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4.花畑で約束を
何が正しい
しおりを挟む女性の切実な声がその場に響く。
ほかのひとは、渋い顔をして頷いたり、深く俯いたりしていた。
「……ローレンス殿下」
ちいさく、私は彼の名を呼んだ。
こんなことをしている場合ではない、と、彼に言いたかったのだ。
私が呼ぶと、彼はちらりと私を見た。
そして、目を細め──ため息を吐く。
「俺は、あなたたちが嫌いだ」
ハッキリと、彼は言った。
「だけど」とローレンス殿下は言葉を続ける。
「他でもない彼女が言うから、この場は手を貸してやろう」
彼はそう言うと、空に手をかざし──その瞬間。
ぶわりと、魔素によく似た黒の光が迸った。
天をも包む勢いで、黒煙がその場を覆い尽くした。
「………!」
黒の光は煙のように辺りに充満し──次の瞬間には、それらが消え失せていた。
あっという間のことで、彼らが悲鳴をあげる暇もなかった。
黒煙が消え去ると、私たちはあることに気がついた。
それは。
「魔獣が……いない?」
そう。あれだけいたはずの魔獣が、一匹残らず消えていたのだ。
彼らはそのことに動揺し、何が起こったのかわかっていない。
それは私もそうだった。そうだったのだけど──。
(今の……どこか、で)
どこかで、私はそれを見たことがある。
(でも、どこで……?)
どこで、私は見たのだろう。
この黒煙にも似た、黒の光。
禍々しさや恐ろしさすら感じるほどの圧倒的な暗黒。
その場を支配するような、闇そのものだった。
だけどその時私が感じたのは恐怖ではなく、焦燥感にも似た、懐かしさだった。
しかし、それをどこで見たのかは──思い出せない。
あと少しで、思い出せるような、そんな気がするのに。
私と彼らが、その理由は異なれど呆然としていると、ふと、ローレンス殿下が彼らに言った。
「あなたたちは、憎悪の矛先を探しているんだろう」
ハッとしたように、彼らがローレンス殿下を見る。
そして、彼らは信じられないものを目にしたように、息を呑んだ。
私も、驚きに目を見張る。
ローレンス殿下の瞳は赤く──まるで、魔のもののように赤く染まっていたからだ。
「魔族……」
ぽつり、と誰かが言う。
だけど、ローレンス殿下はそれに構わず彼らに言った。
「怒りの矛先を向ける先を誤るな。無闇に他人を攻撃するのではなく、その相手を見定めるべきだ。今の生活を、人生を変えたいと思うなら、その相手を正しく見定めろ」
ひ、と女性が掠れた悲鳴をあげた。
ローレンス殿下の瞳は夕焼けのような紅から、ゆっくりと色を変えていった。
やがてそれは、いつものような薄青の瞳に戻る。
それは、彼が紛れもなく【人間】ではないことの証だった。
息を呑み、石のように固まる人間を置いて、彼は顔を上げた。
その視線の先には──固くその門を閉ざした王城が。
「今のこの状況を招いたのは誰だ?危機的状況に陥ってなお、国民を助けない王は、何のためにいる?……もう一度聞く。あなたたちが、責めるべき相手は、誰だ」
ローレンス殿下が静かに、淡々と尋ねた。
彼らは、固唾を飲んでローレンス殿下の話を聞いている。
ふと、彼が私の手を取った。
「彼女は過去の亡霊だ。死した相手に期待し、頼るのはやめなさい。自らの手で立ち上がるべきだ。……あなたたちは、ヴィクトワールの民なのだろう?」
「──」
ローレンス殿下がそう言った瞬間、彼らの瞳には静かな闘気が宿った。
ヴィクトワールは、勝利の国である。
魔族からの侵攻を打ち破り、自らの手で自由を得た、強い民なのだ。
ローレンス殿下に言われて、彼らもそれを思い出したのだろう。
本来の、ヴィクトワールの民としての、在り方を。
ローレンス殿下が、私に言った。
「行こう、シャリゼ」
「まっ……待ってください!」
その時、ひとりの女性が悲鳴のような声で私を呼んだ。
子供を三人連れている──私たちを殺すべきだと、声高に言っていた女性だ。
彼女は、一歩踏み出すと、緊張した面持ちで私に言った。
「シャリゼ……様」
「───」
呼びかけられて、私は応えようとして──口を噤んだ。
そして、首を横に振って、答える。
「……私は、シャリゼではありません。王妃シャリゼは、もう死んだのです」
女性は、手を強く握った。
そして、何かを訴えるように強く、私を見つめた。
「……それでも、私にとって、あなたはシャリゼ妃のようでした。あなたは、シャリゼ妃のように凛として、美しく、気高く……。だから……だから、言わせてください」
女性は、深く頭を下げた。
スカートの裾を、強く掴みながら。
「先程は、すみませんでした。そして……助けてくれて、ありがとうございます。……ごめんなさい」
女性の謝罪と感謝に、私は少し驚いた。
驚いて、思わず目を見開く。
彼女の言葉を皮切りに、ほかのひとたちもそれぞれ頭を下げ始めた。
きっと、謝罪したい相手は突然現れた【シャリゼかもしれない私】ではなく、王妃シャリゼそのひとなのだろう、と私は思った。
彼女たちは、今になって自責の念に駆られている。恐らくは、ローレンス殿下の言葉を聞いて、ヴィクトワール民の在り方そのものを、思い出したから。
「───」
その時、私は初めて、自身の犯した間違いに気が付いた。
(私が彼女たちに与えるべきだったものは、【赦し】ではなくて……)
導きが、必要だった。
全てを許す国母としての慈愛ではなく、民を導くに足る、強さが必要だったのだ、と今になって私はそれを知った。
彼女の言葉に、何も言えずにいると、また、ローレンス殿下に名を呼ばれた。
「シャリゼ」
彼がちいさくそう言って──次の瞬間。
強い風が吹いた。
突風のような竜巻に思わず目を閉じて──ふたたび目を開けた時。
既にそこは、城下町ではなかった。
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