19 / 21
第15話
しおりを挟む
市佳はまた真冬ちゃんの家に泊まるらしいので、帰り道は私とゆかりの二人きりだった。
客観的に見ても、さっきのゆかりに対する態度は流石に大人げなかったな、と軽く自己嫌悪に陥っていた。
ゆかりは魅力に溢れた女の子だ。
背が高くて、容姿端麗で、頭が良くて、その癖謙虚で、たまにちょっと抜けていて、美しさとかわいらしさを兼ね備えた少女。
たとえ同性であったとしても、私みたいに彼女に惹かれてしまう女の子はたくさんいる。それだけのことだ。
だけど、そう割り切ろうとしたところで、胸の中のもやもやは一向に晴れる気配がない。
制服から私服に着替える間も、お店から駅までの道のりも、電車に乗っているときも、ずっと互いに無言だった。
普段ゆかりと一緒にいるときは、別に会話なんてなくても、いくらでも同じ時を過ごせた。
今はどうだろう。こんなに気まずい沈黙は、出会ったばかりの頃さえ味わったことがない。
電車を降りて、寮までの帰り道をひたすら歩き続ける。
半歩先を行くゆかりの腕に、何度手が伸びかけたことか。
私がちょっと勇気を出して謝れば、明日には笑い話になっていることだろう。
それなのに結局、話を切り出すタイミングを掴めないまま、寮の玄関をくぐり抜け、私たちの部屋までたどり着いてしまう。
「……ただいま」
誰もいない部屋に向かって、ゆかりがぼそりと呟く。
私は手洗いとうがいを手早く済ませると、素早く着替えとバスタオルを手に取った。
「……私、先にお風呂入ってくるね」
「あ、う、うん」
逃げるように部屋を抜け出し、一階の大浴場へと向かう。
今日中にゆかりには謝っておこうと思うが、もう少し頭を落ち着かせる時間が必要な気がした。もちろん単純に、仕事で汗ばんだ体を洗い流してすっきりしたいというのもある。
幸いなことに大浴場はがら空きだった。躊躇うことなく服を脱ぎ捨て、籠の中に放り込むと、一直線に浴場の中へ。
暖かいシャワーを頭から浴び、しばらくそのままの体勢でぼーっと時を過ごす。
体感では五分くらいそうしていたような気がしたけど、実際にはせいぜい一分程度のことだろう。
不意に、背後から物音がした。
寮生共用の浴場だから、当然、自分が使っているときに他の人が入ってくることもある。だから別段驚くようなことでもない。
一応知り合いかもしれないし、ちらりと顔を窺おうとしたその瞬間――
「きょ、恭佳ちゃん、ごめんっ」
「なっ」
突如、後ろから細長い腕が伸びてきたかと思うと、私の両腕を包み込むように締め付けてきた。
バスタオル越しに柔らかい触感が背中に伝わってきて、これはこれで幸せなのだけど、締め付けが強過ぎて結構本気で息が詰まりそうだった。
「ぐ、ぐるぢい……」
「わ、わあっ、恭佳ちゃんっ」
やばいやばい。軽くトリップしかけた。洒落にならんぞ、まったく。
振り返ると、そこにはバスタオルに身を包んだゆかりが、気まずさと気恥ずかしさを半分ずつ溶かしたような表情を浮かべていた。案外いつものゆかりに近い雰囲気だったので、少し安心することができた。
なんだか、この感じなら、淀みなく言いたいことを切り出せるような気がした。
「……ねえ、ゆかり、ここ座ってくれる?」
バスタオルに身をくるんでから、自分が座っていたバスチェアを指さす。
「ここ? うん、いいけど……」
ゆかりは困惑しながらも、素直に応じて着席する。その弾みでバスタオルの裾がめくれて、滑らかな太股がちらりと覗いた。その艶めかしい光景に、心臓がどくりと反応する。
「今日は、私が髪洗ってあげるから」
「え、い、いいの?」
「私が洗いたいの。じゃ、お湯出すね」
有無を言わさず蛇口を捻り、手で流水に触れながら温度調節をする。熱過ぎず、冷た過ぎず。何事も、ちょうどいい按配にするというのは、簡単なようでいてとても難しい。
