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二章
違和感の正体、嵐の前触れ
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冬解けの儀式が始まって、今日で二週間。
ついに私の死ぬ日がきた。
目覚めの朝は普段と変わらないが、いつもより少しだけ頭がスッキリしていた。朝、目を覚ます、というなんてことのないこともこれで終わりかと思うと感慨深い。感傷めいた思いにふけり、私は朝陽の眩しさに目を細めた。
今日は、儀式はお休みのようだった。
連日儀式に挑んでは聖女の体力が持たないから、という理由らしい。
今日は一日、聖女の安息日となるので、家庭教師役の私とライラもまた一日休みとなる。
いつミュチュスカを呼び出すべきか。
何の名目で呼び出すか。
考えているうちに、昼が過ぎ、陽が傾き始めていた。あまり引き伸ばしても意味は無い。
陽が沈む前に私は行動に出ることにした。直接ミュチュスカの部屋を訪ねよう。
今日は彼も休むよう言われているはずだ。
ラズレッラに先触れを出させようと立ち上がったところで、部屋がノックされた。
「どなた?」
尋ねると、それは今呼び出そうとしていたラズレッラだった。部屋に入ってきた彼女が、私に用件を伝える。
「ミュチュスカ様が離宮の庭園でお待ちしているとのことです」
「……離宮?」
私たちが今いるのは、王城だ。離宮は王城の裏手に造られた建物で、さらにその庭園となるとここからは結構な距離がある。
なぜそんな寂れた場所に呼び出したのか分からないが、ちょうど良かった。私もまた、彼に会いたいと思っていたところだ。
まさか、最後の最後に思いが通じるとは思わなかった。案外私達も結婚していたら──上手くいっていたかもしれないわね。
もはや、存在し得ない未来の可能性を考えて自嘲した。未練はないはずなのにまだこうして夢想してしまうあたり、我ながら女々しい。
ラズレッラに、向かいますと伝えておいてと返答を言付けて私も支度を整える。
ほかのメイドを呼びつけてデイドレスではなく、気合いの入った、夜会にでも行くようなイヴニングドレスを着付けさせる。純白の、さながらウェディングドレスのような白さを帯びたドレスを選びとった。肩と首筋をスッキリ見せる、ベルラインドレス。腰から下は、流星のように煌めく青を流した、私がデザイナーにあれこれ口出しし、作らせたドレスだ。
裾に膨らみを持たせてレースとシフォンをたっぷり纏わせたそれは、時間をかけて作らせただけあって私によく似合っていた。
本当は婚姻式の夜、結婚パーティーに着るつもりだったこのドレス。死装束になるとは、作らせていた時は思いもしなかった。
苦々しい気持ちで笑い、さらにくるくるとしてまとまりの無い銀髪もサイドを軽く垂らして後はハーフアップに編み込み、ノースポールの花を差し込ませた。化粧もいつもよりしっかりと施させて、くちびるには薄桃の紅を引かせた。
大きな梅重色の瞳に、長めのくるくるとした前髪、色素の薄い桃色の唇に長い銀のまつ毛。
美人と呼ぶには、棘が無さすぎる。
鏡に映る無表情の少女はまるでショーウィンドウに飾られたビスクドールのような可愛らしさ、愛らしさがあった。ただ毒を含まずに柔らかな笑みを浮かべれば、優しげな表情をして同じように微笑む鏡の向こうの少女。
うん、可愛い。
今日の私は人生で一番可愛いわ。
好きな人の記憶に残る最後の姿は、可愛いものでありたい。美しく可憐な少女として、彼の記憶に残りたかった。
首には彼の髪をそのまま落とし込んだようなシトリンな宝石を、細かなダイヤモンドで彩ったネックレスをかけた。指輪は、彼の瞳のような深い深い海の底に似た色合いの、ブルーサファイア。彼の瞳に似ている宝石を探すのは難しくて、とても高価だった。
そして、腰には銀の鎖をドレスに繋げて、その先に小さな絹の巾着を下げる。中にはミュチュスカがくれたすみれの砂糖漬けの小箱を。
サムシングフォーは満たせないけれど、今の私はとても幸せだった。
あまりの気合いの入れようにメイドたちはみな困惑していた。今日は夜会でもないのになぜ、と。
支度をさせたメイドは下がらせて、部屋を出た。王城の回廊を通って離宮に向かおうとしたところで──忘れ物に気がついた。
あれがなければ始まらない。
そう思った私は踵を返して、自室に戻る。
部屋の前に誰かいるようだった。先触れは貰っていない。誰だろうか?眉を寄せた私は、すぐに相手に気が付き息を詰めた。
「メリューエル!良かった、帰ってきてくれて」
聖女だった。なぜ聖女がここに?
