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第3話
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「でへ、でへへ」
市佳が気色の悪い笑みをこぼしているので、私は仕方なく手元の文庫本から視線を外した。机に向かっているゆかりはあまり意に介していない様子で、今のところ話に加わる気配はない。
「なに、変な声出して」
「だって、真冬ちゃんのお家に行けるのが楽しみすぎてぇ」
枕を抱きしめながら左右にごろごろとひっきりなしに転がっている。埃が舞うからやめなさい。
「仲良しなのはいいとして……あんまり迷惑掛けないようにね」
「はーい」
気の抜けた返事だったので、私は余計に心配になってしまう。
真冬ちゃんこと鍋島真冬は市佳の一番の親友で、この寮部屋の二つ隣の部屋に住んでいる。顔を合わせたことは何度もあるのだが、なにぶん無口な子なのでちゃんと会話を交わしたことはなかった。市佳とは随分打ち解けているように見えるのだけれど。
今日聞いた話によると、市佳は明日、鍋島さんの実家に遊びに行ってくるらしい。そのまま一泊したあと、女学院近くの神社で明後日開催される夏祭りに赴く、というスケジュールだった。
「……夏祭り、ねえ」
私はぽつり、呟く。
都会と田舎の中間にある土地柄のせいか、この町ではお祭りごとのようなイベントが妙に盛り上がる。人口の多さと地域の連帯という、通常は相反しやすい要素がうまく共存しているのだ。
自然、どうなるかと言うと。
「お姉ちゃんは、やっぱりパス?」
「うーん……どうしよっかなあ」
夏祭りの雰囲気自体は嫌いではない……というより、むしろ好意的な感情を抱いていた。
ただ、最大の敵は、なんと言ってもあの人の多さ。
どうも私は田舎くさいのか、はたまた孤独を好みがちなのか、人の集まるところにはなかなか足が向かないのだった。しかし、お祭りというのはそもそもたくさんの人が一緒にわいわいやるのが目的なのだから、我ながら矛盾を感じずにはいられない。
「まあ、気が向いたら連絡してよ。一緒に回った方が楽しいだろうし」
「りょーかい」
市佳の口振りからして、あまり期待していないだろうことはすぐに窺えた。毎年こういうやりとりをして結局行かないというのを繰り返してきたので、当然と言えば当然だ。
「ゆかりちゃんはどうする? 夏祭り、興味ない?」
「え、わ、私?」
急に矛先を向けられたゆかりはしばらく目を泳がせたあと、私の表情をちらりと盗み見る。彼女の言いたいことは分かりやすく顔に書いてあった。
「私は、恭佳ちゃんが行くなら……」
「んじゃ、結局お姉ちゃん次第かあ」
はっきりとは言わないが、市佳の口調からは言外の圧力をひしひしと感じた。年々、私よりもずる賢さが増してきているような気がする。
「仮に行くにしても、ほんとに一緒の行動でいいの? 鍋島さん、そういうの嫌がりそうだし」
「真冬ちゃんなら平気だと思うけど……心配なら、一応聞いてくるね」
一番の親友である市佳が言うなら、たぶん聞くまでもないだろう。そう思い引き留めようとしたが、市佳は既に勢いよく部屋を飛び出したあとだった。
相変わらずの行動力――というより、単に鍋島さんと一刻も早く会いたいだけのように見えた。明日になればすぐ会えるだろうに。
取り残された私たちは、気圧されたようにしばらく沈黙を保つ。
部屋ではほとんどの時間を三人で過ごすので、ゆかりと二人きりになることは、そう言えば珍しいかもしれない。
市佳に比べると動作は少ないが、ゆかりは普段よりも落ち着きがない様子だった。やはり、夏祭りのことが気に掛かっているのだろう。
窓の外をじいっと見やっていたかと思えば部屋の時計に目を移したり、しきりに肩に掛かる黒髪を指先で弄んだりしている。白くて細い指先にしなやかな黒髪が絡まる光景は、なんだか見てはいけないものを見ているようで、奇妙な背徳感を覚えた。
「夏祭り、楽しみ?」