「ほああ……」
頭からシャワーを浴び始めたゆかりは、なんとも力の抜けきった情けない声を出した。色々あった一日だ。やはり疲れが溜まっていたのだろう。
ゆかりの髪の毛に、そっと指を差し入れる。
そんなに長くはないけれど、さらさらで、絹のように指先に馴染む肌触り。
爪を立てないように、指の腹で優しく円を描くように撫で回す。気分はまるで美容師さんだ。
「んー……気持ちいい……」
「ほんと? 痛かったら、すぐ言ってね」
「大丈夫……なんか、ほわほわして寝ちゃいそう……」
「おーい、寝るなー」
「ふふふ」
数学担当の女の先生の物真似を披露すると、ゆかりは声を上げて笑ってくれた。ゆかりが笑うと、私も嬉しくなって自然と笑顔になってしまう。
話を切り出すなら、今しかないなと思った。
「あのさ、ゆかり……今日はほんとにごめん。ほら、お店でさ、私ひどい態度とっちゃって……」
「えええっ? あ、あれは、私の方が謝らなきゃいけないのにっ」
「ううん、悪いのは私」
今度は逆に、私がゆかりの身体をタオル越しにぎゅっと包んだ。むき出しになった腕の感触だけでも、もうお腹いっぱいになってしまいそうだった。
しばらくゆかりに覆い被さるようにシャワーに打たれながら、心の中に溜まったもやもやしたものを排水溝へと流していく。
勢いにまかせないと、言いたいことも言えない自分が本当にもどかしい。それでも、言えないままでいるよりはずっといいと、今は信じることができそうだった。
「私さあ……やっぱ、どうしようもないくらい、ゆかりのこと好きなんだよね。自分でも時々怖くなるの。ゆかりのこと縛りたいとか、本気で考えてるんだよ。縛って、独り占めして、他の女の子と喋らないようにって……やっぱ、こういうの変だよね。変だし、最低だよね」
まくしたてるように並べた言葉と同時に、次から次へと暗い感情が滲み出てくる。もちろん、嫌われたくはないけど、でも、ちゃんと吐き出しておかないと、私とゆかりはこれ以上先には進めない気がした。
ゆかりの反応を待つ。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、私の心のもろい壁をそっと剥がすように、指先同士をしっとりと絡めてくる。
「……それって、そんなに変なことかな?」
ぽつりぽつりと、小鳥の囁きみたいな声がこぼれた。
「私だって、なるべく恭佳ちゃんと一緒にいたいし……結局、独占したいってことだと思う。すごく自然な感情なんだよ、きっと。だって好きなんだもん。仕方ないよ。だから、大事なのは、お互いを無理には縛らないってことなんじゃない? 嫉妬すること自体が悪いとは、私、全然思わないよ」
訥々と語られたゆかりの言葉は、私の心の一番柔らかい部分を刺激した。
「ゆかり……ありがとう」
お礼とばかりに、もう一度きつめに抱擁する。無抵抗のまま、ただ黙って受け入れてくれるゆかりに、深く深く沈み込んでしまいそうだった。
一通り身体を洗い終え、先に浴槽に浸かっていると、程なくして恭佳ちゃんも身体を温めにきた。
足先でちょんちょんとお湯の温度を確かめてから、ゆっくりと身を沈め、私の隣に腰を下ろす。
腕やら肩やらが直に触れ合う度、自分たちが産まれたままの姿であることを再認識する。プールで見たときとは違って、正真正銘の裸体。あまりにも肌の質感が綺麗過ぎて、むしろ現実味が薄かった。美術館で画家が描いた裸婦の絵を見ているような、不思議な感覚。
でも、水中でゆらめいている手の甲に指を重ねてみれば、確かに現実の感触がそこには存在した。
「ゆかり……」
「恭佳ちゃん……」
相手の名前を囁き合うだけでも、鳥肌と一緒に幸福感が脳を突き刺してくる。
同時に、まだ足りない、もっと欲しいと、欲張りな悪魔が鋭い鉾先で私の背中をせっつく。
