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《港崎カオナシ捕物帖》
始末屋の性(サガ)は漏れいづる
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「カオナシ殿? こ、これは‥‥‥」
「えぇ、コイツァ‥‥‥」
時が経つほど警笛の数は増え、重なる怒声も膨れ上がったことに、狼狽えを見せた呉服屋。
八徳は少し違った。掛けられた声に短めに答え、されど至極落ち着きを見せながら……
「始末屋だ」
警笛が聞こえる方向を睨みつけた。
「チッ! 呉服屋殿、一旦さっきの見世に戻った方がよさそうです!」
「戻る。どうしてです?」
「一つ目、一つしかない遊郭の出入り口。警笛はそこから聞こえる。おそらく出入り口を封鎖したとみるのが妥当。始末屋は目的の何者かを閉じ込める為です。だからその何者かは、目的地もなく遊郭中を逃げ回るかもしれない」
「二つ目は?」
「もし逃亡者が追い詰められた時、いったい何をするか。最悪、適当な通行人を人質に取る」
「戻りましょう」
八徳の言葉には説得力があった。呉服屋も即答だった。
ゆえ、来た道を足早に戻る。しかしすぐ早足は小走りになった。
(まずいな!)
小走りになったのは、警笛と怒声が聞こえてきたから離れようとしたはずなのに、それらがどんどん大きくなってきたからだった。
何かを追う者たちの音が近づいているというなら、それすなわち、追われる者も、八徳たちがいる場所に近いところにいるに違いない。
「カオナシ殿!?」
「クソ、思いのほか速い! 適当な女郎宿に‥‥‥チィッ!」
「ギャァッ!」
無視できないほどに、それら騒がしさは近くなってきている。
このままではまずいと、溜まらず提案した八徳。適当な妓楼の入り口に、呉服屋の背中を押し込もうとして、どんと突っぱねた。
「カオナシ殿! 何をなさ‥‥‥あ‥‥‥?」
突然押され、前につんのめった呉服屋は、惜しくも宿の入り口ではなく、その木枠に頭から突っ込んだ。痛みに鼻を抑え、八徳に激昂するのは当然。
が、それも途切れたのは、振り返った呉服屋の目に、件の《何者か》であろう男が映ったためだった。
「おんしもかっ! 縛るのは! ワシんじゃ! ワシんじゃっ!」
「ヒィッ!」
「呉服屋殿っ!」
帰り血か。夥しいほど衣を真っ赤に染めた男が、良識と常識を振り切った目で、呉服屋を睨みつけていた。
未だ細い筋を作り、刃先からポタリポタリと血の雫を垂らした包丁二本、それぞれの手に握ったまま、男は恫喝した。
その雰囲気の凄まじさに、呉服屋は悲鳴を上げた。
『俺たちの街で勝手な真似はさせるなっ! かかれっ!』
『『『応っ!』』』
包丁を握った両腕の一方。男は右腕を振り上げ、呉服屋に迫ろうとする。果敢にこれを防ごうとした者、港崎遊郭の始末屋連中。
(やっとおいついたか!)
