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第一部
魔女への一歩
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「……ふう。なんだか安心したら喉が渇いたわ。ロイド、お茶を淹れて」
目じりに浮かんだ涙をそっと拭い、ベアトリクスは使い魔に命令を出す。
すると、どこに潜んでいたのか、物陰からするりと出てきた黒猫が人の姿に転じ、「へいへい」と頷いて部屋を出ていった。
片付けという仕事はなくなったが、母と話をするという目的は遂げたし、くつろぎの邪魔をしてはいけないとオフィーリアも踵を返した。
「あ。では、私もこれで……」
「お前の分も淹れるから、帰るんじゃないぞ」
返ろうとするオフィーリアの鼻先をかすめて戸が開き、ロイドが意地悪そうな笑みを浮かべて言い放つと、悠々とした足取りで出ていった。
母がそう命じたのかとそっと振り返ると、ちょっと引きつった笑みが返ってきた。
多分ロイドの独断だろう。
彼なりに母子の間を取り持とうとしたのか、あるいは主の心情を先回りして汲み取ったのか……どちらにしろ、飲まないと帰れそうにない雰囲気だ。
「無理に話はしなくていいから、一杯付き合ってくれると嬉しいわ」
「はい……」
それからロイドの運んできたお茶と焼き菓子に舌鼓を打ち、ぽつぽつと取り留めのない話をした。
二、三言ごとに会話が途切れ、沈黙の方が長いことが多いが、気まずさよりも心地よさを感じる。お互いに心の距離が近づいたおかげだろうか。
「……ところで、マリアンナ……様はどうしているんですか?」
二杯目のお茶を注いでもらったところで、ふと気になったことを尋ねた。
今更仰々しい敬称などつける必要はないが、長らく明確な上下関係にあった姉のことをすぐには呼び捨てにできず、つい今まで通りの呼び方になってしまう。
「あの子は長老の家よ。受け入れ先が決まるまでは、向こうで預かってもらうことにしているの。表面上は落ち着いてるみたいだけど、現状に納得はできてないみたいだから、あなたは会わない方がいいわ」
「そうだな。今回初めて知ったが、マリアンナのヒステリーって強烈だし、冷却期間はしっかり取っておいて損はないな。次に顔を合わせるのは、修行から帰ってきたくらいがちょうどいいんじゃねぇの?」
「そう、ですね……」
どれくらいの期間離れるのか分からないが、少なくとも数年は戻ってこれないだろう。それまでにマリアンナは変わっているだろうか。
いや、変化を彼女だけに求めてはいけない。潤沢な魔力を宝の持ち腐れにしないよう立派な魔女になれば、彼女のやるせない感情に区切りがつけられるかもしれない。
それがオフィーリアにできる歩み寄りの方法だと思った。
そのためにはもっと学ばねばならない。
オフィーリアは魔女としての修行をまったく積んでいないのだから。
「あの、もしよろしければ、ベアトリクス様がお持ちの調合レシピ本を、私に譲っていただけませんか?」
「え?」
「今の私は、魔力は取り戻しても、魔女としては落ちこぼれのままです。このままだと、マリアンナ様に胸を張って会えない気がするんです」
しばし見つめ合い、ベアトリクスは小さくうなずいた。
「……分かったわ。なら、片付けるついでに持って帰ってちょうだい。本当は誰かに師事した方がいいんだけど、この里じゃしがらみが多すぎて難しいわね。私の責任なんだけど……まあ、あなたの調合の腕自体は確かだから、独学でも十分だと思うわ」
「ありがとうございます」
お茶の時間を終え、当初の予定通り片付けを手伝った。
いつの間にかディルクが参加していて驚いたが、腹を割って話すという目的が果たされた以上、見守る必要はなくなったからだろう。
「よく頑張った」とドラゴンの短い前足で頭を撫でられ、嬉しいやら可愛いやらで晴れやかな気持ちになったが、それを母とロイドに見られて生暖かい視線を向けられ、いたたまれない気持ちにもなった。
恋人とのスキンシップを身内に見られるとはこんな感じだろうか。
いや、ディルクは恋人ではなく使い魔だが……と、言い訳がましく考えながら仕事をし、一区切りついたところで数冊の分厚いレシピ本をもらい受けた。
「……もし分からないことがあったら、遠慮なく聞きに来て。直接指導はできないけど、アドバイスくらいならできるわ」
「寂しいからいつでも遊びに来いってさ」
「ロイド……」
ベアトリクスの秘めたる想いをサラッと暴露したロイドは、一瞬で猫の姿に戻されて滝のような水責めにあい、洗濯物と一緒にロープに干される刑に処された。