視界に肌色が多いのは、やっぱり目に毒だ。どうしたって冷静な判断ができなくなってくる。
「あのさ、恭佳ちゃん……」
「なに?」
「お願いがあるんだけど、いい?」
「内容による」
「う、うん、えっとね……その、私の膝にね、こう、椅子に座るみたいに、乗って欲しいっていうか……」
「は、はあ。膝の上に、ねえ……」
私の衝動的なお願いに、恭佳ちゃんはやはり困惑しているようだった。そりゃそうだ。自分が言われる立場だったら、きっと同じような返答しかできないだろう。
だけど、恭佳ちゃんの答えは。
「……分かった、いいよ」
「い、いいのっ?」
「よいしょっと」
掛け声と共に水面が揺れたかと思うと、次の瞬間には既に、恭佳ちゃんのかわいらしいうなじがすぐ目の前にあった。
安楽椅子に寄りかかるみたいに、全身の体重をこちらの身体に預けてくる。私はこの奇跡が逃げ出してしまわないように、しっかりとしがみつくだけで精一杯だった。
「ふいー……うん、これはこれで、なかなかいいかも……」
恭佳ちゃんの気の抜けた声が、心臓の辺りに直接響いて伝わってくる。
ああ……私たち、とうとう、直接肌と肌を重ねているんだ……。
その感触は、今まで味わったどの感覚とも置き換えられない、唯一無二のものだった。
なんだろう……まず、とてつもない安心感に満たされて、それから、じわじわと愛しさが込み上げてくる。腕に込める力を強めると、それに反応して恭佳ちゃんが身を捩る。自分とは違う意志が腕の中にあることが分かると、無性に安心する。また愛しくなってくる。またぎゅっと抱きしめる……そんなことを、延々と繰り返してしまう。
洗い立てで濡れた髪の毛は、普段とは毛色の異なる香りを漂わせていて、それも私を虜にする原因の一つだった。何か、私の本能的な部分をくすぐってくるようで、危うさと安心感が奇妙に同居した不思議な匂い……。
「……ねえ、ゆかりばっかり抱きしめてるの、やっぱずるいよ。私も抱きしめたい」
あまりに一方的過ぎる抱擁に業を煮やしたのか、恭佳ちゃんが不平の声を上げた。
「ご、ごめん……って、きょ、恭佳ちゃんっ、前っ! 前隠してっ!」
「べ、別にもう、今更でしょ。私とゆかりの仲なんだから」
恭佳ちゃんが私に向かい合ってのし掛かるような格好となり、なんかもう、色々と凄いことになってしまった。後はどうにでもなれという心境になってくる。
「ゆかり……好きぃ……」
今度は恭佳ちゃんの方から積極的に抱きついてくる。夢で何度か見たことのある場面が、生々しい現実として繰り広げられていた。
ちょうど私の目の前に、恭佳ちゃんの形のいい耳がちらちらと見えていて、私はなんとなくおいしそうだな、なんて思ってしまった。その誘惑に抗い切れず、私は首を伸ばして耳たぶの辺りを口に含んだ。
「ひゃうっ」
素っ頓狂な声が恭佳ちゃんの口から漏れて、全身がぴくりと跳ね上がった。私はもっと恭佳ちゃんの声を聞きたくて、口の中の柔らかい白身を舌でちろちろと転がす。
「やっ、だ、だめっ、み、耳弱いから、ほんとにっ」
甘い叫び声が耳元から直接響いてくる。また私の知らない恭佳ちゃんの一面が、顔を覗かせる。
「恭佳ちゃん、かわいい……」
「や、やあっ」
耳の先だけでは我慢できなくなって、私は恭佳ちゃんの右耳全体を口でかわいがった。舌先が触れる度にびくびくと身体が跳ねて、その単純な動きが私を昂揚させる。
「~~~~っ、ゆ、ゆかりの癖に、生意気っ」
「んんっ」
優勢かと油断していたら、今度は恭佳ちゃんからの反撃。
唇を唇で塞がれて、おまけに、口の中に無理やり舌をねじ込まれる。
だけど、そんな風に強引にされるのも、悪くないななんて思ってしまったり。
恭佳ちゃんに直接言ったら、たぶん引かれるだろうけど。
