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3 おっさんではない。女子高生である。

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 アバターでのの姿は、まさしく40代の男である。輪郭は太く、大剣を担ぐにふさわしい体格をしている。顔立ちは渋く凛々しい表情をたたえ、眉も太く険しい角度で眼前の敵に威圧をかける。
 「みず、おはよー!」
 「…おはよう」
 肌は白く、彫りの深さと鼻立ちからリアルのロシア系を思わせる。表面にシワが出始めた頃合いを見事に再現しており、若さと落ち着きを兼ね備えている。モスグリーンに輝く瞳は小さいが凄みがあり、睨まれると背筋をぞくりとさせる迫力を持っている。
 「もぉまじ寒いんだけど!カイロ3つも開けちゃったよー」
 「うわもったいな!マフラー買えし!」
 「そんな金無いしぃー、あーバイトしなきゃ」
 「……」
 キャラメイクの時点で髪型のベースを作った後は、消耗しないアイテムである「ヘアワックス」で髪型を変更できる。女性キャラの場合「ヘアアイロン」や「ヘアゴム」などで大幅な変更が効くのだが、男性キャラは髪の流れを変更したりする程度だ。
 彼は変更する手間を面倒がり、基本の髪型のままでいた。フロントを横に流した短髪の髪型は、清楚さを感じさせる。カラーチャートであれこれ悩んだ末に、好物だという理由で決めた蜂蜜色がよく似合っていた。
 「そういえばさ、3組の由梨が駅前のコンビニでバイトしてるの、佐吉が見ちゃったんだって!」
 「うそまじでー?家が金持ちだって自慢してたじゃん由梨!見栄張ったってこと?」
 「そーなんじゃん?幻滅だよね?」
 「佐吉のことだから言いふらしてんじゃない?」
 「……」
 みずきは、今猛烈に、ガルドになりたいと思った。40代の男ならば、かしましい噂話に付き合う必要がなくなるだろう。蜘蛛の子を散らすように、彼女たちは口をつぐんで教室へ駆けていくだろう。
 「ちょっとみず、寝てるの?ぼーっとしてさ」
 「相変わらずマイペースだよね」
 「ごめん、寝ぼけてた」
 残念ながらここは学校で、彼女は彼女であり彼ではない。いくら願おうとも、彼女はこの場所で彼になることは出来ない。肌は若々しく、黄色人種の色をしている。体の柔らかさから女性だとわかる。
 外見だけを見ると、噂を楽しみ青春を謳歌する彼女たちと何ら変わりはない。赤の他人が遠目で見れば、女子高生の一群としてとても馴染んでいる。
 「彼氏と会ってたんでしょ?」
 「あっ、あの彼?もう4年だっけー。長いねー」
 「あぁ、そう。そうだよ」
 適当に相槌を打ち、話に乗っている体裁をとる。つまはじきにされたくない一心で、嘘をつく。彼氏などいたことはない。興味もない。
 「遠距離だからゲームで会うなんて、健気だねー」
 みずきは、周囲に誤解されるまま、「彼氏のために高額なフルダイブ機を購入した一途な乙女」ということになっていた。

 高校生は意外と時間が無い。放課後は限られている上、部活もある。みずきは根っからの文系だが、家庭の方針で体育会系の部活に強制的に所属させられていた。コミュニケーションが必要なチームプレーの競技は避けた結果、ソロで活動できる陸上部に所属している。
 ひたすら長距離を走るのは悪くない。無心で、前だけを見て、足を動かす。空っぽのままで居られる貴重な時間を、みずきは思いの外楽しんでいた。
 地域でも有数の進学校であるために、部活に対する意欲は驚くほど低い。ダラけた空気感の中、みずきだけが黙々と走り混んでいる。故に、「部活も勉学も涼しい顔をしてこなす優等生」と周りに評価されている。
 それ故に、彼女がゲームをしていることは友人たちの間で違和感とともに広まった。ゲームにハマるようなタイプに見えないのである。趣向がおじさんぽいことはすぐに露見したが、ゲーム好きだったことは上手く隠せていた。そもそも、みずきが好むタイトルの話題が上がることがないのだから、バレることもなかったのだ。

