恋詠花

舘野寧依

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第四章:対決

第30話 無力

 飛び降りた初めに浮遊感。
 そこから一気に落下していく感覚に、アイシャは目を閉じ、安堵にも似た思いを抱いた。


 これで、あの方とカルラートは争わなくてよくなる。
 自分さえいなければ、すべては丸く収まるのだ。


「アイシャ様!」

 どこかで聞いた声と共に、突然アイシャの体は見えないなにかに支えられた。
 落下途中で止まったアイシャの体はふと気づくと、次にはまたルドガーの前に戻っていた。

 そこでアイシャは先程聞いた声が、自分をここへ攫ってきたライノスという魔術師だということに気がついた。
 たぶん、ルドガーが彼にアイシャの身辺警護をするように言いつけてあったのだろう。

「アイシャ、おまえはなんてことを……」

 騒ぎを聞きつけ、執務室の前まで出てきたのだろう。ルドガーは震える手でアイシャの頬に触れた。

「や……」

 アイシャはそれを避けようとするが、ルドガーが彼女の体を攫うのが早かった。

「アイシャ……! アイシャ、アイシャ、おまえが無事でよかった!」

 ルドガーに強い力で抱きしめられながら、アイシャはそれをどこか遠くで聞いていた。


 ──死ねなかった。


 自分に対する警護はこれで更に厳しくなるだろう。
 もうこんな機会はなかったかもしれなかったのに。



 アイシャが茫然自失の状態から回復すると、いつの間にか王と妃の間に移動していた。
 たぶんルドガーが運んだか、あの魔術師が移動魔法を使ったのだろう。
 しかし、問題なのはその体勢だ。
 アイシャはルドガーの膝の上に横抱きにされた状態だった。

「あ……っ、お離しください!」

 よくよく見れば、応接用の卓の長椅子の上だ。

「……ようやく我に返ったか」

 ルドガーの膝の上で暴れ出したアイシャはルドガーに強く抱きしめられ、彼女は抵抗を押さえ込まれた。

「離して、離してください……っ」

 こうしている間にも襲ってくる、ルドガーへの恋情。
 なぜ、こんなに酷いことをされているのに彼しか愛せないのだろう。
 カルラートを愛することができればたぶんもっと強くルドガーに出られただろうに。

 暴れようとするも、ルドガーに抱きしめられたアイシャは彼に頤を摘まれ、口づけされた。

「や……」

 神聖な約束を破り、自分を裏切った彼を受け入れてはいけないと思うのに、ルドガーの口づけは更に激しくなっていく。

「や、やめっ、てくださ……っ」
「それは聞けない約束だ、アイシャ。……それともその身にわたしを刻みつけるためにこのまま寝室に行くか?」

 アイシャはルドガーの問いに体を震わせた。
 このままいけば、地獄のような、だが甘やかな責めが待っているのだろう。

「それは嫌です……っ。それだけはお許しください陛下」

 震えながら涙をこぼすアイシャをルドガーはなぜか苦しそうに見ながら言った。

「……それではもう一度問う。おまえはあの男のことを愛しているのか? ……城から身を投げるほどに」

 どうやら、ルドガーはアイシャの今回の身投げがカルラートの愛故と誤解したらしい。

「ち、違います。カルラートは誓約の間柄ですが、今回のことは両国の争いをどうにか収めたいと思ったからです。……わたしがいなければ、こんな争いごとはなくなるでしょう?」
「……許さない」

 痛いほどにルドガーに抱きしめられて、アイシャは思わず顔をしかめた。

「おまえが勝手に死ぬことは許さない。そんなことになったら、わたしはハーメイを壊滅状態にするぞ」
「そんな……」

 それでは、自分が死んでこの事態を収めることは無理なのか。
 結局、ルドガーは自分の諫めなど気にもとめない。
 それを知ったアイシャは己の無力さに打ちのめされた。

 呆然とするアイシャをルドガーが横に下ろすと、侍女に新しい茶を持ってくるように命じた。

「アイシャ、おまえはなにもしなくてもいい。ただ、黙って見ていろ」

 ルドガーのそれは傲慢な王者の言葉。
 アイシャは不本意だがそれに従うしかないらしい。


 ──駄目だった。
 命をかけてもこの方にはもうわたしの訴えは届かないのだ。


 アイシャは哀しみのあまり、こらえきれずに涙を流した。

「アイシャ、泣くな……」

 その様子をルドガーは眉をしかめて見つめると、アイシャの頬に口づける。


 こうやって気遣ってくださるのに、どうしてわたしの願いは聞き届けてくださらないの?


 アイシャは己の無力さを呪いながら、ただハーメイの滅亡を待つしかないのかと絶望しかける。


 ──いやしかし、あちらには大国のガルディアが付いている。
 どうにかしてうまくガルディアがルドガーの狂気とも言える心を解きほぐすことができれば、今回の戦乱は終わるかもしれない。

 自分の力ではルドガーを説得することは無理だったが、あの大国ならばとアイシャは心から願わずにはいられなかった。
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