40代(男)アバターで無双する少女

かのよ

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142 戻ってきても一仕事

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 氷の城は巨大できらびやかだ。冷たそうに丘の上で街を見下ろしている。中に立てば足音が反響し、鉄琴と金管楽器のBGMが厳かに重なり合っている。
 その玉座は、昔と違いほぼ人気がない。以前はログインユーザーで溢れかえり、時には新宿駅前の改札口かと思うほどの人ごみにもなった。
「サルガス?」
「はい」
 電子合成の声は男モデルで、良く聞くヤマハのものだ。
 城の玉座前は、今やたった一人の見たことも無いNPCが常駐するだけになってしまった。ガルドはまだ慣れない。
 案内人サルガス。GMサイドが設置した窓口で、敵意の無い敵だ。ガルドは念のために、いつでも投げつけられるようオレンジを一つ取り出す。球体の果物は、ボールにしては硬くサイズ感がちょうど良い。
「これが、田岡さんが『美人さん』って呼んでたNPCっすね」
「なんだそれ」
「ああ、なんというか、美人だろう?」
「言いたいイメージは伝わるけどな」
 田岡に榎本が苦笑する。その間に三橋はスタスタと歩み寄り、サルガスを容赦無く観察し始めた。
 新しく外から来た三橋は、デジタルデータの解析によるセキュリティの実装を仕事にしていたらしい。誘拐された人間を救い出すような業務は初めてで、しかしそのために行ってきた数々の証拠分析は、今までの解析業務とほぼ同じだった、と説明した。
 ガルドはそっと目を閉じる。浮かぶのは父の笑顔だった。家での様子を見る限り、母に比べて仕事人だとは全く思えなかった温和な父。三橋と同じ仕事をしていたとすれば、想像よりずっと難しいことをしてきた事になる。寂しさを封じながら顔を上げれば、三橋はブツブツと何か呟きながらサルガスの周りを歩き回っていた。
 三橋は「自分も被害者になったが仕事は変わらず続ける」と宣言した。ガルドたちは持ちうるデータ全てを渡し、その中にあったサルガス関連情報について、見たほうが早いだろうと連れてきたのだった。
「AIが組まれてるんすね。簡易な会話bot型? でも目が動いてる、センサ入ってるっすね。動作分けてるのかな。最初見たときから行動に変化ってありました? こっちの名前覚えたり」
「いや全く」
「じゃあディープラーニング実装無し。手入力? 犯人はいったい何を……」
「そうだ。頼んでたやつどうだった?」
 榎本が振り返りざま、途中で合流した金井に聞いた。三橋よりは普通の体格だが、それでも平均より痩せた体躯を見慣れない蛍光イエローのセーターが覆っている。田岡のお手製だろう。
「情報を吸い出す、というのは出来なかったよ。こっちの要望を伝えるくらいで、それで叶ったことといえば」
「いえば?」
「……映画館が出来る」
「えっ」
「大型アップデート時に実装、だそうだ」
 金井がさらっと言った内容に、事情を知らないガルドたちは唖然とした。声も出ないまま金井を見つめる。
「そ、そんなに驚くことかな? 古来から映画は娯楽だ。TVゲームが席巻するはるか前からね。無声、つまり量産された同一の音を出力する技術よりずっと前から、同じ絵を大量に生み出す技術は一般に広がっていた。それをパラパラ漫画のように……こほん。技術はさておき、モノクロだがそれはそれは美しい作品が数多く作られ、今や芸術と呼ばれるまでに昇華されたんだ。アートだ。今や映画は年間……」
「とまぁ、ね」
 田岡が顔を覗かせ、強引に話へ割り込んでくる。