 勉強と部活動が忙しくなった高1の夏、アップデートのタイミングでログインできないことがあった。堪り兼ねたみずきが、せめて話だけでも聞きたいとスマホでギルドメンバーとやり取りを始めた結果、まず「彼氏がいる」ことが広まった。
 もちろん彼氏ではなくゲーム仲間だが、みずきは、敢えてそう言わず誤解のままにした。矢継ぎ早にクラスメイトたちが質問を繰り出してくる。何で知り合ったのか、何をしている男なのか、デートの場所まで聞かれると、たっぷりの嘘と少しの真実で応戦することになる。
 一番やり取りが多く、名前がリアルでも変に思われない榎本を仮想彼氏に当て、出会いは四年前の攻城戦大規模PvPなのをもじって、合コンということにした。戦争には違いない。戦闘エリアのど真ん中で、他を寄せ付けない熱い鍔迫り合いをした。敵同士だった。
 友人たちは、頑なに写真をみせない彼女の恋人を詳しく知りたがった。みずきは榎本の正確な年齢を知らないが、25歳、アメリカに転勤になったサラリーマンということにした。17歳の彼女らからすると、大人の男である。事実、榎本は東京の不動産会社勤務だが、今年で41歳だ。

 「……はっ……はっ……」
 ラスト100メートルを加速する。自分の息が煩い。みずきは、ぼんやりと今朝の話に出た彼氏(偽装)の存在を思い出していた。
 彼の預かり知らぬところで迷惑を掛けているな、とは思っていた。だがみずきにとって榎本は戦友であり、異性ということをすっかり忘れている。迷惑を掛け合う存在だ。フォローしあうのが戦友だ。だから構わないとも思っていた。現に榎本の突拍子もないクエスト依頼に散々付き合っている。
ゴールのラインを越える。足を止め、荒れた息を整える。ゲームをプレイしている時には感じない、確かな疲労感がみずきの体に蓄積されていた。不快さの無い、すっきりとした感覚だった。
 「先輩!」
 うわずった、小鳥のような愛らしい声が後ろからかかる。みずきは声と友人関係データベースを照合させる。ここ数ヶ月で自分に急接近してきた該当者がいた。
 「お疲れ様でした!あの、これどうぞ!」
 手を差し出してくる。握られているのは、かわいいピンク色のスポーツタオルだった。相手の顔を見る。クリンとした深い茶色の髪は、我が校の校則ギリギリの色だ。陸上部のマネージャーになったばかりの1年生。みずきにとって苦手なジャンル、いわゆる「女の子」だった。
 ほのかに化粧を施した顔、甘いフルーツのような香料がふわりと香る。コロンと丸い爪はフィルムが被ったような光沢をしている。ネイルが禁止されている女子高生では常識だが、みずきには興味も経験のない「ベースコートだけかけたネイル」と小ぶりなフォルムが愛らしく見せている。
 「ありがと」
 「いえっ!ドリンクもどうぞ!」
 反対の手に持っていたボトルをずいと出され、みずきは二つとも受け取らざるをえない。市販のものを薄めたスポーツドリンクを勢い良く飲んで、話しかけられないように圧をかける。みずきは相変わらずコミュニケーションが苦手であった。
 「あの、先輩、えーっと、美味しいですか?」
 後輩マネージャーは果敢にも声をかけた。みずきは後輩からよく慕われる。無口だが変に絡まず、不器用だが気が利き優しい性格をしているのがあるだろうが、本人の容姿も関係している。例えるなら、外国の雑誌に載っているようなモデルのような容姿をしているのだ。
 手足はすらりと長く、指も女性的で繊細な形をしている。鼻立ちもくっきりしており、ろくにメイクをしないお陰でふんわりとしながらツヤのある肌をしている。黒髪が濡れ羽の鴉のように、光沢を持って翻る。VRヘッドの邪魔になるからとここ4年はぱっつんのボブを維持しているが、それがまたよく似合っていた。
 そのような、世間一般で美人だと称される先輩のお近づきに!という思いで後輩はマネージャーをしているのだ。
 「うん」
 「よかったー、ちょっと薄かったかなって心配だったんです」
 「このくらいでいい。濃いと飲みにくい」
 「本当ですか?やった!」
 みずきは褒めたつもりなどなかったのだが、後輩は感動の極みであった。