ぬるぬるして柔らかいものが、口の中で暴れ回って絡みついてくる。私はその動きについていくのが精一杯で、防戦一方。乱暴そうに見えて、一つ一つの動きにはきちんと愛情が込められていた。
言葉でしか分からないことも、もちろんあるけれど。鼻から抜け出ていくか細い声とか、そういうちょっとしたものから伝わってくることもある。
本気なんだ、と思った。
恭佳ちゃんは本気で、私のこと好きなんだ。
だから、私もきちんとその気持ちに応えてあげたかった。
でも、恭佳ちゃんとのキスが気持ちよすぎて、体に上手く力が入らない。本当は、もっと強く抱きしめてあげたいのに……。
口内にじんわりと余韻を残して、恭佳ちゃんの舌が少しずつ引き抜かれていく。
目と目が合うこと、しばしの間。
お互い肩で息をしている姿が、急に客観的に見えてしまって、なんだか妙なこそばゆさとおかしさがこみ上げてきた。
「ふふ」「ふふふっ」
二人が同時に吹き出すと、それに同調するみたいに、浴槽の水面も小気味よく波立つ。
「あー、やっぱダメだ、私。ゆかりのことになると、ほんともう、抑制効かないっていうか、周りが見えなくなるっていうか」
それは私もだよ、と即座に言い返そうとしたのだけれど……彼女の声に先に反応したのは、なんと私ではなかった。
「そうそう、ちょっとは周りのことも考えなさいよね」
「ひっ」
どちらからともなくぱっと身を離すも、恐らく声の主は私たちのあれこれを目撃した後なのだろう。恭佳ちゃんに夢中になり過ぎて、人が入ってくる気配に全く気がつかなかった。
慌てて振り返ると、そこには見覚えのある女生徒が呆れた様子丸出しでしゃがみ込んでいた。たしか、真冬ちゃんと同じ寮部屋の女の子だ。
「真冬と市佳は見慣れてるけど、あんたたちもそこまでだったとはねえ。あっちもいちゃいちゃ、こっちもいちゃいちゃじゃ、流石に気が滅入ってくるよ」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、まあ、あんたたちくらい幸せそうだと、逆に何も言う気がなくなるけどね」
そう言って立ち上がると、疲れた様子でシャワーを浴び始めた。なんだか申し訳なくなってくる。
「……そ、そろそろあがろっか」
「そうだね」
わざとらしい私の提案に、恭佳ちゃんは素直に応じた。
さっき釘をさされたばかりだけど……最後にちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。
火照った体をもう一度抱き寄せて、濡れた髪の毛に軽く口づけてから、浴室を後にしたのだった。
客観的に見ても、さっきのゆかりに対する態度は流石に大人げなかったな、と軽く自己嫌悪に陥っていた。
ゆかりは魅力に溢れた女の子だ。
背が高くて、容姿端麗で、頭が良くて、その癖謙虚で、たまにちょっと抜けていて、美しさとかわいらしさを兼ね備えた少女。
たとえ同性であったとしても、私みたいに彼女に惹かれてしまう女の子はたくさんいる。それだけのことだ。
だけど、そう割り切ろうとしたところで、胸の中のもやもやは一向に晴れる気配がない。
制服から私服に着替える間も、お店から駅までの道のりも、電車に乗っているときも、ずっと互いに無言だった。
普段ゆかりと一緒にいるときは、別に会話なんてなくても、いくらでも同じ時を過ごせた。
今はどうだろう。こんなに気まずい沈黙は、出会ったばかりの頃さえ味わったことがない。
電車を降りて、寮までの帰り道をひたすら歩き続ける。
半歩先を行くゆかりの腕に、何度手が伸びかけたことか。
私がちょっと勇気を出して謝れば、明日には笑い話になっていることだろう。
それなのに結局、話を切り出すタイミングを掴めないまま、寮の玄関をくぐり抜け、私たちの部屋までたどり着いてしまう。
「……ただいま」
誰もいない部屋に向かって、ゆかりがぼそりと呟く。
