第1章 いずれ呑舟之魚となるために

東郷春幸

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第20話

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「......」

「なぁアリーフ、あそこの広場の噴水ンところでさっきからソワソワしながら突っ立ってる女がいるだろ?  ほら、あのぽっちゃり目の水色のメガネかけたのだよ」

「......」

「あれさ、援交の待ち合わせしてんだよ。この広場はそういうところの待ち合わせスポットで有名なのさ...ん?  何だ...俺の背中に何当ててングオォッ!」

一向に謝罪をしない兄貴に対して腹に据えかねた僕は、兄貴の背骨にガバメントを擦り付けて兄貴を誅する為に撃った。
ちゃんと直前に兄貴の口元を押さえ、ガバメントには消音器を付けてあるので、騒がしいこの噴水広場では微々な銃声も掻き消され、隅っこにいる僕の行為に気づく人はいなかった。
水面に映る波紋のように、噴水を中心に水色と白い石を丸く並べた噴水広場は、もちろん援交だけではなく、デートの待ち合わせやストリートミュージシャンの方も多かった。
肝心の噴水の方は、開いた魚を逆さにしたみたいなよく分からないアバンギャルドなデザインだった。
兄貴が前に崩れ堕ちようとするのを、首に腕を巻き付けて防ぎ、兄貴の耳元で僕は囁く。
一応言っておくと、兄貴は特注の防弾繊維のダッフルコートの下に小銃にも耐えるレベル3の防弾ベスト、更にカッターシャツも防弾繊維なので、45口径くらいじゃ平気の平左のはずだ。

「何貴様あの時笑ってんだ...あ?  更にごめんの一言も無しとか、いよいよ殺されたいらしいな...あの時輸血されなかったら、今でも気絶してたんだぞ......」

「お、お前...輸血とか可能なのか...」

「ヘフナーさん、何とか助けてやってくれと泣いてたし、先生や看護師は慌てふためいて右往左往するし、ぶっちゃけ病院から逃げる時に罪悪感を感じた」

僕は兄貴を締め上げる腕に力を込める。腕力ではキャリア組の兄貴より、下士官の僕の方が上なのだ。

「ふっ...良かったじゃないか、お前はここら一帯のドンに好印象を与えることができたんだぞブァァァァッ!!」

もう1発撃った。今度は尻の尾骶骨を撃つ。心臓や脳幹に次ぐ人体の中枢である、仙骨に繋がっているここがイカレたら一生車椅子生活になるけど、それ抜きににしても焼け付くような痺れが股関節周りを駆け回る。
兄貴が僕を蹴るが、その力は弱い。

「いいか、次からはテメェが犯した不始末は腹切るなりエンコ詰めるなり、テメェでナシつけろや。次あんなこと要求してきたら、そっ首切り落とすからな...そして、ペロペロするな」

ちっとも反省していないと言う意思表示に僕の掌を舐め回す兄貴を、僕は諦観を持って解放する。この男は緊迫した状況の中でも、スリルと笑いを求めていて、そこから生きる喜びを見出しているのだ。
腕を離した途端に兄貴は四つん這いに倒れて咳き込む。
流石にこれには数人の人がこちらを不思議そうに眺めたので、僕は被っているフードを少しだけ後ろにやって、小さく頭を下げた。
彼らは僕の研ぎ澄まされた美貌に目を丸くすると、そそくさと蜘蛛の子を散らすように退散した。

「全く、二度とこんなことしないからね。 んじゃ僕は与えられた役は演じ切ったんだから帰る。帰ってリウとストクロとお菓子食べる。後は風俗行くなり一杯ひっかけるなりどぞ...ご自由に......」

そう言って、僕は踵を返して箱から煙草を取り出して咥えると、兄貴が僕の肩を掴んだ。

「何?  今度はチーマーにあのセルフケジメをやれとでも?」

僕が不信感を包み隠さず露わにすると、兄貴は違うと言った。兄貴は僕の顎を掴んで無理矢理顔を自分に向けさせると、腰を捻って衝撃で外れた関節を戻す。

「あークソ痛ぇ...まぁ笑いを堪え切れなかった俺への罰として我慢しよう。良いから戻ってあそこのおもちゃ屋を見ろ、ほら、出て来たぞ、良いから見ろ!」

僕は嫌な予感を感じたが、にべもなくあしらわれるのは僕がされて嫌なことなので、兄貴だし、仕方無く振り返ってその噴水の後ろにある、老舗の雰囲気漂う赤煉瓦のおもちゃ屋に目をやった。
結構繁盛しているようで、ガラスの扉の向こう側では家族を連れた子供達が笑顔を振りまいている。