呉服屋の危機を一目見るなり、始末屋の長の一声に、若い衆たちが抑え込み棒や杈を手に、群がった。
『ギッ!』
『ガァァァッ!』
しかし、
(本職‥‥‥)
取り押さえる‥‥‥どころではなかった。
目は完全に飛んで、気は逸している男。だが、群がる始末屋たちについては、冷静なのではないかと思わせるほど、綺麗で、流れるような動きで捌いていた。
そう、文字通り捌いていた。
両手に持つ二本の包丁でもって、迫る襲撃を受け、流し、もう一方の包丁で反撃を繰り出す。
かたや防御、かたや攻撃だけでなかった。
間合いを取るように、スゥっと前に突き出した片方の包丁で、少しでも浅く始末屋を裂くことが出来れば、その始末屋が痛みに怯み、動きが止まったその瞬間、もう一方控えていた包丁で深く切りつけた。
すべては、取り押さえに来た始末屋を行動不能にさせるため。そして男にとってのそれは、確実に命を奪うもの。
「ほぅるぁ! こいやこいやぁ!」
「侍。それも相当な手練れ。あの言葉は‥‥‥上方か? なら、猶更まずい」
目に入った、初めっから返り血に染まっていた男。
着物の下に着こんでいたのは白襦袢(着物の下に着る薄い浴衣型の衣)だったから、傍目から見るだけでは男の正体は知れなかった。
「ただの始末屋じゃあ手に負える者も手に負えねぇ。奴は攘夷派。しかも本場もんか!」
が、今の動きを目に、そして始末屋に対する圧倒振りと言葉遣いに、八徳はブルリと身を震わせた。
『オイ、どこぞ楼主に伺い立てて、同心岡っ引き連れてこい! こいつは、無理だっ!』
その正体が確信に至った八徳と、港崎始末屋連中は違った。
だが、未だ正体の分かっていない彼らの判断も見事。即座に相手の力を見極め、自分たちでは手に余ると、理解し、別の手を考えた。
現にその声を聞いて、何人かの下っ端は、その場から慌てて走り去っていった。
「か、カオナシ……殿?」
だが‥‥‥
「な、何を! 危ないですぞ! その身を危険に晒すつもりですか!?」
その流れになってなお、八徳は、狂い猛る男に向かって一歩踏み出した。呉服屋が声をあげたのは、そういう理由だった。
「二刀小太刀か。まな板包丁でよくやる」
男は、抑えにかかる始末屋数人を、命を絶って無力化した。当然その足元には、数体の崩れ落ちた死体が転がっていた。
その渦中で前に出る。
「カオナシ殿っ!」
『オイ、馬鹿野郎! 素人にどうにかできる状況じゃないぞ!』
『何とまぁ、命知らずだよぉ!?』
『違うよ。あれは阿呆のすることさ!』
狂人も狂人だが、八徳の決断だって、呉服屋はもちろん、始末屋連中に、他の遊郭で生きる者達、身を隠して動向を伺う遊郭の客人たちにとって常軌を逸した決断だった。
「なんだおんし! おんしも殺されたいんか!」
「おぉ、怖ぇ怖ぇ。醸しだすその空気、攘夷派と幕府派の侍同士の小競り合いがあちらこちらで勃発する、京に大阪、上方あがりだから纏えるってもんだ」
「なんじゃ、おんしわかっとんじゃろうが! いつまでも安泰思うちょっとる江戸近辺東方で、のうのうと暮らしゆうが、それでワシに食って掛かるんか!」
「そうだな。確かにアンタから見りゃ、お江戸に横浜、開府300年を泰平に暮らしてきた東方の侍連中じゃ、腑抜けとみて当然。奉行所幕府方から同心岡っ引きがやってきたとして、果たして簡単に制圧できるかどうか。その間の犠牲者は一人二人じゃ効かねぇ。下手すりゃ五人か、十人か」
だというのに、八徳はあからさまに挑発した。
挑発の中でも嫌なやり方。徹底的に相手の強さ認め褒めたたえる。そして、そうして強者の肩書によって自尊心を満たした相手に対して‥‥‥
「てやんでぇ。だからなんだってんでぇ!」
「なんだと、おんし‥‥‥」
喧嘩を、売った。
「ここは横浜港崎遊郭。アンタがこれまでどんなところで戦い、どんな流儀を貫いてるかは知らねぇ。だが遊郭にゃ遊郭の流儀ってものがある。ソレをここまで踏みにじり、やり過ぎたやがった」
そのセリフ、相手を認めつつ、「それ以外を認めやがれ」と言っていた。
「女郎街は夢の街! 世界で唯一、侍の威光さえ霞ませる。訪れた諸氏ら皆、この町でなら侍に怯えず想いを自由に謳歌できる。その為に、遊郭の女たちは侍だからと簡単に媚びず、その為に、他の者たちはこの環境を守るため全力を尽くす。それを、これ以上アンタが乱すっていうなら‥‥‥掛かって来いや固羅ァ!」
「言うたじゃおんし! 楽に死ねると思うなよぉぉぉっ!」
タンカをきった。息絶えた始末屋下っ端が打ち捨てた鋤(この時代のシャベル)を拾い上げ、持ち手を握り、鋤先を男に向けた。
侍としての矜持が、たかが遊郭のすれ違いにここまで言われ、穏やかでいられるはずがない。
特に見立てからも、絡んできた頭巾の男は、侍格でないことも明らか。
それゆえだ、男は激昂し、獣のように雄たけびを上げ、包丁は両の刃先を八徳に向け、一気に距離を詰めてきた。
「えぇ、コイツァ‥‥‥」
時が経つほど警笛の数は増え、重なる怒声も膨れ上がったことに、狼狽えを見せた呉服屋。
八徳は少し違った。掛けられた声に短めに答え、されど至極落ち着きを見せながら……
「始末屋だ」
警笛が聞こえる方向を睨みつけた。
「チッ! 呉服屋殿、一旦さっきの見世に戻った方がよさそうです!」
「戻る。どうしてです?」
「一つ目、一つしかない遊郭の出入り口。警笛はそこから聞こえる。おそらく出入り口を封鎖したとみるのが妥当。始末屋は目的の何者かを閉じ込める為です。だからその何者かは、目的地もなく遊郭中を逃げ回るかもしれない」
「二つ目は?」
「もし逃亡者が追い詰められた時、いったい何をするか。最悪、適当な通行人を人質に取る」
「戻りましょう」
八徳の言葉には説得力があった。呉服屋も即答だった。
ゆえ、来た道を足早に戻る。しかしすぐ早足は小走りになった。
(まずいな!)
