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第二章:新しい環境
第9話 ルドガーの想い
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──トゥルティエール城、王の執務室。
そこでルドガーは魔術師であるライノスから報告を受けていた。
王太子になる前からルドガーに付いていたライノスは、アイシャがカルラートに嫁する少し前からハーメイへの密偵となっていた。
「……それで、結局アイシャはハーメイ国王に手を出されていないわけか」
不快そうに眉を寄せてルドガーが再度確認する。
あの美しいアイシャを前にして手を出さないなどとは、彼女を密かに愛しているルドガーには、にわかには信じがたかった。
「はい。そのことを知ったライサが勢い込んでハーメイ国王に抗議に行っておりました。……しかしハーメイ国王はこの国の決定に対してかなりの反発を覚えているようです」
確かに己の迷いを振り切るために、かなり強引にアイシャの婚礼を推し進めてしまったことは認める。
そのために、大国の威を振りかざしたことも。
しかし、それをしたのはトゥルティエール国王である自分であって、なにも知らないアイシャにはまったく非はない。
「……そうか。それでは、ハーメイには己の立場を分からせてやらないとな」
冷ややかな声でそう言うと、ルドガーはライノスに引き続きハーメイを見張るようにとの指示を出した。
ライノスが移動魔法で消えるのを見届けると、ルドガーは大きく息をついて、椅子に身を預けると片手で顔を覆った。
その脳裏に浮かぶのは、灰桜色の髪の可憐なアイシャ。
ハーメイ国王との婚礼の決定を告げた時の彼女の驚いた表情が思い浮かび、ルドガーは狂おしい感情に苛まれる。
表面上は冷たく接していたものの、次第に女らしく美しくなっていく愛らしいアイシャに、ルドガーは強い愛情を感じていた。
いっそ自分のものにしてしまおうかと思ったのは一度や二度ではない。
できることならば、ハーメイ国王の元になどやらず、アイシャを自分の妃にしてしまいたかった。
しかし、先王の寵愛を受けた第二王妃の娘のアイシャは自分の母の敵である。
それまで先王に尽くしてきたというのに煙たがれ、無念に死んでいった母を思うと、いくら血が繋がらないとはいえ、アイシャを妃にするわけにはいかなかった。
それに、自らがアイシャに冷たく当たるようになったことで、彼女がこの王宮でかなり不憫な状況に置かれていることをルドガーは理解していた。
彼女に嫌がらせをしていた者は、秘かに罰したり解雇したりはしていたが、それでも周囲のアイシャへの仕打ちは変わらなかった。
──少しでもアイシャに優しくしてやれば、周りの対応は変わっただろうか。
ルドガーはたまにそう思わないこともない。
しかし、母の死以後、冷たく接していたものを急に翻すことも彼には出来なかったのである。
彼にとって、アイシャは長いこと愛しくて憎い姫だった。
そして、ことさら憎いと思うことを自分に課してきた。
だが、徐々に愛が憎しみに勝るようになってきて、ルドガーは苦しんだ。
愛している。愛している。愛している──
だが、今更態度を覆してどうするというのか。
それでは無念に死んでいった母があまりにも気の毒というものである。
それに、アイシャも態度にこそ出さないが、内心では辛く当たる自分を嫌っているだろう。
それを考えると、ルドガーは言いようもなく狂おしい気分になった。
ルドガーは、アイシャの成人時にトゥルティエールの大貴族の元へ降嫁させることも考えた。
だが、きっと自分はその臣下を見る度に愛しいアイシャをその手にしていることをきっと思い起こしてしまうだろう。
それで国内の政務を取ることが出来るのだろうか。
想像ではあるが、もしアイシャが降嫁した場合、最悪嫉妬からその貴族を無下に扱ってしまうことも考えられる。
それは、王としてどうしても避けたいことだった。
そんな思いを二年ほど繰り返しながら、ルドガーはここまで来てしまった。
既に妃を娶っていてもおかしくない歳ではあったが、アイシャへの想いからどうしてもそうする気にはなれなかった。
そうするうちに、アイシャはますます美しくなり、ルドガーは内なる己の欲望を隠しきることが困難になってきた。
