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第1章 潜入と出会い
第1話:仮面の使者
しおりを挟む風は冷たく、石畳を叩く蹄の音が王都の朝を告げていた。
アルトリア王国の中心、白銀の城門を、帝国の使節団がゆっくりと通過する。国境に立つ火は鎮められ、表向きは
平和への道が開かれようとしていた。
その行列の中、黒の外套を纏い、頭を深く下げて歩く一人の男――名をレオン・クロフォードという。
彼はヴァレンティア帝国が密かに送り込んだスパイだった。
(アルトリア王国王宮……敵地の心臓部だ)
彼は馬車の揺れにも身じろぎせず、まるで風景の一部のように沈黙していた。
任務は明快。王宮に潜入し、王女アスタナ・アルトリアの動向を探ること。
必要なら、和平を妨害するための一手を打つ。
それが「戦わずして勝つ」帝国の方針だった。
(接触は急がない。まずは立ち位置を確保し、情報を集める)
城に着いたレオンは、使節団の一員として紹介されると、王宮付きの書記補佐という立場を与えられた。
この肩書きは地味だが、王宮の出入りは自由であり、政治文書にも一定の接触権がある――スパイにとっては最適
な立場だった。
その夜、王宮の一角で開かれた歓迎の宴。
大広間の奥、玉座の傍らに立つ一人の女性に視線が集まる。
彼女こそが、アルトリア第一王女、アスタナ・アルトリア。
(……あれが標的か)
レオンは静かに目を細めた。
遠目にも整った容貌、威厳ある姿勢、慎重に選ばれた言葉――
書類で知っていた通りの人物だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
ただ、冷静に観察する対象として、彼女を見つめていた。
「ほう……お前が新たに任に就く書記補佐か」
声をかけてきたのは、アスタナの侍女長――クラリスという女性だった。
「名はレオン・クロフォード。陛下の命で、暫くこの宮で働かせていただきます」
控えめに頭を下げる。クラリスはじっとレオンを見た。
「妙に落ち着いているのね。帝国育ちとは思えないわ」
「故郷は辺境でしたので、にぎやかな場には慣れておりません」
嘘と真実を織り交ぜた言葉。
それがスパイの呼吸だった。
(まずは警戒されずに溶け込むことだ)
その夜、レオンは日記のように任務記録を綴った。
「王女アスタナは外見、言動ともに冷静沈着。周囲の信頼も厚い。接近には時間を要する」
窓の外、王宮の塔が月明かりに照らされていた。
その先にいる王女を、彼はまだ「敵」としか認識していなかった。
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