第1章 いずれ呑舟之魚となるために

東郷春幸

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第19話

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「オーケー血肉を分けた我が弟よ、まずは俺の話を聞いてくれ」

「自己弁護...に訂正するなら」

僕は背中を丸めて膝で頬杖を付きながら、もう片方の右手はジャケットの内側の方へと回す。
兄貴は兄貴でひょうきんな態度を取りながらも、両手はちゃっかりダッフルコートの左右のポケットに深く突っ込んでいる。
もちろん僕も兄貴も厳寒に耐えかねて、子犬のように震えているわけじゃない。

「まぁ俺が言わずとも、連中が大袈裟に誇大化して説明してくださるだろうが、事実を正しくお前に伝えておきたい」

「うん」

僕はガバメントをパドルホルスターから浮かせておく。

「まず、一昨日俺はお前に違法スレスレのソープの情報誌を見せて、あの褐色肌の嬢と一発やってくるってお前に宣言したよな」

「うんうん」

「それで俺は宣言通り、そこに行ってきました。そして抱きました。別に偽札で代金ごまかしたとか、難癖つけたわけじゃない。至って俺はそこでは善良な客だったと自負しているよ」

「問題はここからだ」

「そう、俺はその子をてっきりお前より少し下の18か19くらいの歳だと踏んでいた。お前は今、ああ、25歳とかだったんだなと思ってるだろう?」

「じゃあ30とか?」

僕は20メートルくらいの距離を保って、目玉を飛び出さんばかりに物凄い形相でこちらを睨みつけている連中に、目を細めつつ、兄貴の受け答えに応じる。
兄貴が一度唾を飲み込む。さしもの兄貴でも少しやましいことらしく、言うことに一抹の躊躇いが感じられた。兄貴はまるでガラス細工のフクロウのような顔をしている。

「それで...実際はその子、その...13歳だったんだ。おまけにしかもそのソープの元締めのカルテルのボスの一人娘で、理由はどうでもいいが、家出して名前偽って年ごまかして、そこで働いてたんですって。そりゃまぁマフィアってのは、上のヤツほど公の場には出てこないが、その娘なんざ知ってる方がむしろおかしいだろう」

13歳か......。やっぱりあの時兄貴と一緒に行くべきだった。女の色気が出始めて間も無く、まだあどけない一番良い頃合いじゃないか。僕は三段のアイスを、食べられるコーンで買って落としてしまった時のように後悔した。
いや、しかしこの僕が娼婦なんかで初めてを経験することは無い...13歳か......。

「んで、何で兄貴はこうしてリンチされる直前まで来たの......いや、ごめん。兄貴がどうやって女の子を愛してやるのか思い出した」

兄貴は欠伸する。連中は何もしてこない。いつ鉛玉が飛んでくるか分からないというのに、僕は不死身だから特にこれといって恐怖は身に覚えなかった。
......13歳か......。

「そう、何か服着終わって店から出て、真っ正面の食堂でビーフシチュー食べてたらいきなりぞろぞろ男共が怒鳴りながら、店に入っていったと思ったら、肩からコートを羽織らされたその子が、何か叫びながらしょっ引かれてきて、車に乗せられていったんだよ。
俺が気になって客引きに万札渡して聞いてみると、実はここのボスの娘だと分かり、ちょっと調べてみたら地元の中学生だって分かったのさ。そして俺は今、連中に報復される一歩手前にいます、感激だな」

「うん、素晴らしいね」

僕は呆れて足元を這う蟻を踏み潰した。兄貴は中々にひねくれた性嗜好の持ち主だから、内外問わず汚された娘に怒った父親が構成員をけしかけたんだろう。
しかし、やっぱりああいうところって、背後には暴力団がいるんだな。そういうのに一度弱みを握られたら、骨の髄までしゃぶられると相場が決まっている。
兄貴も今回はヘタを掴んだな。

「最後の会話は終わったようだな」

低い声が公園に響く。
すると今までは整列せず、ただ野次馬のようにぐちゃぐちゃに固まっているだけのヤクザ達だったが、突然言われたわけでもなく横に退いて道を作るという、規律ある行動を取った。
男はスーツベストまで着用したかなり上等な濃紺のスーツと黒いスラックスを纏っており、脇には帯銃しているらしき独特の膨らみが見て取れた。
走ることはできそうなそこそこの肥満体型だが、顔付きはいかにも裏社会の人間という感じで、野犬に似た粗野な凶暴さと、指示を出すことに慣れた人間の鋭い目つきをしていた。団長の下位互換の下位互換という感じだ。
兄貴が耳打ちする。

