40代(男)アバターで無双する少女

かのよ

文字の大きさ
134 / 435

129 動けない数多の手

しおりを挟む
 赤の液体がドロリと滴り、床を濡らしている。ガルドは手に持った剣で触手を持ち上げようと、地面との間に切っ先を差し込んだ。
 ゆっくりと持ち上げる。
 紐より硬い機械製の触手は、感覚フィードバックを元にするのであれば非常に重かった。鉄に近い音と、一層大きくなった唸り声が響く。だがロックオンアラートが鳴らないため、ガルドは戦闘態勢にはならなかった。
 そのまま高く持ち上げる。身長が二mを超えるガルドが、それと同等の長さの剣を高く振り上げる。案の定それほど高くない天井に、触手ごと切っ先が刺さった。
 同時に大きな悲鳴が上がる。
「げっ」
 下手にいじりすぎたか、とガルドは焦った。榎本の言う通り、彼の到着を待った方がよかったかもしれない。慌てて刺さったままの剣を真下に引き抜くと、ガルドの顔や身体にぱたぱたっと音を立てて赤い液体が降り注いだ。眉間にシワを寄せて頭を振る。嫌悪感で鳥肌がたつが、アバターの肌は普段通りのグラフィックボディのままだ。
 天井に食い込んでいた触手が、重力でゆっくりと落下してくる。当たる前にガルドは避けようとし、いつもの癖で見切りスキルを発動させた。
 爽快感あふれるエフェクトと音が鳴り、ガルドの身体が高速で前方へ移動した。大量の触手がはびこるエリアに頭から突っ込む。
「ちっ」
 何をしているんだ、と自分で自分を叱った。
 触手一本一本に触れるたび、身体に赤い汁がべとりと付く。金属の冷たい質感は鎧で防がれるが、顔に当たる数本に怒りが湧いた。バックステップで戻ろうとし、足元の触手をふんずけてバランスを崩す。
「グオォン」
 痛い、とでも言っているのだろうか。触手が泣いた。咄嗟に何もできず、ガルドは尻餅をつく。そこでさらに数本の触手を下敷きにして、またもう一度触手が悲鳴をあげた。ガルドはまるで自分が悪いかのような気になり、小さく「すまん」と声を出した。
「グオオォン!」
 またもう一つ、今度は元気な唸り声がする。
「……伝わってる、とか」
 謝罪に応じたような声に、ガルドは腰を浮かせて立ち上がろうとした。とにかく尻の下から触手を引き剥がしたい。下半身が汁で濡れているのを感じ、嫌悪感にガルドは背筋を伸ばした。
「オンっ」
 返事がした。明確な意味を持つ声のようで、唸り声なのは声帯の関係だろうか、人間的なニュアンスなのは間違いなかった。ガルドは吐き気を顔に出さないようにし、どこにあるかわからない目や口を探しながら、再度声をかけた。
「人間か、敵か、味方か」
 低い唸り声。
「……イエスなら一回、ノーなら二回。お前は、人間か」
「ブオン」