安息日ではなかったのか。
いや、その前に先触れは?
そう思ったが、聖女のいた世界──日本ではわざわざ会いに行く前に手紙を出して許可を取る、なんて面倒な真似はしない。
それも、今のように同じ場所に住んでいるならなおさら。聖女にとってここは、寮のような感覚なのだろう。
しかしここはレーベルトだ。
郷に入ったら郷に従えと日本のことわざにもあるのだから、レーベルトに合わせて欲しい。
ため息を吐いた。こんなに着飾ったというのに、まずは聖女の相手をしなければならなそうだ。
「……聖女様。先触れは?」
「サキブレ?あっ……あ、ああ~!」
今思い出したように聖女が声を上げた。
この分では忘れていたのだろう。
どうせ私は今日死ぬのだし、聖女に怒っても仕方ない。今後の教育はライラが行うことだろう。私は部屋の扉を開けた。
「ここでずっと待っていたのですか?メイドを呼び出せばよろしいのに」
「え?えーと……呼び出すのってどうすればいいか分からないし、わざわざ声かけるのもなんだか申し訳ないから」
なんだそれは。
それがメイドの仕事なのだから構うことは無いだろう。私はそう思ったが、聖女に反論することなく彼女を部屋に通した。
ラズレッラはまだ戻ってきていないようだった。部屋は無人だ。メイドを呼び寄せて紅茶の支度をさせようとするが、鈴を鳴らしても誰も来なかった。
「……?」
首を傾げて、そういえばさっき支度を整えさせたメイドは全て部屋から下がらせたのだと気がつく。いや、それにしたって控え室にひとりくらいはいるだろう。
気になったが、メイドの怠慢など本日死ぬ身の私には関係の無い話だ。紅茶もお菓子も用意できないが、私は聖女を促した。
早くミュチュスカの元に行きたかった。
ついに私の死ぬ日がきた。
目覚めの朝は普段と変わらないが、いつもより少しだけ頭がスッキリしていた。朝、目を覚ます、というなんてことのないこともこれで終わりかと思うと感慨深い。感傷めいた思いにふけり、私は朝陽の眩しさに目を細めた。
今日は、儀式はお休みのようだった。
連日儀式に挑んでは聖女の体力が持たないから、という理由らしい。
今日は一日、聖女の安息日となるので、家庭教師役の私とライラもまた一日休みとなる。
いつミュチュスカを呼び出すべきか。
何の名目で呼び出すか。
考えているうちに、昼が過ぎ、陽が傾き始めていた。あまり引き伸ばしても意味は無い。
陽が沈む前に私は行動に出ることにした。直接ミュチュスカの部屋を訪ねよう。
今日は彼も休むよう言われているはずだ。
ラズレッラに先触れを出させようと立ち上がったところで、部屋がノックされた。
「どなた?」
尋ねると、それは今呼び出そうとしていたラズレッラだった。部屋に入ってきた彼女が、私に用件を伝える。
「ミュチュスカ様が離宮の庭園でお待ちしているとのことです」
「……離宮?」
私たちが今いるのは、王城だ。離宮は王城の裏手に造られた建物で、さらにその庭園となるとここからは結構な距離がある。
なぜそんな寂れた場所に呼び出したのか分からないが、ちょうど良かった。私もまた、彼に会いたいと思っていたところだ。
まさか、最後の最後に思いが通じるとは思わなかった。案外私達も結婚していたら──上手くいっていたかもしれないわね。
もはや、存在し得ない未来の可能性を考えて自嘲した。未練はないはずなのにまだこうして夢想してしまうあたり、我ながら女々しい。
ラズレッラに、向かいますと伝えておいてと返答を言付けて私も支度を整える。
ほかのメイドを呼びつけてデイドレスではなく、気合いの入った、夜会にでも行くようなイヴニングドレスを着付けさせる。純白の、さながらウェディングドレスのような白さを帯びたドレスを選びとった。肩と首筋をスッキリ見せる、ベルラインドレス。腰から下は、流星のように煌めく青を流した、私がデザイナーにあれこれ口出しし、作らせたドレスだ。
