暗殺任務失敗したのが組織にバレて、処女なのにハニトラさせられることになりました。密かに思ってた先輩がHの指導役とか聞いてません!

甘酒ぬぬ

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第3章 指導編 最終日

3-7 今日は煙草の匂い、しないですね

 寝室でひとり落ち着かないリヤーナは、何度も何度も鏡台を覗き込んだ。

 鏡に映る自分を確かめ、髪の乱れを執拗に直す。何回もやりすぎて、もはや髪の毛一本を撫でつけるくらいしかやることがない。
 お風呂で髪の染料を落とし、皮膚がふやけるくらい入念に身体を洗い、化粧品で肌を整え、ボディオイルもしっかりと全身に塗り込んだ。

(最初の時くらい緊張する……)

 リヤーナは目を伏せ、自分の身体に腕をまわす。
 あの夜と違って、今着ているのは常識的なデザインのネグリジェだ。
 どうせ脱がされるから大差ないんだけど、と思ってしまうくらい、当時とは考え方が変わった。それくらい、フォウとの行為を重ねてきてしまった。

 がちゃっ、と心臓に悪い音を立てて部屋のドアが開かれる。

「待たせたか?」

 部屋の中に入ってきたフォウは、これといっていつもと変わらない様子だった。
 無造作に束ねられた、艶やかで夜空に似た黒髪。威圧感の中に優しさを隠した切れ長の瞳。余裕と自信をたたえた口元。
 ずっと恋焦がれてきた男の顔だ。

「大丈夫です。ちょうど髪の毛乾かしたかったですし」

 リヤーナは首を横に振り、髪を持ちあげて見せた。指の間から、さらさらと滞りなく髪が滑り落ちる。

「うん。やっぱりこの色が一番リィに似合うな」

 フォウは柔らかく微笑み、リヤーナの亜麻色の髪を撫でた。
 大きな手の感触と温かさが気持ち良い。

 こうやって、笑って頭を撫でてくれるだけで良かったのに。今はもうそれだけじゃ足りない。

(もう、すぐ感傷的になっちゃう。ダメだな)

 性懲りもなく内省をしていると、ふとリヤーナの目にクローゼットが留まった。何の変哲もないクローゼットだ。中身以外は。

 リヤーナの中で、ちょっとした悪戯心が芽生える。
 元々悪戯は好きだ。
 フォウからは「間の抜けた天然」だと思われている節があるが、実際には七割八割くらいは意図的に空気を崩しにいっている。

「あの、先輩……」

 リヤーナは遠慮がちにフォウの服の袖を引っ張った。そのままクローゼットの所まで連れていく。

「ん?」
「先輩は……どの衣装が好きですか!」

 クローゼットの戸を大きく開け放った。

 初めての「指導」の後以降、このクローゼットに触っていないため、収納されている衣服のラインナップは変わっていない。中には相変わらず、眉をひそめたくなるような過激な下着や、ニッチでフェティッシュな衣装がたくさん詰まっていた。

「は?」

 という一言で疑問を呈し、フォウは唖然とした表情でリヤーナを見遣る。

「今日は指導抜きなので、恥ずかしがらずに性癖を暴露していいんですよ、先輩!」

 リヤーナは真剣な表情を作り、ぐっと拳を握り込んだ。

 指導期間の切り上げを聞かされてからというもの、ずっと湿っぽい雰囲気が付きまとっていた。払拭ふっしょく、とまでいかなくとも、少しでも嫌な空気を追い払いたかった。道化を演じることで、緊張を隠したかった。フォウに屈託なく笑ってほしかった。

「どれもこれも俺の趣味じゃねえよ!」

 フォウは叩きつけるようにクローゼットを閉める。

「えー」
「全部頭の湧いたボスの趣味だ!」
「とか言って、本当は一、二着くらい自分の趣味を紛れ込ませてるんじゃないんですか?」

 リヤーナはにやにやと笑い、フォウの脇腹をつつく。

「お前は俺のことなんだと思ってるんだ!」
「むっつりすけべ」
「俺に喧嘩を売るとはいい度胸だ。買ってやる」

 フォウの目が剣呑に据わる。

「うそうそ! 冗談です!」

 リヤーナは手と首を振り、跳ねるようにベッドに逃げた。
 フォウは両手を広げて指を曲げ、がおーっと獣を真似て飛びかかる。子供のように他愛なくじゃれ合い、笑い合う。

「ハサン様の趣味ってことは、ノエルさんに着せたりするんですかね、あれ」

 リヤーナは仰向けになり、息を整えながら尋ねた。
 経理のノエルは、女性から見ても憧れるくらいスタイルの良い美女だ。足の長さを生かせるボディスーツなど、きっと様になる。

