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第9話
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「それじゃ、私は真冬ちゃんちに行くので」
「……ばいばい」
市佳ちゃんと鍋島さんはそう言い残し、手を繋ぎながら一緒の家路を歩いていった。市佳ちゃんは今晩も鍋島さんの家に泊まっていく予定らしい。
占いの屋台を出たあとは恭佳ちゃんが市佳ちゃんに連絡を取って合流し、四人で屋台を回ったり、ステージの出し物を見たりしてお祭りを楽しんだ。夏祭りはいつも両親に連れられて来るものだったから、こうして仲間内でわいわいはしゃぐのは新鮮な感覚だった。
そうしてふと気がつき腕時計に目をやると、もうすっかり遅い時間帯。祭りの明かりがなければ辺りも真っ暗闇だろう。
「私たちも帰ろっか」
「……そうだね」
まだ名残惜しさはあるものの、もうじきお祭りも終わってしまう頃合いだし、あまりぐずぐず残っていても仕方がない。
私は駅前まで家の人に車で迎えに来てもらうことになっていた。恭佳ちゃんは電車で実家に帰るとのことなので、駅に着くまでは同じ道のりだ。……と言っても、僅か四、五分くらいの短い間だけれど。
私たちは点々と灯る街灯を頼りに、薄暗い夜道を二人並んで歩き出す。
行きは大通り沿いの整備された道を歩いてきたけど、帰りはなんとなく人目を避けたい気分だった。神社の裏山から駅の方へと延びる裏道があるのを私は知っていたので、自然とそちらの道へと足が向く。
わざわざ暗い方の道を好んで歩く人はそうそういないらしく、人の気配はほとんど感じられなかった。二人の足音だけが周囲の暗闇へと吸い込まれていく。
左右を鬱蒼とした木々に囲まれた細い道なので、月影も家の灯りもほとんど射し込んでこない。街灯が道しるべにはなってくれるが、辺りを完全に照らし出すには数が少なかった。
夜風がさあっと通り抜けると、こんもり繁った木々の葉がにわかにざわめき始め、一層の不気味さを演出する。……ちょうど時期も時期だし、幽霊だかお化けだかが出てもおかしくない雰囲気。まあでも、慣れてしまえばどうってことはない。
「へ、へえ。こんな道があったんだ」
「知らなかった?」
「う、うん。何回かここへは来たことあったけど、き、気づかなかったなあ」
「まあ確かに、目立ちにくい場所にあるから……」
そう答えつつ、私は恭佳ちゃんの反応に明白な違和感を覚えていた。声が何度もうわずっているし、歩き方も機械的でぎこちない。もしかして、どこか具合でも悪いのだろうか。
「……恭佳ちゃん? 大丈夫?」
「へ? な、なにが?」
「いや、なんか、いつもの恭佳ちゃんじゃないような気がして」
「う、うん…………」
返事ともつかない曖昧な音を発し、恭佳ちゃんはしばし黙り込んでしまう。
その歩幅はみるみる小さくなり、しまいにはぴたりと止まって動かなくなった。気まずそうに顔を俯かせ、落ち着かない様子で体の重心を左右に動かしている。
そこで私はようやく、恭佳ちゃんを支配している感情に気がついた。今までそんな表情を彼女が見せたことはなかったので、思い当たりもしなかったのだ。
「……もしかして、怖いの?」
短い問いかけに一瞬、肩がぴくりと跳ね上がる。
数秒間の沈黙のあと、恭佳ちゃんはとうとう重苦しい口を開いた。
「だ、だって、その…………お、お化けとか、出そうだし」
彼女は至極真面目な様子で答えた。その口調から別にふざけている訳ではなく、本気で怖がっているのだということは明らかだった。