「ヘフナー・リッケンバッカー、ここの市街地一帯を仕切るカルテル・ヘフナーの組長さ。表は不動産屋と飯屋と風俗、裏は闇金融、賭場、地下ファイト、密造銃、八百長で幅広く荒稼ぎしてる偉い人だ。二回捕まってるが、陪審員と証人を脅迫と賄賂で黙らせて不起訴にさせてる」

「この前兄貴、僕といつかはヤクザ屋やりたいって言ってたじゃん、その世界の玄人なんだし行って勉強してきたら?」

「馬鹿言うな、俺は今から縫針を足の指から徐々に突き刺されるっつー内容のスナッフフィルムに収められるんだよ、まぁ...お前がいなかったらの話だがな」

刹那、僕と兄貴の話を割愛するかのように、痺れを切らして歯軋りするヘフナーさんが、曇り空に向かってリボルバーを発砲した。何だか心地いい耳鳴りもしない、頼りなくて儚い切れかけの電球のような銃声だな。と僕は思った。
ああ、なるほど22口径。「素敵な土曜の夜」仕様の銃か。粗悪な密造銃。狙って急所に当たることはまず無く、足や肩に当たってもどちゃくそ痛いだけで失血死することも稀。そして泣き叫びながら病院に運ばれる。
それらが用いられる事件は何故か週末の真夜中に多く、土曜の夜は医者が儲かることから大衆誌が皮肉たっぷりに名付けた、世間一般の密造銃の呼び名だ。

「貴様がこの前私の娘に暴行を振るった男か、この街は私の敷地同然、貴様がここにいることはすぐ分かった。大人しくほとぼりが冷めるまで市外に逃げてればいいものを...」

兄貴が眠そうな顔をする。アルコールが少し回ってきたらしい。危機感など金魚の餌にしてやったぞ。という顔付きだ。
兄貴が口を開く。

「まぁそれなんですがね。そもそもの話、あなた方の店は、未成年を働かせているのと、雑誌に女性のシークレットゾーンを載せている時点で、帝国憲法の風俗営業法に違反している」

「あ?」

「もっと言うと承知の通り、風俗店は青少年育成に悪影響を与えない為、早朝と昼間の営業を禁止しています。僕があの店に入ったのは14時くらいだったかな。ま、あなた方が自己保身に走るべきなら、僕らの顧客名簿は抹消するのが得策かと。
しかし、本来ならクローズ中の時間帯に営業してるなんて、市井の誹りは免れませぬなぁ...ハ、ハ、ハ」

兄貴は乾いた作り笑いと笑い声に喉を震わせる。それも人を焚き付ける時にしか使わない左目を半分閉じて右目はパッチリ開けるという、明らかに連中を馬鹿にしている表情を見せた。
そして案の定、手下の方々が挑発に乗り、怒号が兄貴に向けて降り注いだ。僕はフードをぐっと深く被った。罵倒というのはするのも苦手だけど、されるのはもっと嫌いだ。悪口というのは、風に乗せるようにもっと静かに言いふらすのが定石なのに。
僕がヘフナーさんにチラリと一瞥をくれると、彼は元々茶色い褐色顔を爛れた火傷跡のように赤黒く染め、唇を結んで拳を握りしめていた。
自分まで怒り狂ってしまっては、いよいよ手下を抑えつけることが出来ないので、必死で昂ぶる感情も抑えつけてるということが見て取れた。
その様子に、僕は今にも殺し合いが始まるのでは無いかと肝を冷やして焦っているのだけれど、兄貴は寒いけど涼しい顔で鳥肌一つ立てずに、両手を天秤のようにして「やれやれ」のポーズと共に芝居掛かったため息を吐いた。表情は前述の通り。

「まぁまぁそう熱くならないでください。僕はこういう相手の意見を多勢で封殺する、個人対集団特有のディベートのやり方は昔から好きません」

僕はこの場から逃げたい気持ちでいっぱいだった。兄貴は人を挑発して怒らせることに生きる実感を見出してしまった悪党なのだ。そうか、兄貴はただ挑発したいが為にわざとヘタを掴んで連中をおびき寄せたのか。
一人の手下が足元の拳大の石を掴んで兄貴に向かって投げたが、それは僕と兄貴の頭の間を通り抜けて後ろの植え込みに入った。