「やっぱりあそこ出来てるのか」

 寝転んでいるフォウはベッドの上で頬杖をついた。

「だと思いますよ。ハサン様とそれ以外の人を見る目が違いますもん」
「そうなのか? クール系の美人って印象しかないが」
「ハサン様を見ている時は、ちょっとだけ柔らかい雰囲気になりますよ」

 好きな人を見つめるノエルの横顔を思い出し、リヤーナは思わず口元が綻ぶ。

 いつも慇懃いんぎんで事務的なノエルの表情の変化を見つけた時は、少し嬉しくなった。優秀でスタイルも良くて、自分と同じ人間だとは思えないくらい違うのに、誰かを恋い慕う気持ちは変わらない。

「ふーん。そういう女の細かいところとか全然わかんないな」

 フォウは眉間にしわを寄せ、首を傾ける。

「えー、変装の達人なのに?」
「女装で長期間潜入することはないからな。女装する時は男がターゲットの場合がほとんどだし、男に伝わらない細かい要素まで真似る必要性は低い」
「まぁ先輩くらいメイクが上手だったら、多少のことは見過ごしちゃうかもしれないですね」

 以前に見た女装姿のフォウは、本物の女性よりも女性らしかった。下手をすれば、リヤーナでもフォウであることに気付けないかもしれない。

「とはいえ、潜入先で女に怪しまれたり気取られたりしたら終わりだ。女は異物に対して敏感だからな。理論じゃなくて勘で見抜いてくる」

(だから気付いてくれなかったのかな)

 小さなトゲくらいの痛みが、ちくりとリヤーナの胸を刺す。
 リヤーナは意識して息を吐き出し、フォウに身体を寄せた。

「……今日は煙草の匂い、しないですね」

 フォウの首元に顔を近付ける。煙草でも香水でもない、フォウ自身の匂いがした。

「任務に備えないといけないからな」

 平坦な声だった。
 急に突き放されたように感じるのは、被害妄想だろうか。
 フォウにも次の仕事があるのは当然だ。組織内でも指折りの腕利きなのだから、名指しの依頼だって舞い込む。

(この生活に終わりが近いこと、フォウ先輩はどう思ってるんだろう)

 リヤーナはじっとフォウを見つめる。

 視線に気付いたフォウは、一瞬だけ目を逸らした。しかし、すぐにいつもの余裕のある笑みを浮かべ、リヤーナの頭に長いキスをした。同時に、後頭部をゆったりと撫で下ろす。
 目蓋を閉じると、うっかり眠りに落ちてしまいそうなほど心地良く、穏やかだ。

「……これじゃ本当に、抱いてるだけ、ですよ」

 リヤーナは強がってみせようとしたが、声が震えてしまった。

「言うようになったな」

 感心半分呆れ半分といった言い方をし、フォウはリヤーナの手を取った。手のひらを重ね合わせ、指を絡めて握り込む。

「小さな手だ」

 フォウはどこか寂しげに呟き、握ったままの手を自分の口元に運んだ。指先から手首まで、手の形をなぞるように唇を落としていく。

 これまでのような、欲望を掻き立てる触れ方ではなかった。
 それなのに、リヤーナはうっとりとため息をついてしまう。心が切なく締め付けられて、甘くもどかしい。

(『指導役としてじゃなく』ってお願いしたのは私だけど、なんの感情もない相手に、こんな、慈しむような触り方できるんですか……?)

 リヤーナの胸に疑問が浮かぶ。
 もう何個目だろう。
 フォウの真意が、気持ちがわからなくて、吐き出せなかった疑問が心の中に数えきれないほど堆積たいせきしている。

 聞きたいけど怖い。
 納得したいけど傷付きたくない。
 けれど、全部なかったことにして終わるのは、やっぱり嫌だ。
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