思わず口元が緩んでしまったけれど、これくらいは勘弁して欲しい。だって私は初めて、恭佳ちゃんが自分の弱みをさらけ出す場面に遭遇しているのだから。
申し訳なく思いつつも、ああ、かわいいなって。素直にそう思えた。
恭佳ちゃんの方へと半歩身を寄せ、細い右腕に自分の左腕をそっと絡める。
彼女は恥ずかしそうに私の表情をちらりと窺ったあと、さらにもう半歩分距離をつめ、体をぴったりとくっつけてくる。とどめとばかりに、甘えるような仕草で頭を私の左肩に預けた。
これは、もう、反則なんじゃないだろうか。
あの恭佳ちゃんが、私を頼ってくれているなんて。こんな奇跡、もしかしたら二度とやってこないかもしれない。
でも、速すぎる心臓の鼓動も、絡めた腕の温もりも、肩に掛かる重みも、全て紛れもない現実だった。
「……こうしてると、すごく落ち着く」
肩から直に、声の震えが伝わってくる。
「怖くない?」
「うん。もう平気」
押しつけられた髪先が、頬の辺りを何度もくすぐった。
ほのかに甘い、私の大好きな香りがすぐ近くから漂ってきて、軽く目眩のような感覚に襲われる。
「それじゃ、このまま行こっか」
「うん。……腕、離さないでね」
私たちは再び歩き出した。
今は必死に理性を働かせているが、果たしていつまで保つのだろうか。歩を進める度に、どろどろに溶けた理性の滴が地面に溶けだしていくような、そんな錯覚。
ずっとこのままでいたいという気持ちも確かにある。でも、どちらかと言えば早く駅について欲しいという気持ちの方が勝っていた。これ以上甘えられたら自分が何をしでかすか分からない、という恐怖感の方が強かった。
規則的に私たちを照らし出す、街灯の明かり。
ぼんやりと映し出される、無防備な横顔。
気まぐれに吹く夜風と、木々のざわめき。
二人分の足音。
手のひらから伝わる、自分ではない誰かの体温。
長いようで短い数分間の、二人だけの夏祭り。
交わした言葉は少なかったけれど、絡めた腕や指先が雄弁に感情を語りかけてきた。
徐々に視界が明るくなってくる。あと少し歩けば駅前の大通りに合流するはずだ。私はほっと安堵のため息をつく。
そんな矢先だった。
「ゆかり、ちょっといい?」
恭佳ちゃんは唐突にそう呼びかけ、強制的に私を立ち止まらせた。
絡めた腕をするりとほどき、体を半回転させ、正面やや下から私の顔を覗き込む。
「な、なに?」
急に見つめ合う格好になり、頬の辺りがにわかに熱を帯び始める。
恭佳ちゃんはふっと口元を緩ませ、照れくさそうに頭の後ろを手でかいた。
「……実は昨日の夜、あんまり寝れてないんだよね」
「…………?」
なんの話だろうと首を傾げつつ、黙って続きを待つ。
「今日が楽しみだったから、っていうのも、あったかもしれないけど。それ以上に、さ」
そこで言葉は打ち切られ、代わりに、恭佳ちゃんの体がゆっくりともたれかかってくる。
ぽん、と軽い衝撃。
脇の下から細い両腕が侵入してきて、背中にまで回された。
浴衣越しでも分かる、恭佳ちゃんの柔らかい感触。やや遅れて、私よりも少しだけ高い体温が伝わってくる。
「ゆかりが隣にいないと、なんか、寂しくて」
ぎゅう、とさらにきつく抱き寄せられ、首筋の辺りに鼻先を押しつけられる。
「ん……いい匂い」
「きょ、恭佳ちゃんっ……」
ぷつん、と、体の内部で何かが弾けるような感覚。思考よりも先に、体の方が動き出してしまう。
外側から包み込むように、恭佳ちゃんの体を抱きしめ返す。そのまま一つになっちゃうんじゃないか、っていうくらいの力で。
でも、本当に一つになってしまったら、こうして好きな人の感触を受け止めることもできなくなってしまう。だから私は、私と恭佳ちゃんを別々の器に入れてくれた神様に感謝をした。
