薔薇と黒蛇

しっくん

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第2章 仮面の交流と疑念

 第2話:揺れる水面

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王女アスタナは、宰相より密命を受けた。


「帝国との和平にあたり、使節団に対し“王家の信任”を示す演出が必要です。

その一環として、王女殿下には、帝国側の使者を“個人的に信頼している”という構図を用意していただきたい」



それは、政略のための芝居だった。



(つまり……“特別扱い”をする必要があるということね)




アスタナは内心で小さく眉を寄せた。

戦火の火種が燻る中、和平派と反和平派の間で王宮は張り詰めている。

どちらかに傾けば、誰かが動く。

そんな不安定な綱の上に、彼女の言葉一つが置かれるのだ。



「信任を与える相手は、お任せします。形式的で構いません。

あくまで“誰か一人”に、王家の関心があると周囲に示せれば、それでよいのです」




そう言い残し、宰相は立ち去った。



アスタナは、机の上に広げた報告文を見つめた。

その中に、帝国の書記補佐――レオン・クロフォードの名がある。



(……奇妙なことに、あの男は敵にも味方にもなろうとしない)



無害を装う者は数あれど、それが自然に出来る人間は少ない。


彼は言葉も視線も、必要最低限の距離を保っていた。


だからこそ、扱いやすい。


たとえ少しでも揺れれば、誰の目にも明らかになるだろう。




(“信任の演出”――ならば、最も無色の者を選ぶべき)




彼女は筆を執った。


そして公式の文書とは別に、簡潔な私信を書き記す。



「書記補佐レオン・クロフォード殿

王女アスタナの命により、今後一部の文書補佐および側近対応を命じます。

担当範囲に含まれる業務は、随時指示を出します」




封蝋を押し、侍女クラリスに託すと、アスタナは深く息を吐いた。


これがただの戦略であると、彼女自身が最も強く理解していた。




(これは私の“感情”ではない。ただの判断。ただの務め)





だがその夜、アスタナは少し長く眠れなかった。










一方その頃、レオンはいつものように情報の整理に集中していた。


だが、王女直々の任命書が届いたことで、さすがに周囲の目が変わった。



「王女殿下のお気に入りか?」



「ただの使節の書記が、あそこまで上がるとはな」





文官たちの囁き。貴族の若手による皮肉交じりの視線。


だが、レオンの表情は一切変わらない。




(これは……“立場を引き上げられた”というより、“囮にされた”可能性もある)





しかしそれも構わない。


むしろ、王女の近くに堂々と立てる立場を得たのだ。


それは、任務を進める上で大きな利点となる。




だが、任命状の末尾に記された一行に、わずかに目が止まった。




「私室勤務の際は、過度に形式に囚われず、自然体で対応することを望む」




(……自然体、か)




誰よりも理を優先する王女が、なぜそんな言葉を添えるのか。


一瞬、レオンの思考が止まりかけたが――



すぐに首を横に振る。



(感情の介入は不要だ。これは“演出”であり、“構図”だ)



そう自らに言い聞かせ、任務へと意識を戻す。



しかし、この日から――


レオンの立ち位置は、確実に“敵”でも“他人”でもなくなり始めていた。



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