洒落にならない化け物でも話せばわかるって本当ですか?

九月二十三日

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洒落にならない化け物でも話せばわかるって本当ですか?

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 頭上から端末から、けたたましく鳴り響いた緊急コードは白の〇一マルイチ、管理生体C-r192――通称《ホワイト》の異常脱走コードである。

「今度は誰が何トチった!」

 椅子を蹴倒しながら吐き捨てれば、飛び込んできた同僚が「ごめんたぶんうちの三木!」と叫んで答えた。叫ばれた名前は先月新しく入った奴だ。後遺症だか離脱症状だか手の震えがある気の弱い奴で、些細な物音にも驚いて声を漏らす姿はいかにもホワイトと相性が悪そうだった。
 事実悪かったらしいが、舌打ちは抑えられない。ロッカーを殴るように閉める。

「だからって白〇一マルイチ出すなよ!」

 他の管理生体と比べ、ホワイトは脱走回数が飛び抜けて多い。経路も手段も多岐に亘る脱走を繰り返した結果、あれに設定された脱出警報は現時点で十一種類だ。
 コードの大半は、対処と再収容が面倒なだけで危険性はさほど高くない。だが今鳴っているものは、十一種類のうちもっとも使用頻度が低いのに人損数は最高値の、ホワイト脱走において最悪の事態を意味する白〇一マルイチだ。

「《ホワイト》の位置は?」
「監視カメラからして……北階段通って三階端?」
「角廊下行っててくれたら助かるんだが」

 監視カメラはホワイトの位置を大まかにしか特定しない。通った箇所から壊れるからだ。実際の位置は現地で確かめるしかない。
 他の同僚と共に階段を駆け上がり、イヤーマフを手に廊下を走る。階が上がるにつれ床に傷が目立った。目をやった壁も天井も同じ、ヤスリで滅茶苦茶に削られたような細かい傷がついている。ホワイトに近付いているのだろう。
 三階まで残り数段となった時、先を走っていた同僚が突然足を止めた。挙げられた左手に従って停止する。

「――――――」

 何事かはすぐに察しがついた。
 背中から覗いた廊下の先では、先行していたらしい同僚たちが倒れ伏していた。装備は見てわかるほど擦り切れている。小規模の血だまりを作っている奴もいた。
 床を見下ろせば、数歩向こうを境界として傷が激しくなっている。この先にホワイトがいるのは間違いない。同僚に合図を出して足を進める。
 転がっている同僚たちはほとんど身動ぎしない。何人かが時折カエルのように痙攣するか、不明瞭なうめき声を漏らすだけだ。試しに一人に触れてみたところ、かろうじて脈はあった。幸いというべきか全滅まではしていないらしい。

「……まだ死んではないか。退くのは……無理だな。二次被害出される方がまずい。……先に行く、そこで待機してろ。退避準備待機」

 同僚が了解を返したのを確かめて立ち上がる。
 廊下の奥へ進むにつれ壁や天井の傷が増えていく。動かない同僚の数もだ。階段近くでは見なかった、装備を着けていない職員もいる。外傷がやけに多い。手足を歪にねじ曲げられているのはまだ軽微な方で、酷いものでは右半分の原形を失っている。下半身の皮を剥がれた職員もいた。不思議そうな顔で己の腹を見下ろしている。
 惨状は何度見ても慣れる光景ではない。マスクを貫通する血臭、破壊された人体への恐怖は勤めて七年経ってなお健在だ。
 何より恐ろしいのは、ここまで致命的に壊された職員が死んでいないということ。ホワイトは人を殺さないで壊す術に長けている。
 嗚咽と雑音とで廊下中が騒がしい。鼓膜を針で直接刺されているような騒音はもはや頭痛だ。何年も晒されながらいまだ慣れない筆頭である。
 どんどんを増す騒音に耐えて足を進めた突き当たり、曲がり角の向こうを顔だけで覗いて――――すぐに引き返した。

「メガホン持ってこい!」

 階段付近で固まって待機している同僚たちは、全員がイヤーマフで耳を塞いでいる。通信機を通さない声では聞こえないとわかっていても叫んだのは無意識だった。
 驚いた様子の彼らに改めて手信号で伝え、走る後輩を横目に見送りながら、群れにいた一人を連れて下の踊り場まで後退する。ここまでくればさすがに耳を塞がなくても狂いはしないだろう。
 防音具を外すよう指示すれば、同僚は困惑しつつもヘルメットを脱いだ。

