第1章 いずれ呑舟之魚となるために

東郷春幸

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第21話

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銃を持った男に背後を取られては何もできないと観念したのか、少女は大人しくアリーフの言い付けを守って、彼の指示に従って歩いた。
アリーフはアリーフで、ジェスタフの指示を仰ぐために無線を受信しつつ、少女の監視のために目を忙しなく動かしていた。
彼はジャケットの内ポケットから愛用の拳銃を彼女の背中に向けていたが、撃つ気はあまり無かった。無論良心の呵責では無く、大口径のガバメントで撃って即死されたら兄貴に呆れられるからだ。
彼女は何となく見覚えがあるが、誰か分からない。しかしそれはどうでも良い。僕は10カラットのダイヤがついたプラチナのリングのような、この全てを備えていそうな彼女が本能的に気に入らない。
アリーフはそう思っていた。彼はコンプレックスのキノコが飛ばした負の胞子から生まれたような男なのだ。
角を曲がる時に少女はアリーフを泣きそうな顔で睨みつけたが、彼の中で特に何かの感情が沸き立つようなことは無かった。
指定された場所は小さな民家だった。何の変哲も無いし違和感も無い。二階建ての家だった。どうやらかなり前から空き家らしく、二階の窓には防犯対策としてベニヤ板が打ち付けてあった。庭の窓も同じだろう。ドアの下には大きな南京錠が切られた鎖を繋いで落ちていた。
兄貴はこういうところがズボラなんだと、アリーフは思いながら南京錠を足で庭の方に払った。民家なら廃工場よりも見張るのが楽だから助かる。
ただ一つ挙げるなら。アリーフは到着したことをジェスタフに告げる。

「兄貴、着いたよ。大丈夫なの兄貴?  真後ろの家焼けてるじゃない、放火なら犯人は確認に戻ってくるっていうし、そうじゃなくても野次馬が来るよ。見た感じまだ水たまりがあるから一昨日とかでしょ?  何よりアイロンかけたみたいにピンと張った真新しい規制線がある。ちょっと心配なんだけど」

道路を挟んだ民家の反対側には、焼けてからまだ日日が浅いと思われる、一階部分が全焼した民家があった。剥き出しの鉄骨はアリーフに先日の件を思い出させた。

「案ずるな、そういうのは見物に集中して気づかないもんだ。それにそこの火事は放火じゃねーあれさ、さっきも言ったろ?  最近流行りのシンナー遊びがボヤ騒ぎに発展したのさ。シンナーってのは良く燃えるからな」

「ならいいけど......ほら、入って」

アリーフは少し釈然としない様子だったが、空き家の前で何か喋っていても怪しまれるだけなので、ドアを開けると少女の背中を蹴って家に入った。
転んで危うく段差に顎を打つ寸前だった少女は、振り返ってアリーフを睨みつける。そこで彼女は気付いたのだった。

「キレイ......」

フードを外して一息つくアリーフを見上げながら、少女はため息のようにアリーフの容姿を賛美した。赤い苺のような唇が色美しく、肌の色白さはうさぎが嬉しそうに跳ね回るようだった。
だが、自分が信じられないほど馬鹿なことを口にしたと、すぐに口を閉じて精一杯のしかめっ面を作って体を強張らせた。
アリーフはガバメントの撃鉄を元に戻すと、にっこりと笑って廊下の一室を指差した。

「ありがとう、とりあえず台所に行こうか。一応言っておくと、僕は相手が子どもでも慈悲はかけないよ。僕がそうされてきたからね」

アリーフはホルスターにガバメントを戻すと、煙草を薫せながら少女に連れ添って台所に入った。
今吸っているのが最後の一本だったのだが、アリーフは金を惜しまずカートン買いした煙草を常に3箱内ポケットに入れているため、問題は無い。空き箱はゴミ箱に。
台所に入った時、ジェスタフのいる二階からドシンと何やら地鳴りのような物音がして、ヒビ割れた天井からホコリがフケのように舞い落ちてきた。

「これだから空き家には入りたくないんだよな、こんな毎日が梅雨みたいなジメジメとうらぶれた場所なんか、さっさと潰しちゃえばいいんだ」

アリーフは頭を叩いて埃を落とし、煙草を叩いて灰を落とす。そして少女を抱き抱えて流しの上に乗せると、窓にお誂え向きの鉄格子があったので、内ポケットから手錠を取り出して左手にかけた。
脱走の心配が無くなったので、アリーフは表情を和らげて椅子を逆向きに座ると、にんまりと少女を見つめた。

「無抵抗で助かるよ」

「...煙草やめてもらって良いかしら、苦手なの」 

少女が顔をしかめて右手で煙を払う仕草をする。アリーフは無表情に煙草を携帯灰皿に押し付けると、吸い殻を少女に投げ付けた。吸い殻はクロテンのコートに当たった。

「次はこれが弾にならないといいね、ふふふ、僕が可愛いからって甘く見ない方がいいよ」

アリーフはジャケットを脱いで椅子にかけると、スラックスのポケットから桃のグミを取り出して食べ始めた。

「最近は君みたいなのが多いせいで口が寂しくなることが多くてね、糖分補給も兼ねて持ち歩いてるんだ」

「聞いてないわ」

「食べる?」

アリーフが袋を差し出すと、少女は嫌そうにそれを口に入れた。最初こそ、こんな寒気すら覚える美男子に攫われたことに一抹のロマンスを覚えたが、今は徐々に彼に巣食う悪鬼を感じ取りつつあったからだ。
類稀な容姿の彼が今一つ女性にモテないのは、単に彼が引っ込み思案なのと、強い純愛、処女嗜好が強いのもあるが、最大の理由は隠せぬ狂気に女性がすぐに気付き、本能で去ってしまうからだ。
本能を目の前を飛ぶ蚊のように、気のせいで片付けられる人間は意外にも少ない。
少女は高飛車な振る舞いは自分を滅ぼすだけだと悟り、安物のグミを舐めた。