「ほら、店員全員が卒業生の門出送りみてーに左右一例に並んで見送られてる小娘がいるだろ、お前の発言を予想して先に答えるが、俺はロリコンじゃない、断じてな」

「ほーそれはまた。んで、横には2人護衛を付けてるね、背広のボタンを外してる辺り、チャカ...いや、民間だからナイフか警棒を脇に携えてる」

「流石は団長の懐刀、だが最近流行りのスタンガンの可能性もあるぞ。そして本題だ、あの小娘は今、お忍びであそこに買い物に来た帰りで、これから家に帰るところだ。あの娘はあのおもちゃ屋が相当気に入ってるらしく、毎月第2の土曜日にやって来ては何かを買っている。言わずもがな、名前を言うのも憚られる名家だ」

容貌は高学年の小学生くらいで、ふわふわした柔らかそうなセーブルのコートを身に付けている。栗色の瞳とウェーブヘアが可愛らしいが、同時に金持ち喧嘩せずという言葉を背中に彫っているような、幼いながらも自分の地位の高さを知っている、威張り腐った態度を感じた。
毛皮の中でも最も高いセーブルのコートを着ている辺り、かなりの上流階級だな。苗字を言われたら分かるかもしれない。

「アリーフ、お前今からあの女をなるべく上手く誘拐しろ。護衛の生殺与奪は委ねる。拉致は得意だろ?」

「え?  はぁ...まぁ、良いけど...何、今日僕を誘ったのは身代金誘拐?  何だか軍人以前に教養のある人がすることとは思えぬチンピラ臭い犯罪だなぁ...」

僕はちょこちょこ歩く女の子を見ながら兄貴に呆れる。これも何度目か分からない。

「何言ってる。捕虜の交換取引と同じようなもんだ。違うのは大陸軍事協定に則っているかいないかというところだけさね、ほら、追跡しろ、捕まえたら俺に連絡な」

そう言って兄貴はどこかへ走り去っていった。断っておくが、僕はこの唐突に兄貴から切り出された誘拐には結構意欲的だ。
お金がたくさん手に入るというのもあるし、何より下々の人間の気持ちも知らない富裕層に対し、一生残る恐怖心と屈辱を植え付けることは楽しい。
僕にとってこういうシチュエーションは、学校帰りにいきなり遊園地に連れていかれたようなもので、突如面白そうなイベントがやって来て鳥肌が立って身震いがするほどだった。
悲しいかな。しかし、実際にはそんな経験は一度も無かった。だって僕の両親は僕を蔑みこそすれ、芥子粒ほども愛してはいなかったからだ。

\\\\\\\\\

噴水広場を離れて住宅街を過ぎ去って行く例のお嬢様を、僕は50メートルくらいの一定の距離を保ってあたかも進路が同じという様子で、そわそわと尾行する。
こういうのは車を使うんじゃないのか?  ガソリン代が惜しいわけでも無いだろうし、健康志向な子だ。僕は思った。
尾行というのはあまりやらないけど、基本は何となく知っている。尾行はペットを懐かせるみたいに、相手に少しも警戒心を与えないことが大切だ。下手に死角とかに逐一隠れるのはアホタレのやることだ。
その点、僕は子犬のように人を盲目的にさせる容姿を持っている。これを利用する為に僕は今、フードを外しいる。まさかこんな可憐な顔のヤツが人攫いとは、夢を食うバクすらも夢にも思わないだろうな。
しかし、このまま尾行を続けて第3の護衛として邸宅まで送り届けてしまっては元も子も無い。かといって、この閑静な住宅街で殺しはすぐに住民に気づかれてしまう。
何も得るものが無いままどんどん少女は歩いて行き、結局のところ彼女はどこの家の少女なのか、そしてどうやって拐えばいいのか、そこに頭を悩ませていると、すぐに僕を急かす事態が訪れた。
僕の後ろを黒塗りの高級車が通り過ぎていったのだ。私的に車が持てるのはほんの一握りの金持ちだけだから、何故今さらなのかは分からないけど、あの女の子を迎えに来たのだろう。