「まぁアンタらは今少し頭に血が昇ってるから、一旦出直してきなよ、自分らの店なら安く済むだろ?  13歳はいないけどな」

それまで無言を貫いていたヘフナーさんだけど、ついに...いや当然だけど堪忍袋の緒が切れたようで、固く結んでいた唇から血の混じった唾を撒き散らしたと同時に、兄貴を慟哭を伴い銃撃した。
でも、さっき言った通りそれは劣悪な密造銃。弾は誰にも分からない場所に飛んでいき、何としても兄貴に当てたいヘフナーさんは残る3発全て撃ったが、一番惜しくてベンチの足だった。噂以上に駄目な銃だな、と僕は呆れて顎が外れそうだった。
兄貴は余裕綽々と自分に向けられた銃声を聞きながら、煙草を箱の尻を弾いて口に咥えて火を点けた。

「まぁそもそもだな、俺がアンタさんの娘にどうこうした以前に、娘に家出されるならまだ分かるが、風俗に走らせるという考えに至らせるなんて父親としての薫陶が足りなかったんじゃないかと愚考しますね。俺は」

さっきまで一応、一人称が僕で敬語だったのに途中から普段通りの口調に戻すところに、兄貴のいやらしさを感じる。
手下達は、兄貴が強がりで虚勢を張っているわけでは無く、本気で自分らを見下して嘲っていることに気付いたらしく、もはや逆にそちらがうすら怖くなっているようだった。
僕は地獄の釜の蓋が飛び出す時に備えて身構える。序列3位の兄貴を僕は守る義務があるからだ。

「娘は鼓膜が破裂したんだぞ......」

「あ?  知らん。それとしかもねぇ、あの子の部屋、ビニール袋とシンナーの瓶があったよ。アンタら麻薬は終身刑もあり得るから忌避感あるのかは知らんし、どうでもいいけど流してないんでしょ? まぁシンナーは普通に購入できるけど、薬物には変わりない。娘に風俗だけでなく、ヤクにまで手を出すほど追い込ませるなんて流石はヤーさん......脱帽ですわ」

手下達がどよめく。事実らしい。
娘が薬物に手を出していたことは組長と、そして父親としての沽券に関わるからか、自分の胸だけにしまっておきたかったのに、それを引き連れてきた手下の前で兄貴に暴露されたことで、はち切れんばかりの怒りに更に羞恥が加わり、ヘフナーさんは気絶しそうなほど激昂した。
もはや顔色も青白く唇は紫色になり、目だけが異様に赤く血走っていて、まるで化粧途中のピエロみたいだった。空の銃が手から滑り落ちて小さな音を立てた。
僕も、ここまでプライドを傷つけられた人はほとんど見たことが無い。怒りもとっくに臨界点を超えている。僕はここまでされてなお、発狂せずに人の心を保っているヘフナーさんに、少なからず感銘を受けた。
彼の心中は察するに余りある。きっと老朽化した溶鉱炉のようにいつ爆発するかわからない状態なのだろう。
ヘフナーさんは鼻の穴を膨らませて、何とか卒倒してはならぬと頭に酸素を入れていたけど、しばらくして少しは落ち着いたのか、玉のような汗を噴き出す代わりに顔色が多少良くなった。

「もういい...」

ヘフナーさんは小さく呻いた。兄貴の度を超えた鬼畜さに、もはや関わりあいになりたくないと判断したのかな。と僕は思った。
すると、ヘフナーさんは真横に真っ直ぐ手を伸ばし、横の部下が背中から取り出す大きな銃を掴み取り、安全装置を慎重に解除した。
それを見た兄貴は、背もたれに身体をずり落として首を伸ばしながら、顎を突き出し、うんざりとした顔で舌打ちする。

「ヤティマティック短機関銃...そんなもん持ってんのか...しまった、少し図に乗りすぎたな」

ヤティマティック短機関銃とは、銃口が上向きについたユニークな形のサブマシンガンだ。安くて堅牢なので、ヤクザがたまに兵士を抱き込んで使ってるとか聞いたことあるけど、本当なんだな。少なくともあの素敵なリボルバーとは雲泥の差の性能を持っている。

