ノワールエデン号の約束

雨野ふじ

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第2章

第6話 英雄への道標

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 バトナ王国──食物が豊富で、遺跡が多く存在するため観光客が耐えない三大王国の一つ。特に漁業が盛んで、朝市には活気が溢れている平穏な国だ。
 半年前、バトナ王国第二王女のエマ・ファナマール・バトラと第二王女側近兼バトナ王国衛兵騎士団長のノワ・ミケールを乗せた船は、ノワールエデン号を前に沈没した。
 正確な原因は、分からないが大砲の当たり具合が悪かったせいなのか。海水の浸水によって沈んだと、当時戦況の中にいた騎士団員たちは言った。
 三大王国で、最強と言われていたノワが船と共に行方不明になった。そのニュースは、バトナ国民だけでなく、大国全土に伝わった。バトナ国を落とそうと企む国も現れ、生きて帰ってきた騎士団員たちも休むことはできなかった。
 その争いが、収まったのはつい一ヶ月前。ノワはエマを守った英雄として担ぎ上げられた。
    亡骸の捜索もされたが、沈んだ海は人の立ち入れる水深ではなく早々に打ち切られた。
 その頃には国も落ち着きを取り戻し、力を取り戻しつつあるバトナ城の中では、複数の従者たちがエマを部屋から出すまいと立ちはだかる。それは、争いがあったのがまるで嘘のように感じられる穏やかな春の早朝。

『今日、私はノワの捜索に出ます。』

「なりません、姫様。」

 老臣たちも集まり、エマを落ち着かせようと説得を試みる。しかし、エマは一度決めたことはやり通す頑固者だった。ずっと、ノワを船に残してきたことを悔やみ、ノワの死を頑なに否定してきた。

「ノワ殿は、名誉の死を遂げたのです。もう、何処を探してもあの方はいらっしゃらない。」

『そんなことない!何が名誉の死よ。ノワは私との約束を違えたりなどしないわ!』

 老臣たちの間では、また姫様の我が儘が始まったと顔を見合わせる。エマは、ずっと父であるリアム国王にノワの捜索を言い続けていた。しかし、それは戦によって後回しにされ、落ち着いた今になってしまったのだった。

「姫様、このようなことを申したくはありませんが……ノワ殿も万能に御座いませぬ。我らと同じ人間。」

『そんなこと……私だって分かってる。』

「エマ様!」

 暗く陰を落としたエマは、騎士団員の呼ぶ声に視線だけを上げた。ノワの意志を継いだシャーロットが団長となり、生き残ったメンバーがシャーロットに続いてエマの前に膝をつく。

「エマ様、その旅に私どももお供させて下さい。」

「シャーロット殿!貴女まで何を申すか。」

「我らも、ノワ殿の死を目にしていない。あの方は、ルイスを助け、船の沈没時の渦に落ちて行った……まだ分からない。」

 ノワを最後に見たのは、ノワが目をかけていたルイスだった。シャーロットは、希望を捨ててはならないとエマに言い続けた。

「それで、人が生きていられるわけないだろう!」

「エマ。」

 従者を引き連れ、リアム国王がエマたちの元へと歩いてくる。老臣たちは頭を垂れた。エマたちの騒ぎを聞き付けたリアムは、顔を歪めて溜め息を溢す。

「陛下!」

「エマ。天災には、人は敵わぬ。」

『お父様、私はノワを信じています。あの子は必ず、私の元に帰ってくる。』

 天災には敵わない、それを理由にリアムはノワの捜索はしなかった。
 リアムは、母親に似た頑固者の娘に頭を押さえる。先手を打ったのは、エマからだった。

『式の前まで、私に時間を下さい。』

「なに?」

「でなければ、婚姻の儀は無しにして下さい。」

 エマ以外の全員が、その場で静止する。元より、半年前の船旅はこの婚姻の儀が関わっている。エマの結婚。それは、政治的なことも関係してくる国として重大なこと。それを盾にして、エマはリアムを脅しているのだ。

「……ノワは家族同然だった。せめて亡骸だけでもと捜索したが見つからなかった。それでも行くと言うのか?」

『はい。一年だけ、それでも無理だったら諦めます。』

「……分かった。しかし、それ以上は許さない。それと、条件がある。」

『お父様、ありがとうございますっ!』

 出発は翌日に決まり、一人で行こうとしていたエマはお供を最低三人連れていくこと。それには、シャーロットは必ず入れることが条件だと言われた。

「エマ様、命に変えてもお守り致します。」

『シャーロット、私のことを守ろうとしなくていいわ。』

「エマ様?それは、団長に怒られてしまいます。」

 シャーロットは、少し感情的に声を張る。ノワは、エマを守って死んだとされ。エマにとっても、思うことは色々あるのだろうが、今のエマの言葉がまるでノワのことを諦めたかのように聞こえたのだ。

『……うん。ありがとう。』

 エマはシャーロットには、ノワに言えた言葉が出てこなかった。守ると、死ぬのならば共にと約束して、一人逃げたことがエマの胸の奥をえぐる。


 エマを自室に見送ったシャーロットは、団員たちを連れて騎士団員専用の会議室の扉を開けた。各々円卓の指定席に座り、シャーロットを見つめる。

「さっそくだが、早急に支度に取りかかる。私と同行し、姫を守る騎士に志願する者は立て。」

シャーロットの言葉に、全員が席を立つ。ノワへの忠誠心、尊敬の念がそうさせているのだろう。シャーロットは、誰を指名しようか。誰が適任かを一人一人の顔を見ながら、一人審議する。

「シャーロット団長、僕もお供させてください!元はと言えばノワさんが渦に呑まれたのも、僕を助けたせいです。助けていただいた命、ノワさん……エマ様のために使ってください!」

 ルイスは、ノワの愛弟子と言っても過言ではない。ノワは特別誰かを可愛がると言うことはしない人間だった。ノワの特別は、エマだけだと周りも周知していることだ。しかし、ルイスはノワに憧れて騎士団に志願し、そして一目置かれるほどに成長した。そんなルイスは、確かにこの中で一番適任だとシャーロットは頷く。

「ルイス、ゾーラ。以上二名は、私と共にエマ様の護衛を行う。他の者は、この城を守る。我らは、バトナの騎士だ。」

「「「「御意!」」」」

 こうして、エマ一行はノワの捜索に出発したのだった。

『まずは、沈没した付近に一番近いザラム王国パーラスに向かいます。』

 港で高らかに宣言したエマに、シャーロットたちは膝をついて頭を垂れた。

「必ずや、貴女をお守りすることを誓います。命に代えても……。」

『っ……。』

 シャーロットの姿が、エマには出発前のノワの姿と重なり目を背けた。

『神よ、ノワへの道標を示して……。』



 ****



 小鳥の囀ずりと、木々の奏でる語らいに動物たちは静かに耳を傾けていた。
 生い茂る草むらをかき分けて進む熟れたトマトのような真っ赤な頭が、普段の静かな歩みを忘れて駆け抜ける。手には箒と、小さなアタッシュケース。

「みんな!私が留守の間、森をお願い!」

 魔女の森、そう呼ばれるこの場所に動物と一人で生活する赤髪の魔女──ティアナは箒に跨がる。
 動物たちが走り去る少女の背中を見送り、飛び立つ彼女と遥か彼方に繋がる空を眺めた。





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