 ガルドはゴクリと生唾を飲んだ。触手を避けつつ立ち上がる。
「この事件の、犯人か」
 しばし返事がない。触手はまだピクリとも動かず、何かこちらに物理で干渉してくる訳でもない。拮抗状態が続く。
「おーい、ガル、どぅわぁっ!? なんだこれ!」
 エレベーターの電子音と共に、榎本の声が遠くから聞こえた。ホールは反対側で、ぐるりと反対側へ向かってきて貰わなければならない。ガルドは通信で<反対側だ>と伝えた。
「なんだよガルド、これ! NPCか、にしちゃあ……おい、おいおいおい!」
 榎本が駆けつけてくると、大きな声でさらに駆け寄る。
「ガルド、何された」
「ん、コイツは……」
 ヒトがプレイヤーとして入ってる、と続けるつもりだった。
「血まみれで、触手まみれで、何された……」
「榎本、ヒトだ。人が、」
「これ以上っ!」
 様子がおかしい。ガルドはこれほど怒っている榎本を見るのが、本当に久しぶりだった。ハンマーをいつもよりずっと荒っぽく抜き、歯をむき出しにして、吠えるように触手へ怒鳴る。
「俺の相棒に手ぇ出したら! ぶっ殺すぞ!」
「榎本」
「ガルド下がれ、下降りてろ! コイツぜってぇ許さねえ!」
 榎本が怒っている。以前もこんなことがあったと思いつつ、ガルドは喉を引きつらせ、どうすべきか考えた。田岡のときも状況の思い込みで勘違いをしたが、もうあんなことはごめんだとガルドは焦る。早めに誤解を解かなければ、また長くややこしいことになる。
 確かに「敵か」との質問にはちゃんと返事がなかったが、とにかくこの触手は人間が中に入ってるらしい。もしかしたら、と田岡ケースを思い返す。
 無垢な一般人の可能性はゼロではない。
「待て、違う、ただの汁だ」
 とにかく血ではないと伝えつつ、顔の液体を片手でぬぐった。ハンマーを振りかぶって駆け出した榎本の、背中でひらひら舞うマントを空いている手で握りこむように掴む。
「ぐえっ」
「止まれ」
「だまってろガルド! 離せよ! お前、触手ってやばいだろ! 何された、無事か!?」
 そう言って振り返る榎本に、ガルドは年齢相応の知識で推測した。触手は確かに一部ジャンルで多用されるアイテムでもある。男性が好む不健全なもので、榎本がそっちに興味を持つのはなんら不思議ではないが、呆れて物も言えなくなり一気に肩の力が抜けた。
「……想像するようなことはない」
 馬鹿だな、とため息をつく。
「どこがコアだ、チッ! 全部すりつぶす!」
「もういい、榎本。下がってていい」
「あ!? お前が下がれよ! 仇は取ってやる!」
「ややこしくなるから、邪魔」
「んだと? こっちは心配してるってのに」
「いらん想像するな、コイツ人間だ」
「……あ?」
 指で示した床の触手は、合いの手のように「グォン」と鳴いた。