一際強くなる香りにくらくらしながら、ただ無心に恭佳ちゃんの存在を全身で味わった。
湿っぽい吐息が何度も首筋に当たり、その度に背中から後頭部へと甘い痺れが駆け上がってくる。
呼吸のために縮んだり膨らんだりを繰り返す肺の動きが、無性に私を安心させる。
「ねえ、髪の毛触ってもいい?」
「え? う、うん、いいよ」
私は頷く。
背中に回された腕がふっと緩められ、代わりに、小さな指先が優しく私の髪先に触れる。
「ふふ、細くてさらさらだね」
「あ、ありがとう」
自分ではすっかり手に馴染んでしまった感触だが、彼女にとっては新鮮に感じられるようだった。指先で梳いたり、束にして指に巻きつけたりと、飽きる様子もなく髪の手触りを楽しんでいる。私の方も、彼女が繊細な手櫛を通す度に、たまらない幸福感に包まれた。
「……だけど私、恭佳ちゃんの髪の毛も好きだよ」
妹さんよりも少し癖の強い、細くてふんわりと柔らかい髪の毛に、そっと自分の手のひらを重ねる。まだ成熟しきっていない少女のもののようで、触れてはいけないものに触れているような、背徳的な美しさを感じた。
「ゆかりのに比べたら、全然だよ。でも……ゆかりが気に入ってくれるんだったら、嬉しい」
その言葉は、胸の奥の衝動を再び弾けさせるのに十分だった。
私は恭佳ちゃんの両肩を掴み、その端整な顔立ちを正面からじっと見据える。
彼女はそれだけで、私の欲しているものを察したようだった。
「私……ゆかりとだったら、平気だから」
引き金となる言葉。
視線を合わせたまま少しずつ、顔と顔を近づけていく。
恭佳ちゃんの瞳がとろんと溶け始め、鼻先が触れ合いそうになったところで完全に閉じられる。
無防備になった形のいい唇に、私は自分の唇を静かに重ねた。
「ん……」
最初は感触を確かめるように、軽く。
けれど、一度触れてしまえば、抑制なんて利くはずもなかった。
「ん、んんっ」
どこまでも沈み込んでしまいそうな柔らかさの奥、さらに深く。
息苦しさからか、恭佳ちゃんは一度顔を背けて唇を離そうとする。それを阻止するように、私は彼女の頭を無理矢理引き寄せ、唇を押し当て続ける。
次第に私も呼吸が苦しくなり、意識がぼんやりと遠のいていく。でも、恭佳ちゃんとキスしながら死ねるんだったら本望だな、なんて半ば本気で思う。
「も、もうほんと無理っ」
幸いなことに、彼女が渾身の力で二人の体を引きはがしてくれたので、なんとか事なきを得た。
肩で呼吸をしながら、しばらく互いの顔を見つめ合う。街灯に映し出された恭佳ちゃんの顔には陰影がはっきりと浮かんでいて、目鼻立ちの美しさがより際立って見えた。
ようやく息が整い、冷静さを取り戻したところで、恭佳ちゃんはふふっと突然笑みを浮かべる。どちらかと言うと苦笑いに近かった。
「ゆかり、張り切りすぎ」
「ご、ごめん……」
「おやすみのキスなんだから、もう少し優しくしてくれないと」
そう言って恭佳ちゃんは背伸びをし、私の右頬に軽く口づける。こうやってやるんだよ、ってお手本を見せるみたいに。
ちょっと屈んだ姿勢になり、彼女に習って、だいたい同じようなところにキスをし返す。唇に負けず劣らず柔らかい頬の感触は、一度味わったら病みつきになりそうだった。
「……それじゃあ、またね。今度こそ、おやすみ」
「うん……おやすみ」
最後にもう一度、小鳥の戯れみたいに、唇同士を軽く突き合わせる。
「今日はたぶん、よく眠れると思うから」
その言葉を残して、恭佳ちゃんは駆け出して行ってしまう。浴衣の袖が右へ左へと大きく揺れるのを、私はぼんやりと見送る。大通りに合流して見えなくなるまで、恭佳ちゃんは一度も振り返ることはなかった。