それで今回の苦渋の選択である。
アイシャを他の国に嫁にやってしまえば、その姿を見ることはなくなる。
そうすれば、もうアイシャを欲しながら、拒絶しなくても済むのだ。
愛しいアイシャを他の男に渡すのは苦痛以外の何物でもなかったが、彼女のことを思えばそれが一番良いことのように思えた。
居心地の悪いトゥルティエール王宮よりも、他国の妃でいる方が余程周囲に大事にしてもらえるだろう。
そこでルドガーは、この国に対しては立場の弱い小国ハーメイの国王に嫁がせることに決めた。
ハーメイはトゥルティエールの意向には逆らえない。それをルドガーは利用したのだ。
しかしその強攻策は、どうやらルドガーと歳の変わらないまだ若い王の逆鱗に触れたようだった。
そして、トゥルティエールへの反発を愛しいアイシャに向けた。
あのハーメイ国王は、初夜の花嫁に手を着けないという暴挙に出たのだ。
──他国、それもこの大陸一の小国に嫁した姫にはさぞかし屈辱だったことだろう。
しかし、この王宮で様々な嫌がらせを受けても、苦情一つ漏らさなかったアイシャだ。ハーメイ国王のこの非情な仕打ちにも健気に耐えていることは想像に難くない。
「──なんとか対策を講じねばならないな」
そんなハーメイ国王に、愛しいアイシャの身を委ねるのは癪だったが、彼女の幸せには代え難い。
彼女は今まで哀しい思いをしていた分、いや、それ以上に幸福になるべきなのだ。
「……思い上がるのもこれまでだ。ハーメイ国王、カルラート」
ルドガーは憎々しげにそう呟くと、己の国王就任時に一度だけ会ったきりの優しげな容貌のハーメイ国王を思い起こしていた。
もっとも、あの時はカルラートは王太子であったが、その美麗な顔立ちは王宮でも話題であったのでよく覚えている。
五年前でもそうであったのだから、いまはさぞ秀麗な青年になっているだろう。
──もしかしたら、アイシャもかの王に想いを寄せるかもしれないな。
そう思うと、嫉妬で狂いそうではあったが、これもすべて彼女のためだ。
そして、自分ではなく、あの男がアイシャの純潔を奪うのだ。
ルドガーはしばらく空中を睨んでいたが、やがて机上のペンを取り、ハーメイ宛の書簡をしたため始めた。
そこでルドガーは魔術師であるライノスから報告を受けていた。
王太子になる前からルドガーに付いていたライノスは、アイシャがカルラートに嫁する少し前からハーメイへの密偵となっていた。
「……それで、結局アイシャはハーメイ国王に手を出されていないわけか」
不快そうに眉を寄せてルドガーが再度確認する。
あの美しいアイシャを前にして手を出さないなどとは、彼女を密かに愛しているルドガーには、にわかには信じがたかった。
「はい。そのことを知ったライサが勢い込んでハーメイ国王に抗議に行っておりました。……しかしハーメイ国王はこの国の決定に対してかなりの反発を覚えているようです」
確かに己の迷いを振り切るために、かなり強引にアイシャの婚礼を推し進めてしまったことは認める。
そのために、大国の威を振りかざしたことも。
しかし、それをしたのはトゥルティエール国王である自分であって、なにも知らないアイシャにはまったく非はない。
「……そうか。それでは、ハーメイには己の立場を分からせてやらないとな」
冷ややかな声でそう言うと、ルドガーはライノスに引き続きハーメイを見張るようにとの指示を出した。
ライノスが移動魔法で消えるのを見届けると、ルドガーは大きく息をついて、椅子に身を預けると片手で顔を覆った。
その脳裏に浮かぶのは、灰桜色の髪の可憐なアイシャ。
ハーメイ国王との婚礼の決定を告げた時の彼女の驚いた表情が思い浮かび、ルドガーは狂おしい感情に苛まれる。
表面上は冷たく接していたものの、次第に女らしく美しくなっていく愛らしいアイシャに、ルドガーは強い愛情を感じていた。
いっそ自分のものにしてしまおうかと思ったのは一度や二度ではない。
できることならば、ハーメイ国王の元になどやらず、アイシャを自分の妃にしてしまいたかった。
しかし、先王の寵愛を受けた第二王妃の娘のアイシャは自分の母の敵である。
それまで先王に尽くしてきたというのに煙たがれ、無念に死んでいった母を思うと、いくら血が繋がらないとはいえ、アイシャを妃にするわけにはいかなかった。
