ーー焔の連鎖ーー

卯月屋 枢

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~2章~

27話

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ーーーーーーーーーーーーーー
続け様に煙管から煙が立ち上る。
締め切られた部屋には、逃げる術を失った紫煙が覆い尽くしていた。
苛つきを抑えきれない土方は、煙草盆に灰をカツンと落とすと間髪入れずに煙草を詰め火を付ける。

上手く行けば、山南を逃がせるはずだった。
早馬を用いても追い付く事は簡単ではない。
だが、山南は呆気なく捕まった。
総司の話によれば、大津の宿場町辺りで岩に腰掛け空を見上げていたと言う。
総司が声を掛けると

『あぁ、やっと来ましたね。では帰りましょうか』
そう言ったという。
彼は端から逃げる気はなかったのだ。
それが悔しくてならない。
出来るならば本気で逃げて欲しかった。
何故逃げてくれなかった……

「煙で中が見えねえじゃねぇか。換気くらいしろよ……。」
手で煙を叩きながら侵入して来た男は、ズカズカと部屋の奥の障子を開け放った。
冷たい空気が流れ込むと同時に煙が吐き出され、見通しが良くなる。

「誰が入って良いと言った」
「声は掛けたぜ?返事はなかったけどな」
土方の訝しげな視線に気付いたのか、蓮二は肩を竦めて二人分の茶を差し出す。

「で……。何の用だ?」
「別に用はねえよ。今日はどこに居ても居心地悪くていけねえや」
「じゃあ、自分の部屋にでも居ろよ」
「話し相手くらいは欲しいんだよ」
のらりくらりと躱される会話に土方は小さく舌打ちをした。
何食わぬ顔で茶を啜る蓮二だが、その表情の何処かに不安と焦りが垣間見える。

蓮二は部屋に入って来てから一度も土方と目を合わせていない。
動揺を悟られまいとしての行動なのだろうが、その方が不自然なのだと云う事を教えるべきか……。


「お前……いつから気付いていた?」
呆れたように発せられた声に蓮二が漸く土方の目を見る。
手にしていた湯呑みを一気に煽るとふぅと息を吐き、土方を真っ直ぐに見据えた。

「伊東がやって来てすぐくらいかな」
予想外の答えに土方は目を見開く。
屯所移転の話が出た後だとばかり思っていた。
誰の目から見ても、あの話の直後から山南の様子が明らかにおかしくなった。

「他の連中は屯所移転の話の後だと思っているが、その前から山南さんは壊れ始めているよ。俺が気付くずっと前からいろいろ狂い始めていたんだろう。伊東が来てそれが少しずつ表に出始めた感じだな」

山南はずっと迷っていた。
尊皇を掲げる身でありながら、自分が属する新選組は少しずつながらも佐幕に傾いている。
自分の思想と職務の板挟みに何度も心が折れそうになっていた。
そんな時、近藤が連れて来た隊士の中に一際、尊皇の志を声高らかに主張する男が一人。

『伊東甲子太郎』

頭も良く、剣の腕も立つ伊東はあっという間に参謀となり、山南の上に立った。
異例の出世は裏がある、局長は伊東に騙されている、などと噂されるが、山南は気にしては居なかった。
自分は既に隊内でろくな働きをしていない。
それに比べれば、伊東の働きは出世に値する。

ましてや、同門で思想も同じ。
素直に嬉しかった。
もしかしたら、自分になし得なかった事を彼がやり遂げてくれるかもしれない。
小さな期待に胸を膨らませていた……。
……が、しかし。
山南の思いは伊東によって脆くも崩される。


