40代(男)アバターで無双する少女

かのよ

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41 前世仕掛けのオレンジ

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 海外旅行には荷物検査や出国審査の手続きが必須だ。わざわざ見送りにきてくれたプレイヤー達には悪いが、ギルド:ロンド・ベルベットはそろそろ行かなければならない。
 空港がやたらと混雑していることもあり、審査の予定を早めることとなった。ロンド・ベルベットの六人はファーストクラス専用のものを、それ以外のメンバーは通常のものに入って行くことになる。
 その変更は離れている阿国も知ることとなる。
 六人と警備担当の阿国は脳波感受にコネクトしたスマホで会話をしながら行動していた。榎本の合流、影武者の離脱と入れ替わり、危険人物の襲来などは逐一共有された。
 つい先程予定を早める決定が流れたそこに、さらに一本の新規メッセージが音を立てて現れた。 
 <残念なお知らせですの>
 阿国の愛らしい筆文字フォントで一文現れる。不穏な空気を持ったその言葉に、メッセージを見ることが出来る六人は悪い予感の的中を知った。
 見送りに来てくれているプレイヤー達に悟られないよう、表情を変えずにマグナがその文章に返信を入れる。
 <誰が来た>
 <オレンジカウチ、断定ですの。海外輸入の公式バッジをリュックに、わざとぶつかった警備が独特の口調で罵られたと報告>
 その名前を見たガルドは、隣に立つ榎本のそれよりも一段階緊迫感を薄めた。
 彼は阿国より安全なプレイヤーだ。ガルドがそう思うような、ある意味ありふれた相手であった。被害を受けたという自覚はない。
 危険プレイヤー入りしている理由が当の本人にはただただ不思議だった。
 <あいつか>
 <おいおい、頼むぜ!>
 <指示は出しましたの。ルート上に警備が少なくて、追わせてますの>
 <少ない? なんでだ>
 <アイツわざと遠回りしてやがりますの。フロアを何度も無駄に上がり下がりして、やっとワタクシのフロアに来ましたの>
 阿国がいるのは、ガルド達がいる審査エリア前ではない。一つ下のフロアであり、そこから上がってくるルートは限られてくる。
 <先回り頼むぜ?>
 <布陣は完璧ですの>
 <阿国、ありがとう>
 <もったいなきお言葉! ガルド様はワタクシが守りますのっ!>
 数コンマの早業でピンク色に変更したその返信にガルドは過去を忘れて感謝した。行き過ぎたアプローチさえなければ、阿国はとても優しい気配り上手だとさえ思っているのだ。
 持っている消費アイテムを勝手に調べ不足分を送りつけたり、ログインする時間を勝手に調べ結晶の王座ログインポイント前に三つ指ついて正座待機したり、ガルドが稀に負けた相手を裏で闇討ちしたりしなければ、基本的に良いプレイヤーなのだ。
 中でも最も恐ろしかったのは「住所を暴く」という暴挙である。
 度を越えたアピールにガルドは恐れを抱いた。距離を置いた結果、阿国の暴走はその後なぜか収まったという経緯がある。ガルドの行動によっては再熱する可能性があった。
 「油断するなよガルド、こいつは阿国だぞ」
 リアル側の口でそう釘を指す榎本に、こくりと小さく頷いた。