「なに、どうしたの糸野」
「お前のとこに新しく入った奴」
「え? 三木?」
「その三木。そいつ何やらかした」

 同僚の目が逃げるように宙を泳ぐ。

「えー……そんなヤバい?」
「僕でも近寄れない。いつもより手を出してる数も多いし、相当機嫌悪いぞ、あれ」

 覗いた曲がり角の向こう。直線数メートルの先には案の定とでも言うべきか、騒音の主――ホワイトがいた。思い出すだけで頭が痛くなる。
 壁を背にして立つ人影と、それを中心に酷く削れた壁と抉れた床。壊されて中身の見える人体の残骸と、吐きそうなほど濃い血と脂の臭い。
 何より、脳を滅多刺しにせんばかりの凄まじい騒音。
 おぞましい光景すべてを背景に押しやる巨大な音は、ホワイトの声だ。監視カメラを通るはしから壊したのも、床や壁を傷付けたのもそう。
 管理生体C-r192。通称《ホワイト》、正式名称を《ホワイトノイズ》は名前の通り、本体からホワイトノイズと似た音を発する。声でもあるその音はテレビの砂嵐を最大音量にしたものと近しいが、画面の砂嵐と異なる点は単純、実害を伴うというところだ。
 三桁をゆうに超える音圧を示すホワイトの声は、衝撃波とでもいうのか、無機物、有機物の区別なく周囲を破壊する。通り過ぎざまにチタン製のドアを削ってねじ曲げるくらいだ。人の鼓膜は当然のごとく破れる。
 だが、何より厄介な点は他にある。物理的損害ではない。ホワイトが常軌を逸している点は、あれの声はどんな些細な声量であれ、人間の精神に異常な負荷をもたらすという点だった。
 個人差もあるが概ね三分が発狂のボーダーラインだ。そのため対ホワイト装備には必ずノイズキャンセラー付防音具が組み込まれている。完全な対処ではないが、声さえ打ち消せれば危険性は格段に下がるとのことらしい。正直なところ大差ないと思うが。

「たぶん三木だって言っただろ。何やらかした。心当たりは?」
「心当たりって言われてもなあ……現場にいたんじゃないし、わかるわけ……、…………」
「心当たりがあるんだな?」
「や、待って? たぶんまさかそんな違うと思うし」
「アレを一番理解してるのは僕だ、お前が決めるな。いいから吐け」
「その自信何だよぉ……」

 妙なところで言葉を切った同僚は大変わかりやすい。逃げようとするのを緊急事態だぞと揺すって蹴れば、弱々しい声でようやく答えが吐き出された。

「そういえばちょっと前に三木がお前のこと聞いてきたな~って……ほらお前毎日出勤してるじゃん。ていうかもはや住んでるじゃん。それ聞かれたくらいだよ……」
「僕? ……なんでだ?」
「なんでって、お前、三木に懐かれてただろ。お前はホワイトしか眼中にないから気付いてなかっただろうけど……」

 上目に睨まれて首を傾げる。三木はかろうじて顔と名前が一致するくらいだ。懐かれる扱いをした覚えは欠片もない。ついでにホワイトしか眼中にないという認識にも異論を唱えたい。少々特殊なだけで距離自体は適切だ。

「それは後で話し合うとして、結局お前は三木に何を話したんだ」
「話したって言っても世間話の延長みたいなものだよ? 関係ある?」
「意味があるかは僕が決める。二度も同じことを言わせるな」
「えー……いやでも本当、たいしたことじゃないんだけど……お前が普段どう過ごしてるとか、趣味とか……あと流れで好きなタイプとか……」
「あ?」
「え、いや、お前好きなタイプ公言してるじゃん。手の掛かる子が好きって……え、え?」
「それか……!」

 ホワイトの機嫌が悪い理由を確信する。同時に、道中の被害者に三木らしき人物が見当たらなかった理由も。

「糸野、え……マジ? マジで? 本気で言ってる?」
「嘘だと打つ手がなくなるが? ……まあ、僕も信じたくはない。冗談だったらどれだけいいか」

 ようやく戻ってきた後輩からメガホンを受け取り、青ざめた同僚を押しのけ再度廊下へ踏み出す。目指す最奥はもっともノイズの酷い場所だ。
 かつてなく機嫌の悪いホワイトの声は、ヘッドホンのノイズキャンセラー程度たやすく上回る。最奥はおろか直線の半分も行けないだろう。すなわち、通常装備しか持たない職員は誰もホワイトの元へ辿りつけないということだ。
 ただ唯一の例外――ホワイトの声に耐性がついてしまった僕を除いては、誰も。
 自費で買った百均のメガホンは不安になるほど軽い。強く握り過ぎれば凹むのが余計不安を煽るが、頼れるのはもうこの簡素な拡声器しかないのだ。
 辿りついた曲がり角を前に大きく息を吸い込む。覚悟はもとより決めている。
 メガホンを口に当てて角に向き合い、同時に腹に力を込めて。