料理長金井が熱弁したんだ。あっけなく美人さんサルガスが『映画館つくる』とか言っちゃって。ひひ、楽しみだ。映画なんて何年も見てない。うん」
「あぁそうそう。思うのだけれど、代表田岡が楽しみにしていることに限ってならサルガスも随分積極的に叶えようとしてくれるのではないかな。他のアイディアはね、君らが願ったように瞬間移動とかNPCをもっと盛れとか、いろいろ試したけどダメだった。それは全部代表も普通のテンションだったんだ。映画だけが違う。もう代表が『観たい観たい観たい』ってうるさいのなんの。そしたらサルガス、少し口調が変わったんだ。代表の希望が強いと、サルガスも議題を『重要事項なんだ』と思うみたいだね」
 金井が真面目な顔でそう言い切るまでの間に、ガルドと榎本はなんとか理解が追いついた。上映にはおそらく検閲が入る。希望するジャンルが見られる保証などないが、なんにせよ映画が観られるとは非常に喜ばしいことだった。その上金井はサルガスのコントロール方法に気付いたらしい。 
「うわすげぇな、なんか知らん間に映画とか! サルガスの判断基準まで! さんきゅーな!」
「ん、流石」
「照れるからやめてくれ二人とも。君らが頑張って外を走り回ってくれたお陰で、これからどんどん仲間が増えるだろう。ゲームの出来ない僕たちも何か、なんでもいいからみんなの役に立たないと。有用性を証明しなければな。やがて他者との摩擦を生むだけだ」
 田岡と同じく喋りの長い金井だったが、会話の内容は少々哲学的で、その上実用性と棘が絡み合っている。ガルドは首を振って、金井自身を刺すばかりの部分を否定した。
「そこにいるだけで助かる。スクラムのように、相互で組んで前へ進む」
「ラグビーのように、か。端っこからそっと押すぐらいなら出来るだろうね。相手側のスクラムのサイズ犯人の規模が分からない今、一人でも多いほうがいいのなら……頑張るよ」
「ん」
「しょげんなよ、だってすげぇよ金井。俺ら全く気付かなかったぜ? 優先順位が田岡じゃないか、ってのはまあ、なんとなーく勘づいてたけど。基準が向こうジャッジじゃなくこっちの様子見ってことだろ?」
 榎本が頷いて田岡の肩を叩く。
「こいつの感情読み取って数値化して『ココ超えたらGO』とか基準あったりして」
 冗談のつもりで言ったらしい榎本に、金井が「それだ!」と叫ぶ。
「え、まじ? 感情の数値化なんて出来るかよ」
「出来るとも! 瞳孔の開き、発汗、血圧脈拍、それに脳波! 君たち全員脳波を受ける装置を入れているんだろう? なら数値化なんて簡単さ!」
 少し大きくなった金井の声が、壮言な玉座の間にりんと響いた。
「そうか、なるほどそうだった。というよりキミもだ、料理長。コックさん。キミも埋め込まれたから、この世界で生きてる」
「……そうか……僕も調べられてるのか。そう言われると当たり前だし、気分のいいものではないな。すまない代 表。君の気持ちも考えず……」
「いいんだ、ああ、本当に大丈夫。ワタシの気持ち次第でやれることがあるなんて、うん。これは武器だ」
 ガルドはこっそりと様子を伺う。映画を楽しみだと言っていた時の、ニヤツキを押し殺したような嬉しそうな顔から一転、今は真面目な顔になっている。
「ワタシがありったけの思いで映画を望んだからだな。あぁ、もうすこし自己暗示の訓練でもしていれば、もしかしたら心から喜べたかもしれない。そのなんだ、フィンファンネルとかいうやつ」
「ファストトラベルだよ、代表」
「そうそれ」
 ガルドは思わず笑ってしまった。同時に隣で三橋と榎本も小さく声を出して笑う。
「そうだよな、ゲームしたことない人間に『FTファストトラベルを心のソコから願え』なんて、ちょっときびしいよな」
 榎本はアゴをなでながら言い、三橋に振り返る。
「俺らあんまり詳しくないんだよ、お前に一任するわ」
