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一章
あなたの疵になれたなら
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「可哀想にね、ミュチュスカはお前を愛さない。いや、もしかしたら抱かないかも?なんたってあいつは、お前を嫌って──」
アーベルトの言葉はそこで途切れた。
私が思い切り、手に持った花瓶を頭に振り下ろしたからだ。
「ぐぁっ……!!」
ぐわん、とした強い衝撃が手に走った。
銀製の花瓶はひんやりと冷たく手に馴染む。振り下ろしたために中に入っていた水がこぼれ、アーベルトの髪と顔を濡らした。おまけに花まで落ちてくるものだから滑稽で仕方ない。
私はもう一度花瓶で横っ面を殴りつけて時間を稼ぐと、すぐに部屋の扉に向かった。
「ちっ……クソ!待て!!」
待てと言われて、普通は待たないだろうが私は足を止めた。くるりと振り返ると、いささか強く打ちすぎたのか、アーベルトの額から一筋の血が流れていた。は、ざまぁみろっていうのよ。その血を見て、多少なりともアーベルトに攻撃を加えられたことに愉悦を感じた。
「お前……!公爵家の娘だからって優しくしてりゃあつけ上がりやがって」
頭に怪我を負ったアーベルトは興奮しているようだった。ギラギラとした、獣のような目で私を見すえている。
私はそんな彼を見て笑みを浮かべた。柔らかなものではなく、攻撃的な、他者を小馬鹿にするような笑みだ。
「それ以上私に近づくな」
アーベルトの足取りは止まらない。
だから私は、花瓶をアーベルトに向かってなげつけた。顔に花瓶があたり、ますますアーベルトは怒りのために顔を赤く染めた。
彼が何か言うよりも先に、私は叫んだ。
「お前に抱かれるですって!?冗談じゃない。お前のような下卑た男の手に穢されるくらいなら、私は死を選ぶ!……ああ、ハッタリじゃないわよ?舌くらい噛み切ってみせるわ。私はメンデル公爵家の娘ですもの、自身の矜恃を守るために自死くらい選べるよう、教育されてるのよ!恥を知りなさい、ケダモノが!」
大声で叫ぶと、アーベルトは威圧されたように足を止めた。私は瞬きもせずにアーベルトを見つめた。いや、睨みつけた。
この言葉は決してハッタリなどではない。もしアーベルトが少しでもこちらに向かう素振りを見せたら──ええ、いいじゃない。
栄誉ある死を、私は選びましょう。
私が死んだらミュチュスカは私のことを思い出すかしら?夜会で自死を果たした婚約者のことを。ミュチュスカも聖女も、私という障害が無くなればあっさりと結ばれるのでしょうね。
こんな最期は望んでいなかった。
でも、それでも。
私のこの身体をミュチュスカ以外に穢されるくらいなら、私は死を選ぶ。
ミュチュスカは優しく真面目な人だ。
婚約者が自殺したら、きっとそれは彼の心を巣食う闇になる。死んでもなお、彼の心に残れると言うなら──それもまた、悪くないじゃない?
はあはあと獣のように荒い呼吸を繰り返す。
瞬きをして涙を散らさなければ、次々とこぼれそうになる始末。足はガクガクとして、体は疼いて仕方ない。もう、何でもいい。
何でもいいから、何かで私を貫いて欲しい──。そう思うのに、その思いを私は意志の力だけで組み伏せた。
私に触れるのも、私を貫くのも、ひとりでいい。ひとりだけがいい。
決してこんな、女を食い物にするだけの男になど、渡してやるものか。
あまりにも私の目がギラギラとして、血走っていただろうか。アーベルトは狂女を見る目で私を見ていた。狼狽えが見え隠れしている。まさか私が、こんなに獰猛な性格をしているとは思わかかったのだろう。坊ちゃんらしく頭に花の咲いた彼が面白くなってくる。
どれほど時間が経過したか。
突然背後の扉が勢いよく開かれた。
「……!?」
驚きすぎたあまり、バランスを崩す。
そのままよろけて転びそうになった私を抱えたのは、覚えのある感触の人だった。
慣れ親しんだシトラスの香りがする。ふわりと香るその匂いに、泣きそうなほど目元が熱くなった。思わずみっともなく泣きじゃくりそうになったが、唇を強く噛んで堪えた。こんなところで、無様な真似は見せられない。
私を抱きとめたのは、私に触れているのはミュチュスカだった。
「……ミュチュ、スカ……」
涙混じりの声になってしまった。
なぜ彼がここに?どうして?聖女は?
私がぼんやりと彼を見ると、彼は眉を寄せた。
そして、対面しているアーベルトを見た。
アーベルトは、突然ミュチュスカが現れたことに酷く動揺しているようだった。
「……私の婚約者と、ここで何を」
ミュチュスカが静かに言う。
それは先程まで白熱していたこの部屋には場違いなほど静かに響いた。
狼狽えた様子を見せたアーベルトが、開き直ったように鼻で笑った。
「そこの女に誘われたんだよ。ミュチュスカ、お前が相手してやらないからじゃないか?こうして俺みたいなのも引っ掛けるんだからな」
「な……」
思わずミュチュスカの体を押して、私はアーベルトを見据えた。
私が誘うですって?