「ホワイト――――ッ! 言っておくが僕は! 浮気なんぞ! してないからな――ッ!」

 一瞬。
 廊下を支配していたノイズがふつっと途切れた。直後さらに大きくなって返ってきた声に慌てて耳を塞ぐ。
 耐性があるとはいえ、多少人よりメンタルが丈夫だった結果、ある程度までならホワイトの声に狂わなくなっただけだ。完全に無効になったわけではない。今のように大き過ぎる声量には同僚たちのように耳を塞ぐしかないし、長く話し過ぎた日は今でも嘔吐する。
 だから普段はホワイトも加減しているはずなのだが、今日はそれもないほど不機嫌らしい。

「何――――ッ!? まったくわからん! 音抑えろ馬鹿――!!」

 今度の返事もまた頭を割らんばかりの音量だったが、先ほどよりは心持ち抑えられていた。それでも頭と耳が痛い。もっと下げてほしい。たぶん無理だろうな。
 塞いだ手も貫通する音量の声は、意味はともかく害意だけが明確だ。矜持だけで持ち直して息を吸う。

「だーかーらー! 浮気! して! ない!! 言ってるだろまず話を聞け――ッ!!」

 自棄になって叫べばやっと、暴力的だった音量が聞き取れなくはない程度の痛さにまで下げられた。大丈夫だと判断して廊下の角を曲がる。
 覗いた時のまま、廊下の突き当たりにホワイトはいた。うっすら発光する姿は見惚れるほどだが、周囲には人体の残骸が飾り付けられている。惨状分でマイナスだ。
 圧が下げられて多少聞き取りやすくなったとはいえ、まだ近付ける声量ではない。

「まず聞け! 話せ! 会話しろ――ッ! 何のためにお前のを覚えたと思ってるんだ! 僕の努力を無駄にする気か――ッ!」

 一年目は毎週一度は死にかけた。二年目にノイズが声だと理解した。三年目でようやく聴き方を掴んで、言葉があると知ったのは四年目、幻覚幻聴に苛まれながら声を聴いたのは五年目だ。
 無意味無作為のノイズにしか聞こえない声が作る言葉を、文字通り血反吐を吐いて覚えた。お前だけが話す言葉を覚えた。
 それを、よりにもよってお前が蔑ろにするのか。

「……………………。……、…………よし」

 叫ばなくても届くよう絞られた声にひとつ頷く。
 廊下の最奥ではホワイトがごく控えめに体を明滅させていた。暗所で見れば深海魚だろうが、照明の下では奇怪な生物の威嚇だ。もしくは攻撃準備。

「ホワイト」

 抑えられたノイズが唸る。露骨に機嫌が悪い。
 化け物退治には暴力が正解だ。だが、ホワイトとの間で真っ先に持ち出すものではない。まさしく化け物であるホワイトは人間の暴力程度たやすく踏みにじるだろうが、それ以前の問題だった。
 ホワイトは化け物であると同時、恋人だ。
 すれ違った恋人たちは何をおいてもまず、最初にするべきことがある。

「――――話し合いだ」

 至極当然の提案に、何より喧しい恋人は声のかわり、首を縦に振って答えた。






「まず主張したいんだが、僕は浮気してない」

「は? 弁解? だから言い訳じゃないって言ってるだろ、そもそも浮気してないんだから。三木だったか? そいつから何を聴いたかは知らんが、僕は――あ! お前! やっぱり三木持ってたな!?」

「ああいや待て、駄目、駄目だやめろ! 違う、浮気相手じゃない! 無闇に壊すな!」

「…………はい。どこまで話した? ……うん。そうだな、三木だ。その、できの悪いぬいぐるみみたいになってる奴」

「三木は僕の浮気相手じゃないし、僕は浮気してない。……いや言い訳とかじゃなくてな? 懐かれてたらしいが僕はそいつの顔すら曖昧だったぞ? たぶんお前の方が三木を覚えてる」