それに、自らがアイシャに冷たく当たるようになったことで、彼女がこの王宮でかなり不憫な状況に置かれていることをルドガーは理解していた。
彼女に嫌がらせをしていた者は、秘かに罰したり解雇したりはしていたが、それでも周囲のアイシャへの仕打ちは変わらなかった。
──少しでもアイシャに優しくしてやれば、周りの対応は変わっただろうか。
ルドガーはたまにそう思わないこともない。
しかし、母の死以後、冷たく接していたものを急に翻すことも彼には出来なかったのである。
彼にとって、アイシャは長いこと愛しくて憎い姫だった。
そして、ことさら憎いと思うことを自分に課してきた。
だが、徐々に愛が憎しみに勝るようになってきて、ルドガーは苦しんだ。
愛している。愛している。愛している──
だが、今更態度を覆してどうするというのか。
それでは無念に死んでいった母があまりにも気の毒というものである。
それに、アイシャも態度にこそ出さないが、内心では辛く当たる自分を嫌っているだろう。
それを考えると、ルドガーは言いようもなく狂おしい気分になった。
ルドガーは、アイシャの成人時にトゥルティエールの大貴族の元へ降嫁させることも考えた。
だが、きっと自分はその臣下を見る度に愛しいアイシャをその手にしていることをきっと思い起こしてしまうだろう。
それで国内の政務を取ることが出来るのだろうか。
想像ではあるが、もしアイシャが降嫁した場合、最悪嫉妬からその貴族を無下に扱ってしまうことも考えられる。
それは、王としてどうしても避けたいことだった。
そんな思いを二年ほど繰り返しながら、ルドガーはここまで来てしまった。
既に妃を娶っていてもおかしくない歳ではあったが、アイシャへの想いからどうしてもそうする気にはなれなかった。
そうするうちに、アイシャはますます美しくなり、ルドガーは内なる己の欲望を隠しきることが困難になってきた。
それで今回の苦渋の選択である。
アイシャを他の国に嫁にやってしまえば、その姿を見ることはなくなる。
そうすれば、もうアイシャを欲しながら、拒絶しなくても済むのだ。
愛しいアイシャを他の男に渡すのは苦痛以外の何物でもなかったが、彼女のことを思えばそれが一番良いことのように思えた。
居心地の悪いトゥルティエール王宮よりも、他国の妃でいる方が余程周囲に大事にしてもらえるだろう。
そこでルドガーは、この国に対しては立場の弱い小国ハーメイの国王に嫁がせることに決めた。
ハーメイはトゥルティエールの意向には逆らえない。それをルドガーは利用したのだ。
しかしその強攻策は、どうやらルドガーと歳の変わらないまだ若い王の逆鱗に触れたようだった。
そして、トゥルティエールへの反発を愛しいアイシャに向けた。
あのハーメイ国王は、初夜の花嫁に手を着けないという暴挙に出たのだ。
──他国、それもこの大陸一の小国に嫁した姫にはさぞかし屈辱だったことだろう。
しかし、この王宮で様々な嫌がらせを受けても、苦情一つ漏らさなかったアイシャだ。ハーメイ国王のこの非情な仕打ちにも健気に耐えていることは想像に難くない。
「──なんとか対策を講じねばならないな」
そんなハーメイ国王に、愛しいアイシャの身を委ねるのは癪だったが、彼女の幸せには代え難い。
彼女は今まで哀しい思いをしていた分、いや、それ以上に幸福になるべきなのだ。
「……思い上がるのもこれまでだ。ハーメイ国王、カルラート」
ルドガーは憎々しげにそう呟くと、己の国王就任時に一度だけ会ったきりの優しげな容貌のハーメイ国王を思い起こしていた。
もっとも、あの時はカルラートは王太子であったが、その美麗な顔立ちは王宮でも話題であったのでよく覚えている。
五年前でもそうであったのだから、いまはさぞ秀麗な青年になっているだろう。
──もしかしたら、アイシャもかの王に想いを寄せるかもしれないな。
そう思うと、嫉妬で狂いそうではあったが、これもすべて彼女のためだ。
そして、自分ではなく、あの男がアイシャの純潔を奪うのだ。
ルドガーはしばらく空中を睨んでいたが、やがて机上のペンを取り、ハーメイ宛の書簡をしたため始めた。
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