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第1章 指導編 初日
1-1 新手のセクハラか何かですか?
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暗がりの中で男女が絡みあっていた。
ベッドの上に横になった男の腰に女がまたがり、妖しく総身をくねらせる。
女のほうは長い髪を振り乱しているせいで顔がよく見えない。同性目線でも羨ましくなるほど見事なスタイルをしている。
男は三十代半ばから後半といったところか。口元の立派な髭がなければもっと若いかもしれない。女の腰を支える腕や、ゆっくりと上下する胸板は|逞〈たくま〉しく、なんらかの武術を修めているであろうことが窺える。
不意に、男の目玉がぎょろっと動いた。闇の中でも目立つ赤みの強い茶色の瞳が、画面越しに射抜いてくる。
◇
「……フォウ先輩、こんな動画見せるなんて新手のセクハラか何かですか?」
リヤーナは亜麻色の髪をくるくると指に巻きつけ、重苦しいため息をついてみせた。続けて、隣の席に座っている人物にじとっとした視線を投げる。
「そんなわけあるか! 組織から参考資料として渡されただけで、俺だって今はじめて見たわ!」
隣に座っていた人物――フォウは拳をテーブルに叩きつけた。
テーブルの上で男女の絡みを映し続けていた長方形の水晶パネルがぱたんと倒れる。映像が消え、その代わりに表面にノイズが走った。
フォウは焦ったように水晶パネルを拾いあげ、異常がないか入念に確かめる。
この水晶パネルは静止画や動画を記録し、再生することのできる術具だ。一般には出回っていない特注品で、破損してしまうと数年分の稼ぎが軽く吹っ飛ぶ。
「あーあ、それ高いのにー」
「誰のせいだと……! いや、そもそもこんなのを参考資料として渡したボスもボスだが……」
フォウは顔をしかめ、イライラと耳の後ろを掻いた。軽く束ねただけの髪がはらりとこぼれる。
青みを帯びた黒髪は、いつも以上に手入れが行き届いていた。窓から入ってくる昼の光を受け、表面に輪っか状の艶をたたえている。
直前に仕事があったのかもしれない、とリヤーナはぼんやりと思った。
オフの時のフォウは無精髭を生やしているのが常だ。今は痕跡がわからないほど綺麗に剃りあげられ、鋭い輪郭があらわになっている。
「もういい、本題に入ろう」
フォウは水晶パネルを静かに置くと、姿勢を正して椅子に座り直した。
それにならってリヤーナも背筋を伸ばす。
「すでに任務の概要は聞いていると思う。さっき見た動画に映っていた男が今回のターゲット、バクラム伯アスハン・ナディールだ」
「はい、先輩」
リヤーナは顔の高さに手を挙げた。
「なんだ」
ただでさえ切れ長で威圧感のあるフォウの金茶色の瞳が、よりいっそう険しくなる。
リヤーナはくじけそうになる心をどうにか奮い立たせ、言葉を吐き出した。
「聞いてません」
「何が」
「任務概要」
「あ?」
「だから、任務について。先の任務でとちった罰だってこと以外、何も聞かされてません。追って沙汰をするからセーフハウスで待機していろと言われたので、こうして待っていました」
フォウの顔色を窺いつつ、リヤーナはできるだけ簡潔に伝えた。
自分は悪くない、とリヤーナは思う。
任務で失敗があったのはもちろんダメだが、処罰について本当に何も聞かされていないのだから仕方がない。
「バなんとか伯なんとかかんとかがターゲットということは、さっきの髭の人をさらうなり殺すなりするってことですか? それだといつも通りで、罰にはならないと思いますが」
リヤーナとフォウが所属しているのはいわゆる非合法組織だ。暗殺者ギルドなどと呼ばれることもあるが、殺し以外にも拉致や監禁、破壊工作や密輸などなど業務内容は多岐に渡る。
「お前ほんっと昔から人の名前覚えるの苦手だよな」
フォウは懐かしむように笑うと椅子の背もたれに身体を預け、シャツの胸ポケットから煙草入れを取り出した。天井を仰ぎ見たまま煙草を咥え、携帯着火器で火を灯す。
どちらも組織からの支給品だ。非合法組織にもかかわらず福利厚生が手厚い。成果さえ挙げれば、住環境から日用品、嗜好品にいたるまで最先端のものを利用することができた。