「第一な、考えてみろ。僕にいつ浮気できるような暇がある? 平日は仕事でお前に会いに来てるし、休日も大体そうだろ。……仕事終わり? お前といるだろうが!」

「納得したか? ……浮気してない。できる暇もないし、するわけがない。お前で手一杯だよ」

「言われても……好きになられるような覚えなんて少しもないんだが……? 人の内心なんてどうこうできるものじゃないからな……まさか一生お前以外と喋らないわけにも……。……駄目だぞ? 駄目だからな? 全人類死んだらさすがに僕も死ぬぞ?」

「……指輪でもするか?」

「わかった、わかったから! 音! 下げろ! 気が狂う!!」

「給料三ヶ月分? 誰から聴いたんだそんなの……。三ヶ月分でも十二ヶ月分でも出してやるけど、僕の場合は給料三ヶ月分というより血反吐と胃液七年分だな。……なあ、今の喜ぶところあったか?」

「で……その三木だが。はい吊し切りしない。穏便に渡してくれるか? 駄目? ……綺麗に折れるならちょっとくらい骨折ってもいいぞ? いや内臓は駄目。背骨も駄目。直せるところにしなさい」

「それ本当に死んでないんだな? 死んでないんだよな?」

「…………落ち着いたな? もういい……駄目か。これ以上何が不満なんだ。浮気じゃないのはもうわかったんだろ?」

「そうやって意地張っててもいいが、近付けない以上は手繋ぐのもキスも何もできないぞ。それでもいいんだな?」
「ちなみに僕はまったくよくない!」

「はい、じゃあ仲直り。……あ、先に言っとくが当分泊まりはできないぞ。当たり前だろ!? 今日だけで何人壊したと思ってるお前!」

「わかったな? だったら……何? は? …………………………」

「……わかった。ほら、おいで」





「あいつ本当に大丈夫かなぁ……」

 ヘルメットの内側でひとり呟き、糸野が消えた廊下の奥に目を凝らす。
 普段は心許ないイヤーマフだが肝心の対象以外には優秀だ。呟いた独り言も、廊下に山と落とされている半死体――もとい同僚後輩先輩以下諸々の呻きも、ひとつとして聞こえない。
 死屍累々が広がる廊下、その最奥で何が行われているか――どんなが交わされているかも、遠く離れたこの場所からではまったく窺い知れなかった。ノイズキャンセラーが徹底された対《ホワイトノイズ》装備の中で存在を許されている生の音は、鼓膜の内側を流れる血の音と筋肉の軋みだけだ。
 あとは、唯一の例外である糸野。
 防音装備なしには対処できない、音の化け物と生身で会話できるただひとりの男。
 その糸野が「ちょっと話し合ってくる」とメガホン片手に廊下の奥へ向かってから、そろそろ三十分が過ぎようとしている。インカムは依然として沈黙したままだ。
 同じく待ちぼうけている周囲の同僚たちを見回せば、不安と恐怖に心配を混ぜた表情がメット越しに見えた。
 精神の強さがほとんど狂人の域にある糸野だが、妙な愛嬌と面倒見の良さで意外と人好きのする男だ。案じる者は少なくない。
 様子を見に行きたい思いはあるが、先の大音声を知っている以上、誰もが踏み出すに踏み出せないのだろう。万が一あの声量が放たれれば高確率で発狂する。そうでなくても、糸野に「来るな」と指示されたからには従わざるを得ない。
 なにせ糸野は、あの《ホワイトノイズ》に――一定密度の周波数を繰り返すだけの音に――狂気じみた執念で向き合い、五年かけて言語と自我を見出した挙げ句、どういう転がり方をしたのか化け物を恋人の位置に収めた男だ。
 糸野以上の適任者はいない。そうとわかっていても不安感が拭いきれないのは、超常と異常の化け物たちに『絶対』はないと、身をもって知っているからだ。
 昨日や一時間前までは通じた対処法が、今日この瞬間には無駄な抵抗になるなんて数え切れないほどある。大丈夫だと笑っていた同僚が、瞬きの次には原型を思い出せないくらい壊されることだって、さして珍しくはない。
 誰より《ホワイトノイズ》を熟知しているはずの糸野だって、過去何度も大怪我を負わされている。死にかけた回数は片手で足りない。
 使い捨ての道具のように人が死ぬ職場だ。そんな地獄で共に七年生き延びてきた、今となっては数少ない同期はできるなら失いたくなかった。
 今回も生き延びてくれと祈るかわりに、シールドの持ち手を固く握り締めていると、不意にノイズが聞こえた。背筋に緊張が走るがすぐ霧散する。
 耳朶に触れたのは聞き慣れた糸野の声だ。