「そういえば、君おもちゃ屋で何か買ってたねぇ。何買ってたの?  やっぱり人形? ピンクのドレスのヤツ」

「だいたいそんな感じよ、弟が生まれたの」

「ふーん、僕にも弟がいるんだ。3人」

それを聞いた少女は、少し驚きを浮かべた。

「動機は何?  まさか病気の弟の入院費とかじゃないでしょう。あなたは殺人に忌避感を持ち合わせていない」

アリーフは欠伸をする。

「そりゃ逆上がりの練習と同じだよ。何回もやってたら次第に慣れてくる。最初は確かに感じた達成感や高揚感も次第に色あせる」

アリーフはそう言って何か思いついたかのように、急に立ち上がるや否や、少女の頬を目尻までザラザラした桃色の舌でベロリと舐めた。

「うう......」

少女が不快そうに顔を歪め、恥辱に顔を赤く染める。だが、その中には快感も混じっていたのも事実だ。アリーフが口を片端だけ釣り上げて笑う。

「ふふふ、いくら僕でも気持ち悪いでしょ。僕は君みたいのに不快感や屈辱を与えるのがたまんないから色々耐えて生きてんだ」

「......」

「まぁ一応断っておくけど、僕は余興命令私怨嫌がらせ見せしめ以外に人を殺めたことは無いよ。こう見えて常識人なんでね、むしろ近頃世間を賑わせてる殺人鬼とかには、強い嫌悪感を抱くね」

「......別人だったの」

「心外だな。ああいう快楽に人を殺すヤツは軽蔑に値するよ。まぁゴキブリよりは好きになれるかもだけど」

アリーフと少女が上辺だけの談笑に興じていた時、古い階段から軋んだ音を立ててジェスタフが降りてくる音がした。しかし、足音に紛れて何かがひこじる音を感知したアリーフは、一応ガバメントを抜いた。

「あんまりべらべらと喋るな。弟よ。誘拐は口は災いの元という言葉が最も顕著に表れる事柄だ。お前はそういうところが間抜けなんだ」

しかし、それは杞憂だった。ダッフルコートやその他の衣類を肩にかけて、上半身裸のジェスタフが3つに割れた腹筋を見せびらかしながら現れ、そして首根っこを掴んでいたものをざっくばらんに床に投げ捨てた。
それは、切り傷や痣だらけの若い女だった。皮剥きに手こずったジャガイモみたいに惨めな姿で、アリーフはほくそ笑んだ。

「何だ、僕を働かせて自分はスッキリしてたのか?  ひどい男だなぁ。それに兄貴は兄貴で、ドアの前に壊した鍵を放置しっぱなしだったよ」

「違う違う、ちゃんと俺は俺の仕事をやってきたよ。これはたまたま手頃なのがいたからな。これもな」

そう楽しそう言ってジェスタフは、またどこかで買い込んだ缶ビールを飲んでいた。大事なところで尿意が来ても知らんぞ。と、アリーフは思った。

「にしてもこれはまた一段とひどい有様だね。この背中の深く長い傷に至っては殺意の残り香を感じる」

「いやーちょっとお兄ちゃん張り切りすぎちゃったよ。手頃な辞書が部屋にあったから何度も殴ってたら命乞いし始めてもう...」

もう気づいているだろうから隠し立てはしないが、このジェスタフという男は非常に女と寝ることが好きな人間なのだが、彼の性癖はかなり倒錯していて、彼は女性に激しい暴行を加えながらの苛烈な情交でないと、性的満足を得られない男だった。
何がどうしてこうなったのかはアリーフも知らない。案外、ただの本人の気まぐれなマイブームなだけで理由なんて存在しないのかもしれない。

「彼女を捕縛したか、流石は我が弟、やれると分かっていたわ」

ジェスタフは嬉しそうにアリーフの肩を叩き、少女に近付いた。少女は、哀れにも目の前の惨殺死体を見たショックで気絶していた。
アリーフは本当に死んでいるのか、死体の鼻の前に細かく引きちぎったティッシュをバラまいたが、動くことは無かった。

「兄貴、てかこの子は誰なの?  どこかで見た記憶があるんだけど」

アリーフは死体の顔にハンカチを被せ、両手を乳房の上で組ませて未開封の煙草をお供えした。
ジェスタフはまたビールを啜り、少女の身体を叩いて彼女を所持品を精査をしながら質問に答えた。

「この国、クーロン東帝国の末席だが御三家の1つの名門貴族で、主人は国内全ての学校の教育方針を一任されてる教育大臣も務めている、ラスカロフ家は知ってるだろ?」

ジェスタフはポケットから、10センチほどの折りたたみ式小型ナイフを取り出して刃を起動させると、何の躊躇も無く少女の手の甲を突き刺した。

「グギッ......ギィィィィィィィィッ!?」

無理矢理起こされた少女は想像を絶する苦悩の激痛に、少女とは思えぬ野太い悲鳴を上げて唾を撒き散らした。

「そこの長女、ラスカロフ・シェリーがコイツさ。まぁ仮に捕まったら、どんなに運が良くても仮釈無し、控訴無し、外出許可無しの終身刑間違い無いだろうな」

「マジで......?」

アリーフは後頭部を殴られたみたいに目の前が真っ暗になって、頭は真っ白になった。
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