裾に膨らみを持たせてレースとシフォンをたっぷり纏わせたそれは、時間をかけて作らせただけあって私によく似合っていた。
本当は婚姻式の夜、結婚パーティーに着るつもりだったこのドレス。死装束になるとは、作らせていた時は思いもしなかった。
苦々しい気持ちで笑い、さらにくるくるとしてまとまりの無い銀髪もサイドを軽く垂らして後はハーフアップに編み込み、ノースポールの花を差し込ませた。化粧もいつもよりしっかりと施させて、くちびるには薄桃の紅を引かせた。
大きな梅重色の瞳に、長めのくるくるとした前髪、色素の薄い桃色の唇に長い銀のまつ毛。
美人と呼ぶには、棘が無さすぎる。
鏡に映る無表情の少女はまるでショーウィンドウに飾られたビスクドールのような可愛らしさ、愛らしさがあった。ただ毒を含まずに柔らかな笑みを浮かべれば、優しげな表情をして同じように微笑む鏡の向こうの少女。
うん、可愛い。
今日の私は人生で一番可愛いわ。
好きな人の記憶に残る最後の姿は、可愛いものでありたい。美しく可憐な少女として、彼の記憶に残りたかった。
首には彼の髪をそのまま落とし込んだようなシトリンな宝石を、細かなダイヤモンドで彩ったネックレスをかけた。指輪は、彼の瞳のような深い深い海の底に似た色合いの、ブルーサファイア。彼の瞳に似ている宝石を探すのは難しくて、とても高価だった。
そして、腰には銀の鎖をドレスに繋げて、その先に小さな絹の巾着を下げる。中にはミュチュスカがくれたすみれの砂糖漬けの小箱を。
サムシングフォーは満たせないけれど、今の私はとても幸せだった。
あまりの気合いの入れようにメイドたちはみな困惑していた。今日は夜会でもないのになぜ、と。
支度をさせたメイドは下がらせて、部屋を出た。王城の回廊を通って離宮に向かおうとしたところで──忘れ物に気がついた。
あれがなければ始まらない。
そう思った私は踵を返して、自室に戻る。
部屋の前に誰かいるようだった。先触れは貰っていない。誰だろうか?眉を寄せた私は、すぐに相手に気が付き息を詰めた。
「メリューエル!良かった、帰ってきてくれて」
聖女だった。なぜ聖女がここに?
安息日ではなかったのか。
いや、その前に先触れは?
そう思ったが、聖女のいた世界──日本ではわざわざ会いに行く前に手紙を出して許可を取る、なんて面倒な真似はしない。
それも、今のように同じ場所に住んでいるならなおさら。聖女にとってここは、寮のような感覚なのだろう。
しかしここはレーベルトだ。
郷に入ったら郷に従えと日本のことわざにもあるのだから、レーベルトに合わせて欲しい。
ため息を吐いた。こんなに着飾ったというのに、まずは聖女の相手をしなければならなそうだ。
「……聖女様。先触れは?」
「サキブレ?あっ……あ、ああ~!」
今思い出したように聖女が声を上げた。
この分では忘れていたのだろう。
どうせ私は今日死ぬのだし、聖女に怒っても仕方ない。今後の教育はライラが行うことだろう。私は部屋の扉を開けた。
「ここでずっと待っていたのですか?メイドを呼び出せばよろしいのに」
「え?えーと……呼び出すのってどうすればいいか分からないし、わざわざ声かけるのもなんだか申し訳ないから」
なんだそれは。
それがメイドの仕事なのだから構うことは無いだろう。私はそう思ったが、聖女に反論することなく彼女を部屋に通した。
ラズレッラはまだ戻ってきていないようだった。部屋は無人だ。メイドを呼び寄せて紅茶の支度をさせようとするが、鈴を鳴らしても誰も来なかった。
「……?」
首を傾げて、そういえばさっき支度を整えさせたメイドは全て部屋から下がらせたのだと気がつく。いや、それにしたって控え室にひとりくらいはいるだろう。
気になったが、メイドの怠慢など本日死ぬ身の私には関係の無い話だ。紅茶もお菓子も用意できないが、私は聖女を促した。
早くミュチュスカの元に行きたかった。
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