そう問いかけると、髪の毛に絡んだ指がぴたりと止まる。ゼンマイ仕掛けの人形が、動力を失ってぴたりと動かなくなったみたいだった。
「……うん」
たっぷり間を置いて、ゆかりは絞り出すように小さく返事した。
体はすらりとしていて大きいのに、その態度はまるで飼い慣らされた小動物のようだったので、私は可笑しくなってしまった。
こういうかわいらしい所作を見ると、ちょっと悪戯してみたくなってしまうのが私の悪い癖だった。
「じゃあ、市佳たちと三人で行ってくる? 私のことは気にしないでいいから」
「え……」
「私は、部屋でのんびり本でも読んでるよ」
ゆかりはなにか言いたそうにしばらく口をぱくぱくさせていたが、結局叱られた子犬のように俯いて黙り込んでしまった。
彼女には悪いけど、私は彼女のこういうちょっと内気なところがたまらなく愛らしかった。だからつい、わざとゆかりを困らせるようなことを口走ってしまう。まるで小学生だ。
「恭佳ちゃん……あのね、私……」
ようやく顔を上げた彼女の美しい眉が、今は哀しそうに歪んでいる。心なしか瞳が潤み始めたようにも見えたので、さすがの私も慌てて助け船を出した。
「ちょ、ちょっと、冗談だってば。もちろん、私も一緒に行くよ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。もともと、今年こそはお祭り行こうかなって思ってたし」
その言葉は嘘ではなかったが、直前まで迷っていたのも事実だった。ただ、ゆかりの潤んだ瞳を前にしたら、行かないとはとても言えなかった。
ゆかりは胸に手を当て、よかった、と消え入りそうな声で呟く。
それから段々と今の状況を冷静に捉えられるようになってきたらしく、唇をむっと尖らせて横目で私を軽く睨みつける。
「……恭佳ちゃんの、意地悪」
「ご、ごめんってば」
謝罪を口にしつつ、拗ねた表情もかわいいな、なんて思ってしまう辺り、重症かもしれない。
話はこれで終わりだ、と言わんばかりにぷいと顔を背けられてしまったので、仕方なく私も文庫本を手にとって読書に励むことにする。
そのまま活字の世界に入り込んでしまったのだが、一時間ほどしてようやく大事なことを忘れていたと気がついた。
顔を上げるとゆかりと目が合う。恐らく、彼女も同じことに思い至ったのだろう。
「……そう言えば市佳ちゃん、帰ってこないね」
「たぶん、鍋島さんと話し込んじゃって、すっかり用事忘れてるんだと思うけど……ん、ちょっと待って」
ちょうどそのとき、机の上で通知を知らせる着信音が鳴った。噂をすればというやつで、画面を見ると市佳からだった。
なんとなく予想していたことだが、今晩は鍋島さんの部屋に泊まっていくらしい。寮の規則では夜間に寮外へ出ることは禁止されているが、部屋の行き来に関しては特になにも言及していなかった。
市佳によれば、鍋島さんは私たちとの団体行動になっても特に気にしないとのことだった。
「市佳、今日は戻ってこないってさ」
「そっか」
「少し早いけど、そろそろ電気消す?」
「……うん」
明日は久々に実家に帰ってもいいな、なんて思いながら二段ベッドの梯子に足を掛ける。せっかく明後日のお祭りに参加するなら、柄じゃないけど多少はおめかししたいし。私が着れる浴衣、家にあったかな。
そんな風に、少し先の未来に思いを馳せていると。
背後から足音が近づいてきて、あと数センチというところで静かに止まった。
別に慌てなくてもいいのに、と笑って振り向こうとした途端、不意に後ろからぎゅっと体を抱きしめられる。
彼女の毛先が私の首筋に掛かると、湿っぽくて甘い独特の香りが鼻孔をくすぐる。遅れて、背中からじんわりと人肌の温かさが伝わってきた。
「あ、あの……今日も……」
身長差があるので、この体勢だとちょうど耳元から声が聞こえてきてこそばゆい。
いくら友達とは言え、いきなり後ろから抱きつかれたらそりゃ驚くし、どきどきもする。ゆかりは普段大人しいくせして、たまにこういうことをしでかすから困ったものだ。
「別にいいよ。でも、このままだと梯子登れないから」