ーーーー
新月の夜。
二人だけで話したいと伊東に呼び出された。

四畳半ほどの部屋に男が二人。
芸者や遊女も付けず、ただ膝を突き合わせての対談だった。

「山南先生。私は、貴方を同門の仲間として、同じ尊皇の志を持つものとして腹を割って話したい」
「えぇ。私も伊東先生とはじっくりお話をしてみたかったのです」
「山南先生は今の新選組をどう思っておられますか?」
「それは……新選組の在り方としてですか?それとも、思想や理念と言った類いですか?」
「どちらもです」
「曲なりにも私は新選組総長です。その私が不用意に隊について述べる事は出来ません。ですが、一つ言うなれば……新選組と私では結成当初に比べて、思想の違いに差が出来過ぎた」
「貴方も新選組の思想が佐幕寄りになっている事に疎外感を覚えているのですね」
「佐幕思想が悪い訳でも、攘夷思想が正しい訳でもありません。ただ、この二つの思想は決して相容れる事はない。それが、私を苦しめているのは事実です」
「私もですよ。これほどまでに佐幕思想が蔓延してるとは思わなかった。いや、隊士の殆どは思想が曖昧で、近藤先生の強い思いに引き摺られているにしか過ぎない。それは思想の転換も容易い証拠。ならば……」

勿体ぶるように伊東は言葉を切り、山南を見つめる。
自分を見据えた瞳に青暗い炎が揺れ、喉がゴクリと鳴った。

「新選組を乗っ取ります」



驚愕で声も出せなかった……
新選組を乗っ取る……?
唖然とする山南を畳み掛けるように伊東は言葉を続ける。

「いずれ新選組を私の物に。そして、攘夷を掲げ天子様にお仕えする。そこで、山南先生にお願いが御座います。貴方は学問にも剣技にも優れていらっしゃる。隊士達からの信頼も厚く、皆に好かれておられる。ですから貴方には私と共に、新体制となる新選組を築く手伝いをして頂きたい」

曖昧な返事を残して山南は揚屋を後にした。
フラフラと覚束ない足取りで街を歩く。
伊東は端から近藤を上に置いて、新選組を支える気などなかった。
自分の思いのまま動く兵隊が欲しかった……。
それだけで入隊を決めたのだ。

近藤を始めとする新選組隊士達と苦労を共にして来た山南にとって耐え難い事実。
安易に受け入れられるほど新選組との関わりは薄くない。

思考が纏まらないまま街を彷徨っていた。

「山南はん?」
自分を呼び止めた声に安堵を覚える。
愛しい人……
疲れきった心を慰めて欲しい。
今だけはその声の主に縋り付きたいと思った。

「明里っ!」

気が付けば、明里を自分の腕の中にすっぽりと収めていた。
一瞬、息を呑んだ明里だが、自分を抱きしめる山南が小さく震えているのに気付くと、背中に腕を回し震える身体を優しく撫でた。
明里の細い肩を抱き締めた腕に力がこもる。
偶然とは言え、彼女に逢えた事を心から感謝したい。
小さな身体で大きな安心をくれる彼女がとても愛しい。
明里が腕の中で息苦しそうにもがいた。
そっと力を緩めると、新鮮な空気を取り込もうと上げた顔がほんのり薄紅に染まったいた。

「山南はん……。あんまり強く抱きしめられたら息が出来まへん。うち、窒息死してしまうやない」
ぷぅっと頬を膨らませる姿があまりにも可愛らしくて、再び腕の中に収めた。

守らなくては……。
全てを失くしてでも自分には守らなくてはいけないものがある。





「ありがとう、明里。君に逢えて私は私の成すべき事が分かったよ」
静まり返った部屋で山南は一人、その時を待った……。
奇しくも今晩は伊東と会談をした日と同じ新月。
全てを包み込む闇の中、蝋燭がジジッと音を立て炎が揺れた。

「山南はんっ!!」
二度と聴く事はないと思っていた声が耳に届き、山南は顔を上げる。

「明里っ!どうしてここにっ?!」
行灯に照らされた明里は、化粧っ気がなく髪も少し乱れていた。

「山南はんの阿呆っ!なんでうちに何にも言ってくれへんかったんどす?なんで一人で苦しんでたんどすかっ?」
「明里…それは…」
格子越しに握り締めた手は冷たく、微かに震えていた。