 オレンジ色の霧が見える。
 腕で掻き分けながら進む。
 ひた駆ける男は、派手な色モヤがかかった世界を走っていた。この霧は彼が見ている幻想だ。しかし本気でここが「本来の故郷ではない世界」と信じる彼はその認識を改めない。
 男は夢の世界に生きていた。
 エスカレーターを上がれば、王たる自分の、自分が独占すべき騎士が居る。それだけで血の高ぶりを感じ、オレンジカウチというネームでフロキリをプレイする男は奥歯をガチガチと鳴らした。
 彼は本気で自分が王であると信じている。目は死んだように力なく、脳の中には常時接続している自作のムービーを流しっぱなしにしていた。
 「そこの! 黒ずくめのお前!」
 後ろから誰かが呼んでいる気がするが、我が騎士との再会、いや今生こんじょう初の出会いがすぐそこにあるのだからもう何も聞こえない。
 「聞こえているのか!」
 もう何も聞こえないのだ、あの忠実な自分の騎士に劇的に再会するまでは。
 中肉中背の平均より少しだけふくよかな体躯をした男は、ジャケットから靴まで全て黒で統一した姿で廊下を小走りに進む。背負った安くシンプルなリュックにはフロキリ公式缶バッジを四つ装着していた。
 黒は自分だけの色だ。
 黒の服は、彼が思う前世の国では正装とされたものだ。王家のものしかまとってはならない法律があり、彼はそれに反する市井の者共を見下して生きてきた。前世を覚えている自分だけが特別であり、彼らは可哀想な者達だと思いながら嘲笑う。
 王特有の気まぐれで始めたゲームの世界で、革命軍の若者の剣に倒れた騎士と再会できた。自分を庇って死んだ男。泣いて喜んだ。
 しかしあの男は自分を忘れ、王ではなく沢山の戦友のために戦っていた。
 ああ、なんと悲しき運命なのだろう!
 「これ以上動くな、止まれ!」
 肉を持った状態で出会えば思い出せるかもしれない。あんな仮初めの世界ではなく、鼓動が高鳴るこの肉の世界でならば。そうすればきっと思い出す。王たる自分を思いだし、すぐさま騎士の高貴な一礼をして、自分の城(小汚ない1LDK)に戻ってきてくれる!
 武骨でメタルなエスカレーターも、彼の目には繊細で極上の装飾を施した白亜の階段に見えてくる。
 その前に立つ黒スーツの男は何者だろうか。
 無礼だ。
 そこを上がれば見えてくるはずなのだ。前世で自分を庇い非業の死を遂げた、立派な自分だけの騎士が待っているはずなのだ。
 男は邪魔だ。ではどうする?
 オレンジカウチが脳内で再生し続けているムービーに、ちょうどよくその強靭な肩で敵へとタックルを決めたガルドが映った。
 ムービーは男が自分で編集したガルドの戦闘集であり、そこに随時3DCGで作成した「前世の自分」を挟んだ特製の「前世の記録」だった。これはなのだと、男の脳がそう学習している。
 毎日見る。夢にすら出てくるその記録は、彼の記憶になっていた。
 ーーそうか我が騎士よ! お前のように、われも道を切り開こう!
 「ぐあっ!」
 肩を突き出し、脳内の騎士のようにオレンジカウチがタックルする。上がりのエスカレーター前でゴールキーパーのように立っていた雇われ警備の男は、踏ん張りも虚しく後方にひっくり返った。
 そのまま倒れた警備をジャンプで乗り越え進もうとする。
 「ぐ、待て!」
 長年警備を続けてきた男は反応も早く、横倒れの状態のままオレンジカウチの足を強く掴んだ。
 「愚民めがぁ!」
 男にしてみれば当たり前の、警備にしてみれば不可解極まりない台詞を吐きながら、拘束された足を上に振り上げ剥がそうとする。警備は腕ごと足首を自分の体下に抑え込み、頑なに行かせまいとした。
 やがて状況を掴み始めた周囲の一般人が距離を置いてざわめき始めた。
 撮影か、それとも本当に危ない奴なのか判断しかねる様子で見守っているだけだ。だれも止めようとせず、だれも危機感を持たない。
 警備の服装は黒のスーツであり、正規の空港警備員の制服とは別のものだった。足を捕まれている男の発した台詞も、芝居じみていて映画か何かかと思われた。
 「Cの三番応援を、緊きゅ、あっ!」
 インカムで応援を呼ぶ警備の隙を突き、オレンジカウチが足を逆にかかと側に押して抜け出した。
 「三番! 上がりましたっ!」
 叫ぶ警備の声が、階上のフロキリプレイヤーの耳にまで届いた。