「あ、ご、ごめんっ」
努めて冷静に指摘すると、ゆかりはすぐ腕の力を抜いて解放してくれた。本当はずっと動悸がしていたけど、なんとなく彼女に悟られたくなかった。
先に私が二段ベッドの上に登り、壁側の方へと身を寄せて待機する。
続けて梯子を登ってきたゆかりは、自分の枕を梯子側に設置して体を横たえた。
今日は市佳がいないんだから、二段ベッドの下側が空いているのに。わざわざ二人して上の段に登るなんて、と苦笑いを浮かべる。でも、もちろん嫌ではなかった。
幸い二人とも体は細い方なので、並んで寝そべってもまだ幅に余裕がある。寝返りを打つにはちょっと狭いが、それほど気になったこともなかった。
「じゃ、明かり消すよ」
「うん」
ベッドの柵の隙間から腕を通し、壁のスイッチを探り当てた。
ぱちり。
明かりを消すと、部屋は直ちに暗闇に包まれる。
視界が奪われた途端、自分の呼吸音や、タオルケットの感触がやけに強調されて伝わってきた。
電気が消えてもすぐ眠りにつけるとは限らない。
ゆかりは体を横に滑らせ、おでこの辺りを私の右肩にそっと乗せてきた。この姿勢が一番安心して眠れるのだろう。
私も、彼女の匂いと体温に包まれていると、自然と全身の力が抜けていくような感覚に満たされた。
徐々に薄れていく意識の中で、ぼんやりと取り留めもない思考の断片が浮かんでは消える。
私、漆原恭佳と。同居人、倉坂ゆかり。
変わった関係性だという自覚は、一応ある。
同じベッドで寝るくらいだから、もちろん、仲が悪い訳ではけっしてない。
私はゆかりのことを気に入っているし、たぶん、彼女も私のどこかしらには興味を抱いているんだろう。
でも、彼女とどういう距離感で接すればいいのか、実は未だに迷うこともあった。身体と身体の距離は、こんなに近いのにもかかわらず。
「……すぅ」
ゆかりは早くも夢の中へと旅立ってしまったらしい。
彼女の寝息をぼんやり聞いていると、私も次第に思考が鈍くなっていく。
体温を共有するというのは、どうしてこうも心地よいものなのだろう。
私はあれこれと考えるのをやめ、深い深い眠りの底へと身を預けることにした。
市佳が気色の悪い笑みをこぼしているので、私は仕方なく手元の文庫本から視線を外した。机に向かっているゆかりはあまり意に介していない様子で、今のところ話に加わる気配はない。
「なに、変な声出して」
「だって、真冬ちゃんのお家に行けるのが楽しみすぎてぇ」
枕を抱きしめながら左右にごろごろとひっきりなしに転がっている。埃が舞うからやめなさい。
「仲良しなのはいいとして……あんまり迷惑掛けないようにね」
「はーい」
気の抜けた返事だったので、私は余計に心配になってしまう。
真冬ちゃんこと鍋島真冬は市佳の一番の親友で、この寮部屋の二つ隣の部屋に住んでいる。顔を合わせたことは何度もあるのだが、なにぶん無口な子なのでちゃんと会話を交わしたことはなかった。市佳とは随分打ち解けているように見えるのだけれど。
今日聞いた話によると、市佳は明日、鍋島さんの実家に遊びに行ってくるらしい。そのまま一泊したあと、女学院近くの神社で明後日開催される夏祭りに赴く、というスケジュールだった。
「……夏祭り、ねえ」
私はぽつり、呟く。
都会と田舎の中間にある土地柄のせいか、この町ではお祭りごとのようなイベントが妙に盛り上がる。人口の多さと地域の連帯という、通常は相反しやすい要素がうまく共存しているのだ。
自然、どうなるかと言うと。
「お姉ちゃんは、やっぱりパス?」
「うーん……どうしよっかなあ」
夏祭りの雰囲気自体は嫌いではない……というより、むしろ好意的な感情を抱いていた。
ただ、最大の敵は、なんと言ってもあの人の多さ。
どうも私は田舎くさいのか、はたまた孤独を好みがちなのか、人の集まるところにはなかなか足が向かないのだった。しかし、お祭りというのはそもそもたくさんの人が一緒にわいわいやるのが目的なのだから、我ながら矛盾を感じずにはいられない。
「まあ、気が向いたら連絡してよ。一緒に回った方が楽しいだろうし」
