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一話
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闇の中に、うっすらと白く、ほのかに青いリングが浮かんでいる。
触れば溶けてしまいそうな、儚げな色をした、わっか。死にかけた天使の頭の上に浮かぶ光輪は、きっとこんな色をしている。
見ているうちに溶けないかなと思って、もっとじっと見つめると、見えてしまう。
白いプラスチックの部分まで見えてしまって、それは死にかけてる天使のわっかじゃなくて、私の部屋の天井にぶら下がった円い蛍光灯なんだと思い出してしまった。
途端に、下の階で眠るおかあさんと知らないおじさんのことまで思い出し、さっきまで聞こえてた、すすり泣くみたいなおかあさんの声が、また聞こえた気がした。
「おにいちゃん……」
なんで早く来てくれないんだろう。
ユナは、小さく呟いてふとんの中にもぐり込み、膝を抱える。
闇の色がじわじわと躰の中に染み込んでくるような気がして、大声で、叫びだしたかった。
こんな布団なんかじゃ、だめ。
くろい、くらい、色は綿の詰まった布団を素通りしてくる。守ってくれない。布団は。
たすけて、たすけて、たすけて――
ねぇ、早く来て!
唇を噛んだら、血の味がした。
おまじないみたいに、うん、うん、とわけもなく頷き続けた。
抱いた膝に自分で爪を立て、あんまり痛くなかったので驚いて、もっと怖くなった。
おかあさんの声が忘れられない。
耳の内側のデコボコしたどこかに引っかかってるみたいで、ずっと聞こえてる。
知らないおじさん。本当は知ってる。もう何ヶ月も、ほとんど毎晩、泊まってゆく。
その度、おかあさんが泣く。何をしているのかも知ってる。
セックスしてる。
でも、どうしてあんな声で泣くのかわかんない。
それを聞いた夜は、暗いのが怖い。
カタ――
「……っ」
突然にドアが音を立てたので、息を飲んだ。
暗い闇がやってきたのかもしれない、と咄嗟に思う。手足の生えた闇色が、私の部屋のドアを開ける――ありえない想像に脅えながら、ユナは、そぉ、と布団の隙間から外を見た。
おにいちゃんだ――
ユナは、かけ布団の隙間から首を突き出した。
光が移動し、少女の顔を照らす。
「……起きてたのか」
高校1年生で、いかにも青年らしい落ち着いた響き。
ユナにとっては他の誰よりも頼りがいがある、世界でたった1人きりの――おにいちゃんの声――その声を聞いたら、ほっとして、躰の力が抜けて、それまでどんなに体中に力を込めていたのか自分で気付いて、思わず、しゃくりあげた。
「……泣いて……?」
動揺した声。近づいて来る足音。ふらふらと揺れる光。ユナは、足音が自分のいるベッドにたどり着くよりも早く、身を起こし、抱きついた。
「おいっ」
小声で叫びながらも、兄は妹を受け止める。
半分ベッドから落ちた格好でおにいちゃんのパジャマの胸に顔を埋めるユナは、声こそ殺していたが、今度こそ本当に、涙を流した。
床に落ちたペンライトが、カーペットの上に細長い、光のラインを描く。
「うっ、っ」
呻くように涙を零す、小柄な自分よりさらにひと回りも小柄な妹。その恐怖に冷えた躰を、兄は黙って抱きしめた。
「大丈夫……」
何が大丈夫なのか、本当に大丈夫なのか、何も分からない。
自分だって何かの弾みで泣きかねないくらい不安定な状況にあると自覚している。でも。
「……おにいちゃん……」
ユナの呟きに、抱く腕に力を込めた。
闇の中、抱きしめ合う、兄弟。
ペンライトだけが、それを見詰めている。
触れば溶けてしまいそうな、儚げな色をした、わっか。死にかけた天使の頭の上に浮かぶ光輪は、きっとこんな色をしている。
見ているうちに溶けないかなと思って、もっとじっと見つめると、見えてしまう。
白いプラスチックの部分まで見えてしまって、それは死にかけてる天使のわっかじゃなくて、私の部屋の天井にぶら下がった円い蛍光灯なんだと思い出してしまった。
途端に、下の階で眠るおかあさんと知らないおじさんのことまで思い出し、さっきまで聞こえてた、すすり泣くみたいなおかあさんの声が、また聞こえた気がした。
「おにいちゃん……」
なんで早く来てくれないんだろう。
ユナは、小さく呟いてふとんの中にもぐり込み、膝を抱える。
闇の色がじわじわと躰の中に染み込んでくるような気がして、大声で、叫びだしたかった。
こんな布団なんかじゃ、だめ。
くろい、くらい、色は綿の詰まった布団を素通りしてくる。守ってくれない。布団は。
たすけて、たすけて、たすけて――
ねぇ、早く来て!
唇を噛んだら、血の味がした。
おまじないみたいに、うん、うん、とわけもなく頷き続けた。
抱いた膝に自分で爪を立て、あんまり痛くなかったので驚いて、もっと怖くなった。
おかあさんの声が忘れられない。
耳の内側のデコボコしたどこかに引っかかってるみたいで、ずっと聞こえてる。
知らないおじさん。本当は知ってる。もう何ヶ月も、ほとんど毎晩、泊まってゆく。
その度、おかあさんが泣く。何をしているのかも知ってる。
セックスしてる。
でも、どうしてあんな声で泣くのかわかんない。
それを聞いた夜は、暗いのが怖い。
カタ――
「……っ」
突然にドアが音を立てたので、息を飲んだ。
暗い闇がやってきたのかもしれない、と咄嗟に思う。手足の生えた闇色が、私の部屋のドアを開ける――ありえない想像に脅えながら、ユナは、そぉ、と布団の隙間から外を見た。
おにいちゃんだ――
ユナは、かけ布団の隙間から首を突き出した。
光が移動し、少女の顔を照らす。
「……起きてたのか」
高校1年生で、いかにも青年らしい落ち着いた響き。
ユナにとっては他の誰よりも頼りがいがある、世界でたった1人きりの――おにいちゃんの声――その声を聞いたら、ほっとして、躰の力が抜けて、それまでどんなに体中に力を込めていたのか自分で気付いて、思わず、しゃくりあげた。
「……泣いて……?」
動揺した声。近づいて来る足音。ふらふらと揺れる光。ユナは、足音が自分のいるベッドにたどり着くよりも早く、身を起こし、抱きついた。
「おいっ」
小声で叫びながらも、兄は妹を受け止める。
半分ベッドから落ちた格好でおにいちゃんのパジャマの胸に顔を埋めるユナは、声こそ殺していたが、今度こそ本当に、涙を流した。
床に落ちたペンライトが、カーペットの上に細長い、光のラインを描く。
「うっ、っ」
呻くように涙を零す、小柄な自分よりさらにひと回りも小柄な妹。その恐怖に冷えた躰を、兄は黙って抱きしめた。
「大丈夫……」
何が大丈夫なのか、本当に大丈夫なのか、何も分からない。
自分だって何かの弾みで泣きかねないくらい不安定な状況にあると自覚している。でも。
「……おにいちゃん……」
ユナの呟きに、抱く腕に力を込めた。
闇の中、抱きしめ合う、兄弟。
ペンライトだけが、それを見詰めている。
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