きつねのお宿

おとぼけ姉さん

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〜豊臣秀長〜

郡山城

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天正十九年(一五九一年)一月二二日、
豊臣秀長は郡山城で死に瀕していた。

「秀長死ぬでない!!我が弟よ!
兄であるわしより先に
病気なんかで死ぬでない!!」

自分の荒い息ばかり耳につく中で、
意識は辛うじて、その声を捉える。
生温かい雫がぼたぼたと皮膚を濡らしている。
たぶん、兄者だ。
目を開けようにも、
開けられないけど、
こんなに大粒の涙をこぼして
私の体にすがりついてるのは

たぶん私の兄者しかいない。

いつも感情むき出しなんだから、
もう兄者は立派な時の天下人
豊臣秀吉、その人だのに。

そうだ思い出さなければ
動けぬ体でも
病のせいで内腑が焼かれようとも
痛みで血を吐いても
忘れてはいけない
私は…
私の名前は…
豊臣秀長。

豊臣秀吉の弟、豊臣秀長だ。
私は兄である秀吉を天下人になるまで、
ずっと側で支えて続けてこれた。

病で苦しみながらあの世に逝くまい、
せめて私は、兄者の役に立てたことを
誇りながら、あの世に向かいたい。

苦しさに意識が押しつぶされても、
理性を保とうとしていると、
どこからか、ヒヤリとした空気と
城内のはずなのに、
静かに下駄の音が響く。
何も見えなかった脳裏に
極彩色の着物を纏う、
女の姿がよぎる。

次第にはっきりと浮かんでくるその姿は
細やかな装飾と艶やかなかんざしを差した
きつねの耳が生えた女の幻。

ああ、私は死の前に、幻を見てるのだなあ。

きつねの女がこちらを見る。
その流し目に
目と目があった瞬間に
私の心臓が一際、強く鼓動を跳ねた。
女は怪しげにふふっと笑って
こう言った。



「いらっしゃい」
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