私は手洗いとうがいを手早く済ませると、素早く着替えとバスタオルを手に取った。
「……私、先にお風呂入ってくるね」
「あ、う、うん」
逃げるように部屋を抜け出し、一階の大浴場へと向かう。
今日中にゆかりには謝っておこうと思うが、もう少し頭を落ち着かせる時間が必要な気がした。もちろん単純に、仕事で汗ばんだ体を洗い流してすっきりしたいというのもある。
幸いなことに大浴場はがら空きだった。躊躇うことなく服を脱ぎ捨て、籠の中に放り込むと、一直線に浴場の中へ。
暖かいシャワーを頭から浴び、しばらくそのままの体勢でぼーっと時を過ごす。
体感では五分くらいそうしていたような気がしたけど、実際にはせいぜい一分程度のことだろう。
不意に、背後から物音がした。
寮生共用の浴場だから、当然、自分が使っているときに他の人が入ってくることもある。だから別段驚くようなことでもない。
一応知り合いかもしれないし、ちらりと顔を窺おうとしたその瞬間――
「きょ、恭佳ちゃん、ごめんっ」
「なっ」
突如、後ろから細長い腕が伸びてきたかと思うと、私の両腕を包み込むように締め付けてきた。
バスタオル越しに柔らかい触感が背中に伝わってきて、これはこれで幸せなのだけど、締め付けが強過ぎて結構本気で息が詰まりそうだった。
「ぐ、ぐるぢい……」
「わ、わあっ、恭佳ちゃんっ」
やばいやばい。軽くトリップしかけた。洒落にならんぞ、まったく。
振り返ると、そこにはバスタオルに身を包んだゆかりが、気まずさと気恥ずかしさを半分ずつ溶かしたような表情を浮かべていた。案外いつものゆかりに近い雰囲気だったので、少し安心することができた。
なんだか、この感じなら、淀みなく言いたいことを切り出せるような気がした。
「……ねえ、ゆかり、ここ座ってくれる?」
バスタオルに身をくるんでから、自分が座っていたバスチェアを指さす。
「ここ? うん、いいけど……」
ゆかりは困惑しながらも、素直に応じて着席する。その弾みでバスタオルの裾がめくれて、滑らかな太股がちらりと覗いた。その艶めかしい光景に、心臓がどくりと反応する。
「今日は、私が髪洗ってあげるから」
「え、い、いいの?」
「私が洗いたいの。じゃ、お湯出すね」
有無を言わさず蛇口を捻り、手で流水に触れながら温度調節をする。熱過ぎず、冷た過ぎず。何事も、ちょうどいい按配にするというのは、簡単なようでいてとても難しい。
「ほああ……」
頭からシャワーを浴び始めたゆかりは、なんとも力の抜けきった情けない声を出した。色々あった一日だ。やはり疲れが溜まっていたのだろう。
ゆかりの髪の毛に、そっと指を差し入れる。
そんなに長くはないけれど、さらさらで、絹のように指先に馴染む肌触り。
爪を立てないように、指の腹で優しく円を描くように撫で回す。気分はまるで美容師さんだ。
「んー……気持ちいい……」
「ほんと? 痛かったら、すぐ言ってね」
「大丈夫……なんか、ほわほわして寝ちゃいそう……」
「おーい、寝るなー」
「ふふふ」
数学担当の女の先生の物真似を披露すると、ゆかりは声を上げて笑ってくれた。ゆかりが笑うと、私も嬉しくなって自然と笑顔になってしまう。
話を切り出すなら、今しかないなと思った。
「あのさ、ゆかり……今日はほんとにごめん。ほら、お店でさ、私ひどい態度とっちゃって……」
「えええっ? あ、あれは、私の方が謝らなきゃいけないのにっ」
「ううん、悪いのは私」
今度は逆に、私がゆかりの身体をタオル越しにぎゅっと包んだ。むき出しになった腕の感触だけでも、もうお腹いっぱいになってしまいそうだった。
しばらくゆかりに覆い被さるようにシャワーに打たれながら、心の中に溜まったもやもやしたものを排水溝へと流していく。
勢いにまかせないと、言いたいことも言えない自分が本当にもどかしい。それでも、言えないままでいるよりはずっといいと、今は信じることができそうだった。