(先輩、しばらく仕事ないんだな)
焦げたバニラと爽やかな香辛料が混ざったような複雑な香りが煙と共にくゆる。
煙草は多くの痕跡を残す。フォウがこの特徴的な煙草を吸うのは次の任務まで間がある時だけだ。
「大事な人はちゃんと覚えてますよ。フォウ先輩に、ボスのハサン様、経理のノエルさん――」
「はいはい。リィは偉い偉い」
指折り数えながら名前を挙げるリヤーナの頭を、フォウはやや乱暴に撫でた。
リヤーナは眉間にしわを寄せ、邪険にフォウの手を払う。
フォウは意地悪く笑い、おおげさに痛がってみせた。
いつまで経っても、フォウはリヤーナのことを子供扱いする。
組織に入ったのはフォウのほうが先で外見的にもフォウがいくつか年長に見えるが、実際のところはわからない。リヤーナもフォウも、物心つく頃には組織が運営している孤児院にいた。もちろん慈善活動ではなく、効率良く構成員を養成するための施設だ。
「しかし、聞いてないってことは俺が一から説明しなきゃならないのか。まぁ任務内容を知ってるにしちゃあ、いつも通り能天気だと思ってたけどよ」
フォウは心底嫌そうな顔をして後頭部を掻きむしった。その拍子に髪紐が外れ、髪が広がる。
「先輩?」
リヤーナはフォウの顔を覗き込む。
非合法組織に所属していて、いまさら伝えにくい任務などあるのだろうか。
「……ハニートラップ」
ため息と煙とともに、フォウは単語を吐き出す。
リヤーナは首をかしげ、反芻した。
「ニャルラトテップ?」
「耳と頭を医者に診てもらえ!」
「先輩の活舌が悪かっただけなのに……」
「ああ、じゃあもっとわかりやすく教えてやるよ!」
テーブルに置いてある灰皿に煙草を押しつけてもみ消すと、フォウはリヤーナの下顎をつかんだ。やや仰向かせ、触れる寸前まで唇を寄せる。
リヤーナはどきっとしたが、すぐに浮かれている場合ではないことに気が付いた。
フォウの金茶の瞳は落ち着きなくちらつき、やるせなさのようなものが浮かんでいる。少なくともふざけたリヤーナに対して怒っているわけではなさそうだった。
「フォウ先輩?」
フォウは目蓋を伏せ、淡々とした口調で告げる。
「さっき動画で見た野郎を色仕掛けで篭絡してこい。満足に人を殺せないなら男を転がせ」
ベッドの上に横になった男の腰に女がまたがり、妖しく総身をくねらせる。
女のほうは長い髪を振り乱しているせいで顔がよく見えない。同性目線でも羨ましくなるほど見事なスタイルをしている。
男は三十代半ばから後半といったところか。口元の立派な髭がなければもっと若いかもしれない。女の腰を支える腕や、ゆっくりと上下する胸板は|逞〈たくま〉しく、なんらかの武術を修めているであろうことが窺える。
不意に、男の目玉がぎょろっと動いた。闇の中でも目立つ赤みの強い茶色の瞳が、画面越しに射抜いてくる。
◇
「……フォウ先輩、こんな動画見せるなんて新手のセクハラか何かですか?」
リヤーナは亜麻色の髪をくるくると指に巻きつけ、重苦しいため息をついてみせた。続けて、隣の席に座っている人物にじとっとした視線を投げる。
「そんなわけあるか! 組織から参考資料として渡されただけで、俺だって今はじめて見たわ!」
隣に座っていた人物――フォウは拳をテーブルに叩きつけた。
テーブルの上で男女の絡みを映し続けていた長方形の水晶パネルがぱたんと倒れる。映像が消え、その代わりに表面にノイズが走った。
フォウは焦ったように水晶パネルを拾いあげ、異常がないか入念に確かめる。
この水晶パネルは静止画や動画を記録し、再生することのできる術具だ。一般には出回っていない特注品で、破損してしまうと数年分の稼ぎが軽く吹っ飛ぶ。
「あーあ、それ高いのにー」
「誰のせいだと……! いや、そもそもこんなのを参考資料として渡したボスもボスだが……」
フォウは顔をしかめ、イライラと耳の後ろを掻いた。軽く束ねただけの髪がはらりとこぼれる。
青みを帯びた黒髪は、いつも以上に手入れが行き届いていた。窓から入ってくる昼の光を受け、表面に輪っか状の艶をたたえている。
直前に仕事があったのかもしれない、とリヤーナはぼんやりと思った。