「……よく眠れるなんて、すごいな」
誰に言うでもなくぽつり、呟く。
私なんてきっと、いや絶対、今夜は眠れないに決まっているのに。
「……ばいばい」
市佳ちゃんと鍋島さんはそう言い残し、手を繋ぎながら一緒の家路を歩いていった。市佳ちゃんは今晩も鍋島さんの家に泊まっていく予定らしい。
占いの屋台を出たあとは恭佳ちゃんが市佳ちゃんに連絡を取って合流し、四人で屋台を回ったり、ステージの出し物を見たりしてお祭りを楽しんだ。夏祭りはいつも両親に連れられて来るものだったから、こうして仲間内でわいわいはしゃぐのは新鮮な感覚だった。
そうしてふと気がつき腕時計に目をやると、もうすっかり遅い時間帯。祭りの明かりがなければ辺りも真っ暗闇だろう。
「私たちも帰ろっか」
「……そうだね」
まだ名残惜しさはあるものの、もうじきお祭りも終わってしまう頃合いだし、あまりぐずぐず残っていても仕方がない。
私は駅前まで家の人に車で迎えに来てもらうことになっていた。恭佳ちゃんは電車で実家に帰るとのことなので、駅に着くまでは同じ道のりだ。……と言っても、僅か四、五分くらいの短い間だけれど。
私たちは点々と灯る街灯を頼りに、薄暗い夜道を二人並んで歩き出す。
行きは大通り沿いの整備された道を歩いてきたけど、帰りはなんとなく人目を避けたい気分だった。神社の裏山から駅の方へと延びる裏道があるのを私は知っていたので、自然とそちらの道へと足が向く。
わざわざ暗い方の道を好んで歩く人はそうそういないらしく、人の気配はほとんど感じられなかった。二人の足音だけが周囲の暗闇へと吸い込まれていく。
左右を鬱蒼とした木々に囲まれた細い道なので、月影も家の灯りもほとんど射し込んでこない。街灯が道しるべにはなってくれるが、辺りを完全に照らし出すには数が少なかった。
夜風がさあっと通り抜けると、こんもり繁った木々の葉がにわかにざわめき始め、一層の不気味さを演出する。……ちょうど時期も時期だし、幽霊だかお化けだかが出てもおかしくない雰囲気。まあでも、慣れてしまえばどうってことはない。
「へ、へえ。こんな道があったんだ」
「知らなかった?」
「う、うん。何回かここへは来たことあったけど、き、気づかなかったなあ」
「まあ確かに、目立ちにくい場所にあるから……」
そう答えつつ、私は恭佳ちゃんの反応に明白な違和感を覚えていた。声が何度もうわずっているし、歩き方も機械的でぎこちない。もしかして、どこか具合でも悪いのだろうか。
「……恭佳ちゃん? 大丈夫?」
「へ? な、なにが?」
「いや、なんか、いつもの恭佳ちゃんじゃないような気がして」
「う、うん…………」
返事ともつかない曖昧な音を発し、恭佳ちゃんはしばし黙り込んでしまう。
その歩幅はみるみる小さくなり、しまいにはぴたりと止まって動かなくなった。気まずそうに顔を俯かせ、落ち着かない様子で体の重心を左右に動かしている。
そこで私はようやく、恭佳ちゃんを支配している感情に気がついた。今までそんな表情を彼女が見せたことはなかったので、思い当たりもしなかったのだ。
「……もしかして、怖いの?」
短い問いかけに一瞬、肩がぴくりと跳ね上がる。
数秒間の沈黙のあと、恭佳ちゃんはとうとう重苦しい口を開いた。
「だ、だって、その…………お、お化けとか、出そうだし」
彼女は至極真面目な様子で答えた。その口調から別にふざけている訳ではなく、本気で怖がっているのだということは明らかだった。
思わず口元が緩んでしまったけれど、これくらいは勘弁して欲しい。だって私は初めて、恭佳ちゃんが自分の弱みをさらけ出す場面に遭遇しているのだから。
申し訳なく思いつつも、ああ、かわいいなって。素直にそう思えた。