「私さあ……やっぱ、どうしようもないくらい、ゆかりのこと好きなんだよね。自分でも時々怖くなるの。ゆかりのこと縛りたいとか、本気で考えてるんだよ。縛って、独り占めして、他の女の子と喋らないようにって……やっぱ、こういうの変だよね。変だし、最低だよね」
まくしたてるように並べた言葉と同時に、次から次へと暗い感情が滲み出てくる。もちろん、嫌われたくはないけど、でも、ちゃんと吐き出しておかないと、私とゆかりはこれ以上先には進めない気がした。
ゆかりの反応を待つ。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、私の心のもろい壁をそっと剥がすように、指先同士をしっとりと絡めてくる。
「……それって、そんなに変なことかな?」
ぽつりぽつりと、小鳥の囁きみたいな声がこぼれた。
「私だって、なるべく恭佳ちゃんと一緒にいたいし……結局、独占したいってことだと思う。すごく自然な感情なんだよ、きっと。だって好きなんだもん。仕方ないよ。だから、大事なのは、お互いを無理には縛らないってことなんじゃない? 嫉妬すること自体が悪いとは、私、全然思わないよ」
訥々と語られたゆかりの言葉は、私の心の一番柔らかい部分を刺激した。
「ゆかり……ありがとう」
お礼とばかりに、もう一度きつめに抱擁する。無抵抗のまま、ただ黙って受け入れてくれるゆかりに、深く深く沈み込んでしまいそうだった。
一通り身体を洗い終え、先に浴槽に浸かっていると、程なくして恭佳ちゃんも身体を温めにきた。
足先でちょんちょんとお湯の温度を確かめてから、ゆっくりと身を沈め、私の隣に腰を下ろす。
腕やら肩やらが直に触れ合う度、自分たちが産まれたままの姿であることを再認識する。プールで見たときとは違って、正真正銘の裸体。あまりにも肌の質感が綺麗過ぎて、むしろ現実味が薄かった。美術館で画家が描いた裸婦の絵を見ているような、不思議な感覚。
でも、水中でゆらめいている手の甲に指を重ねてみれば、確かに現実の感触がそこには存在した。
「ゆかり……」
「恭佳ちゃん……」
相手の名前を囁き合うだけでも、鳥肌と一緒に幸福感が脳を突き刺してくる。
同時に、まだ足りない、もっと欲しいと、欲張りな悪魔が鋭い鉾先で私の背中をせっつく。
視界に肌色が多いのは、やっぱり目に毒だ。どうしたって冷静な判断ができなくなってくる。
「あのさ、恭佳ちゃん……」
「なに?」
「お願いがあるんだけど、いい?」
「内容による」
「う、うん、えっとね……その、私の膝にね、こう、椅子に座るみたいに、乗って欲しいっていうか……」
「は、はあ。膝の上に、ねえ……」
私の衝動的なお願いに、恭佳ちゃんはやはり困惑しているようだった。そりゃそうだ。自分が言われる立場だったら、きっと同じような返答しかできないだろう。
だけど、恭佳ちゃんの答えは。
「……分かった、いいよ」
「い、いいのっ?」
「よいしょっと」
掛け声と共に水面が揺れたかと思うと、次の瞬間には既に、恭佳ちゃんのかわいらしいうなじがすぐ目の前にあった。
安楽椅子に寄りかかるみたいに、全身の体重をこちらの身体に預けてくる。私はこの奇跡が逃げ出してしまわないように、しっかりとしがみつくだけで精一杯だった。
「ふいー……うん、これはこれで、なかなかいいかも……」
恭佳ちゃんの気の抜けた声が、心臓の辺りに直接響いて伝わってくる。
ああ……私たち、とうとう、直接肌と肌を重ねているんだ……。
その感触は、今まで味わったどの感覚とも置き換えられない、唯一無二のものだった。