「くそっ、今すぐやらなきゃダメか...」

やはり、車は女の子の横で停車した。気のせいか、女の子の顔が強張っているように感じるが、僕には関係ない。目下の目標は早く少女を攫うこと。
僕は煙草を空き地の草むらに放り捨てると、すぐさま走って行動に出た。距離は50メートル。でも、拳銃では30メートル以上は狙いが逸れやすくなるし、威力も弱まる。ここはまず距離を詰めてからボディーガードを...いや。
まずはタイヤをダメにしなければ。護衛を仕留めて本命に逃げられては元も子も無い。僕は十分近づいたと確認して腰のガバメントを抜くと、まずは二つのタイヤを撃ち抜いた。

「何だ!?」

急に破裂したタイヤに護衛が驚くが、すぐに真正面にいる僕に気付いた。拳銃を持った悪党に。すぐさま護衛の1人が少女を車に乱暴に押し込み、脇から警棒を抜いた。

「来るな!  止まれ!」

「素晴らしいな...」

警棒?  銃持ちに?  僕は可笑しくなって鼻で笑った。山から降りてきたイノシシにフォークで挑むようなものだ。 
僕はその護衛を、レタスをむしるように容易く射殺した。眉間を撃ち抜かれる直前に駆け出す仕草を見せたが、哀れだ。僕は死を悼んだ。そして、もう1人も難無く殺した。
楽だった。オウンゴール決めるみたいに簡単に決まった。せめてトカレフの一丁でも持ってたら良かったのに。
そう言えば、タイヤって安全上パンクしても1キロくらいは走れるとか聞いたことあるけど、それについては問題無い。僕はこう見えて、こういう時に限っては先を見据えられるんだ。
僕は小走りで車に接近すると、車のドアを掴んで開けた。車のドアってまるでカブトムシの羽みたいな開き方をするんだな。全くの余談だけど、僕は男の子だから唯一の例外でカブトムシとクワガタだけは触れる。

「やぁこんにちは、ん?  何持ってんだ」

車の中で身を縮こまらせて僕を睨んでいた女の子の手には、何か灰色の小さな筒のようなものが握られていたので、僕は少女の顔を鷲掴みにして窓に押し付け、さっとそれを掠め取った。
蓋を取ると先端に小さな針が飛び出ていて、反対側には息を吹き込む穴があった。

「携帯吹き矢か、子どもが物騒なモン持ってるねぇ」

僕は顔を押さえながら針を少女の眼球に向けた。近くで見るとリウには遠く及ばないが、まぁまぁ美形だな。そのいじらしい顔が恐怖で歪んで汗ばむ様を見て、僕は至高の如き歓喜を感じた。

「まぁいいや、さてと」

「ぎゃぁああ!!  熱い熱い!!」

僕は吹き矢を助手席に投げ捨てると、ガバメントをスカートを履く少女の内ももに擦り付けた。4発撃ったばかりの銃はバラ肉を焼けるくらい熱い。

「熱いでしょ、これが君のボディガードを殺した証拠だよ?  分かるでしょ、これは本物だ。もし君が叫んで助けを呼びたいならやれば?  命と引き換えになるからオススメするよ」

僕は呟く。

「今から僕の指示通りに前を歩いてね。ちょっとでも怪しいことしたら、殺さないけど怖い目にあってもらうよ、分かったら頷いて............頷けっつってんだ!!」

やたら反抗的だったので、ドアを閉じて僕は一喝した。大人に怒鳴られるのは怖かろう。僕は自分がやられて嫌なことはしない主義だが、僕の場合、主義や主張は紙コップみたいに簡単に捨てられてしまうのだ。
少女が涙目で頷く。この子の名前も家もよく知らないが、何にせよ何でも揃ってる上流階級を苦悩に叩き込むのは楽しいことだ。
僕は少女の口に手を入れて彼女の歯並びをなぞると、その指をしゃぶった。甘い。少女がえづきながらドアから出る。

「ほら、さっさと歩け。また怒鳴るよ」

僕はほくそ笑む。その時、革靴を這い上がって蔓が僕の体内に戻ってきた。
レ・ミゼラブル。回復の他に、肉という肉に差別無く食らいつく能力がある。
運転席には、腹を裂かれて臓物を喰らい尽くされた運転手の死体があったが、僕も悪魔じゃない。その死体を彼女が見ないように、死体の前に立ち塞がってあげた。
僕が振り返って死体を見ると、それは茹でたエビみたいな色をしていたので、僕は肩をすくめた。
僕の人生、結構窮地に立たされることはあっても、結局最後は上手くいくように出来てるんだ。この調子でいずれは店員ちゃんを我が物にするぞ。

「どうしたの?  随分と足取りが重いね」
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