の時間まで、もうあと一時間もない。僕は息を大きく吸い込んだ。
「何かごめん。僕が焦る場面じゃないですよね」
本当なら、自分が彼のフォローに回るべきなのに。申し訳ない気持ちになりながらそう言うと。
「そんなことないです。俺だけ緊張してるよりは、よっぽどましです」
「佐藤君、緊張してるの?」
「それは、しますよ。どんなひとかなって気になるし。相手が何て言うのか、考えたら……」
見た目にはあまり表れていないが、彼も相当ドキドキしているらしい。よく見ると、指先が微かに震えていた。
自分の本当の父親。僕はもう会うことが叶わないけれど。もし、会うことができるとしたら。
過ごした時間の長さが、家族だと思っていた。いちばん側にいて、同じものを見て。そういう、ひとつひとつの積み重ねが、家族だと。でも、それだけではないかもしれない。血が繋がっているという、ただそれだけで通じ合う、そういうことももしかしたらあるかもしれない。
約束の時間通りにチャイムの音がして、僕と佐藤君は互いの顔を見合わせた。唾を飲み込む音さえ明瞭に聞こえてしまう。
「僕が、出るね」
はい、と答える彼の声は掠れていた。僕を父親だと勘違いしていた夜の方が、いくらか余裕があったような気がした。
「ちょっと待ってて」
彼をリビングに残し、玄関へと向かう。玄関先で深く息を吸って、吐いて。ゆっくりと、扉を開けた。
「瑞希」
電話で聞いていたときよりも幾分低い声だった。百八十を越える長身は、見上げないと視線が合わない。切れ長の瞳が、記憶に違わぬ笑顔を見せる。
「久しぶり」
なかなか年相応に見られない自分とは違い、三十代半ばの兄は落ち着いた大人の男になっていた。こどものひとりやふたりいてもおかしくはない年だが、十八歳のこどもがいるようにはもちろん見えない。僕は早鐘を打つ自分の心臓の音を聞きながら、兄を連れてリビングのドアを開いた。
佐藤君が、弾かれたようにソファーから立ち上がる。
「佐藤君……。兄です」
複雑な空気の中、僕は必要なことだけ言葉にした。佐藤君は少し早口で。
「佐藤大地です」と兄に言った。
静寂の音を背景に、僕は兄の方を見た。瞳がわずかに揺れている。驚きか、あるいはそれ以外の何かによって。
「村上雅紀です。座って、話そうか」
兄が、佐藤君の正面に座る。僕は少し考えてから、佐藤君の隣のスペースに腰を下ろした。
「早速、本題なんだけど」
騒がしくなる鼓動を抑えるべく、僕は胸元に手をやった。
「結論から言うと、俺が君の父親である可能性は極めて高いと思う」
やっぱり、という気持ちと、疎外感にも似た寂しさが胸の奥で交錯した。
「俺にはその覚えがあるし、彼女が俺以外の誰かと同時期に付き合っていたとは思えない」
言葉の響きに、確信があった。各々の思いを包括した沈黙。必要なら、と兄は言った。
「調べてもいい」
「いえ、……結構です」
佐藤君は兄が来てから初めて、笑った。
「母が言ったことをあなたは否定しなかった。それで、十分です」
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