オフの時のフォウは無精髭を生やしているのが常だ。今は痕跡がわからないほど綺麗に剃りあげられ、鋭い輪郭があらわになっている。
「もういい、本題に入ろう」
フォウは水晶パネルを静かに置くと、姿勢を正して椅子に座り直した。
それにならってリヤーナも背筋を伸ばす。
「すでに任務の概要は聞いていると思う。さっき見た動画に映っていた男が今回のターゲット、バクラム伯アスハン・ナディールだ」
「はい、先輩」
リヤーナは顔の高さに手を挙げた。
「なんだ」
ただでさえ切れ長で威圧感のあるフォウの金茶色の瞳が、よりいっそう険しくなる。
リヤーナはくじけそうになる心をどうにか奮い立たせ、言葉を吐き出した。
「聞いてません」
「何が」
「任務概要」
「あ?」
「だから、任務について。先の任務でとちった罰だってこと以外、何も聞かされてません。追って沙汰をするからセーフハウスで待機していろと言われたので、こうして待っていました」
フォウの顔色を窺いつつ、リヤーナはできるだけ簡潔に伝えた。
自分は悪くない、とリヤーナは思う。
任務で失敗があったのはもちろんダメだが、処罰について本当に何も聞かされていないのだから仕方がない。
「バなんとか伯なんとかかんとかがターゲットということは、さっきの髭の人をさらうなり殺すなりするってことですか? それだといつも通りで、罰にはならないと思いますが」
リヤーナとフォウが所属しているのはいわゆる非合法組織だ。暗殺者ギルドなどと呼ばれることもあるが、殺し以外にも拉致や監禁、破壊工作や密輸などなど業務内容は多岐に渡る。
「お前ほんっと昔から人の名前覚えるの苦手だよな」
フォウは懐かしむように笑うと椅子の背もたれに身体を預け、シャツの胸ポケットから煙草入れを取り出した。天井を仰ぎ見たまま煙草を咥え、携帯着火器で火を灯す。
どちらも組織からの支給品だ。非合法組織にもかかわらず福利厚生が手厚い。成果さえ挙げれば、住環境から日用品、嗜好品にいたるまで最先端のものを利用することができた。
(先輩、しばらく仕事ないんだな)
焦げたバニラと爽やかな香辛料が混ざったような複雑な香りが煙と共にくゆる。
煙草は多くの痕跡を残す。フォウがこの特徴的な煙草を吸うのは次の任務まで間がある時だけだ。
「大事な人はちゃんと覚えてますよ。フォウ先輩に、ボスのハサン様、経理のノエルさん――」
「はいはい。リィは偉い偉い」
指折り数えながら名前を挙げるリヤーナの頭を、フォウはやや乱暴に撫でた。
リヤーナは眉間にしわを寄せ、邪険にフォウの手を払う。
フォウは意地悪く笑い、おおげさに痛がってみせた。
いつまで経っても、フォウはリヤーナのことを子供扱いする。
組織に入ったのはフォウのほうが先で外見的にもフォウがいくつか年長に見えるが、実際のところはわからない。リヤーナもフォウも、物心つく頃には組織が運営している孤児院にいた。もちろん慈善活動ではなく、効率良く構成員を養成するための施設だ。
「しかし、聞いてないってことは俺が一から説明しなきゃならないのか。まぁ任務内容を知ってるにしちゃあ、いつも通り能天気だと思ってたけどよ」
フォウは心底嫌そうな顔をして後頭部を掻きむしった。その拍子に髪紐が外れ、髪が広がる。
「先輩?」
リヤーナはフォウの顔を覗き込む。
非合法組織に所属していて、いまさら伝えにくい任務などあるのだろうか。
「……ハニートラップ」
ため息と煙とともに、フォウは単語を吐き出す。
リヤーナは首をかしげ、反芻した。
「ニャルラトテップ?」
「耳と頭を医者に診てもらえ!」
「先輩の活舌が悪かっただけなのに……」
「ああ、じゃあもっとわかりやすく教えてやるよ!」
テーブルに置いてある灰皿に煙草を押しつけてもみ消すと、フォウはリヤーナの下顎をつかんだ。やや仰向かせ、触れる寸前まで唇を寄せる。
リヤーナはどきっとしたが、すぐに浮かれている場合ではないことに気が付いた。
フォウの金茶の瞳は落ち着きなくちらつき、やるせなさのようなものが浮かんでいる。少なくともふざけたリヤーナに対して怒っているわけではなさそうだった。
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