 時間経過で薄くなっていく赤色に、ガルドはホッとしていた。ずっと真っ赤のままだったら困る、と榎本の反応で学んでいる。ボートウィグ達ならもっと過剰な反応を示すだろう。榎本はただブチギレに近い形で怒っていたが、二人はきっと悲鳴と嘆きでうるさく騒ぐことが安易に想像できた。
「第一装備は無事。そういう時、服は破ける」
「お、おう。そうだな。いやほら俺らアソコ生えただろ、R18系と混ざったのかと一瞬……」
「ありえる。これは違う」
「そうだな、うん。心配して損した。お前で想像するとか三リットルぐらい吐けるぜ」
「黙ってろ」
「悪かったって。だってよ、ビビるだろ。触手まみれのとこに、真っ赤になって立ってれば」
「グオン」
「だろ? ほれ。一人で未知の生物に接近しすぎなんだよ」
「……わかった、突っ込みすぎた。そこは悪かった」
「グオングオン」
「二回は否定だったか? なんだよ、お前コイツの味方か」
「グォオオン」
「好かれてるな」
「い、いらない……」
 ガルドは首を振った。相変わらずグロテスクな空間になった展望台で、何を悠長に和気藹々と話しているのか、ガルドは理解できなかった。榎本は触手とうまくコミュニケーションを取りつつあり、ガルドは光景を認めたくないため外を見ていた。
「ゥォオン……」
「悪りぃな~、コイツスプラッタホラー苦手なんだよ」
「ホラーは平気だ」
「ダークホラーだろ? 内臓系ダメってホラー平気になんて含まないっつーの」
「ん、もういい、それでいい」
「ギャウン!」
「ほら、コイツ案外可愛いだろ? 『諦めんな』だとよ」
「どこが」
「ウオォ……」
「嘆いてるぞ、ガルド。こんなに表情豊かなのになぁ」
 状況を理解した榎本は、触手のとぐろをベッドのようにして横になっていた。そして会話のように唸り声の意図をくみ、小動物のように可愛がっている。それでも触手がピクリとも動かないのは何故なのか、ガルドは不思議でたまらない。
「動かないな」
「あれじゃね? アバターの操作方法って人型に近いほどやりやすいけどよ、触手ってどこがどう動くのか把握するの大変だったりしてな」
「なるほど」
「悪かったな、一本すりつぶしちまって」
 榎本はカラッと笑って済ませた。ハンマーで触手を一本破壊し、その名残か、端の見えなかった触手群から二本、確実な切れ端が見えた。断面は潰したストローの端のようで、榎本の言う通りすりつぶしたらしい。
「しかし困ったな。名前も聞き取れないぞ」
「目がどこだか分からない。目線さえあれば、透明な文字盤越しで会話できる……」
「へぇ、そうなのか?」
「家庭科で習った」
 授業で読んだ教科書の、発話が出来ない障害者向けのツールを思い出す。透明なアクリル板にひらがなが書かれ、それを順に目で追うのを、受け取る側が向こう側から読み取る仕組みだ。
 しかし触手には目が見当たらない。
「そういや、見えてんのか?」
「ヴォウ、ヴォウ」
「……二回は?」
「否定。見えてない」
「うわ、まじかよ」
「デュウ」
「目、見えてないのか。それに満足に話せもしないとか……あああ、最悪だ!」
 榎本が真面目な顔でうつ伏せになった。下いっぱいに広がる触手を「なんてことを」と撫でている。
「もう一度」
 ガルドはまだ聞けていない返事を、もう一度質問した。
「お前は犯人か?」
「おいガルド、んなわけないだろ。五感のうち二つ封じられて、こんなところに一人だったんだぞ?」
「さっき聞いた時、返事がなかった。ハイでもイイエでもない、じゃあなんだ」
「ほら、二回鳴いてみろって」
 榎本の問いかけにも触手は無言を貫いた。呼吸のように唸り続けるほど、声を出すのは苦痛じゃないはずである。突然の沈黙に、榎本も体を起こして心配そうにガルドを見た。
「え、なに、GMの可能性か?」
「分からない。犯人じゃないならノーでいい。何故だ」
 動きのない機械製品で出来た触手は、うんともすんとも声を出さなくなった。
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