「サルガスに関することですか?」
「ああ。要望聞かせて機能拡張させたり、GMの情報抜き出したり。詳しいだろ? 実際に聞いたりすんのは田岡がやるから、方向性的な」
「リーダー。サルガス対策班の」
 ガルドは補足し、三橋にエールを送った。すれ違いざま背中を叩き、一言「がんばれ」と後押しする。
「っす、了解っす!」
「じゃ後頼むな」
「どこか行くのかい? 遠出ならお弁当作ろうか」
「すぐソコだから大丈夫だ。昼には戻っから」
 ガルドと榎本は足早に、玉座の間から外へと続く階段を降りていった。


 二人は、同ギルドの別班レイド所属メンバー・吟醸を連れ立ち、久々の我が家へ戻っていた。
「なによこれぇー!?」
「わ、悪い」
「……ごめん」
「わぁ、これ閣下たち作ったんすか!? どれが誰のっすか?」
「当ててみろ」
「え、難題きたこれ」
 扉を開けてすぐ、見慣れない異様な光景が吟醸たちを困惑させる。同行を希望したボートウィグも続いて入った途端驚き、個人のテリトリーについて興味を示した。
「あの上のやつ、まず間違いなくジャスティンさんでしょ」
「ああ」
 天井の、シャンデリアがついている付け根を中心に広がる盾の層を指差しボートウィグが笑う。吟醸はそれどころではなく、辺りを走って探し回った。
「ねぇ、台は!? ビリヤードとか麻雀とかサッカーゲームとか! あったでしょっ」
「良く見てみな、設置型の家具は動かせないんだ。前と全く同じ位置にある」
「じゃあココじゃん。もーなにーこの着物装備の壁一」
 入り口入って右側へ戻ってきた吟醸は、小上がりになっている夜叉彦のエリアを一周ぐるりと回った。そして中が見えない程度の軽さで、パーテーション代わりの着物型装備へジャブを二回打つ。続けざまにギルド用音声チャットで夜叉彦へ問い詰めつつ、榎本のいる入り口付近へと戻ってきた。
 そして叫ぶ。
「ずるいー!」
「え?」
「そりゃあさー、前線突っ走る六人が優先だから文句ないけどぉー。私たちだって個室欲しいよねぇ。クラムベリみたいにずっとホテルだとさー、お金減ってくじゃんよー」
「……壊せ、って言わないのか?」
「言わないよー。そしたら、私たちも作っちゃダメってなるもん」
 そう言い、さらに「ギルドメンバー全員なんて入らない」「あっち(サンバガラス)の方がよっぽど広い」「だから向こうへ移るか、せめて女子専用のシェアハウスみたいなところ作ろう」などとまくし立てている。
 吟醸は先を読んでいた。他のレイド班メンバーより早く着いたことをメリットにするため、自分に有利なように働きかけている。それは彼女の本質でもジェンダーの差でもなんでもない。ガルドは聞きながら、したたかなゴリ押しが得意な元ギルドマスターを思い出した。
「吟醸ちゃん、ベルベットに似てきたな」
「あ、ほんとー? うれしーい! ありがとーガルドちん」
「喜ぶのかよ」
「だってギルマスお金持ちなったじゃん? 私もああなりたーい」
「あれは才能があるからであって……」
 榎本はそこまで口にし、吟醸の機嫌が良いのを見て指摘をやめた。

 レイド班たちや客人鈴音のメンバーが座るためのソファは、一つだけを除き全てガルドたち六人の自室へ吸収されている。作りがフロキリに準じるロンベルホームではカーペットが硬く、床に座るのも憚られた。
「なんか、いちゃいけないのにきてしまった罪悪感と、神秘の空間にこれた感動が入り混じってるっす」
「うんうん。なんかドキドキするー」
「今後はそういうの抜きでいいよな?」
<もちろん。みんなのリビングだね>
<個室の件は考えなければな。場合によってはギルドを分ける必要も……>
「あー、それちょっとストップ。みんなと話し合ってから」
<む、それもそうだ。ここは大会合の出番だな!>