『あー……こちら819052、糸野。管理生体C-r192《ホワイトノイズ》の鎮圧が完了した。同行して個室に連れ戻す。待機中の者は全員避難を――……あ? 何? ……はぁ? おま………………わか、わかったから。うん、後でな、だから今は、こら、ホワイト!』

 息を呑んで待つこと十数秒。

『……失礼、……――再収容が完了するまで全員待機。現在地はC棟三階北、帰還にはC棟北階段から一階通路を通る。C-r192は現在沈黙しているが、各員においては適宜距離を取るように』

 糸野が簡潔に言い置き、通信が切れる。背後に混じっていたノイズは環境音ではないだろう。
 ひとまずの鎮圧宣言を受けて安堵が広がるが、指示されたのは退避ではなく待機だ。周囲を見渡せば同じような戸惑いの顔が見えた。
 常とは異なる指示だからといって従わない選択はない。《ホワイトノイズ》の場合は特にそうだ。同僚たちと顔を見合わせつつ、北階段を見通せる位置まで下がる。
 程なくして廊下の角から人影が現れた。その姿を見た誰かの、『えぇ……?』という呟きがインカムから聞こえる。一切が沈黙した中でよく響いた呆然そのものの声に、糸野が気まずさも露わに目を逸らす。

『……こうしないと帰らないと言われたんだ』

 お姫様抱っこ。
 いつも通り唯一素顔を晒している糸野の腕には、質感も凹凸も曖昧な、人間大の白色発光体が抱えられていた。言うまでもなく管理生体C-r192こと《ホワイトノイズ》だ。
 運搬のために捕まえている時とは違い両腕でしっかり丁重に抱えている。人の形はしていなくても、その姿勢がお姫様抱っこに相当するのは明らかだった。
 糸野が《ホワイトノイズ》と交際関係にある――と主張している――ことは衆知の事実といえ、唐突に見せつけられても反応に困る。しかも背景には半壊の人体が山と並んでいる状況だ。困るどころか一周回って気味が悪い。
 さすがの糸野でもいたたまれなさがあるらしい。頬を薄赤くして、どこでもない宙を見たまま後方の廊下を指す。

『奥にホワイトから奪還した三木……20877103がいる。生きているが状態が酷い。なるべく優先して回収、修繕班に引き渡してくれ』

 糸野の指示に動揺が広がった。負傷者は基本的に治療部に引き渡される。治療部には複数の課があり、損傷の程度、種類によってそれぞれに振り分けられるが、大半は通常治療が可能な中重度治療班か特殊治療班行きだ。修繕班行きは違う。

『修繕行きってことは』
。……はずだ』

 修繕形成班、もしくはただ修繕班と呼ばれる班に割り振られるのは、ケースだ。総量とはつまり、そういうことだろう。
 無言の前で白色発光体が明滅する。身構えるより先に糸野が《ホワイトノイズ》の表面を撫でた。宥めているのか、唇の動きだけが見える。
 発光が安定した《ホワイトノイズ》を抱え直し、糸野は顔を上げた。

『えー……じゃあ、後は頼む』

 誰も何も答えなかった。微妙な空気に見守られて糸野が階段を降りていく。
 再収容完了の報告を聞けたのは、危なげなく階段を降りる背を見送って約五分後、半壊の同僚たちとその部品を拾い集めている最中だった。お姫様抱っこの理由を聞けたのはそれから一時間も後だ。

「あれは……僕は止めたんだが、あの状態を見せびらかし……見せびらかされ? たかった? んだと」

 今回の脱走原因が痴話喧嘩みたいなものだと聞かされていると、なおさら溜息しか出ない。三木が修繕形成班送りになった理由が糸野の浮気相手だと疑われたからだなんて、五本指に入るくだらなさだ。
 その三木はというと、総量は足りていたらしく無事に修繕されたが、復帰からひと月もせずに辞めた。
 三木の退職処理を知った糸野は書類片手に「死ななかったならまあいいだろ」と、仮にも自分を慕っていた相手に対するものとは思えない、雑な相槌を打っただけだった。

「やっぱ糸野ってホワイト以外眼中にないよなぁ……」
「眼中も何も、恋人以外に目を向けてたらおかしいだろ、普通に」
「『普通』って言い切るんだもん……」

 管理生体C-r192《ホワイトノイズ》は今日も変わらず、意思はおろか自我の読めない発光体のまま、環境音と似た音を無作為に発している。
 その一定した周波数に何を見出しているのか、「お前、前にそれやって失敗しただろ。駄目」と返事する糸野は、今よりもう少し高度なメンタルヘルスチェックを受けるべきだと思う。
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