「うち山南はんみたいに頭ええ訳やあらへんし、島原で働いてるし、出来る事なんて分からへんけど…山南はんの笑顔見る度に、少しは役に立ててる思うて喜んだのが阿呆みたいやないのっ!」

泣いているのか
怒っているのか……
紅潮した頬は涙に濡れ、くしゃくしゃと歪めた顔が心を締め付ける。

「君に逢う度に幸せを噛み締めていたよ。明里の笑顔に私は何度助けられたか……」
「それだけ?うちが山南はんにしてあげられた事はそれだけなんどすか?」
「私には君の存在が救いだった。隣に居てくれるだけで満たされた」
明里の瞳から落ちる大粒の涙。
手のひらから伝わる優しさが山南の目頭を熱くさせる。

「せやったら最後まで隣に居らせてくれへんのよ?う、ち……かて、同じ気持ち、やのに……」
溢れ出る想いを伝えたいのに、涙に詰まって言葉が途切れ途切れになる。



「明里…君は君の幸せの為に生きるんだ。総てが終わったら、如月くんを訪ねなさい。君を自由にしてくれる」
「嫌やっ!山南はんが居らへんのならうちもっ……」
「明里っっ!!」
山南の大声に身体がビクリと跳ねる。
いつも優しく見つめてくれた瞳が、怒りの色に染まっていた。


「君は自由になりなさい。私の分まで広い空を飛び続けて下さい。これは私の最後のお願いです」
山南の瞳がゆらりと揺れる。

「山南はん……ずるいわ。そんな言い方されたらうち……」
ずるずると崩れ落ちる明里と、涙を溜めたまま明里を見つめる山南。

二人の手は繋がれたまま……
夜が明けた。


ーーーーーーーーーーーーーー
 
元治二年(一八六五年)
二月二十三日

朝から淡雪がちらつき始めていた。
地面に薄く、白い絨毯が敷き詰められてゆく。

新選組屯所の一角……
前川邸に近藤を始めとする幹部が、苦渋を浮かべ静かにその時を見守る。

隊服とは別の朝葱に包まれた山南は穏やかな笑みを湛えていた。
眉を寄せ、唇を噛み締めた土方と目が合う。

(すまない、土方くん。私にはこれ位しかしてあげられない。新選組を頼んだよ)

(不甲斐ない副長で申し訳ない。総てが終わったその時には必ずこの報いは受ける。それまでは待っていてくれ)

ありったけの想いを込めて互いに目礼を交わした。

右へ視線を移し、近藤と視線を絡める。
口を一文字に結び、血の気が失せるほど固く結ばれた拳。
それだけで充分に伝わる想い。
目礼をすると、意を決したように大きく頷く。

「それでは、山南さん……。最後に何かありますか?」

もう一度、目の前に並ぶ同士をゆっくりと見渡し薄く微笑む。

(近藤さんを……新選組をお願いします)

「沖田くん……私が良いと言うまで待ってくれますか?」
横に立つ介錯人の総司を見れば、泣き出しそうな表情を浮かべ……頷いた。

試衞館で共に稽古を重ねた日々を思い出す。
笑顔が溢れた穏やかな時間だった。

上洛が決まった時、皆で真の武士になろうと誓った。
少しだけ見る物が変わったが、あの日の誓いは皆の中で今も生きている。
鼻の奥がツンとなり、目頭が熱くなる。

深く息を吸い込み、握り締めた刀に右手を添えた。
山南が総司に声を掛けたのは、横一文字を描いた刀をもう一度深く突き立てた時だった。


見事なまでに武士として果てた山南。
美しすぎる程の最期。


隊士達に鮮烈な印象を残し、
新選組総長『山南敬助』は
三十二歳という短い生涯に幕を閉じた。

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