恭佳ちゃんの方へと半歩身を寄せ、細い右腕に自分の左腕をそっと絡める。
彼女は恥ずかしそうに私の表情をちらりと窺ったあと、さらにもう半歩分距離をつめ、体をぴったりとくっつけてくる。とどめとばかりに、甘えるような仕草で頭を私の左肩に預けた。
これは、もう、反則なんじゃないだろうか。
あの恭佳ちゃんが、私を頼ってくれているなんて。こんな奇跡、もしかしたら二度とやってこないかもしれない。
でも、速すぎる心臓の鼓動も、絡めた腕の温もりも、肩に掛かる重みも、全て紛れもない現実だった。
「……こうしてると、すごく落ち着く」
肩から直に、声の震えが伝わってくる。
「怖くない?」
「うん。もう平気」
押しつけられた髪先が、頬の辺りを何度もくすぐった。
ほのかに甘い、私の大好きな香りがすぐ近くから漂ってきて、軽く目眩のような感覚に襲われる。
「それじゃ、このまま行こっか」
「うん。……腕、離さないでね」
私たちは再び歩き出した。
今は必死に理性を働かせているが、果たしていつまで保つのだろうか。歩を進める度に、どろどろに溶けた理性の滴が地面に溶けだしていくような、そんな錯覚。
ずっとこのままでいたいという気持ちも確かにある。でも、どちらかと言えば早く駅について欲しいという気持ちの方が勝っていた。これ以上甘えられたら自分が何をしでかすか分からない、という恐怖感の方が強かった。
規則的に私たちを照らし出す、街灯の明かり。
ぼんやりと映し出される、無防備な横顔。
気まぐれに吹く夜風と、木々のざわめき。
二人分の足音。
手のひらから伝わる、自分ではない誰かの体温。
長いようで短い数分間の、二人だけの夏祭り。
交わした言葉は少なかったけれど、絡めた腕や指先が雄弁に感情を語りかけてきた。
徐々に視界が明るくなってくる。あと少し歩けば駅前の大通りに合流するはずだ。私はほっと安堵のため息をつく。
そんな矢先だった。
「ゆかり、ちょっといい?」
恭佳ちゃんは唐突にそう呼びかけ、強制的に私を立ち止まらせた。
絡めた腕をするりとほどき、体を半回転させ、正面やや下から私の顔を覗き込む。
「な、なに?」
急に見つめ合う格好になり、頬の辺りがにわかに熱を帯び始める。
恭佳ちゃんはふっと口元を緩ませ、照れくさそうに頭の後ろを手でかいた。
「……実は昨日の夜、あんまり寝れてないんだよね」
「…………?」
なんの話だろうと首を傾げつつ、黙って続きを待つ。
「今日が楽しみだったから、っていうのも、あったかもしれないけど。それ以上に、さ」
そこで言葉は打ち切られ、代わりに、恭佳ちゃんの体がゆっくりともたれかかってくる。
ぽん、と軽い衝撃。
脇の下から細い両腕が侵入してきて、背中にまで回された。
浴衣越しでも分かる、恭佳ちゃんの柔らかい感触。やや遅れて、私よりも少しだけ高い体温が伝わってくる。
「ゆかりが隣にいないと、なんか、寂しくて」
ぎゅう、とさらにきつく抱き寄せられ、首筋の辺りに鼻先を押しつけられる。
「ん……いい匂い」
「きょ、恭佳ちゃんっ……」
ぷつん、と、体の内部で何かが弾けるような感覚。思考よりも先に、体の方が動き出してしまう。
外側から包み込むように、恭佳ちゃんの体を抱きしめ返す。そのまま一つになっちゃうんじゃないか、っていうくらいの力で。
でも、本当に一つになってしまったら、こうして好きな人の感触を受け止めることもできなくなってしまう。だから私は、私と恭佳ちゃんを別々の器に入れてくれた神様に感謝をした。
一際強くなる香りにくらくらしながら、ただ無心に恭佳ちゃんの存在を全身で味わった。
湿っぽい吐息が何度も首筋に当たり、その度に背中から後頭部へと甘い痺れが駆け上がってくる。