なんだろう……まず、とてつもない安心感に満たされて、それから、じわじわと愛しさが込み上げてくる。腕に込める力を強めると、それに反応して恭佳ちゃんが身を捩る。自分とは違う意志が腕の中にあることが分かると、無性に安心する。また愛しくなってくる。またぎゅっと抱きしめる……そんなことを、延々と繰り返してしまう。
洗い立てで濡れた髪の毛は、普段とは毛色の異なる香りを漂わせていて、それも私を虜にする原因の一つだった。何か、私の本能的な部分をくすぐってくるようで、危うさと安心感が奇妙に同居した不思議な匂い……。
「……ねえ、ゆかりばっかり抱きしめてるの、やっぱずるいよ。私も抱きしめたい」
あまりに一方的過ぎる抱擁に業を煮やしたのか、恭佳ちゃんが不平の声を上げた。
「ご、ごめん……って、きょ、恭佳ちゃんっ、前っ! 前隠してっ!」
「べ、別にもう、今更でしょ。私とゆかりの仲なんだから」
恭佳ちゃんが私に向かい合ってのし掛かるような格好となり、なんかもう、色々と凄いことになってしまった。後はどうにでもなれという心境になってくる。
「ゆかり……好きぃ……」
今度は恭佳ちゃんの方から積極的に抱きついてくる。夢で何度か見たことのある場面が、生々しい現実として繰り広げられていた。
ちょうど私の目の前に、恭佳ちゃんの形のいい耳がちらちらと見えていて、私はなんとなくおいしそうだな、なんて思ってしまった。その誘惑に抗い切れず、私は首を伸ばして耳たぶの辺りを口に含んだ。
「ひゃうっ」
素っ頓狂な声が恭佳ちゃんの口から漏れて、全身がぴくりと跳ね上がった。私はもっと恭佳ちゃんの声を聞きたくて、口の中の柔らかい白身を舌でちろちろと転がす。
「やっ、だ、だめっ、み、耳弱いから、ほんとにっ」
甘い叫び声が耳元から直接響いてくる。また私の知らない恭佳ちゃんの一面が、顔を覗かせる。
「恭佳ちゃん、かわいい……」
「や、やあっ」
耳の先だけでは我慢できなくなって、私は恭佳ちゃんの右耳全体を口でかわいがった。舌先が触れる度にびくびくと身体が跳ねて、その単純な動きが私を昂揚させる。
「~~~~っ、ゆ、ゆかりの癖に、生意気っ」
「んんっ」
優勢かと油断していたら、今度は恭佳ちゃんからの反撃。
唇を唇で塞がれて、おまけに、口の中に無理やり舌をねじ込まれる。
だけど、そんな風に強引にされるのも、悪くないななんて思ってしまったり。
恭佳ちゃんに直接言ったら、たぶん引かれるだろうけど。
ぬるぬるして柔らかいものが、口の中で暴れ回って絡みついてくる。私はその動きについていくのが精一杯で、防戦一方。乱暴そうに見えて、一つ一つの動きにはきちんと愛情が込められていた。
言葉でしか分からないことも、もちろんあるけれど。鼻から抜け出ていくか細い声とか、そういうちょっとしたものから伝わってくることもある。
本気なんだ、と思った。
恭佳ちゃんは本気で、私のこと好きなんだ。
だから、私もきちんとその気持ちに応えてあげたかった。
でも、恭佳ちゃんとのキスが気持ちよすぎて、体に上手く力が入らない。本当は、もっと強く抱きしめてあげたいのに……。
口内にじんわりと余韻を残して、恭佳ちゃんの舌が少しずつ引き抜かれていく。
目と目が合うこと、しばしの間。
お互い肩で息をしている姿が、急に客観的に見えてしまって、なんだか妙なこそばゆさとおかしさがこみ上げてきた。
「ふふ」「ふふふっ」
二人が同時に吹き出すと、それに同調するみたいに、浴槽の水面も小気味よく波立つ。
「あー、やっぱダメだ、私。ゆかりのことになると、ほんともう、抑制効かないっていうか、周りが見えなくなるっていうか」
それは私もだよ、と即座に言い返そうとしたのだけれど……彼女の声に先に反応したのは、なんと私ではなかった。
「そうそう、ちょっとは周りのことも考えなさいよね」
「ひっ」
どちらからともなくぱっと身を離すも、恐らく声の主は私たちのあれこれを目撃した後なのだろう。恭佳ちゃんに夢中になり過ぎて、人が入ってくる気配に全く気がつかなかった。
