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炎のなかから
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私は必死になってからだを動かし、拘束ベルトを外そうとする。だが、きつく結ばれたベルトはびくともしなかった。燃え上がった炎はたちまち天井をも焦し、火はベッドから絨毯へと狂ったように這い回りながら、私のほうへと近づいてくる。
いつしか黒い煙がリビング全体を覆い、私は何度も咳き込んだ。息が苦しくってたまらない。そして猛烈に熱い。この業火はやがて、私をすっかり焦がしてしまうことだろう。
次第に力が失われていった。もう、もがくこともできない。横たわったソファの目の前で、炎が揺れている。それはいつか、遠い夏の日に見た陽炎のように。ゆらゆらと揺れ動く陽炎の向こうに、夫がいた。その姿は、あまりにもぼんやりしていて良く見えないけれど、確かに夫だった。薄れゆく意識のなかで、いつしか私はその名を呼んでいた。ずっと口にしなかった名前を。
「光司さん……」
声に気づいたのか、陽炎の中から夫がこちらに向かって歩いてくる。陽炎のように揺れ動く偽りの世界を力強く手で払いながら、そしてしっかりとした足取りで。夫はわたしのもとへとやってくる。
「……うさん! ゆうさんっ!!」
遠ざかった意識がその声で、はっと目覚めた。目の前には光司がいる。それは幽霊なんかじゃない、本物の光司だった。
光司は私を抱き抱えると、すばやく辺りを見渡す。リビングはすっかり燃え盛る火と煙に包まれていた。
「大丈夫かっ!!」
「あなた……なぜ……」
「それは後だ。いいか、目を瞑って!」
光司は私を抱き抱えたまま一度ふっと息を吐くと、身を屈めながら悪魔の触手のように這い上る激しい炎のなかへと飛び込んだ。それは一瞬の勇気。
廊下には、まだ火の手は回っていなかったが、すっかり黒い煙に包まれている。光司は私を抱き抱えたまま廊下を突っ切り、玄関のドアを出てしばらくの間も、走るのをやめなかった。
暗闇のなかで、家が赤々と燃えていた。
「ここまで来れば、もう大丈夫だろ」
家から離れた場所でようやく光司は足を止めると、私をそっと路上に下ろした。そして、バンドを外しにかかる。
私はあっけに取られたまま、ただただ光司の顔を見つめていた。聞きたいこと、話したいこと、そして、話さなければならないこと。
いろんな言葉が頭のなかに激しく渦を巻いているばかりで、結局なにひとつ出てこない。
バンドを全て外し終えた光司は、ぜいぜいと息を荒げながらほっとしたように私の顔を見つめる。そうして、私を優しくぎゅうっと抱きしめた。何も言わずに。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
◇
リビングとキッチンは焼け焦げたが、家は全焼を免れた。
だけど消火活動が終わった家は見るも無惨に水浸しとなり、消防や警察、そして野次馬が集まって辺りは騒然としていた。
警察にはいろいろ聞かれたが、あのふたりのことは話さなかった。なんとなくだけど、そうしたほうがいいと思ったから。
毛布にくるまって道路の脇で座り込んでいると、事情聴取を終えた光司が戻ってきた。
「ゆうさん、寒くないかい?」
「とっても寒いの」
「じゃあ、ここから抜け出しちゃおっか」
私が頷いて立ち上がると、光司は手を差し出してきた。そうするのが当たり前のような気分になってその手を繋ぎ、ふたりでさりげなく火事現場を後にした。
「お腹空いただろ」
「うん、とっても」
「じゃあ、近くのファミレスでも行こう」
いつしか黒い煙がリビング全体を覆い、私は何度も咳き込んだ。息が苦しくってたまらない。そして猛烈に熱い。この業火はやがて、私をすっかり焦がしてしまうことだろう。
次第に力が失われていった。もう、もがくこともできない。横たわったソファの目の前で、炎が揺れている。それはいつか、遠い夏の日に見た陽炎のように。ゆらゆらと揺れ動く陽炎の向こうに、夫がいた。その姿は、あまりにもぼんやりしていて良く見えないけれど、確かに夫だった。薄れゆく意識のなかで、いつしか私はその名を呼んでいた。ずっと口にしなかった名前を。
「光司さん……」
声に気づいたのか、陽炎の中から夫がこちらに向かって歩いてくる。陽炎のように揺れ動く偽りの世界を力強く手で払いながら、そしてしっかりとした足取りで。夫はわたしのもとへとやってくる。
「……うさん! ゆうさんっ!!」
遠ざかった意識がその声で、はっと目覚めた。目の前には光司がいる。それは幽霊なんかじゃない、本物の光司だった。
光司は私を抱き抱えると、すばやく辺りを見渡す。リビングはすっかり燃え盛る火と煙に包まれていた。
「大丈夫かっ!!」
「あなた……なぜ……」
「それは後だ。いいか、目を瞑って!」
光司は私を抱き抱えたまま一度ふっと息を吐くと、身を屈めながら悪魔の触手のように這い上る激しい炎のなかへと飛び込んだ。それは一瞬の勇気。
廊下には、まだ火の手は回っていなかったが、すっかり黒い煙に包まれている。光司は私を抱き抱えたまま廊下を突っ切り、玄関のドアを出てしばらくの間も、走るのをやめなかった。
暗闇のなかで、家が赤々と燃えていた。
「ここまで来れば、もう大丈夫だろ」
家から離れた場所でようやく光司は足を止めると、私をそっと路上に下ろした。そして、バンドを外しにかかる。
私はあっけに取られたまま、ただただ光司の顔を見つめていた。聞きたいこと、話したいこと、そして、話さなければならないこと。
いろんな言葉が頭のなかに激しく渦を巻いているばかりで、結局なにひとつ出てこない。
バンドを全て外し終えた光司は、ぜいぜいと息を荒げながらほっとしたように私の顔を見つめる。そうして、私を優しくぎゅうっと抱きしめた。何も言わずに。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
◇
リビングとキッチンは焼け焦げたが、家は全焼を免れた。
だけど消火活動が終わった家は見るも無惨に水浸しとなり、消防や警察、そして野次馬が集まって辺りは騒然としていた。
警察にはいろいろ聞かれたが、あのふたりのことは話さなかった。なんとなくだけど、そうしたほうがいいと思ったから。
毛布にくるまって道路の脇で座り込んでいると、事情聴取を終えた光司が戻ってきた。
「ゆうさん、寒くないかい?」
「とっても寒いの」
「じゃあ、ここから抜け出しちゃおっか」
私が頷いて立ち上がると、光司は手を差し出してきた。そうするのが当たり前のような気分になってその手を繋ぎ、ふたりでさりげなく火事現場を後にした。
「お腹空いただろ」
「うん、とっても」
「じゃあ、近くのファミレスでも行こう」
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