 通信先のジャスティンが言った大会合という単語に、その場にいるガルドたちは背筋を伸ばした。ガルドは、三橋の際に感じた心臓の縮こまりとは若干違う、頭の血が足へ下っていくような拍動の流れを感じた。
「大会合か……」
「おう。今から胃が痛い」
 チャット欄へ流れないよう接続を切った状態で、ガルドと榎本はそう愚痴りあった。
「方針決まるまでは宿暮らしかな?」
「もう一個ぐらいなら作れそうっすよ、この辺とか」
 しれっと他ギルドの話し合いに混ざっている鈴音のボートウィグが、入り口近くのテントの脇を指差す。無骨で男っぽい防水性の麻布を使ったもので、答え合わせするまでもなく榎本のものだ。
「いやだー」
「え、地味にショック」
「榎本ちんの隣が嫌なんじゃなくって、男所帯の中に住むってのがイヤー」
「なるほど」
 榎本とボートウィグは、吟醸がテーブルの上のティーカップに手を伸ばすのを見計らい、ガルドの顔を見た。
 意味深だが無表情。ガルドは腕を組み、ソファへドスンと背中を預けるのを返事にした。
 確かに。薄目で吟醸を見る。普通の反応は彼女の通りだろう。今更それなりに時間を掛けた天蓋ベッドを手放す気にはなれないが、もっと吟醸のような感性であれば、そんなもの放り出して女子寮に入ったかもしれない。
 相棒と舎弟に向けられた気遣いと指摘の視線が気にならないほど、ガルドは心とアバターがなじみ始めていた。
<鈴音の動きはMISIAに一任するよ。ギルマスこっちに来てないし、リーダー格としては悪くないでしょ?>
「異議なしっす」
 夜叉彦とボートウィグがギルド・鈴音舞踏絢爛衆の話を始め、そこからバラバラにそれぞれ好き勝手な雑談をし始めたころ。ガルドはこっそりと、先ほど開催する方向で話が進んだ「大会合」をいかにして回避するか考えていた。
 集まれるだけの全ての関係者を集めて行う大会合は、城下町中心部にある広場のステージを壇上とし、視聴者は地べたに座り込んで様子を見守る野外会議のようなものだ。
 壇上に関係各所の代表者——ギルドマスターがほとんどだ——が上がり、議題に沿って話を進める。
 そこに随時一般視聴者がコメントを挟んでいくが、以前ならばブルーホールの匿名チャットをモニターに表示していた。古いネット掲示板のような容赦の無いツッコミの嵐が、ガルドはあまり得意ではなかった。
 そうした舌戦を苦としない榎本も嫌がっていたのは、自分たちロンベル六人が「壇上意見者」になるであろう、という予想からだ。榎本はそうした大注目を集める行為を嫌がっている。
 女子高生・佐野みずきは委員会も学級会も文化祭の話し合いも苦手で、趣味の世界でガルドとしてまでしなければならないのは苦痛でしかなかった。
 過去行われた議題はフランクなものも多く、例えば「アップデートで発見され修正パッチが間に合っていないハメ殺し法は初心者にはしないように・発見次第掲示板へ」などの自治的なものから、「夏の雪景色目当てにワンタイムP一見さんが増えたのでナンパは控えて」といったくだらない話まで挙げられていた。
 だが今回は状況が違う。ガルドは腕を組んだまま目を瞑り、眉間にしわを寄せつつ「むむっ」と唸った。すっぽかすのはまずいだろう。出来る対応といえば無言キャラの徹底。もしくは「右に同じく」の乱用だ。問題は、何かしらの案を求められたときだ。
 ガルドは何パターンか前もって考えることにし、姿勢はそのままにメッセージシステムをした。
「閣下がなんか、親のカタキでも思い出すようなお顔で……」
「どーせ『晩飯なにかな~』とか考えてんだろ」
 失敬な。ガルドは左目だけ少し開け、榎本をきつく睨んだ。
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