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第1章
閑話 イスタフォード家の秘宝
しおりを挟むイスタフォード公爵家には一人の公爵令嬢がいる。8歳にもなり、未だ公の場に出ない美しいお嬢様は“イスタフォード家の秘宝”と呼ばれ、公爵家当主エドガーは仕える王や周りの人たちから「娘を見せろ」と言われ続けていた。しかし、エドガーは絶対に娘を領地から出さないことを心に決めていた。
奥様がなくなり、エドガーはクロエと顔を会わせることが減った。ついには王都の屋敷で仕事に取り憑かれた。
執事長エイダン・マクレーンは幼馴染みで親友でもあるエドガーに何年もクロエ様ともっと会うべきだと進言し続けていた。クロエは亡き奥様シャーロット様の生き写しのようにそっくりだった。
聡いクロエ様は周りに心配かけまいと明るく振る舞う。その健気な姿に公爵家に仕える使用人たちは彼女に心酔している。
「エイダン、クロエは」
『お嬢様はお勉強中です。』
「……そうか。」
エイダンは知っていた。エドガーがクロエを心から愛していることを。そして自分自身を許せないことを。
クロエへのパーティーの招待状をエドガーは全て燃やした。それは王族主催のものであっても。婚約の申し出などもっての他。
「クロエは2歳か。」
『はい。お嬢様が馬に興味を持たれました。』
「ポニーを買う。」
『おめでとう、と花束でも持って会いに行かれた方がお嬢様は喜びますよ。』
エドガーは屋敷に帰ってくると必ずクロエの様子を離れたところから伺っていた。それはもう陰気なストーカーのように。そんなだからメイドたちに怪訝な目をされるんだ。
王都にいる間も、クロエの様子を毎日報告させられていた。クロエの写真を眺めているくらいなら会ってあげてほしい。
『旦那様、お嬢様に会われてはいかがですか?』
「……俺は」
『つべこべ言わず会えよ。臆病者。おっと失礼、本音が漏れてしまいました。』
「あの子は俺を避けているだろう。母の最期に間に合わない父など嫌われて当然だ。」
『お嬢様は旦那様を責めたり致しません。天使ですので。』
シャーロット様の懸念が現実となった。奥様は余命を悟ってから、エドガーとクロエ様の心配ばかりだった。口下手で不器用なエドガーではクロエとすれ違ってしまうのではないか、と。だからずっとエドガーにクロエ様と会うように言ったのに───早くに話し合っていれば、クロエ様の美しいパープルの瞳なら涙を流させることもなかった。
いつの日からだろう。お嬢様が「お父様はいつ帰ってくるの?」「ご飯は食べているかな」と言わなくなったのは。帰ってきたエドガーを出迎えなくなったのは。それもこれもエドガーに原因がある。エドガーにしか原因がない。クロエ様は嫌われていると勘違いしたから、なるべくエドガーに顔合わせしないようにしていたようだった。
愛する妻に先立たれ、愛する娘から嫌われ傷心したエドガーを励まし支えたのは王女付きの侍女ミーナだった。王女様はこの仏頂面エドガーをとても気に入っていた。エドガーも王女にクロエを重ねていたのか邪険にしたことはなかった。
「王に……ウィリアムに縁談を打診された。受けようと思う。」
『お嬢様はどうなさるのですか。お嬢様の気持ちは考えないのですか。』
お嬢様が3歳になる頃、エドガーはミーナと結婚した。翌年メイソン様が生まれた。エドガーはクロエにそのことを言えなかった。そして、公爵家の使用人たちはクロエの味方だった。クロエを思い、エドガーの結婚は口が裂けても言わなかった。
かくいうエイダンも、クロエ様を気にかけていたが本心を隠し明るく振る舞うクロエ様にすっかり騙されていた。
何の連絡もなしにエドガーが二人を連れて領地の屋敷に帰ってきた。クロエ様の大切な誕生日。その日に事件は起こった。
「坊っちゃんっ!」
『エドガー、待つんだ。お嬢様は知らないんだぞ!』