小走りになったのは、警笛と怒声が聞こえてきたから離れようとしたはずなのに、それらがどんどん大きくなってきたからだった。
何かを追う者たちの音が近づいているというなら、それすなわち、追われる者も、八徳たちがいる場所に近いところにいるに違いない。
「カオナシ殿!?」
「クソ、思いのほか速い! 適当な女郎宿に‥‥‥チィッ!」
「ギャァッ!」
無視できないほどに、それら騒がしさは近くなってきている。
このままではまずいと、溜まらず提案した八徳。適当な妓楼の入り口に、呉服屋の背中を押し込もうとして、どんと突っぱねた。
「カオナシ殿! 何をなさ‥‥‥あ‥‥‥?」
突然押され、前につんのめった呉服屋は、惜しくも宿の入り口ではなく、その木枠に頭から突っ込んだ。痛みに鼻を抑え、八徳に激昂するのは当然。
が、それも途切れたのは、振り返った呉服屋の目に、件の《何者か》であろう男が映ったためだった。
「おんしもかっ! 縛るのは! ワシんじゃ! ワシんじゃっ!」
「ヒィッ!」
「呉服屋殿っ!」
帰り血か。夥しいほど衣を真っ赤に染めた男が、良識と常識を振り切った目で、呉服屋を睨みつけていた。
未だ細い筋を作り、刃先からポタリポタリと血の雫を垂らした包丁二本、それぞれの手に握ったまま、男は恫喝した。
その雰囲気の凄まじさに、呉服屋は悲鳴を上げた。
『俺たちの街で勝手な真似はさせるなっ! かかれっ!』
『『『応っ!』』』
包丁を握った両腕の一方。男は右腕を振り上げ、呉服屋に迫ろうとする。果敢にこれを防ごうとした者、港崎遊郭の始末屋連中。
(やっとおいついたか!)
