毒の果実

夢 餡子

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エム

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 しばらく待ったが、扉は開く気配がない。そっとドアノブに手を掛けて、中を覗き込む。

 広い部屋の中央に、黒いガウンを羽織っただけの背の高い男が屹立していた。
 白髪で歳は60過ぎに見えたが、振り返って私を睨むその目だけはぎらぎらと強い輝きを放ち、とても若々しかった。
 男は一言、入れと命令した。私はおずおずと部屋に入る。そうして、改めて男と向かい合った。近寄ってみると背が高い上に、スポーツマンのようながっしりとした体格だ。

「カードを見せてもらおうか」

 張りはあるが鷹揚を感じさせないその言葉に、私はあわててバックに入れた財布から、クラブのカードを出して差し出す。
 すると、男はすでに自分のカードを手に持っていて、それをひらひらとさせていた。
 よく見ると、そのカードには『M』のロゴがある。私のカードは『S』。男女でカードのロゴが違うのだろうか。
 そんな私の疑問を感じ取ったように、男は口を開く。

「おまえ、初めてなんだろう。SとMでSM。よもや、そういうクラブだと思ったか?」
「い、いえ……そんな……」
「ふん。この変態が。まあいい、じゃあ俺のことはエムと読んでくれ。おまえはなんと呼べばいい」

 本当の名前を教えるわけにもいかない。急にそう言われても何も思いつかなかった。男は私のからだを、上から下まで品定めするかのように、ゆっくりと視線を泳がしている。

「ええっと……私は……」
「じゃあ、アリスと呼ぼう。ルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』のアリスだ。見たところどうやら、ごく凡庸などこぞの女房が別の世界へと足を踏み間違えてしまったようだ。戸惑いと不安に満ち溢れておる。だがおまえはこれからこっち側の世界で生きる決心をせねばならん。そうした意味も込めて、アリスだ」

 男は大きくうなずくと、いきなり私の手を掴んで強引にからだを引き寄せた。

「ちょ、ちょっと待ってください……先にシャワーを……」
「シャワーなんかどうだっていい。俺だってそんなもの浴びておらん」

 がっしりと男の手に抱きしめられたまま、いつしかベッドへと深く沈み込んでいった。

 唐突に始まったその行為は、ときに猟師が獲物の肉をかっさばくかのように荒々しく、ときに母親が赤子を愛でるかのように優しかった。来る前は緊張して、こんな場合ってどんな演技をすればいいんだろうと思っていたが、とんでもない。
 気づくと本能のまま声を上げ、幾度となく果てていた。

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