 「先輩、実は私、ある噂を耳にしてしまいまして…嘘ですよね?」
 「何が?」
 部活終了後、何かと理由をつけて後輩は帰りに同行しようとしてくる。みずきは足早に帰ってログインしたかったのだが、後輩の押しに負けいつも一緒に帰っていた。
 「先輩に恋人がいるって、クラスの男子が言ってたんです。あれですよね?ただの噂ですよね?本当はいないですよね?」
 「ん?」
 「だって先輩お出かけとかあまりしないじゃないですか!デートしてるなんて話、聞かないですよ?」
 学校から徒歩圏のみずきの家は、学校から最寄り駅の合間にある。そのためなのか、街への出現情報というのはあっけなく漏れるのである。後輩がやけに詳しいのは、みずきが目に付きやすい容姿をしているのも一因なのだが、情報を取ってくる手腕に長けているのも理由の一つだ。
 「……」
 「先輩、ただの噂ですよね?」
 「どの辺まで、知ってるの」
 「えーっと、大人な恋人がいて、もう4年も付き合ってるって聞きました」
 大事なポイントが抜けた噂をつかまされている。みずきは嘘をつかないよう心がけてきた。誤解されたまま放置しているのは、嘘ではないと思っている。だがこうも中途半端に知られていると、自分からあの設定を話さなければならない。「設定」に基づいたロールプレイをしないと今後困るのは自分だ。少し悩む。後輩のことは少し苦手だが、クラスメイトよりは話の通じる相手であると感じていた。
 自分が苦手な話はしてこない。学校の行事関係と部活の話題が中心で、そこに色恋や芸能人の話題を入れてこないところは評価できる。だが、この後輩がゲームを肯定するか否定するかわからなかった。フルダイブ機と呼ばれる高性能VRゲームは、学生には手が出しにくい金額だ。スマホによるソーシャルゲームが中心で、フルダイブ機は金持ちとモノ好きの道楽だとされていた。
 動機が別の場所になければ、ゲーマーだと思われる。みずきはそう思われることをひどく嫌った。自分はゲーマーでもオタクでもない。なりたい自分になれる場所が、VRMMOしかなかっただけなのだ。

 「4年になる」
 「えっ?」
 悩んだみずきは、設定を後輩に話した。付き合って4年の恋人がいて、社会人で、遠距離なので彼が好きなVRのゲームで会うことにして、高いフルダイブ機をバイトして買った。そういう設定だ。
 あぁ、まるで女子高生みたいなストーリーだ。ほとほと嫌になった。この話をでっち上げた自分とクラスメイトにも、話を聞いてきゃあきゃあ喜んでいる後輩にも、だ。
 「わあ!先輩ってば乙女ですね!」
 逆だ。乙女の輪から外れたいおっさんだ。だが、こうして輪の中に入るには、圧倒的多数でいた方がいいことはわかっている。リアルでは外見が優先されることが多い。乙女の輪から外れるのは嫌だ、そう思ってみずきは乙女のふりをしていた。外見は乙女なのだから、あとは性格さえカモフラージュして仕舞えば良いのだ。
 後輩が興味津々といった様子で訪ねてくる。
 「先輩、先輩、彼のどんなとこが好きなんですか?」
 「一方的に話してくるところ」
 「好きなんですかそれ?」
 不思議には思うものの、後輩にとって確かにしっくり来る返答であった。自分から話題を振るところを見たことがない先輩だから、足りない部分を埋め合うのがいいのかもしれない。そして、先輩にとって居心地の良い相手が「一方的に話す」人間だとわかったことも一つ収穫だった。
 自分も今後はその戦略で行こう。後輩はそう決意した。

 戦友としては、いい相棒だと好んでいる。アタッカーの中ではあれほど息の合う相棒はいない。みずきは彼との年齢差をすっかり忘れられるほど、ガルドになりきって彼を「気兼ねなく接する友人」だと感じているのであった。
 榎本はコミュ力が高い。自他ともに認める社交派だ。飲み会やスポーツ大会などに積極的に参加するタイプだ。だが、残念ながら相当なゲーマーに育ってしまった。
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