呉服屋の危機を一目見るなり、始末屋の長の一声に、若い衆たちが抑え込み棒や杈を手に、群がった。
『ギッ!』
『ガァァァッ!』
しかし、
(本職‥‥‥)
取り押さえる‥‥‥どころではなかった。
目は完全に飛んで、気は逸している男。だが、群がる始末屋たちについては、冷静なのではないかと思わせるほど、綺麗で、流れるような動きで捌いていた。
そう、文字通り捌いていた。
両手に持つ二本の包丁でもって、迫る襲撃を受け、流し、もう一方の包丁で反撃を繰り出す。
かたや防御、かたや攻撃だけでなかった。
間合いを取るように、スゥっと前に突き出した片方の包丁で、少しでも浅く始末屋を裂くことが出来れば、その始末屋が痛みに怯み、動きが止まったその瞬間、もう一方控えていた包丁で深く切りつけた。
すべては、取り押さえに来た始末屋を行動不能にさせるため。そして男にとってのそれは、確実に命を奪うもの。
「ほぅるぁ! こいやこいやぁ!」
「侍。それも相当な手練れ。あの言葉は‥‥‥上方か? なら、猶更まずい」
目に入った、初めっから返り血に染まっていた男。
着物の下に着こんでいたのは白襦袢(着物の下に着る薄い浴衣型の衣)だったから、傍目から見るだけでは男の正体は知れなかった。
「ただの始末屋じゃあ手に負える者も手に負えねぇ。奴は攘夷派。しかも本場もんか!」
が、今の動きを目に、そして始末屋に対する圧倒振りと言葉遣いに、八徳はブルリと身を震わせた。
『オイ、どこぞ楼主に伺い立てて、同心岡っ引き連れてこい! こいつは、無理だっ!』
その正体が確信に至った八徳と、港崎始末屋連中は違った。
だが、未だ正体の分かっていない彼らの判断も見事。即座に相手の力を見極め、自分たちでは手に余ると、理解し、別の手を考えた。
現にその声を聞いて、何人かの下っ端は、その場から慌てて走り去っていった。
「か、カオナシ……殿?」
だが‥‥‥
「な、何を! 危ないですぞ! その身を危険に晒すつもりですか!?」
その流れになってなお、八徳は、狂い猛る男に向かって一歩踏み出した。呉服屋が声をあげたのは、そういう理由だった。
「二刀小太刀か。まな板包丁でよくやる」
男は、抑えにかかる始末屋数人を、命を絶って無力化した。当然その足元には、数体の崩れ落ちた死体が転がっていた。
その渦中で前に出る。
「カオナシ殿っ!」
『オイ、馬鹿野郎! 素人にどうにかできる状況じゃないぞ!』
『何とまぁ、命知らずだよぉ!?』
『違うよ。あれは阿呆のすることさ!』
狂人も狂人だが、八徳の決断だって、呉服屋はもちろん、始末屋連中に、他の遊郭で生きる者達、身を隠して動向を伺う遊郭の客人たちにとって常軌を逸した決断だった。
「なんだおんし! おんしも殺されたいんか!」
「おぉ、怖ぇ怖ぇ。醸しだすその空気、攘夷派と幕府派の侍同士の小競り合いがあちらこちらで勃発する、京に大阪、上方あがりだから纏えるってもんだ」
「なんじゃ、おんしわかっとんじゃろうが! いつまでも安泰思うちょっとる江戸近辺東方で、のうのうと暮らしゆうが、それでワシに食って掛かるんか!」
「そうだな。確かにアンタから見りゃ、お江戸に横浜、開府300年を泰平に暮らしてきた東方の侍連中じゃ、腑抜けとみて当然。奉行所幕府方から同心岡っ引きがやってきたとして、果たして簡単に制圧できるかどうか。その間の犠牲者は一人二人じゃ効かねぇ。下手すりゃ五人か、十人か」
だというのに、八徳はあからさまに挑発した。
挑発の中でも嫌なやり方。徹底的に相手の強さ認め褒めたたえる。そして、そうして強者の肩書によって自尊心を満たした相手に対して‥‥‥
「てやんでぇ。だからなんだってんでぇ!」
「なんだと、おんし‥‥‥」
喧嘩を、売った。
「ここは横浜港崎遊郭。アンタがこれまでどんなところで戦い、どんな流儀を貫いてるかは知らねぇ。だが遊郭にゃ遊郭の流儀ってものがある。ソレをここまで踏みにじり、やり過ぎたやがった」
そのセリフ、相手を認めつつ、「それ以外を認めやがれ」と言っていた。
「女郎街は夢の街! 世界で唯一、侍の威光さえ霞ませる。訪れた諸氏ら皆、この町でなら侍に怯えず想いを自由に謳歌できる。その為に、遊郭の女たちは侍だからと簡単に媚びず、その為に、他の者たちはこの環境を守るため全力を尽くす。それを、これ以上アンタが乱すっていうなら‥‥‥掛かって来いや固羅ァ!」
「言うたじゃおんし! 楽に死ねると思うなよぉぉぉっ!」
タンカをきった。息絶えた始末屋下っ端が打ち捨てた鋤(この時代のシャベル)を拾い上げ、持ち手を握り、鋤先を男に向けた。
侍としての矜持が、たかが遊郭のすれ違いにここまで言われ、穏やかでいられるはずがない。
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