【完結】VRMMOでチュートリアルを2回やった生産職のボクは最強になりました

鳥山正人
ファンタジー
フルダイブ型VRMMOゲームの『スペードのクイーン』のオープンベータ版が終わり、正式リリースされる事になったので早速やってみたら、いきなりのサーバーダウン。 だけどボクだけ知らずにそのままチュートリアルをやっていた。 チュートリアルが終わってさぁ冒険の始まり。と思ったらもう一度チュートリアルから開始。 2度目のチュートリアルでも同じようにクリアしたら隠し要素を発見。 そこから怒涛の快進撃で最強になりました。 鍛冶、錬金で主人公がまったり最強になるお話です。 ※この作品は「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過した【第1章完結】デスペナのないVRMMOで〜をブラッシュアップして、続きの物語を描いた作品です。 その事を理解していただきお読みいただければ幸いです。 ─────── 自筆です。 アルファポリス、第18回ファンタジー小説大賞、奨励賞受賞

癒し目的で始めたVRMMO、なぜか最強になっていた。

branche_noir
SF
<カクヨムSFジャンル週間1位> <カクヨム週間総合ランキング最高3位> <小説家になろうVRゲーム日間・週間1位> 現実に疲れたサラリーマン・ユウが始めたのは、超自由度の高いVRMMO《Everdawn Online》。 目的は“癒し”ただそれだけ。焚き火をし、魚を焼き、草の上で昼寝する。 モンスター討伐? レベル上げ? 知らん。俺はキャンプがしたいんだ。 ところが偶然懐いた“仔竜ルゥ”との出会いが、運命を変える。 テイムスキルなし、戦闘ログ0。それでもルゥは俺から離れない。 そして気づけば、森で焚き火してただけの俺が―― 「魔物の軍勢を率いた魔王」と呼ばれていた……!? 癒し系VRMMO生活、誤認されながら進行中! 本人その気なし、でも周囲は大騒ぎ! ▶モフモフと焚き火と、ちょっとの冒険。 ▶のんびり系異色VRMMOファンタジー、ここに開幕! カクヨムで先行配信してます!

【完結】デスペナのないVRMMOで一度も死ななかった生産職のボクは最強になりました。

鳥山正人
ファンタジー
デスペナのないフルダイブ型VRMMOゲームで一度も死ななかったボク、三上ハヤトがノーデスボーナスを授かり最強になる物語。 鍛冶スキルや錬金スキルを使っていく、まったり系生産職のお話です。 まったり更新でやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過しました。 ──────── 自筆です。

ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います

とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。 食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。 もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。 ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。 ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。

もふもふと味わうVRグルメ冒険記 〜遅れて始めたけど、料理だけは最前線でした〜

きっこ
ファンタジー
五感完全再現のフルダイブVRMMO《リアルコード・アース》。 遅れてゲームを始めた童顔ちびっ子キャラの主人公・蓮は、戦うことより“料理”を選んだ。 作るたびに懐いてくるもふもふ、微笑むNPC、ほっこりする食卓―― 今日も炊事場でクッキーを焼けば、なぜか神様にまで目をつけられて!? ただ料理しているだけなのに、気づけば伝説級。 癒しと美味しさが詰まった、もふもふ×グルメなスローゲームライフ、ここに開幕!

虚弱生産士は今日も死ぬ ―遊戯の世界で満喫中―

山田 武
ファンタジー
今よりも科学が発達した世界、そんな世界にVRMMOが登場した。 Every Holiday Online 休みを謳歌できるこのゲームを、俺たち家族全員が始めることになった。 最初のチュートリアルの時、俺は一つの願いを言った――そしたらステータスは最弱、スキルの大半はエラー状態!? ゲーム開始地点は誰もいない無人の星、あるのは求めて手に入れた生産特化のスキル――:DIY:。 はたして、俺はこのゲームで大車輪ができるのか!? (大切) 1話約1000文字です 01章――バトル無し・下準備回 02章――冒険の始まり・死に続ける 03章――『超越者』・騎士の国へ 04章――森の守護獣・イベント参加 05章――ダンジョン・未知との遭遇 06章──仙人の街・帝国の進撃 07章──強さを求めて・錬金の王 08章──魔族の侵略・魔王との邂逅 09章──匠天の証明・眠る機械龍 10章──東の果てへ・物ノ怪の巫女 11章──アンヤク・封じられし人形 12章──獣人の都・蔓延る闘争 13章──当千の試練・機械仕掛けの不死者 14章──天の集い・北の果て 15章──刀の王様・眠れる妖精 16章──腕輪祭り・悪鬼騒動 17章──幽源の世界・侵略者の侵蝕 18章──タコヤキ作り・幽魔と霊王 19章──剋服の試練・ギルド問題 20章──五州騒動・迷宮イベント 21章──VS戦乙女・就職活動 22章──休日開放・家族冒険 23章──千■万■・■■の主(予定) タイトル通りになるのは二章以降となります、予めご了承を。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~

ある中管理職
ファンタジー
 勤続10年目10度目のレベルアップ。  人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。  すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。  なんと1回のレベルアップのステータス上昇が通常の1000倍に。  チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。  探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。  万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。

処理中です...