呼吸のために縮んだり膨らんだりを繰り返す肺の動きが、無性に私を安心させる。
「ねえ、髪の毛触ってもいい?」
「え? う、うん、いいよ」
私は頷く。
背中に回された腕がふっと緩められ、代わりに、小さな指先が優しく私の髪先に触れる。
「ふふ、細くてさらさらだね」
「あ、ありがとう」
自分ではすっかり手に馴染んでしまった感触だが、彼女にとっては新鮮に感じられるようだった。指先で梳いたり、束にして指に巻きつけたりと、飽きる様子もなく髪の手触りを楽しんでいる。私の方も、彼女が繊細な手櫛を通す度に、たまらない幸福感に包まれた。
「……だけど私、恭佳ちゃんの髪の毛も好きだよ」
妹さんよりも少し癖の強い、細くてふんわりと柔らかい髪の毛に、そっと自分の手のひらを重ねる。まだ成熟しきっていない少女のもののようで、触れてはいけないものに触れているような、背徳的な美しさを感じた。
「ゆかりのに比べたら、全然だよ。でも……ゆかりが気に入ってくれるんだったら、嬉しい」
その言葉は、胸の奥の衝動を再び弾けさせるのに十分だった。
私は恭佳ちゃんの両肩を掴み、その端整な顔立ちを正面からじっと見据える。
彼女はそれだけで、私の欲しているものを察したようだった。
「私……ゆかりとだったら、平気だから」
引き金となる言葉。
視線を合わせたまま少しずつ、顔と顔を近づけていく。
恭佳ちゃんの瞳がとろんと溶け始め、鼻先が触れ合いそうになったところで完全に閉じられる。
無防備になった形のいい唇に、私は自分の唇を静かに重ねた。
「ん……」
最初は感触を確かめるように、軽く。
けれど、一度触れてしまえば、抑制なんて利くはずもなかった。
「ん、んんっ」
どこまでも沈み込んでしまいそうな柔らかさの奥、さらに深く。
息苦しさからか、恭佳ちゃんは一度顔を背けて唇を離そうとする。それを阻止するように、私は彼女の頭を無理矢理引き寄せ、唇を押し当て続ける。
次第に私も呼吸が苦しくなり、意識がぼんやりと遠のいていく。でも、恭佳ちゃんとキスしながら死ねるんだったら本望だな、なんて半ば本気で思う。
「も、もうほんと無理っ」
幸いなことに、彼女が渾身の力で二人の体を引きはがしてくれたので、なんとか事なきを得た。
肩で呼吸をしながら、しばらく互いの顔を見つめ合う。街灯に映し出された恭佳ちゃんの顔には陰影がはっきりと浮かんでいて、目鼻立ちの美しさがより際立って見えた。
ようやく息が整い、冷静さを取り戻したところで、恭佳ちゃんはふふっと突然笑みを浮かべる。どちらかと言うと苦笑いに近かった。
「ゆかり、張り切りすぎ」
「ご、ごめん……」
「おやすみのキスなんだから、もう少し優しくしてくれないと」
そう言って恭佳ちゃんは背伸びをし、私の右頬に軽く口づける。こうやってやるんだよ、ってお手本を見せるみたいに。
ちょっと屈んだ姿勢になり、彼女に習って、だいたい同じようなところにキスをし返す。唇に負けず劣らず柔らかい頬の感触は、一度味わったら病みつきになりそうだった。
「……それじゃあ、またね。今度こそ、おやすみ」
「うん……おやすみ」
最後にもう一度、小鳥の戯れみたいに、唇同士を軽く突き合わせる。
「今日はたぶん、よく眠れると思うから」
その言葉を残して、恭佳ちゃんは駆け出して行ってしまう。浴衣の袖が右へ左へと大きく揺れるのを、私はぼんやりと見送る。大通りに合流して見えなくなるまで、恭佳ちゃんは一度も振り返ることはなかった。
「……よく眠れるなんて、すごいな」
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