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第1話 隣の席の気になる子
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もっと笑ってる顔が見たいなと、前からずっと思っていた。
もちろん、真昼さんは元々顔の造形が人一倍綺麗だったから、どんな表情をしていても絵になる美しさではあったけど。
それでも彼女が名前の通り一番輝いて見えるのは、やっぱり笑顔でいるときだという確信があった。
「…………」
そんな私の心の声なんて、当然届くはずもなく。
彼女は普段通り自分の腕を枕にしながら、つまらなそうな顔つきで文庫本のページと睨めっこをしている。ついでに眠たそうにくあー、と大きなあくびを一つ。
暑さを和らげるためか靴も靴下も全部脱いでしまっていて、透き通るような細い素足を所在なげにぷらぷらとさせていた。その仕草が妙に子供じみていて、大人っぽい表情とのギャップに少しきゅんとときめいてしまう。
時折、これまたまずくもおいしくもなさそうな顔つきで、机の上のお弁当から適当な品を機械的に口へと運ぶ。明らかにお昼の食事時を楽しんでいるような雰囲気はない。
真昼さんはいわゆる「編入組」のうちの一人で、中高一貫の女子校であるこの学園内では比較的珍しい部類の生徒だった。
中学三年間で派閥やら仲良しグループやらが既に固まったところへひょいと編入組が混ざるものだから、最初はどうしてもなかなか打ち解けられない生徒が出てくる。しかしのんびりしたうちの校風もあってか、たいていは二、三ヶ月もすればどこかしらのグループに溶け込んでいくのが常だった。
ところが、真昼さんはどこか孤独の女王然としたものを感じさせるせいか、あるいは単に誰かと馴れ合うのが好きでないのか――いずれにせよ、夏休みももう間近というこの七月になっても、未だに他の人とつるんでいるところを見たことがない。
私も何度か勇気を振り絞って話しかけようと試みたものの、彼女の周りに張り巡らされた孤高オーラに気圧され、結局まともなやり取りは一度もしたことがなかった。
もう三ヶ月も隣にいるのに、ふわふわした雲のように、まるで捕らえどころのない物憂げな美少女。
私が彼女について知っていることは、名前が篠藤真昼だということ。本が好きだということ。背が高いということ。長い黒髪で、風が吹くとさらさら揺れること。脚のラインがすっとしていて美しいということ。あとは、バス通学で、たまに同じ車両に乗り込むこともあるということ。それくらいだった。
本当はもっともっと、真昼さんについて知りたかった。
食べ物は何が好きかとか、どんなジャンルの本が好きなのかとか、音楽は聴くのか、映画は見るのか、好きな人はいるのか……。
そういう、普通のことが知りたかった。
けれども私はまだ、彼女についてほとんど何も知らなかった。
他人について普通のことを知るというのは案外難しいことなのだと、私はそのとき悟ってしまったのだった。
定期試験の最終日をようやく乗り越え、明日から試験休みに入ろうかという日の放課後、帰り道。
蒸し風呂のような暑さから逃げるように帰りのバスに飛び乗り、制服をぱたぱたさせながらひと息つく。車内は冷房が強めに効いていて涼しかった。
後ろ側の席が空いていたので、適当に窓際の方に腰を降ろす。図書室で少し調べ物をしてきたからか、学園の生徒たちが一斉に帰る時間帯からは外れていたようだ。
私に続いて乗ってきた何人かの女生徒たちも、ぽつりぽつりとまばらに散りながら座る。彼女たちも恐らく、私と同じようにちょっとした用事で学校に残っていた生徒たちなのだろう。その中に友人がいる訳でもなさそうだったので、さして気にとめることもなかった。
窓の外から見える校舎をぼんやり眺めながら、試験休みの期間中何して過ごそうかなあなんて考え始めようとした……そのとき。
「あの、ここ……いい?」
あまり聞き慣れない女の子の声だったけど、明らかに自分の方へと向けられている雰囲気だったので、私は通路側の方へちらりと視線をやった。
思ったよりも高い位置に顔があって、自然と見上げるような格好となる。
すらりと背の高いその女の子と視線が合った途端、私の心臓はどくんと跳ね上がった。
全てを見通すようなその澄んだ黒い瞳は……いつも教室で私の隣にいる、あの真昼さんのものに違いなかった。
「あ、ひゃ、だ、大丈夫、だよ」
あまりに急な出来事だったので、私は全く呂律が回らなかった。
「……ありがと」
真昼さんはそう口にすると、ゆっくりと優雅な所作で私の隣に腰掛けた。彼女は文庫本を片手に持っていた。
ど、どうしよう……。
まさか真昼さんと、こんな近い距離で隣り合うことになってしまうなんて。
肩なんて、もう触れるか触れないかのぎりぎりの距離だ。
私、汗臭くないかな……大丈夫かな……。
途端に心配になってくる。
真昼さんの表情を横目で観察してみるが、特にこちらを気にしているような素振りはなかった。
ばたんと前方の扉が閉まり、バスが揺れて出発する。
それと同時に、真昼さんがくあー、と大きなあくびをした。眠そうだ。
彼女は普段から眠たそうにしていることが多いけど、教室で実際に居眠りをしているところは見たことがない。しかし、今はもうすぐにでも夢の中へと旅だってしまいそうに見えた。もしかしたら試験勉強の疲れが溜まっているのかもしれない。
窓の外の景色が流れ出す。
見慣れた校舎が遠ざかっていき、バスは決められたルートを正確になぞっていく。
こっくりこっくり。
バスが左右に揺れると、真昼さんの長い黒髪もあおられるように揺れる。
彼女の頭が右肩に微かに触れるたび、私は金縛りにあったみたいに動けなくなる。
時の流れが速いのか遅いのか、そもそもちゃんと流れているのか、分からなくなった。
この感覚はなんなんだろう。
どうして私はこんなに緊張しているんだろうか?