「ふぉ...お前は屋敷に連れて...ていって半殺しにするだけで済まし、し、してやるつもりだったし、あ、謝るなら、許してやってもよ、良か、良かった...しかし、こ、この恥辱は...お前の死体を見ないことには収まらん...おい、横のガキ、邪魔だ退け!  おい、銃も持ってるヤヤツはあああの外道を撃て!!  当たららななくても、かまっ構わん!」

舌が回らない哀れなヘフナーさんの命令を受けた、銃を持っている手下達が、背広のポケットから例のリボルバーを取り出した。何人かは同じ22口径の拳銃を持っていた。あんなの使うくらいなら、僕はボウガンを使うのだが。
そういえば、僕はさっきからあの黒い背広姿のどこらへんが喪服と違うのか、ずっと違和感の正体を贋作を見破る鑑定士のように探していたが、今分かった。ワイシャツがクリーム色なのと、ネクタイが微妙に藍がかっているのだ。

「んじゃ、後始末よろしく」

兄貴が僕の肩を叩く。散々相手を挑発しておきながら、厄介な尻拭いの役は僕に任せるという兄貴の図々しさ。

「見返りは?」

「何言ってんだ、ビール奢ってやったろうが、それにお前がガキの頃に俺が何回お前を助けてやったか忘れたのか?」

兄貴が足元の空き缶を蹴る。それが余計に彼らを刺激する。

「兄貴の短所は、性に奔放で厚顔無恥で慇懃無礼、後は人に対して挑発的で侮蔑的なところにあると思うんだ」

「うるさい、お前があの妙技で俺を助けてくれないと、俺はズタボロの蜂の巣になるんだ。最愛の兄に先立たれたいのか?」

僕は諦めた。この状況でうだうだと、この卓越した才能を神経の逆撫でにしか使わず、おまけに滅多に自分の非を認めない兄貴と口論しても僕が負けるだけだ。
それにいつ鉛玉が飛んでくるか分からないのだ。

「最愛はリウだよ...全く......分かりましたよ分かりましたよ、やりますよ、兄貴の為なら何でもするよ」

「はっはっは、この万能の神の世界で、ってか?  さぁ行け、あの技の前に平静を保てるヤツはいない」

僕はガバメントをホルスターに戻すと、革手袋を外して僕が座っていたベンチの温い場所に放り投げ、フードも取って立ち上がると、両手を挙げてヘフナーさんの元へ早歩きで接近した。
ヘフナーさんは兄貴しか視界に入っていなかったが、やがて手下達のどよめきで無意識の内にその中に僕を入れて、目を丸くした。

「少年、君はあの男の弟だな」

初見で僕を男子と見破れるとは、相当色んな女を見ているらしい。もしかしたら店が拝金主義に目を曇らせ、娘が中学生というのが分からなかったことに、彼が一番責任を感じているのかもしれない。
まぁどうでもいいか。さてと、まずは一度謝ろう。

「はい、此度のことは僕の愚兄が御宅の御息女に辱めるようなことをしたのにも関わらず、ああして反省の色を見せぬ振る舞いをしていること、弟して深くお詫びします」

僕は深々と頭を下げる。この場合土下座した方が相手の態度も柔らかくなるかもしれないけど、僕は土下座は基本しない。母さんが、土下座は自分が本当に心から猛省している時以外、決してやるなと僕に言ったからだ。そしてそれを正しいと思っているからだ。

「今後、このようなことを兄がしでかさないよう、また今生二度とこの街には近づかせませんから、どうかお慈悲をお願いします、今回は本当に申し訳ありませんでした!」

自分に落ち度が全く無い時の謝罪の弁明が、こんなにも結露が窓枠に滴り落ちるようにスラスラ言えることに我ながら驚いた。
まぁこんな他人の謝罪で侮辱に侮辱を重ねられたヘフナーさんが許すはずも無く。

「君の兄を思う気持ちは痛み入る。しかし、これはもはや組の金看板の問題では無いのだよ。ここで君の兄を殺さなくては、私は組長以前に男として恥なのだ」

悲しいかな。このヘフナーさんというヤクザは、明らかに背後の外道より出来た人間だ。こういう人を侠客って言うのだろう。
だが、こちらとしてもいくら人の道を踏み外しかけてるとはいえ、肉親を見捨てることは出来ない。