有り得ない。侮辱された怒りと名誉を傷つけられた屈辱で目の前が赤く染まる。
「自惚れないで!誰がお前のような……脳と下半身が直結してる男を誘うというの。お前のような男など、私が相手にするはずがないでしょ!せめて性病検査してからそんな言葉は吐くのね!」
「は──」
「言っておくけど、お前の顔は論外よ。私は美しいものが好きなの。顔も大したことないくせに、心まで醜い男が自惚れるなんて、笑わせる!」
アーベルトの言葉はそこで途切れた。
私が思い切り、手に持った花瓶を頭に振り下ろしたからだ。
「ぐぁっ……!!」
ぐわん、とした強い衝撃が手に走った。
銀製の花瓶はひんやりと冷たく手に馴染む。振り下ろしたために中に入っていた水がこぼれ、アーベルトの髪と顔を濡らした。おまけに花まで落ちてくるものだから滑稽で仕方ない。
私はもう一度花瓶で横っ面を殴りつけて時間を稼ぐと、すぐに部屋の扉に向かった。
「ちっ……クソ!待て!!」
待てと言われて、普通は待たないだろうが私は足を止めた。くるりと振り返ると、いささか強く打ちすぎたのか、アーベルトの額から一筋の血が流れていた。は、ざまぁみろっていうのよ。その血を見て、多少なりともアーベルトに攻撃を加えられたことに愉悦を感じた。
「お前……!公爵家の娘だからって優しくしてりゃあつけ上がりやがって」
頭に怪我を負ったアーベルトは興奮しているようだった。ギラギラとした、獣のような目で私を見すえている。
私はそんな彼を見て笑みを浮かべた。柔らかなものではなく、攻撃的な、他者を小馬鹿にするような笑みだ。
「それ以上私に近づくな」
アーベルトの足取りは止まらない。
だから私は、花瓶をアーベルトに向かってなげつけた。顔に花瓶があたり、ますますアーベルトは怒りのために顔を赤く染めた。
彼が何か言うよりも先に、私は叫んだ。
「お前に抱かれるですって!?冗談じゃない。お前のような下卑た男の手に穢されるくらいなら、私は死を選ぶ!……ああ、ハッタリじゃないわよ?舌くらい噛み切ってみせるわ。私はメンデル公爵家の娘ですもの、自身の矜恃を守るために自死くらい選べるよう、教育されてるのよ!恥を知りなさい、ケダモノが!」
大声で叫ぶと、アーベルトは威圧されたように足を止めた。私は瞬きもせずにアーベルトを見つめた。いや、睨みつけた。
この言葉は決してハッタリなどではない。もしアーベルトが少しでもこちらに向かう素振りを見せたら──ええ、いいじゃない。
栄誉ある死を、私は選びましょう。
私が死んだらミュチュスカは私のことを思い出すかしら?夜会で自死を果たした婚約者のことを。ミュチュスカも聖女も、私という障害が無くなればあっさりと結ばれるのでしょうね。
こんな最期は望んでいなかった。
でも、それでも。
私のこの身体をミュチュスカ以外に穢されるくらいなら、私は死を選ぶ。
ミュチュスカは優しく真面目な人だ。
婚約者が自殺したら、きっとそれは彼の心を巣食う闇になる。死んでもなお、彼の心に残れると言うなら──それもまた、悪くないじゃない?
はあはあと獣のように荒い呼吸を繰り返す。
瞬きをして涙を散らさなければ、次々とこぼれそうになる始末。足はガクガクとして、体は疼いて仕方ない。もう、何でもいい。
何でもいいから、何かで私を貫いて欲しい──。そう思うのに、その思いを私は意志の力だけで組み伏せた。
私に触れるのも、私を貫くのも、ひとりでいい。ひとりだけがいい。
決してこんな、女を食い物にするだけの男になど、渡してやるものか。
あまりにも私の目がギラギラとして、血走っていただろうか。アーベルトは狂女を見る目で私を見ていた。狼狽えが見え隠れしている。まさか私が、こんなに獰猛な性格をしているとは思わかかったのだろう。坊ちゃんらしく頭に花の咲いた彼が面白くなってくる。
どれほど時間が経過したか。
突然背後の扉が勢いよく開かれた。
「……!?」
驚きすぎたあまり、バランスを崩す。
そのままよろけて転びそうになった私を抱えたのは、覚えのある感触の人だった。
慣れ親しんだシトラスの香りがする。ふわりと香るその匂いに、泣きそうなほど目元が熱くなった。思わずみっともなく泣きじゃくりそうになったが、唇を強く噛んで堪えた。こんなところで、無様な真似は見せられない。
私を抱きとめたのは、私に触れているのはミュチュスカだった。
「……ミュチュ、スカ……」
涙混じりの声になってしまった。
なぜ彼がここに?どうして?聖女は?
私がぼんやりと彼を見ると、彼は眉を寄せた。
そして、対面しているアーベルトを見た。
アーベルトは、突然ミュチュスカが現れたことに酷く動揺しているようだった。
「……私の婚約者と、ここで何を」
ミュチュスカが静かに言う。
それは先程まで白熱していたこの部屋には場違いなほど静かに響いた。
狼狽えた様子を見せたアーベルトが、開き直ったように鼻で笑った。
「そこの女に誘われたんだよ。ミュチュスカ、お前が相手してやらないからじゃないか?こうして俺みたいなのも引っ掛けるんだからな」
「な……」
思わずミュチュスカの体を押して、私はアーベルトを見据えた。
私が誘うですって?
有り得ない。侮辱された怒りと名誉を傷つけられた屈辱で目の前が赤く染まる。
「自惚れないで!誰がお前のような……脳と下半身が直結してる男を誘うというの。お前のような男など、私が相手にするはずがないでしょ!せめて性病検査してからそんな言葉は吐くのね!」
「は──」
「言っておくけど、お前の顔は論外よ。私は美しいものが好きなの。顔も大したことないくせに、心まで醜い男が自惚れるなんて、笑わせる!」
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