バスは大して速くもない癖に、脈拍だけはどんどん速度を増していく。
やがて、真昼さんは船を漕ぐのを止めた。
それはもちろん、彼女が目を覚まして身体を起こした――という意味ではなく、私の右肩を枕代わりにしてすうすうと寝息を立て始めてしまった、という意味だ。
真昼さんの髪が首元に触れて、心の奥の方がくすぐられるような感覚。
ふわりと、甘い蜜を含んだ花のような香り。
教室ではあまり見せることのない、柔らかくて無防備な寝顔。
深く寝入っているのをいいことに、ついまじまじとそのご尊顔を見つめてしまう。
背の割に顔は小さく、優しく閉じられた瞼から長い睫がこぼれている。日焼けしていない肌は透明感に満ち溢れ、色の濃い唇の鮮やかさをより一層際立たせている。これ程までに横顔が美しい人を、私は初めて見たかもしれない。
「ん……」
肩の上で真昼さんの頭がもぞりと動いたので、私は慌てて視線を外した。寝起きの彼女と目が合ってしまってはあまりに決まりが悪い。
が、しばらく待っても真昼さんが起きる気配はなく、結局私の肩に体重を預けたまま再び動かなくなってしまった。相当疲れているのだろう。
困惑と、気恥ずかしさと、僅かな誇らしさと……色んな感情がない交ぜになって、気持ちの整理が付かない。
ともかく今の私にできることは、なるべく身体を動かさないようにして、隣の美しい少女を目的地まで静かに連れて行くことだった。
もちろん、真昼さんは元々顔の造形が人一倍綺麗だったから、どんな表情をしていても絵になる美しさではあったけど。
それでも彼女が名前の通り一番輝いて見えるのは、やっぱり笑顔でいるときだという確信があった。
「…………」
そんな私の心の声なんて、当然届くはずもなく。
彼女は普段通り自分の腕を枕にしながら、つまらなそうな顔つきで文庫本のページと睨めっこをしている。ついでに眠たそうにくあー、と大きなあくびを一つ。
暑さを和らげるためか靴も靴下も全部脱いでしまっていて、透き通るような細い素足を所在なげにぷらぷらとさせていた。その仕草が妙に子供じみていて、大人っぽい表情とのギャップに少しきゅんとときめいてしまう。
時折、これまたまずくもおいしくもなさそうな顔つきで、机の上のお弁当から適当な品を機械的に口へと運ぶ。明らかにお昼の食事時を楽しんでいるような雰囲気はない。
真昼さんはいわゆる「編入組」のうちの一人で、中高一貫の女子校であるこの学園内では比較的珍しい部類の生徒だった。
中学三年間で派閥やら仲良しグループやらが既に固まったところへひょいと編入組が混ざるものだから、最初はどうしてもなかなか打ち解けられない生徒が出てくる。しかしのんびりしたうちの校風もあってか、たいていは二、三ヶ月もすればどこかしらのグループに溶け込んでいくのが常だった。
ところが、真昼さんはどこか孤独の女王然としたものを感じさせるせいか、あるいは単に誰かと馴れ合うのが好きでないのか――いずれにせよ、夏休みももう間近というこの七月になっても、未だに他の人とつるんでいるところを見たことがない。
私も何度か勇気を振り絞って話しかけようと試みたものの、彼女の周りに張り巡らされた孤高オーラに気圧され、結局まともなやり取りは一度もしたことがなかった。
もう三ヶ月も隣にいるのに、ふわふわした雲のように、まるで捕らえどころのない物憂げな美少女。
私が彼女について知っていることは、名前が篠藤真昼だということ。本が好きだということ。背が高いということ。長い黒髪で、風が吹くとさらさら揺れること。脚のラインがすっとしていて美しいということ。あとは、バス通学で、たまに同じ車両に乗り込むこともあるということ。それくらいだった。
本当はもっともっと、真昼さんについて知りたかった。
食べ物は何が好きかとか、どんなジャンルの本が好きなのかとか、音楽は聴くのか、映画は見るのか、好きな人はいるのか……。
そういう、普通のことが知りたかった。
けれども私はまだ、彼女についてほとんど何も知らなかった。
他人について普通のことを知るというのは案外難しいことなのだと、私はそのとき悟ってしまったのだった。
定期試験の最終日をようやく乗り越え、明日から試験休みに入ろうかという日の放課後、帰り道。