「今日紹介する。ようやく、あの子と向き合える気がするんだ。」
メイド長のエリーさんと二人でどうか日を改めてくれと抗議していると、侍女のアンが今日のためにと気合いをいれたクロエ様が姿を現した。誰かが旦那様の馬車を見て、気を利かせて呼んだのかもしれないがバッドタイミングだ。
「きゃっ!」
「「「きゃあっ!!!」」」
クロエ様は旦那様、正確には旦那様に寄り添う二人を見て表情を曇らせた。それと同時に足がもつれ、階段から転げ落ちる。頭を打ち付けたお嬢様に使用人たちは駆け寄り、騒ぎを聞き付けた騎士団長シリウスが外から颯爽と現れた。
「クロエ!クロエ!」
『旦那様、動かすのは危険です。エリーさん、医者を。シリウス、お嬢様は部屋まで。』
「「はい!」」
半狂乱のエドガーを抑えるのが一番大変だった。エドガーの脳裏には、シャーロット様が倒れた時のことが浮かんだのだろう。
クロエ様はそれから2日、目を覚まさなかった。エドガーは執務も手つかずクロエは様の側から離れなかった。
その後、目を覚ましたクロエ様はすぐに回復した。以前よりも明るくなった気がする。
クロエ様は剣術に興味を示し、騎士に混じって訓練に参加したいと言った。
「クロエには危ない。」
木製とはいえ、剣を持たせることも、そして男だけしいない中に可愛いお嬢様を入れることで邪な感情を持たないかと心配なのだろう。
『お嬢様が自分からあなたに願ったことなど初めてではありませんか。シリウスもいるのです。叶えて差し上げてはいかがですか。』
怪我をしないだろうか、と俺も心配だがそれよりもお嬢様の願いを叶えてあげたい。それに家を留守にしているエドガーは知らないだろうが、クロエ様は使用人たちの間では「天使」「神」とされている。神格化されたクロエ様に邪な感情を持つ者はいない。
渋ったエドガーの尻を叩き、クロエ様は訓練に参加するようになった。
「エイダン様、お嬢様がメイソン坊っちゃんに興味を持たれたようです。」
「奥様がお嬢様のことを聞き回っています。」
『ご苦労。』
俺は公爵家の執事長として使用人たちにクロエ様に何も起こらないように、と監視させていた。クロエ様は坊っちゃんといる時間が増え、笑顔が増えた。優しく微笑まれる姿に何人の使用人が気絶したことやら。感極まった騎士たちも涙ぐむ。
クロエ様と共に坊っちゃんも公爵家の跡取りとして勉強をするようになった。
「エイダン様、奥様が手作りサンドイッチを持ってお嬢様の元に!」
『見守り続けろ。』
「エイダン様、実はこれを。お嬢様が訓練を始めてからすでに50を超えています。」
『ほう……お嬢様は一度神殿に赴くべきでしょうか。』
アンが見せてきたのは柄の部分が折れた木刀。クロエ様が訓練を始めてから、もう数えきれないほど壊れたものだ。もしかしたら、お嬢様は何かスキルを持っているのかもしれない。それか知らずに魔法を使っているのやも。エドガーとシャーロット様の遺伝子を受け継ぐクロエ様ならあり得ることだ。エドガーに打診してみよう。
『旦那様。』
「二人の時くらいは友人の時の呼び方でいいだろう。堅苦しい。」
『代々イスタフォード家に仕えるマクレーン家の私が主人を呼び捨てなど』
「この前は素で出てたぞ。」
『私とて腹が立てば少しばかり口調が荒れるのです。』
「……それでなんだ?」
『それが───』
「たのもーっ!!」
鈴の音を思わせるクロエ様の声と共にドアノブの息の根が止まった音がした。クロエ様は頬を赤らめ、モジモジと恥じらいながらドアノブを背中の後ろに隠した。何故頬を赤らめたのですか。
そして、クロエ様は生まれてはじめて父エドガーに自分の想いを吐露した。この日、クロエ様とエドガーはすれ違いが晴れることとなる。
雲一つない青空は、天国のシャーロット様が二人を祝っているように思えた。
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