「では...兄の代わりに僕がケジメつけます...」

僕は祈りを捧げるように閉じた両手を合わせると、親指以外の指8本を口の中に無理矢理押し込むと、歯を突き立てて一思いに噛み千切った。

「ぐぅぅぅぅぅおぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉ!!!」

「な、何を...」

いつやっても死ぬほど痛い...。指先には喪失感が確かにあるのに、それと平行して焼印を押されているかのような激痛が指から上半身に広がり、やがてそれらは痺れに置き換わり、全身の血が暴れ出すような感覚になる。
僕はまるで身動き取れないまま路上に放置された透明人間で、絶えず車や自転車に轢かれて雑踏の足蹴にされているようだ。
すぐに大脳は痛覚にジャックされ、それ以外の感覚は隅に追いやられた。頬に火照るような熱さが現れ、すぐに軽い吐き気も出てきた。
これほどの苦しみに上半身と頭部は苛まれているというのに、何故か下半身には確かな悪寒が存在することが不気味でならない。
この僕、アリーフには秘策がある。それは何か不始末をした場合に (今のところ兄貴の為以外に使用したこと無し) その被害者の前で指を食い千切るという派手なエンコ詰めである。
知っての通り、無限再生の力を持つ僕に物理的な攻撃は通用しない。それを逆手に取り、こうしてこれ以上無いくらい誠意ある謝罪に利用する。
僕の身体は植物だから結構常人より脆いので、骨の硬さも生の人参くらいしか無い。だから、噛み切ることは勇気さえあれば誰でも出来る。
更にいつぞや草むらに身体を偽装させたように、僕は再生能力をあえて使わずに傷を放置することも可能だ。
こうして僕の能力を知らない人からは、兄の為に自己犠牲で指を詰めた献身的な弟に罪悪感を覚えるのみならず、突然の僕の奇行に寒気を覚え、その場からそそくさ立ち去るようになるのだ。
彼らも、僕をここまで追い込んでしまったという罪悪感でさっさと帰ってくれるに違いない。そしたら指を戻して終わりだ。

「ふーっふーっふーっふーっふーっふーっ」

僕はポケットからハンカチを引きずり出すと、口に溜め込んだ指をぼとぼと産卵するみたいに吐き出し、ハンカチを苦労して丸めると、明らかにドン引きしているヘフナーさんに渡した。

「お金が無いので、どうか...こ、これで兄を許してあげてくだ...さい...」

「あ...ああ、お前ら銃を下ろせ...下ろすんだ」

舌が痺れて上手く喋れない。ヘフナーさんは指を包んだハンカチを怖々掴んで、内ポケットに押し込む。

「うーん...」

まずい。僕は青ざめる。だんだん下半身に力が入らなくなってきた。それだけじゃなく、だんだん痛みと痺れが恍惚感に変わってきた。
ああ駄目だ。出血多量だ。僕の身体を動かす琥珀色の血が流れすぎた。レ・ミゼラブルが早く回復しろと警告している。
しかし、今ここでやるわけには...。僕は陸に上がってしまった鯉のように意識が朦朧として、そのまま為すすべ無く、仰向けに倒れた。

「少年、大丈夫か!?  貴様...弟をここまで追い込むとは人として恥を知れ!  大丈夫か!  しっかりしろ!  すぐに病院で縫合させてやるからな!!」

どうしよう、この人とんでもない善人なんだけど。この場合容赦無く見捨ててくれた方が助かるのに。普通、ヤクザって親指がまだあるじゃねぇかとか言うもんだとばかり。
うーん、しかし中々走馬灯は見えない。

「おい、しっかりしろ!  何か楽しいことを考えろ!!」

ヘフナーさんが僕の肩を揺り動かすと、急に手下の一人が僕の脇に手を入れて、もう一人が僕の両膝を小脇に抱えて持ち上げた。
やばい、今生でもう二度と搬送されないと思っていたのにまさか。僕の身体、生命の神秘の宝庫だから絶対すぐには帰してくれない。下手したら偉い学者とかが飛んでくる案件だ。
しかしもう身体が指一つ動かせないし、頭も働かない。まるで半裸で凍土にいるような実感が湧いてきた。

「あ...た....助けて...」

僕は最後の力を振り絞って兄貴に助けを求めた。

「ああ、心配するな!」

それを自分に対しての言葉だと受け取ったヘフナーさんが僕を励ます。
消え行く意識の中、最後に僕が見たのは、うつむきながら口許を手で押さえ、必死で笑みを飲み込む兄貴の姿だった。
後で死ぬと思え。
さっき兄貴のことを知れるのは何たらとか言ったかも知れないけど、訂正することにした。
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