蒸し風呂のような暑さから逃げるように帰りのバスに飛び乗り、制服をぱたぱたさせながらひと息つく。車内は冷房が強めに効いていて涼しかった。
後ろ側の席が空いていたので、適当に窓際の方に腰を降ろす。図書室で少し調べ物をしてきたからか、学園の生徒たちが一斉に帰る時間帯からは外れていたようだ。
私に続いて乗ってきた何人かの女生徒たちも、ぽつりぽつりとまばらに散りながら座る。彼女たちも恐らく、私と同じようにちょっとした用事で学校に残っていた生徒たちなのだろう。その中に友人がいる訳でもなさそうだったので、さして気にとめることもなかった。
窓の外から見える校舎をぼんやり眺めながら、試験休みの期間中何して過ごそうかなあなんて考え始めようとした……そのとき。
「あの、ここ……いい?」
あまり聞き慣れない女の子の声だったけど、明らかに自分の方へと向けられている雰囲気だったので、私は通路側の方へちらりと視線をやった。
思ったよりも高い位置に顔があって、自然と見上げるような格好となる。
すらりと背の高いその女の子と視線が合った途端、私の心臓はどくんと跳ね上がった。
全てを見通すようなその澄んだ黒い瞳は……いつも教室で私の隣にいる、あの真昼さんのものに違いなかった。
「あ、ひゃ、だ、大丈夫、だよ」
あまりに急な出来事だったので、私は全く呂律が回らなかった。
「……ありがと」
真昼さんはそう口にすると、ゆっくりと優雅な所作で私の隣に腰掛けた。彼女は文庫本を片手に持っていた。
ど、どうしよう……。
まさか真昼さんと、こんな近い距離で隣り合うことになってしまうなんて。
肩なんて、もう触れるか触れないかのぎりぎりの距離だ。
私、汗臭くないかな……大丈夫かな……。
途端に心配になってくる。
真昼さんの表情を横目で観察してみるが、特にこちらを気にしているような素振りはなかった。
ばたんと前方の扉が閉まり、バスが揺れて出発する。
それと同時に、真昼さんがくあー、と大きなあくびをした。眠そうだ。
彼女は普段から眠たそうにしていることが多いけど、教室で実際に居眠りをしているところは見たことがない。しかし、今はもうすぐにでも夢の中へと旅だってしまいそうに見えた。もしかしたら試験勉強の疲れが溜まっているのかもしれない。
窓の外の景色が流れ出す。
見慣れた校舎が遠ざかっていき、バスは決められたルートを正確になぞっていく。
こっくりこっくり。
バスが左右に揺れると、真昼さんの長い黒髪もあおられるように揺れる。
彼女の頭が右肩に微かに触れるたび、私は金縛りにあったみたいに動けなくなる。
時の流れが速いのか遅いのか、そもそもちゃんと流れているのか、分からなくなった。
この感覚はなんなんだろう。
どうして私はこんなに緊張しているんだろうか?
バスは大して速くもない癖に、脈拍だけはどんどん速度を増していく。
やがて、真昼さんは船を漕ぐのを止めた。
それはもちろん、彼女が目を覚まして身体を起こした――という意味ではなく、私の右肩を枕代わりにしてすうすうと寝息を立て始めてしまった、という意味だ。
真昼さんの髪が首元に触れて、心の奥の方がくすぐられるような感覚。
ふわりと、甘い蜜を含んだ花のような香り。
教室ではあまり見せることのない、柔らかくて無防備な寝顔。
深く寝入っているのをいいことに、ついまじまじとそのご尊顔を見つめてしまう。
背の割に顔は小さく、優しく閉じられた瞼から長い睫がこぼれている。日焼けしていない肌は透明感に満ち溢れ、色の濃い唇の鮮やかさをより一層際立たせている。これ程までに横顔が美しい人を、私は初めて見たかもしれない。
「ん……」
肩の上で真昼さんの頭がもぞりと動いたので、私は慌てて視線を外した。寝起きの彼女と目が合ってしまってはあまりに決まりが悪い。
が、しばらく待っても真昼さんが起きる気配はなく、結局私の肩に体重を預けたまま再び動かなくなってしまった。相当疲れているのだろう。
困惑と、気恥ずかしさと、僅かな誇らしさと……色んな感情がない交ぜになって、気持ちの整理が付かない。
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