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第3話

策略(10)

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 自警隊事務所の地下。暗く冷たい牢屋が地響きで揺れる。一度大きな揺れが発生して以降断続的に起こっていて、そのたびに天井からパラパラと砂の粒が降る。

 外で何か非常事態が起きているのは間違いない。それにも関わらず、ラゴースはアーチ達が去ったときから一歩も動かないままで、まるで時間が止まっているかのように微動だにしていなかった。

 そんな停止した世界に小さな影が舞い降りた。

「助けて!」

 パラァが切羽詰まった様子で鉄格子の前に飛んでくる。余程急いで飛んできたのか、額には汗が滲み息も上がっていた。

「地上が大変たことになってるの!」

「そのようだな。音だけでもわかる」

「だったら協力して! 大きな魔獣が暴れてるの!」

「無理だ」

「どうしてよ! 変身すればこんな牢屋くらい簡単に出られるでしょ! ほら早く!」

 体の小さなパラァは鉄格子の隙間をすり抜け牢屋の中に入る。ラゴースの服を引っ張って立たせようとするが、当然びくともしない。それでもパラァは急かすように引っ張り続ける。

 ラゴースが無機質な石の床を見詰めながら告げる。

「……俺には関係ない」

 雫が零れるような小さな呟きだった。

「関係ないって……この国がなくなったらあなただって困るでしょ!?」

「俺がこの国にいるのは金になる依頼が多く集まるからだ。ここが駄目になったらまた別の国に行くだけのこと」

「でもこのままじゃたくさんの人が死んじゃうかもしれないのよ!?」

「それは自警隊がどうにかするべきことだろう。俺が協力してやる義理はない。それに……どうせ俺は鼻つまみ者だからな」

 淡々と話していたラゴースだったが、最後の言葉には僅かに陰りが落ちていた。パラァが服を引っ張る手を止める。

「何よ、さっき言われたこと気にしてるの?」

「……そうではない。とにかく、ほかを当たってくれ。俺は然るべき処罰を受けるまでここから動くつもりはない」

 そう言った切りラゴースは沈黙してしまった。外界から自身の存在を遮断するように瞑目し、大男は不動の岩石と化した。

 こうしている間にも揺れが起こり続け、外の逼迫した状況を知らせている。地上の街は、そしてアーチ達は無事でいるだろうか。

 パラァは両方の手をぐっと握りしめる。その小さな両こぶしは微かに震えていた。

「……お兄ちゃんと会ったの」

「なんの話だ?」

 あまりに脈絡のない発言に、対話を断ち切ったはずのラゴースが思わず反応した。

 パラァは俯いている。暗くてはっきりとは見えないが、少女の目元には僅かな明かりを反射する何かが滲んでいた。

「わたしはいなくなったお兄ちゃんを探すために旅してきたの。でもお兄ちゃんは……ピポイは、魔族の味方になってた」

 未だに話の意図が読めないラゴースはただ黙って聞いているしかない。

「本当はピポイを止めたかった。でも今のピポイに私の言葉は届かないみたいだったから……。だからピポイのことはアーチに任せて、わたしはこうしてあなたに協力をお願いしに来たの。それが今わたしにできることだと思ったから。だから……」

 ラゴースを真っ直ぐ見据えるパラァ。その顔は泣いているような怒っているような、様々な感情でぐしゃぐしゃになっていた。

「ちょっと嫌味なこと言われたからって拗ねてんじゃないわよ! あなたも今あなたができることをやりなさいよ!」

 ──できたはずなのにやらなかったことを後悔したくない。

 アーチが以前言っていたことだ。パラァは自分なりに力になれることを必死に考えた結果の行動だったが、その根底には無意識のうちに感化されたアーチの言葉があった。

 だからこそ強大な力を持っていながら現状から目を逸らすラゴースが許せなかった。

「俺ができること……」

 小さき少女から向けられた言葉を反芻するラゴース。

 パラァは自分が涙を流していたことに気付き手で顔を拭う。深呼吸をして昂った感情を鎮める。

「わたし、さっきのあなたの話を聞いてひとつだけわからないことがあったの。どうしてあなたは女の人のお願いを引き受けたの?」

 アーチ一行に家族を殺されたと語った旅芸人の女のことだ。

「依頼されたからだ」

「報酬は? お金で雇われたならわかるけど、何か渡されたの?」

「それは……」

 何も受け取っていない。思い返せば、なんの見返りもなく他人のために他人を殺すのはリスクがあまりに大きい。今更ながらラゴース自身も不可解に思った。

「怒っていたんじゃないの? 女の人の家族を殺した誰かに対して」

「怒っていた? 俺が……?」

「お金のためとかじゃなくて、純粋に力になってあげたいと思ったんじゃないの? 

そうじゃなきゃ復讐の代行なんてできっこないもの。だからって、人を殺すのは良くないことだけど」

 ラゴース旅芸人に助けを求められたときのことを思い出す。

 無残な姿で転がる三つの死体。泣きながら縋りつく女。あのときラゴースの胸の奥に渦巻いていた煮えたぎるような感情。

 ──許せない。

 そう思った。あれはたしかに怒りだったのかもしれない。

「でも他人のために怒れる人は立派な人間よ。だからつまらない言葉に惑わされないで。わたしたちに力を貸して!」

 パラァの力強い声が無機質な牢屋に響いた。

 ラゴースはその残響を噛みしめるように目を閉じると、小さく笑った。

「たしかに拗ねていたのかもしれないな。お前の言う通りだ」

「お前じゃなくてパラァよ」

「そうか。パラァ、少し下がっていろ。ここから出る」

「じゃあ……!」

「ああ。それが俺のやるべきことならば──」

 パラァは格子の隙間から牢屋の外へ出る。

 おもむろに立ち上がるラゴース。後ろに回されている腕に力を込めると、金属の拘束具はあっさり壊れた。

 ラゴースを捕らえていたのは牢屋ではなかった。他人から向けられる言葉、視線、行動。差別と迫害の意思をぶつけられる日々が、いつしかラゴースの心を失意の檻に閉じ込めていた。

 しかし今、小さな少女の大いなる行動によってそれがこじ開けられようとしていた。

 自由になった両手で鉄格子を掴む。左右に引っ張ると、頑強な格子が飴細工かのように容易くひしゃげた。

「──この力、存分に振るおう」
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