慌てて振り返ると、そこには見覚えのある女生徒が呆れた様子丸出しでしゃがみ込んでいた。たしか、真冬ちゃんと同じ寮部屋の女の子だ。
「真冬と市佳は見慣れてるけど、あんたたちもそこまでだったとはねえ。あっちもいちゃいちゃ、こっちもいちゃいちゃじゃ、流石に気が滅入ってくるよ」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、まあ、あんたたちくらい幸せそうだと、逆に何も言う気がなくなるけどね」
そう言って立ち上がると、疲れた様子でシャワーを浴び始めた。なんだか申し訳なくなってくる。
「……そ、そろそろあがろっか」
「そうだね」
わざとらしい私の提案に、恭佳ちゃんは素直に応じた。
さっき釘をさされたばかりだけど……最後にちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。
火照った体をもう一度抱き寄せて、濡れた髪の毛に軽く口づけてから、浴室を後にしたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
身体だけの関係です‐三崎早月について‐
みのりすい
恋愛
「ボディタッチくらいするよね。女の子同士だもん」
三崎早月、15歳。小佐田未沙、14歳。
クラスメイトの二人は、お互いにタイプが違ったこともあり、ほとんど交流がなかった。
中学三年生の春、そんな二人の関係が、少しだけ、動き出す。
※百合作品として執筆しましたが、男性キャラクターも多数おり、BL要素、NL要素もございます。悪しからずご了承ください。また、軽度ですが性描写を含みます。
12/11 ”原田巴について”投稿開始。→12/13 別作品として投稿しました。ご迷惑をおかけします。
身体だけの関係です 原田巴について
https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/734700789
作者ツイッター: twitter/minori_sui
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる
九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。
※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。
放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~
楠富 つかさ
恋愛
中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。
佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。
「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」
放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。
――けれど、佑奈は思う。
「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」
特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。
放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。
4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる