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1.春を司る稀人と、冬の王家
時間だよ、お姫様
セドリック様には、深い裏切りを受けた。
家族は、私の理解者ではなかった。
誰からの理解も得られず、アマレッタとしての個を殺されるなら──いっそ、この国を、出たい。そう思った。
「……私、国を出るわ。この国を。生まれ育ったこの国を捨て、私は私として。私のために生きる未来を選びたい。……サイモン様、あなたたち」
私は、サイモン様と、背後に立つ私兵の彼らを見た。
ここで私が亡命する、ということは彼に迷惑をかけることになる。これが知れたら、私兵の彼らはもちろん、サイモン様だって命が危うい。
稀人は、セミュエル存亡のために必要な存在だが、決してその【個人】でなくても構わないのだ。
稀人が死ねば、その能力は三大公爵家の血縁者に引き継がれる。
そして、そのひとが次代の稀人となるのだ。
サイモン様の前の稀人は、彼の兄だった。
稀人自体は国に必要で、なくてはならない存在。
だけど、稀人の神秘を宿す人間はいくらでも替えがきくのだ。
だからこそ、みな、稀人の内面など気にも留めないのだ。
稀人にとって、個など、あってないようなもの。
稀人になった瞬間、それがラベリングされるだけ。
「あなたたちに、迷惑をかけてしまうこと、申し訳なく思います。私は、私のためにこの国を出たい。稀人としての責務も、公爵令嬢としての義務も、全て、すべて、放棄して」
「アマレッタ様……」
「どうか、私を許さないで。私が、利己的な理由で国を離れることを、覚えていて。……今まで、ありがとう。感謝します」
深く、頭を下げる。
彼らは、物心がついた時から公爵家に仕えていた。関係は希薄で、まともに言葉を交わしたのはこれが初めてだったけど。
彼らの思いを、気持ちを、知ったから。
髪を切ったことで、首の裏が涼しい。
スースーとして、寒いくらいだった。
顔を上げると、彼らの顔が良く見えた。
夕暮れ時は、相手の顔が見えにくいから『誰そ彼』──黄昏時と呼ばれるようになった、と前の世で聞いたことがあるけれど。
それでもはっきりと見えた。
私兵の彼らは、涙ぐんでいた。
サイモン様は、ただひとり、私の言葉を静かに聞き、ひとつ、頷いた。
「よし!」
場の雰囲気を変えるように、パン、と彼が手を叩く。
彼は、とっくに覚悟を決めていたのだろう。
真っ直ぐに、力強い瞳を私に向けていた。
「ここからは僕は一緒に行けない。アマレッタは、彼と一緒に行動して」
サイモン様の視線を追うと、それまで沈黙を保っていた男性がいた。黒のローブを羽織った男性だ。明るい、金の髪だけがフードからこぼれている。
「そういえば、このひとは一体……」
「彼は、この国の人間ではない。すまない、時間が無いんだ。自己紹介とかは、後でふたりで」
サイモン様は、黒のローブに身を包んだ男性の紹介をそれで終えた。
「……静かになった。おそらく、襲撃者ももう撤退したんだろう。アマレッタ、向こうに馬を用意してある。ここから西の船着場に、ディルッチ公爵家の人間を手配しておいた。そこで、きみは彼と船に乗って」
「……分かった」
サイモン様は、ここに残るのだろう。この国に。
まつ毛を伏せると、彼は私の意を汲んだようで、軽く笑ってみせる。
「心配はいらない。ひとまず、落ち着ける場所に着いたら、報せてくれ。もちろん、偽名でね」
その言い方が慣れたものだったので、思わずは吹き出してしまった。
サイモン様は、その容姿の通り女性関係が華やかだ。女性を口説く時もこうして、偽名を使うように指示しているのだろう、と容易に想像できた。
きっと彼は、私の気を軽くするために、あえてこう言ってくれているのだろう。彼の気遣いが、胸をあたたかくした。
「……ありがとう、サイモン様。お元気で」
「うん。……アマレッタ」
不意に彼が私の名を呼ぶ。
サイモン様はポケットを探ると、ハンカチを取りだした。白のハンカチだ。
彼は、ハンカチを私の頬にそっと押し当てる。
瞬間、ピリッとした痛みが走る。
さっき、窓ガラスの破片で頬を切ってしまったのだ。
サイモン様は、頬の血をハンカチで拭ってくれているのだろう。
「……僕にできるのは、これくらいしかないけど」
「サイモン様……ありがとうございます」
「元気でね、アマレッタ。これは、きみにあげる」
彼は、私の手を取ってハンカチを押さえさせた。
「……落ち着いたら、会いに来ます」
「戻ってくるの?セミュエルに?いいよ。僕が会いに行く」
「それまで、生きていてくださいね」
彼はさっき、これが公になったら処刑される可能性もある、と口にした。私が言えば、彼はにこりと微笑んだ。
「さて、時間だよ、お姫様。僕は、人目につかないようにディルッチの家に戻らなければならない。きみたちは、アマレッタが行方不明になったことを報告に行くんだ、いいね?」
「はっ、仰せの通りに」
私兵の皆は頷いて、その場で私たちは別れた。
☆
「アマレッタ、こっちだ」
彼──サイモン様が連れてきた男性が、私の手を引いた。
男性と手を繋ぐのは、セドリック様以来だ。
慣れないことに少し、緊張する。
さり気なく、私は彼を見上げた。
身長は……目測で、百八十センチ前後だろうか。
フードを深く被っているので、顔はよく見えない。
(ほんとうに、彼は一体誰?)
物語には、そもそも国外のキャラクターはいなかった。既に、【物語】の内容からは逸脱している、と見ていいだろう。
ちらちら見ていると、彼が、私を見て安心させようとしているのか、薄く微笑んだ。
口元が、弧を描く。
「俺は、サミュエル。サミュエル・クリム・クライム。名乗るのが、遅くなってしまってすまない」
「サミュエル……?」
私は、彼の名前を繰り返した。
セミュエル国と、ずいぶん似ている。
だけど、セミュエルという名前はそんなに珍しいものでもない。
それよりも、気になったのが──。
家族は、私の理解者ではなかった。
誰からの理解も得られず、アマレッタとしての個を殺されるなら──いっそ、この国を、出たい。そう思った。
「……私、国を出るわ。この国を。生まれ育ったこの国を捨て、私は私として。私のために生きる未来を選びたい。……サイモン様、あなたたち」
私は、サイモン様と、背後に立つ私兵の彼らを見た。
ここで私が亡命する、ということは彼に迷惑をかけることになる。これが知れたら、私兵の彼らはもちろん、サイモン様だって命が危うい。
稀人は、セミュエル存亡のために必要な存在だが、決してその【個人】でなくても構わないのだ。
稀人が死ねば、その能力は三大公爵家の血縁者に引き継がれる。
そして、そのひとが次代の稀人となるのだ。
サイモン様の前の稀人は、彼の兄だった。
稀人自体は国に必要で、なくてはならない存在。
だけど、稀人の神秘を宿す人間はいくらでも替えがきくのだ。
だからこそ、みな、稀人の内面など気にも留めないのだ。
稀人にとって、個など、あってないようなもの。
稀人になった瞬間、それがラベリングされるだけ。
「あなたたちに、迷惑をかけてしまうこと、申し訳なく思います。私は、私のためにこの国を出たい。稀人としての責務も、公爵令嬢としての義務も、全て、すべて、放棄して」
「アマレッタ様……」
「どうか、私を許さないで。私が、利己的な理由で国を離れることを、覚えていて。……今まで、ありがとう。感謝します」
深く、頭を下げる。
彼らは、物心がついた時から公爵家に仕えていた。関係は希薄で、まともに言葉を交わしたのはこれが初めてだったけど。
彼らの思いを、気持ちを、知ったから。
髪を切ったことで、首の裏が涼しい。
スースーとして、寒いくらいだった。
顔を上げると、彼らの顔が良く見えた。
夕暮れ時は、相手の顔が見えにくいから『誰そ彼』──黄昏時と呼ばれるようになった、と前の世で聞いたことがあるけれど。
それでもはっきりと見えた。
私兵の彼らは、涙ぐんでいた。
サイモン様は、ただひとり、私の言葉を静かに聞き、ひとつ、頷いた。
「よし!」
場の雰囲気を変えるように、パン、と彼が手を叩く。
彼は、とっくに覚悟を決めていたのだろう。
真っ直ぐに、力強い瞳を私に向けていた。
「ここからは僕は一緒に行けない。アマレッタは、彼と一緒に行動して」
サイモン様の視線を追うと、それまで沈黙を保っていた男性がいた。黒のローブを羽織った男性だ。明るい、金の髪だけがフードからこぼれている。
「そういえば、このひとは一体……」
「彼は、この国の人間ではない。すまない、時間が無いんだ。自己紹介とかは、後でふたりで」
サイモン様は、黒のローブに身を包んだ男性の紹介をそれで終えた。
「……静かになった。おそらく、襲撃者ももう撤退したんだろう。アマレッタ、向こうに馬を用意してある。ここから西の船着場に、ディルッチ公爵家の人間を手配しておいた。そこで、きみは彼と船に乗って」
「……分かった」
サイモン様は、ここに残るのだろう。この国に。
まつ毛を伏せると、彼は私の意を汲んだようで、軽く笑ってみせる。
「心配はいらない。ひとまず、落ち着ける場所に着いたら、報せてくれ。もちろん、偽名でね」
その言い方が慣れたものだったので、思わずは吹き出してしまった。
サイモン様は、その容姿の通り女性関係が華やかだ。女性を口説く時もこうして、偽名を使うように指示しているのだろう、と容易に想像できた。
きっと彼は、私の気を軽くするために、あえてこう言ってくれているのだろう。彼の気遣いが、胸をあたたかくした。
「……ありがとう、サイモン様。お元気で」
「うん。……アマレッタ」
不意に彼が私の名を呼ぶ。
サイモン様はポケットを探ると、ハンカチを取りだした。白のハンカチだ。
彼は、ハンカチを私の頬にそっと押し当てる。
瞬間、ピリッとした痛みが走る。
さっき、窓ガラスの破片で頬を切ってしまったのだ。
サイモン様は、頬の血をハンカチで拭ってくれているのだろう。
「……僕にできるのは、これくらいしかないけど」
「サイモン様……ありがとうございます」
「元気でね、アマレッタ。これは、きみにあげる」
彼は、私の手を取ってハンカチを押さえさせた。
「……落ち着いたら、会いに来ます」
「戻ってくるの?セミュエルに?いいよ。僕が会いに行く」
「それまで、生きていてくださいね」
彼はさっき、これが公になったら処刑される可能性もある、と口にした。私が言えば、彼はにこりと微笑んだ。
「さて、時間だよ、お姫様。僕は、人目につかないようにディルッチの家に戻らなければならない。きみたちは、アマレッタが行方不明になったことを報告に行くんだ、いいね?」
「はっ、仰せの通りに」
私兵の皆は頷いて、その場で私たちは別れた。
☆
「アマレッタ、こっちだ」
彼──サイモン様が連れてきた男性が、私の手を引いた。
男性と手を繋ぐのは、セドリック様以来だ。
慣れないことに少し、緊張する。
さり気なく、私は彼を見上げた。
身長は……目測で、百八十センチ前後だろうか。
フードを深く被っているので、顔はよく見えない。
(ほんとうに、彼は一体誰?)
物語には、そもそも国外のキャラクターはいなかった。既に、【物語】の内容からは逸脱している、と見ていいだろう。
ちらちら見ていると、彼が、私を見て安心させようとしているのか、薄く微笑んだ。
口元が、弧を描く。
「俺は、サミュエル。サミュエル・クリム・クライム。名乗るのが、遅くなってしまってすまない」
「サミュエル……?」
私は、彼の名前を繰り返した。
セミュエル国と、ずいぶん似ている。
だけど、セミュエルという名前はそんなに珍しいものでもない。
それよりも、気になったのが──。
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