そんな主従の気の置けないじゃれ合いにほっこりとしながら、オフィーリアは魔女としての一歩を踏み出したのだ。
目じりに浮かんだ涙をそっと拭い、ベアトリクスは使い魔に命令を出す。
すると、どこに潜んでいたのか、物陰からするりと出てきた黒猫が人の姿に転じ、「へいへい」と頷いて部屋を出ていった。
片付けという仕事はなくなったが、母と話をするという目的は遂げたし、くつろぎの邪魔をしてはいけないとオフィーリアも踵を返した。
「あ。では、私もこれで……」
「お前の分も淹れるから、帰るんじゃないぞ」
返ろうとするオフィーリアの鼻先をかすめて戸が開き、ロイドが意地悪そうな笑みを浮かべて言い放つと、悠々とした足取りで出ていった。
母がそう命じたのかとそっと振り返ると、ちょっと引きつった笑みが返ってきた。
多分ロイドの独断だろう。
彼なりに母子の間を取り持とうとしたのか、あるいは主の心情を先回りして汲み取ったのか……どちらにしろ、飲まないと帰れそうにない雰囲気だ。
「無理に話はしなくていいから、一杯付き合ってくれると嬉しいわ」
「はい……」
それからロイドの運んできたお茶と焼き菓子に舌鼓を打ち、ぽつぽつと取り留めのない話をした。
二、三言ごとに会話が途切れ、沈黙の方が長いことが多いが、気まずさよりも心地よさを感じる。お互いに心の距離が近づいたおかげだろうか。
「……ところで、マリアンナ……様はどうしているんですか?」
二杯目のお茶を注いでもらったところで、ふと気になったことを尋ねた。
今更仰々しい敬称などつける必要はないが、長らく明確な上下関係にあった姉のことをすぐには呼び捨てにできず、つい今まで通りの呼び方になってしまう。
「あの子は長老の家よ。受け入れ先が決まるまでは、向こうで預かってもらうことにしているの。表面上は落ち着いてるみたいだけど、現状に納得はできてないみたいだから、あなたは会わない方がいいわ」
「そうだな。今回初めて知ったが、マリアンナのヒステリーって強烈だし、冷却期間はしっかり取っておいて損はないな。次に顔を合わせるのは、修行から帰ってきたくらいがちょうどいいんじゃねぇの?」
「そう、ですね……」
どれくらいの期間離れるのか分からないが、少なくとも数年は戻ってこれないだろう。それまでにマリアンナは変わっているだろうか。
いや、変化を彼女だけに求めてはいけない。潤沢な魔力を宝の持ち腐れにしないよう立派な魔女になれば、彼女のやるせない感情に区切りがつけられるかもしれない。
それがオフィーリアにできる歩み寄りの方法だと思った。
そのためにはもっと学ばねばならない。
オフィーリアは魔女としての修行をまったく積んでいないのだから。
「あの、もしよろしければ、ベアトリクス様がお持ちの調合レシピ本を、私に譲っていただけませんか?」
「え?」
「今の私は、魔力は取り戻しても、魔女としては落ちこぼれのままです。このままだと、マリアンナ様に胸を張って会えない気がするんです」
しばし見つめ合い、ベアトリクスは小さくうなずいた。
「……分かったわ。なら、片付けるついでに持って帰ってちょうだい。本当は誰かに師事した方がいいんだけど、この里じゃしがらみが多すぎて難しいわね。私の責任なんだけど……まあ、あなたの調合の腕自体は確かだから、独学でも十分だと思うわ」
「ありがとうございます」
お茶の時間を終え、当初の予定通り片付けを手伝った。
いつの間にかディルクが参加していて驚いたが、腹を割って話すという目的が果たされた以上、見守る必要はなくなったからだろう。
「よく頑張った」とドラゴンの短い前足で頭を撫でられ、嬉しいやら可愛いやらで晴れやかな気持ちになったが、それを母とロイドに見られて生暖かい視線を向けられ、いたたまれない気持ちにもなった。
恋人とのスキンシップを身内に見られるとはこんな感じだろうか。
いや、ディルクは恋人ではなく使い魔だが……と、言い訳がましく考えながら仕事をし、一区切りついたところで数冊の分厚いレシピ本をもらい受けた。
「……もし分からないことがあったら、遠慮なく聞きに来て。直接指導はできないけど、アドバイスくらいならできるわ」
「寂しいからいつでも遊びに来いってさ」
「ロイド……」
ベアトリクスの秘めたる想いをサラッと暴露したロイドは、一瞬で猫の姿に戻されて滝のような水責めにあい、洗濯物と一緒にロープに干される刑に処された。
そんな主従の気の置けないじゃれ合いにほっこりとしながら、オフィーリアは魔女としての一歩を踏み出したのだ。
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