「りょーかい」
市佳の口振りからして、あまり期待していないだろうことはすぐに窺えた。毎年こういうやりとりをして結局行かないというのを繰り返してきたので、当然と言えば当然だ。
「ゆかりちゃんはどうする? 夏祭り、興味ない?」
「え、わ、私?」
急に矛先を向けられたゆかりはしばらく目を泳がせたあと、私の表情をちらりと盗み見る。彼女の言いたいことは分かりやすく顔に書いてあった。
「私は、恭佳ちゃんが行くなら……」
「んじゃ、結局お姉ちゃん次第かあ」
はっきりとは言わないが、市佳の口調からは言外の圧力をひしひしと感じた。年々、私よりもずる賢さが増してきているような気がする。
「仮に行くにしても、ほんとに一緒の行動でいいの? 鍋島さん、そういうの嫌がりそうだし」
「真冬ちゃんなら平気だと思うけど……心配なら、一応聞いてくるね」
一番の親友である市佳が言うなら、たぶん聞くまでもないだろう。そう思い引き留めようとしたが、市佳は既に勢いよく部屋を飛び出したあとだった。
相変わらずの行動力――というより、単に鍋島さんと一刻も早く会いたいだけのように見えた。明日になればすぐ会えるだろうに。
取り残された私たちは、気圧されたようにしばらく沈黙を保つ。
部屋ではほとんどの時間を三人で過ごすので、ゆかりと二人きりになることは、そう言えば珍しいかもしれない。
市佳に比べると動作は少ないが、ゆかりは普段よりも落ち着きがない様子だった。やはり、夏祭りのことが気に掛かっているのだろう。
窓の外をじいっと見やっていたかと思えば部屋の時計に目を移したり、しきりに肩に掛かる黒髪を指先で弄んだりしている。白くて細い指先にしなやかな黒髪が絡まる光景は、なんだか見てはいけないものを見ているようで、奇妙な背徳感を覚えた。
「夏祭り、楽しみ?」
そう問いかけると、髪の毛に絡んだ指がぴたりと止まる。ゼンマイ仕掛けの人形が、動力を失ってぴたりと動かなくなったみたいだった。
「……うん」
たっぷり間を置いて、ゆかりは絞り出すように小さく返事した。
体はすらりとしていて大きいのに、その態度はまるで飼い慣らされた小動物のようだったので、私は可笑しくなってしまった。
こういうかわいらしい所作を見ると、ちょっと悪戯してみたくなってしまうのが私の悪い癖だった。
「じゃあ、市佳たちと三人で行ってくる? 私のことは気にしないでいいから」
「え……」
「私は、部屋でのんびり本でも読んでるよ」
ゆかりはなにか言いたそうにしばらく口をぱくぱくさせていたが、結局叱られた子犬のように俯いて黙り込んでしまった。
彼女には悪いけど、私は彼女のこういうちょっと内気なところがたまらなく愛らしかった。だからつい、わざとゆかりを困らせるようなことを口走ってしまう。まるで小学生だ。
「恭佳ちゃん……あのね、私……」
ようやく顔を上げた彼女の美しい眉が、今は哀しそうに歪んでいる。心なしか瞳が潤み始めたようにも見えたので、さすがの私も慌てて助け船を出した。
「ちょ、ちょっと、冗談だってば。もちろん、私も一緒に行くよ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。もともと、今年こそはお祭り行こうかなって思ってたし」
その言葉は嘘ではなかったが、直前まで迷っていたのも事実だった。ただ、ゆかりの潤んだ瞳を前にしたら、行かないとはとても言えなかった。
ゆかりは胸に手を当て、よかった、と消え入りそうな声で呟く。
それから段々と今の状況を冷静に捉えられるようになってきたらしく、唇をむっと尖らせて横目で私を軽く睨みつける。
「……恭佳ちゃんの、意地悪」
「ご、ごめんってば」
謝罪を口にしつつ、拗ねた表情もかわいいな、なんて思ってしまう辺り、重症かもしれない。
話はこれで終わりだ、と言わんばかりにぷいと顔を背けられてしまったので、仕方なく私も文庫本を手にとって読書に励むことにする。
そのまま活字の世界に入り込んでしまったのだが、一時間ほどしてようやく大事なことを忘れていたと気がついた。