 階下が騒がしい。悲鳴が聞こえるわけでも、物が壊れる音がするわけでもないのだが、どこかざわついた雰囲気がする。
 先ほどのメッセージの件もありロンド・ベルベットのメンバーは一同一層警戒心を強めた。ガルドの件もあるが、夜叉彦の熱狂的なファンのことも警戒している。
 うら若い青年のMISIAがゲーム機からふと目を離し、どこか虚空を見るような仕草をした。
 遊びながら彼は掲示板を見つめている。脳波感受型コントローラを使わないゲームをしながら、本命のコントローラはスマホ経由でウェブをさ迷い仕事をこなしていた。騒ぐ夜叉彦ファンを一喝しては、また別のファンを絞めに行く。
 彼女達はこういてMISIAに叱咤され興奮を納めるよう教え込まれていた。突撃するようなことはないだろう。
 その上女性九割超えの夜叉彦ファンならば体格の大きなジャスティンやガルドの影武者で対応できる。対策は後回しにされていた。
 <下の階ってことはオレンジカウチかな>
 <こんだけプレイヤー居るし、影武者が思った以上にムキムキだから大丈夫だと思うんだけど>
 そうチャット欄に返信しながら、夜叉彦は横目で影武者の男を見た。そのカッコつけ気味な流し目を合間にファンの女性に拾われ、また黄色い歓声を浴びる。
 リアルでこの声を受けるのは今日が初めてだが、向こうで慣れていた。適当にへらりと笑いあしらう。
 「なあ、そろそろじゃないか?」
 「ガルドは後からでいいとして、榎本はどうした」
 仲間達は遠くにスタンバイしているはずの榎本を目で探し、ひどい混雑にそれを諦めた。


 そわそわとするギルドメンバーの様子を見ていたガルド達も、空気の変化を感じ取っていた。通信をしている二人は理由が分かるが、一人ボートウィグは不思議そうな顔をしている。
 彼はまだガルドの影武者が用意された意味もわかっていなかった。
 「……厄介にならないうちに入るぞ」
 榎本が横のガルドとその執事役ボートウィグに向かって今後の動きを伝えた。
 「俺は先に行く。ボートウィグはあっちだろ、審査。ガルドは俺たちが全員入りきったら入ってこい。それまで知らん顔してりゃ、まずバレないはずだ」
 「ですね。一応閣下が見えなくなるまで居ますけど、普通に考えて結び付かないっすよね。閣下だなんて」
 そうすっかり安心した顔で話すボートウィグに、ガルドも油断しきっていた。その上他の五人と違い、ガルドはオレンジカウチに対する警戒心が薄い。
 単なる一プレイヤーの自分を騎士と呼び、王たる自身を守れと命じるオレンジカウチを、完璧になりきったロールプレイのプレイヤーだと思っていた。それはロールプレイに巻き込まれた本人だからであり、端から見ているメンバーはそれが異様な迫力をもっていると気付いていた。


 エスカレーターを全身真っ黒の男が駆け上がる。
 下から警備が叫び止めるが、配信されていた壮行会の映像を見ていた彼の耳には全く入っていない。
 彼は、ただ我慢できなくなっただけだった。
 彼は、ただ会いたかっただけだった。
 「我が騎士、どこだ」
 息をするように細い声で、男が呟いた。死んだような目は挙動不審にせわしなく辺りを見渡し、筋肉質の大男を探す。魂の片割れを探すように、直感を信じて目を巡らせた。
 やがて薄ら笑いで歪む顔が、ある一点の方向を向いた。

 一方ロンド・ベルベットの全体通信には、オレンジカウチと本来は同類だった阿国の悲鳴のような一文が躍り出ている。
 <抜けた ダメ 間に合わない>
 その文字に反射的に反応したメンバーは、まるでロックオンアラートを死角から浴びた時のような条件反射で思わずエスカレーター出口を見てしまった。
 マグナは瞬間、後悔した。
 これでは居場所を知らせてしまうようなものである。
 「あ」
 目線が交差した。
 どこにでもいるような三十代くらいの男が、その目線に気付き、こちらを見ていた。
 正確にはマグナでも夜叉彦達でもない。その後方に立つ、黒いTシャツを着た体育会系の男をじっと見ている。ピタリと顔がそちらに固定されており、なにかの野生動物のように微動だにしない。
 同一線上に立つマグナとジャスティン、メロの体が固く凍った。見覚えのある表情、先程の情報、それらが混ざり一点の答えを弾く。
 奴だ。
 アバターとは似ても似つかない顔だが、あの薄ら笑いは間違いなかった。
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