顔を上げるとゆかりと目が合う。恐らく、彼女も同じことに思い至ったのだろう。
「……そう言えば市佳ちゃん、帰ってこないね」
「たぶん、鍋島さんと話し込んじゃって、すっかり用事忘れてるんだと思うけど……ん、ちょっと待って」
ちょうどそのとき、机の上で通知を知らせる着信音が鳴った。噂をすればというやつで、画面を見ると市佳からだった。
なんとなく予想していたことだが、今晩は鍋島さんの部屋に泊まっていくらしい。寮の規則では夜間に寮外へ出ることは禁止されているが、部屋の行き来に関しては特になにも言及していなかった。
市佳によれば、鍋島さんは私たちとの団体行動になっても特に気にしないとのことだった。
「市佳、今日は戻ってこないってさ」
「そっか」
「少し早いけど、そろそろ電気消す?」
「……うん」
明日は久々に実家に帰ってもいいな、なんて思いながら二段ベッドの梯子に足を掛ける。せっかく明後日のお祭りに参加するなら、柄じゃないけど多少はおめかししたいし。私が着れる浴衣、家にあったかな。
そんな風に、少し先の未来に思いを馳せていると。
背後から足音が近づいてきて、あと数センチというところで静かに止まった。
別に慌てなくてもいいのに、と笑って振り向こうとした途端、不意に後ろからぎゅっと体を抱きしめられる。
彼女の毛先が私の首筋に掛かると、湿っぽくて甘い独特の香りが鼻孔をくすぐる。遅れて、背中からじんわりと人肌の温かさが伝わってきた。
「あ、あの……今日も……」
身長差があるので、この体勢だとちょうど耳元から声が聞こえてきてこそばゆい。
いくら友達とは言え、いきなり後ろから抱きつかれたらそりゃ驚くし、どきどきもする。ゆかりは普段大人しいくせして、たまにこういうことをしでかすから困ったものだ。
「別にいいよ。でも、このままだと梯子登れないから」
「あ、ご、ごめんっ」
努めて冷静に指摘すると、ゆかりはすぐ腕の力を抜いて解放してくれた。本当はずっと動悸がしていたけど、なんとなく彼女に悟られたくなかった。
先に私が二段ベッドの上に登り、壁側の方へと身を寄せて待機する。
続けて梯子を登ってきたゆかりは、自分の枕を梯子側に設置して体を横たえた。
今日は市佳がいないんだから、二段ベッドの下側が空いているのに。わざわざ二人して上の段に登るなんて、と苦笑いを浮かべる。でも、もちろん嫌ではなかった。
幸い二人とも体は細い方なので、並んで寝そべってもまだ幅に余裕がある。寝返りを打つにはちょっと狭いが、それほど気になったこともなかった。
「じゃ、明かり消すよ」
「うん」
ベッドの柵の隙間から腕を通し、壁のスイッチを探り当てた。
ぱちり。
明かりを消すと、部屋は直ちに暗闇に包まれる。
視界が奪われた途端、自分の呼吸音や、タオルケットの感触がやけに強調されて伝わってきた。
電気が消えてもすぐ眠りにつけるとは限らない。
ゆかりは体を横に滑らせ、おでこの辺りを私の右肩にそっと乗せてきた。この姿勢が一番安心して眠れるのだろう。
私も、彼女の匂いと体温に包まれていると、自然と全身の力が抜けていくような感覚に満たされた。
徐々に薄れていく意識の中で、ぼんやりと取り留めもない思考の断片が浮かんでは消える。
私、漆原恭佳と。同居人、倉坂ゆかり。
変わった関係性だという自覚は、一応ある。
同じベッドで寝るくらいだから、もちろん、仲が悪い訳ではけっしてない。
私はゆかりのことを気に入っているし、たぶん、彼女も私のどこかしらには興味を抱いているんだろう。
でも、彼女とどういう距離感で接すればいいのか、実は未だに迷うこともあった。身体と身体の距離は、こんなに近いのにもかかわらず。
「……すぅ」
ゆかりは早くも夢の中へと旅立ってしまったらしい。
彼女の寝息をぼんやり聞いていると、私も次第に思考が鈍くなっていく。
体温を共有するというのは、どうしてこうも心地よいものなのだろう。
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